第17話 形を変えて、なお変わらず
エースの発言によるざわつきは、朝会を終えた後も教室の中に残っていたが、エースはそれを全く気にせず、その足をレスタの街へと向けていた。
今は、最寄り駅から乗った列車が引く客車に揺られて、レスタの街に着くまでの時間を景色を眺めながら過ごしている。人の少ない車内の4人がけの席に1人座るエースの傍では、ヒールとメールが丸くなっており、物理的な意味でも、精神的な意味でも、もう孤独感を感じる要素はなくなっていた。
――今日も緑が綺麗だなー……
視界を流れていく一面緑の景色に、何を思考するでもなくいる辺りが、今のエースの精神状態を表している。状況が好転しているとは言い難いが、不安や焦りなどのネガティブな感情は、不思議と今はほとんど残っていなかった。
――多分、今日はレスタの街にいるのかな
朝会の時、フローラが座る前の席は空席だった。彼女が所用で学校にはいない、ということなのだが、フローラの性格を考えると私用で空けるというのは考えづらいので、ほぼ確実にレスタの街の薬屋にいる。
図らずして同じ場所で活動する以上、会話のチャンスを得られる。生徒からの妨害を受けずに話せるとしたら、今はこの場所しかない。
今は話したいという気持ちは程よく薄れているが、1つだけ、まだ彼女に話していないことがある。同じ過ちを繰り返さないために、これだけは話しておきたい。
そんな思いを抱えたエースの乗った列車は、気づけば車外の景色にレスタの街を映していた。
「ヒール、メール、ぼちぼち動くぞ」
「「くるぅ?」」
大人しく丸くなっていた2匹が、全く同じ反応を見せた後、宙に浮かび上がる。
その数十秒後に停車した列車から降り、そこから見える街の姿に、懐かしさを感じられずにはいられなかった。
――たった数日、見なかっただけなんだけどな
その懐かしさに嬉しさを覚える反面、少しばかりの怖さもある。
依存するほどに寄り添ってしまえば、少しのイレギュラーで簡単に狂ってしまう。
精神的に壊れかけていた少し前までなら頭の片隅にすらなかった考えだが、ある程度精神的に復調した今は、そういう考えになっていた。
暑さの和らいだ日差しの下で、今日も街は動いている。活気のある声も、人々のやりとりも、そこにある。
――行ったら、まずは謝らないとだな
そんな考えを、表情を暗くすることなくした後で、エースの足はレスタの街の中へと踏み出されていく。
目的地は、中央通りを抜けたその先。子供たちが待つ場所へ、エースの足は、止まることはなかった。
* * * * * * *
いつも声をかけてくる八百屋の男性や、喫茶の女性とのやり取りを交わした後、いくつかの曲がり角を抜けた先。
孤児院の姿は、今日も変わらずにそこにあった。外に干され、風を受けてたなびいている洗濯物は、今日の仕事が1つ既に終えられていることを示している。
――みんな、なんて言うかな……?
色々なしがらみがあったとは言え、前もって言っていた来訪の約束をエースの事情で破ったことに変わりはない。約束事を大事にするエースにとっては、そのことが尾を引いている。
そんなエースの不安を感じ取ったのか、ヒールとメールがエースの顔のすぐ横にふわりと浮いていた。
「「くるぅ?」」
「まぁ不安だけど、大丈夫だよ」
そう言って、ヒールとメールの頭を同時に撫でる。少しだけその柔らかさを感じた後で、エースはさらに孤児院の方へと近づいた。
ほんの少しの不安を抱えたままで、孤児院の扉に手をかける。一つ深呼吸した後で、その扉を押し開けると、そこにはいつもと変わらない、静かな玄関があった。
いつも通り、言いつけを守って出てこない子供たち。フローラ伝いに今日来ることを告げており、こちらもいつも通りから変わっていなければ、子供たちはソワソワしながらエースの到着を待っているはずだった。
それでもドアについた鈴の音で出てこないのは、子供たちがきちんとしている証拠だった。エースが緊張から解放されるのが少し先延ばしになることを除けば、全く問題ない。
そんな静かな玄関で、エースはカバンからハンドベルを取り出して、軽く2度鳴らした。
その次の瞬間、奥からドタドタと足音が複数聞こえてくる。
数十秒ほどで、子供たちは玄関が見えるところまで来ていた。
「おにーちゃんだー!」
「やっときたー」
子供たちが口々に、エースに言葉を投げかけてくる。そのやりとりは、エースの不安を吹き飛ばすかのように、いつも通りだった。
「もうだいじょうぶなの?」
「ああ、もう大丈夫だよ」
フローラ曰く、子供たちにはエースが来れなくなった理由は『体調不良』と言っているらしい。
実際には謹慎処分で週が終わるまで学校の敷地内から出ることが出来なかっただけなのだが、その時の有様も、今考えてみれば『心の病』と言っても差し支えなかったようにも思う。
そういう意味では間違っておらず、真実が正確に伝わってないために根掘り葉掘りされることもない。上手く言ったなぁ、とエースは感心していた。
そうしていると、少し遅れて、シエスタが奥から顔を出す。手紙を書くにあたりフローラが協力を仰いだこともありおそらく真実を知っている彼女は、エースの顔を見ると優しく微笑んだ。
「お久しぶりです、エースさん」
「お久しぶりです。ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ。お手紙が役に立ったのなら何よりです」
孤児院の面々からもらった手紙は、今もフォンバレン家のエースの部屋に置かれた小箱の中に丁寧に収められている。
持ったまま人目を気にせず泣いてしまったため、少しだけ涙で濡れて綺麗ではなくなってしまったが、それでも、エースにとっての価値が変わることはない。
「あっ、せっかくだからお母さんとフローラさん、呼んできますね」
「えっ、仕事中なんでは?」
「多分そんなの気にせずに来ると思いますよ」
そう言うと、エースの言葉を待たずして、シエスタは外へと行ってしまった。
むしろ反論されるのが分かっていたからこそ、返答を待たなかったのだろうか。みんなお人好しだな、と思いながら、エースはのんびりと待つ構えを見せていた。
「もふもふだー」
ミアの言葉で、エースは横を向く。
いつの間にか、子供たちはヒールとメールとじゃれあっていた。
孤児院に来始めてからすぐの頃に大襲撃事件があり、そしてヒールとメールが離れてしまったために、ここにはあまり連れてきてはいないはずだった。だが、時には子供たちの手を受け入れ、時には空を浮いて上手く避けたりと、2匹はすっかり慣れた様子を見せていた。
育ったせいでヒールとメールはそこそこ大きいはずなのだが、子供たちが怖がっていないのは、敵意が少しもなく、可愛らしい見た目をしているからなのか。それとも、子供たちの好奇心が勝っているのか。
どちらにしろ、いいようにしてもらえるのであれば、何も問題はない。
エースは、2匹とじゃれ合う子供たちが怪我しないように見守りつつ、シエスタの帰りを待つことにした。
「戻りました」
数分後、開かれた扉と共に、少し息を切らせたシエスタが入ってくる。
「やぁ、みんな。おはよう」
「お邪魔します」
少し遅れて、レイラとフローラも孤児院に姿を現す。
「あっ、おねーちゃんだ」
「うん、おはよう」
フローラが来たことに一番最初に反応したのは、一番奥にいた最年少のベルーナだった。
いつもいの一番に、ベルーナが反応するのは、よほどフローラを気に入っているのだろうか。対するフローラは、笑顔で彼女と言葉を交わしていた。
「どうもです」
エースも、2人に向けて言葉を発する。
言葉を向けられたレイラとフローラは、エースの姿を見て、安心したようだった。
「もう大丈夫なのかい?」
「大丈夫です。色々と助けてもらいましたから」
途中でフローラの方を一瞥しながら、エースはそう答えた。
「俺の方は落ち着いたんで、普通に接してください。流石に病人扱いは辛いので」
「おにーちゃんげんきになったの?」
「ああ、もう元気だよ」
自身の言葉の後、ほとんど間を置かなかったミアの率直な聞き返しに、エースは目線を合わせて答える。
『いつも通り』を維持しようと頑張ることが、そもそも異常な状態。『いつも通り』は、無意識でも日々の中で維持されるもの。
――まぁ、外的要因がなければ、の話だけど
そういう考えに、今は落ち着いている。
「スプリンコートさん」
「どうしたの?」
「話しておきたいことがある。今、大丈夫?」
「うん」
エースの真剣さを帯びた声色に、フローラは二つ返事を口にする。
「少しだけ、お借りします」
「気が済むまで借りていくといいよ」
レイラからそう言われた後、エースは孤児院の最も奥であるダイニングスペースに、フローラを連れて入った。
入口の戸を閉め、エースとフローラは互いに正面合わせになるように席に座ると、会話がフローラの方から始まった。
「それで、話しておきたいことって、なに?」
「俺、懲罰房から出た後に校長室に呼び出されて、そこでどう考えても人数的不利な勝負を自棄起こして受けたんだ」
「うん」
「で、それやるのが今週金曜か土曜なんだけど、もし負けたら、俺は学校を辞めなくちゃならない」
「え……」
これまでのやりとりで、おそらくはエースが立ち直ったと思い、安心していたのだろう。そんなフローラの顔がみるみるうちに曇っていく。しょうがないとはいえ、それを目の当たりにすることが、エースには少し辛かった。
「これ、ちゃんと決まったの、ついさっきなんだ。何も決まってなかったし、俺の中に余裕がなかったからさ」
フローラは、黙ったままでいた。
沈黙の理由は、告げられた中身が衝撃的だったことも、言わなかったことに対する反論の余地がないこともあるのだろう。
「これに関しては俺自身にしかどうにか出来ない問題だし、孤児院に来れなくなるわけでもないから、孤児院の面々には言うつもりはない。だけど、直接的には関係なくとも、君には知っておいて欲しかったから、こうして言わせてもらった」
知らないことで、結果的に最悪の方向に向かってしまう。
2度も同じ結果に行きつかないために、今度は口にする。自分のせいで起こしたことを他人に話して同情を得ることは基本的にはしないが、このことだけは違うと考えて、エースはフローラに打ち明けていた。
「大丈夫なの?」
フローラから飛んできたのは、短く、ストレートな疑問だった。
「ちょっと前までの俺だったら、正直無理だったと思う。だけど、今だったら大丈夫かな」
「本当に?」
「ああ。ただの寄せ集めに負けるつもりはない」
自信をにじませながら、口にした言葉。
これまで見せてしまっていたエースとは明らかに違う物言いを聞いたせいか、フローラの表情からは不安の色が消え、何を言うでもなくふっと微笑んでいた。
「うん、分かった。大丈夫なら、それでいい」
おそらくは、それが強がりの言葉ではないと感じ取ったが故か。フローラの言葉には、一度失われてしまった信頼感が、少しだけ形を変えて存在する――
エースには、そんな気がしていた。
「話したかったのはそれだけ。あんまり長話だと心配させるだろうし、戻るか」
「うん。話してくれてありがとう」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう」
そうして、エースとフローラは、扉を開けて、玄関に揃っている皆のところへ戻っていく。
2人揃って玄関まで戻ると、レイラが声をかけてくる。
「話は終わったのかい?」
「はい」
問いかけに対するエースの言葉と、フローラの表情。
レイラはそれだけで何かを感じ取ったのか、微笑んでいた。
「納得する形で話がついたんなら、大丈夫そうだね。あたしはそろそろ薬屋に戻るけど、フローラはどうするんだい?」
「私も戻ります。また、会えますから」
「そうかい。じゃ、またね。シエスタもしっかりやるんだよ」
「はい、分かりました」
最後はシエスタとのやりとりを交わしたレイラがフローラを連れて、扉から出ていく。扉が閉じられた後で、エースは一つ息を吐いた。
「どうされました?」
「いや、なんでも」
「……ふふっ、そうですか」
少し間を置かれた、シエスタの反応。
「……なんですか?」
逆に気になってしまい、今度はエースが聞き返す。
「なんでもないです」
「……はぁ?」
全く同じ反応をされて、エースは困惑交じりの言葉しか出せなかった。
とはいえ、それで表情が困り顔になったのはほんの一瞬。
――そう言えば、昔もこんな感じのやりとりしたっけな
少しだけ昔を思い返し、力を抜くように息を吐き出す。
次いで、ぼんやりとしていた視界に意識を引き戻して、目の前にいる子供たちを見る。
そして最後に、今一度今日に突入すべく、口を開いた。
「じゃ、今日はなにしようか」
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