第14話 思いは継いで、伝わって



 それからほとんど間を置かずして、フローラの足は孤児院へと向いていた。


 達成したい大きな目的は変わらないが、その中を小分けにした小さな目的は次の『孤児院の面々に協力してもらう』ことに変わっていた。もちろん、エースとの約束である『子供たちに代わりに謝る』も、フローラが孤児院へ向かう理由の1つになっている。


 時間は、朝日がある程度空に昇り、夏と比べると多少和らいだ日差しが差して来る頃。いつもなら薬屋で働いているそんな時間に、レイラと共にレスタの街の孤児院へとたどり着いていた。



 薬を持って向かう日と変わらず、今日もこの孤児院の今の長であるシエスタが、孤児院で出た分の洗濯物を干していた。


「シエスタさん、おはようございます」


「あら、フローラさん、おはようございます」


 フローラが挨拶をすると、シエスタは洗濯物を干す手を止めて律儀に挨拶を返してくる。


 そのいつも通りの微笑みを湛えた表情は、フローラの横にいるレイラに向いた瞬間に、驚きに変わっていた。


「やぁ、さっきぶりだねぇ」


「お母さん? どうしてここへ?」


「フローラの付き添いだよ」


「付き添い……?」


「それには語ると長い理由があるのさ。フローラ共々、中に入ってから語るんでもいいかい?」


「もちろん構わないけど……ちょっとだけ待っててください。洗濯物、あと少しなので」


 口調が変化した後の発言は、フローラに対してのもの。


 そう言ったシエスタが残り2、3枚ほどだったタオルを干し終えた後に、フローラはレイラと共に、シエスタに連れられて孤児院の中に入った。


 入口を開け、玄関を過ぎてもシエスタは振り返ることもせず、ようやく歩みが止まったのは、前にシエスタとフローラが会話をした部屋だった。


 そこに入り、レイラとフローラを奥へと誘導すると、シエスタは部屋の戸を閉めた。


「ここは、何か話をしたいときにはドアを閉めるんです。子供たちには、ここのドアが閉まっていたら聞き耳を立てない、と約束しているので、よほど大きな声出なければ内緒話も大丈夫ですよ」


「ありがとうございます」


 軽く頭を下げる動作に、フローラも釣られて会釈をする。


「それで、お母さんが付き添いをしてる理由は?」


「実はね、今朝、フローラと少し話をしてね」


 話が始まってすぐに、フローラの中に言いようのない感情が生まれる。


 それは、物事が始まってしまう時のざわつき。もう物事を止められないことを、この感情が示している。


「ちょっとエースの現状について相談されて、協力をして欲しいって言われてね」


「協力?」


「エース、ちょっと厄介事に巻き込まれたらしくてね、数日くらい、ここに来れないんだとさ」


「えっ……」


 エースが孤児院に来ることが出来ない、という言葉を聞いて、シエスタは驚いていた。


「ひとまず、フローラの話を聞いてほしいんだよ」


 そして話のバトンは、フローラの方に渡ってくる。


 レイラが上手く話を端折ってはいるものの、面と向かってエースの今を話すのは、少しだけ苦しい。だが、明かされてしまった以上、もう戻ることは出来ない。


「レイラさんが言っていた、厄介事……フォンバレンくんがそれに巻き込まれたのは、私のせいなんです」


 迷っている自分を進ませるために、フローラはシエスタに向けて、あえてそう言い切った。


「今から話すのは、さっきレイラさんに既に話した中身なんですが……フォンバレンくん、今学校ではかなりの言われなき悪評を受けてるんです」


「そうなんですか……?」


 信じられない、という感じが強く出た声色でシエスタが聞き返す。


 それによって少し心が苦しくなりながらも、フローラは言葉を続けた。


「はい。そんな中、ちょっと突っかかられたフォンバレンくんをかばったら、今度は私がターゲットにされてしまって……。余計なことをした私をかばったフォンバレンくんは結果、学校からの処罰で子供たちに会えなくなったんです。そのことをフォンバレンくんはすごく悔やんでいて……」


 先ほどレイラに話したものよりも端折りながら、フローラはシエスタに伝えていた。


 エースが知ってほしくないという思いを持っていたことを考慮しながらだと、フローラの口から今回の来訪の中身を伝えるには今くらいが精一杯だった。


「元々その言われなき悪評に対する反論を、私はきちんと出来たはずなのに、何もかもを忘れてしまったせいでそれも出来なかったんです。そのせいで苦しんでるフォンバレンくんに、何かしてあげたくて……。そのために協力して欲しいことがあったので、ここに来ました」


 フローラは、静かにそう言い切った。


 それを聞いたシエスタは、少し考える素振りを見せた後に、口を開いた。


「1つ、どうしても気になっていることがあるんですけど、いいですか?」


「はい」


「前に話した時から、フローラさんがエースさんのことを善意で知ろうとしていたことは気づいていたんですけど……どうして、そこまで気にしているのですか?」


 シエスタから飛んできたのは、先ほどレイラに聞かれたものとほとんど同じ質問だった。


 フローラは、同じ答えを返そうとして、エースがプライベートな話をシエスタにしていないことに気づく。そして、レイラに『秘密』として言った部分を、どのように言うべきかを迷う。


「フローラ」


「はい」


「シエスタは昔のエースともやり取りしているから、基本的には信頼してるはず。さっきの秘密も、話しても大丈夫だよ」


 迷うフローラに対しての、レイラからの助け船。


 ある意味身内であるならば、確かに問題はない。そう考えて、フローラは話を続けた。


「フォンバレンくんにとって私が『大切な人』で、私にとってもそうだったからです。記憶を失くしてしまったので、過去形でしか言えないんですけど……それが、私が彼のことを知ろうとする理由です」


「そうだったんですか……」


「お願いします。力を貸してください」


 念押しとばかりにそう言って、フローラは頭を下げた。


 今の自分の言葉だけでは、負い目を感じているエースには届かない。だが、他にも恩を感じる人の感謝を集めればきっと届くと、そう思っていた。


「フローラさん、顔を上げてください」


 シエスタの言葉に従うように、フローラは顔を上げる。目の前のシエスタは、優しく微笑んでいた。



「私でよければ、協力させてください。何をすればいいですか?」


「フォンバレンくんに、感謝の言葉を届けたいんです。子供たちに対してお願いしたいんですけど……」


 そこまで言うと、フローラはレイラに視線を少しだけ飛ばした。


 その視線の意図を理解したレイラが、続きの言葉を発する。


「そこに関してはエースのことだから、子供たちには絶対に事情を知られたくないと思ってね。シエスタ、何とかしてやってくれないかい?」


「なるほど……」


 レイラからの頼みに、シエスタが少しばかり考えこむ。


「分かりました。そう言うことなら、お任せください。子供たちの扱いには、手慣れていますから」


「いざとなればアタシもいるしね」


 2人の言葉は、温かみを感じる優しさもありつつ、とても力強く感じた。


「じゃあ、ここを開けて、子供たちにお願いしに行きましょうか」


「はい」


 シエスタの言葉にそう答えると、シエスタがこれまで閉じていた戸を開ける。


 廊下に出ると、その廊下の先にある部屋から、子供たちが顔を覗かせていた。子供たちは、3人が部屋から出てきたのを見ると、こちらへ駆け寄ってきた。


「おはなし、終わったの?」


「うん、終わったよ」


「じゃあ、きょうはおにーちゃんも来るから、おねぇちゃんも一緒に遊ぼ」


 子供のうち1人がそう言ったのを聞いて、フローラは少し胸が苦しくなった。


――子供たちは、本当にフォンバレンくんと会うのを楽しみにしてるんだ……


 子供たちの楽しみを分かっているから、エースはあの場所で約束を破ったことを悔いている。


 改めて、フローラは自分の行動によって起きてしまったことを感じた。子供たちの素直な声が、フローラの心に痛みをもたらす。


 その痛みに気を取られていると、レイラの声が後ろから飛んできていた。


「今日はね、お兄ちゃんはちょっと体調を崩してお休みなのさ。だから代わりに、お姉ちゃんがやってきたってわけ」


「えーー」


「文句を言っちゃあダメだよ。誰にだって、ちょっとくらい、そういう日はあるもんさ」


 子供たちを諭すように、しっかりとした、しかし温かみのある言葉を口にするレイラ。


 自身の母親とは違う声色ながら似た響きを、フローラはそこに感じていた。


「とはいえ、早く元気になってほしいだろう?」


「うん!」


「今日はね、せっかくだから、お兄ちゃんにお手紙を書いてあげようじゃないか。いいだろう、シエスタ?」


「おてがみ?」


「はい。みんなには、短くても、絵でもいいから、元気づけるためのお手紙を書いてほしいの」


 レイラが語りによって作り出した注目に、娘であるシエスタが乗っかり、上手く子供たちの行動を誘導する。真実をほとんど隠し、それでいて辻褄の合うように言葉を選んで口にする。


 嘘や隠し事の下手なフローラには出来ないそのやり方で、子供たちは話題に食いついていた。


「なんにかいたらいい?」


「ちょっと待っててね」


 子供たちの素朴な疑問を聞いて、シエスタが一度部屋を出る。


 少しして戻ってきたシエスタの手には、手紙と紙の束、そして鉛筆があった。


「こっちは、文字を書きたい人。こっちは、絵を描きたい人。両方書きたい人はどっちも1枚ずつ持ってってね」


『はーい』


 子供たちが、テーブルに置かれた紙を取って、各々の席に座る。


 そしてそれぞれに鉛筆をとって、書き始めていた。


「さて、私も書くと致しましょう。普段、助けてもらっている身ですから」


「じゃあ、アタシも何かは書くとしようかね」


 子供たちだけが、と思っていた矢先に、シエスタとレイラも、フローラに少し言葉を向けた後でその輪に加わっていく。


 少しだけ遅れてフローラも加わろうとするが、その行動を、レイラに制される。


「フローラは、手紙にする必要はないだろう?」


「えっ?」


「大切なら、自分自身の口で伝えなさい。そっちの方が、届いたことが見て分かるから」


 レイラにそう諭されて、フローラは部屋の片隅にある椅子に座り直した。


 そこからは、孤児院の一風景が見えていた。


 何を言うでもなく、それぞれがそれぞれに思いを模っていく様は、間違いなく、偽りでは作れない光景。目の当たりにしたフローラは、自分の思いが間違いではないと確信した。


 例え小さくとも、少なくとも、感謝をしている人は確かにいる。その人たちからの言葉と一緒なら、きっと届く。


 考え始めた頃は持てなかった確信も、今は少し持てるようになってきた。


「フローラ」


「はい、なんでしょう?」


 突然、手紙を書いている途中のレイラから呼ばれ、フローラは疑問符を浮かべながら顔を声の方向に向ける。


「今日は薬屋で働かずに、エースの代わりをしてあげな。ちょっとくらい、あの子の姿を追ってみるといいよ」


「私からもお願いします。子供たちの有り余る元気は、慣れてないとちょっと大変かもしれませんけど」


 レイラとシエスタの口からそれぞれの言い方で発せられたのは、フローラにエースの代わりをして欲しいという要望。それを聞いたフローラは、少しばかり視線を外す。


 いつもエースは、元気のある子供たちを、時には受け入れ、時には抑えながら、過ごしていたのだろうか。そんな考えが、フローラの頭を過る。


 今日だけは、そんな彼の代わり。間違いなく振り回されるだろうなと考えた後で


「力不足かもしれませんけど、頑張ります」


 フローラは笑顔でそう答えていた。



 そうして、優しいひと時は、孤児院の中で確かに過ぎていった。


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