第13話 『自分勝手』の真実
エースと懲罰房で会話した次の日。フローラは、レスタの街に向かっていた。
もちろん薬師としての業務を学ぶため、というのはあるのだが、この日はそれよりもエースのために、という思いのもとで動いていた。
運がよかったのは、エースの来訪日程とフローラの薬屋に行く日程が被り、そしてそれが次の日であったことだった。フローラは自分でも予想出来ない程に早起きをして、ナトゥーラの町から出る列車に乗っていた。
そして長い時間揺られてたどり着いたレスタの街で列車を降りると、フローラは表情を少し引き締めた。
駅のゲートをくぐり、正面に見える街の中央通り。真っ直ぐ伸びる道の通りに進んで、果てのT字路より少し手前で大きな通りから外れて小道に入る。
そしてそこから3区画程行って左を向き、そこから正面に伸びる道の先にフローラが今学びを得ている薬屋がある。孤児院の長であるシエスタの実家でもあるそこの戸を軽く叩いて、フローラは自身の来訪を中に告げた。
少しして戸が開かれ、中からレイラが出てくると、フローラは微笑みながら朝の挨拶を口にした。
「おはようございます」
「あら、おはようフローラ。いつもより少し早いけど、どうしたの?」
「ちょっと、お話したいことがあって。少しお時間いただけませんか?」
「時間ならまぁちょっとはあるけど……どうしたんだい、改まって」
「えっと……中に入ってから話すのでも大丈夫ですか?」
少し周囲を見回した後に、どこか濁したような言い方を聞いて、レイラが少し首を傾げる。
フローラにも打ち明けたい気持ちはあったが、まだ外にいる以上は流石に話せず、言葉を濁していた。
「分かったわ。こっちへいらっしゃい」
レイラはそう言うと、フローラに背を向けて歩き出した。フローラもそれに倣い、薬屋の中に入った後、レイラに連れられて、いつもと違う左側の部屋に入った。
少し歩けば、そこはダイニングスペースだった。数日前にエースの話を聞くために押し入れに入った場所でもあるそこで、今回は椅子に座る。
「さてと……フローラの話って、なんだい?」
「フォンバレンくんのことを、知りたくて」
今度はためらいなく、フローラは答えを返す。
「なるほどねぇ……」
フローラの返答を聞いて、レイラはしばしの間黙り込む。
やりとりに挟まった沈黙が破られたのは、十数秒ほど経ってからだった。
「多分、こっちを最初に聞くべきなんだろうけどね」
「はい」
「どうしてフローラは、エースのことを知ろうとしているんだい?」
フローラがいまだにレイラに言っていない、唯一の隠し事――このレスタの街に来た理由。レイラから飛んできた疑問は、その隠し事の理由であり、フローラの行動の根本にあたるものだった。
元々、秘密にしていた事実であったことを考えると、出来れば、明かさずに話を終わらせたい。
だが、それでは話が進まないことを悟ったフローラは、少しだけ前置きを口にした。
「今から言うことは、基本的にはここだけの秘密でお願いします。私とフォンバレンくんの身内しか知らないことなので」
「ええ、分かったわ」
レイラからの了承の言葉の後、フローラは少し間をおいて、意を決して秘密を口にした。
「私がフォンバレンくんにとっての『大切な人』で、私にとっても、そうだったからです。『だった』、っていうのは、ちょっと語弊がありますけど」
フローラの中から思い出が消えてしまっている以上は、根付いていた感情も既に分からなくなっている。フローラにとってのエース・フォンバレンという人間が『大切な人』だったというのは、今のフローラを動かす原動力ではあるが、過去形でしか語ることが出来ないものだった。
「ちょっと話が逸れますが……レイラさんは、『大襲撃事件』のこと、ご存じですか?」
「まぁちょっとだけね。サウゼルの学校が、1日で半壊させられていた奇妙な事件ね」
大襲撃事件は、その奇妙さ故に大々的にはなったが、もう既に時間が少し経った今は、経験した者たち以外からは少しずつ忘れられている。そんな中で、噂話でも少し知っているのであれば、説明の手間が省ける分フローラにはありがたいことだった。
「私には、あの事件の記憶と、フォンバレンくんに関連する記憶が全てないんです。理由は分からないんですけど」
「そうなのかい? 全然そんな風には見えないけど……」
「それはきっと、フォンバレンくんが、無理してでもそう見せないようにしているからだと思います」
フローラとやりとりしている時のエースの微笑みは、自然なようで、どこかぎこちなくも感じた。
今思えば、それが明らかに無理して接していることを示す1つのサインだったと、フローラは思う。
「そのフォンバレンくんは、大襲撃事件の日、行動に謎の部分が多いことから、学校で怪しまれてます。『実は首謀者だった』とか『1人だけ逃げた』とか、憶測でしかないことも、あたかも確定した事実のように語られてしまっているせいで、学校では四面楚歌のような状況で、フォンバレンくんはそれを、何を言うでもなく耐え続けています」
エースの現状を、フローラは静かに語る。自分が見た姿を思い返しながら、言葉として発していた。
「そんな中、フォンバレンくんは、ちょっと前に他の生徒に突っかかられて……。その時その場にいた私が、何も知らないままにかばってしまったせいで、状況が悪化して、最終的にフォンバレンくんが他の生徒に手を出す形になってしまったんです。そして、学校の決まりで数日間学校の敷地外に出られなくなって……そのせいで孤児院の子供たちとの来訪の約束を破ることを、物凄く悔いていました」
「エースが手を出すだなんて……よっぽどのことがあったんだね?」
「はい。怖いくらいに怒っていました」
あの日のエースを、フローラは言葉を発しながら思い返す。
孤児院で見られた優しい姿とは大きくかけ離れた、鬼気迫る姿。自分に向いていなくてよかったと、不謹慎ながら思わされるほどに、あの時のエースは恐ろしかった。
「フォンバレンくん、言ってたんです。『中途半端にあの日のことを知ってしまったら、きっとかばうと思ったから言えなかった』って。そこまで分かっていて、何も話さずに耐えていたフォンバレンくんの好意を、あろうことか私が無駄にしてしまった。それ以前に、私が忘れてしまったせいで、フォンバレンくんは誰にも打ち明けられずに、辛い思いをし続けるしかなかった――そこまで全部分かってしまったら、何もせずにはいられなくって」
一番大切に思っていた人に、自分の行動を無に帰される。
平常時ですら心に傷を負わせる行為を、あろうことか相手がギリギリで踏ん張っている時にしてしまった。結果崩壊したエースを立ち直らせるのは、絶対に自分の役目であり償いであると、フローラは考えていた。
「遅いかもしれないけど、まだ手遅れじゃないなら、フォンバレンくんのために知れることを全部知りたいんです。私にはどうしても、フォンバレンくんがみんなが言うような『自分勝手』で『卑怯者』な人間には見えなくて、その証明は、私にしか出来ないと思ったから」
静かながら力強く、しかしどこか縋るように、フローラは言葉を言い切った。
それを聞いたレイラは、少し微笑んでいた。
「ようやく分かったよ、フローラがわざわざ遠いこのレスタの街に来た理由。エースがこの街にいると知ったからなんだね?」
「はい。その通りです」
全く話したことない理由を言い当てられて、フローラは少し苦笑いしながらそう答えた。
「やっと色々分かってちょっとスッキリしたね」
「すみません。関係ない話だと思ってて、ずっと言えなくて……」
「別にいいんだよ。そんなの、些細な話だからね」
申し訳なさそうな顔をするフローラに、レイラは笑いながらそう答える。
「大丈夫。フローラの感じたことは間違ってない。あの子はね、手先は器用でも生き方は不器用だから、そう見えちゃうのかもしれないけどね」
「……っ!」
「あの子があの子自身のことを『自分勝手だ』っていうのはね、半分アタシが悪いんだよ」
「え?」
1つ目の言葉に喜びを、2つ目の言葉に疑問を、それぞれ覚えるフローラ。
「昔のあの子は、確かに自分勝手なところがあった。自分の実力を高めるんだ、って言って、持ち回りの当番をミストに押し付けていたよ。ただ、それしか考えてないようじゃ、孤児院の生活のルールに背くことになってしまうからね。ちょっときついくらいに言ったもんさ」
レイラの口から語られたのは、今見ている姿とは明らかに違う、過去のエース。今見えているエースしか知らないフローラには、想像など出来るはずもなかった。
「そのおかげか、あの子はきちんと周りも見るようにはなった。コミュニケーションはあまり上手じゃなかったけど、よくしてくれる人には相応の対応をしていた」
「それで、フォンバレンくんは今みたいな感じに……」
「そうだね。でもね、それで気づいたことがもう1つあった。あの子が自分の実力を高めようとしていたのは、確かに復讐のためだったんだけど、復讐をしようとする理由が、ミストを守るためだった――っていうのを知ったのは、その頃だったね。自分のことはどうでもいい、なんて、10歳の子供がいう言葉じゃないね」
自己犠牲など当たり前かのように、全て抱え込んで進んでいこうとする姿。
レイラの口から語られる幼き日のエースが、少しずつ、今のエースと重なっていく。
「当時見ていたあの子は、もう自分の幸せなんてなさそうな雰囲気だった。大切な人が何一つ不自由しないように……心根のところは、全然自分勝手じゃないことにアタシたちが気づいたのは、あの子が孤児院を巣立つ少し前だった」
「言わなかったんですか?」
「言ったけど、もう遅かった。あの子には、自分は勝手な人間だ、と刷り込まれてしまっていた。まぁそこまで程度がひどいわけじゃないんだけど、あの子が自分のことを優先することはないんだよ。仮に優先するような行動があったとしても、そこには必ず同じ理由を持つ誰かがいる」
「そういえば、スプラヴィーンくんも言っていました。『エースが自分のために怒ることはないよ』って」
「アタシもそう思うね。あの子が巣立ってから振り返ってみれば、あの子はいつも他の誰かの力だった。当時たまにちょっかいかけに来た近所の悪ガキがある日突然手を出そうともしなくなったのは、多分エースが真っ正面からねじ伏せたからと思うね」
推測込みの昔話を少し交えながら、レイラが少し笑う。
「あの子は、敵と認識すれば事情を全く考慮しないくらいには厳しい。だけど、自分のことを大切にしてくれる人には、とても優しい。あの子に優しくすれば、あの子は相応のものを返そうとする。それが、例え自分がどんなに苦しくても」
レイラの言葉が、今のフローラには痛いほど理解できた。今自分がまさにそれを受けている側だからだ。
自分が苦しくとも、目を向けているのは大切にしている他人。それをもっと自分にも向けてほしいという思いは、自然と湧く。
「苦しいのを分かっていて、それでもエースがそういう選択をしたのは……間違いなくエースにとって、フローラと過ごした時間が大切だったからだと思うね。まぁ、それでも、フローラを大切に思うんなら、1回くらいは面と向かって話すべきだったとも、あたしは思うけどね」
レイラはそこまで語ると、言葉を止めた。
おそらくは、全てが語られたことを意味するその姿を見て、フローラは次の段階へと動く。
「もう1つだけ、いいですか?」
「何だい?」
「今のフォンバレンくんに、何かをしてあげたいんですが……どうしたらいいですか?」
エースのことを知ることが出来たとはいえ、それで終わってはほとんど意味がない。そこから行動に繋がらなければ、ただ昔話を聞いただけで、エースには何も返せない。
そういう思い故の問いであった。
「そうだねぇ。今のエースがどう成長したかをそこまでは知らないんだけど……行動の指針となるようなアドバイスなら、1つだけあげよう」
「アドバイス……?」
「次話すときは、謝るんじゃなくて、感謝を添えて伝えてみな。人間誰しもがそうだとは思うけど、エースには特に『ごめんなさい』よりも『ありがとう』の方が効くんだよ」
「謝るより、感謝を……」
レイラに言われた言葉を部分的に復唱し、フローラはもう一度、エースとのやりとりを思い返す。
言われてみれば、フローラはエースに対して、一度も感謝の言葉を述べたことがなかった気がしていた。いつも、思い出せない自分や、浅はかな行動をした自分を謝罪し、その度に気を使わせていた。
そのことに気づいた瞬間に、フローラの行動の指針は固まっていた。考えこむ間少し険しくなっていた表情も、元に戻る。
「どうするか、決まったかい?」
「はい」
表情の変化で何かがあったことを察したレイラからの問いには、フローラは笑顔で返事をしていた。
同時に肩の荷が少し降りたような、そんな気分になる。
「色々と話してもらって、ありがとうございました」
「アタシも、ちょっと嬉しかったよ。あの子が素敵な出会いに恵まれて」
「そう言ってもらえて、嬉しいです」
レイラからもらった言葉は、例え記憶がなくとも、フローラの中に喜びの感情を生み出していた。
「さて、これからどうするんだい?」
「孤児院に行こうと思ってます。子供たちやシエスタさんにも協力して欲しいので」
「なるほど。じゃあ、あたしも一緒に行こうかねぇ」
「え……薬屋は大丈夫なんですか?」
「1日くらい店が開くのが遅くたって、誰にも文句を言わせはしないさ。それに……」
「それに?」
「シエスタに話すのはこの際しょうがないとしても、子供たちに話すのは流石にエースとの約束があるからね。だから、シエスタに協力してもらって子供たちに伝えれば、エースの思いもある程度は守れる、と思ってね」
エースが子供たちにひた隠しにしていた事実を、フローラはすっかり忘れていた。
そのことで、決意に満ちていこうとしていたフローラの表情が、少し陰る。
「気にしなくていいよ。そういうのを指摘するのも、周りの役目だからね」
「でも……」
「似た者同士なんだね。そうやって小さくとも落ち度を気にするところは、よく似てる」
そう言って、レイラは少し笑っていた。
「さぁ、行こうかい」
「はい」
その後の、レイラの優しく、それでいて力のある声掛けに、フローラは短く返した。
やるべきことが定まった今、フローラの目は、真っ直ぐ前を見据えていた。
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