第12話 一人、ただ宵の最中



 懲罰房で過ごす時間というのは、多くても授業1コマ分。長いようで短い時間が終われば、エースに課せられるのは4日間の対外活動禁止。今日自宅に戻り、4日分の衣服類を準備した後は、寮での生活が始まる。


 この禁止処分は休日までは縛られないので、週をまたいだとしても土日の行動は制限されないのだが、エースは週の初めに問題を起こしてしまったため、処分が終わるまではずっと寮と学校の行き来となる。


 どんなに遅くとも土曜日にはレスタの街に向かうことが出来るが、それまではどう頑張っても、四面楚歌のような状況から逃れられない。


 そんな、短いようで長い地獄の時間の手前、エースは教室までの戻り道の途中、渡り廊下で1人佇んでいた。


 道中における、周りからの視線がより厳しくなったのが、エースにはなんとなく感じ取れていた。情報の伝達というのは恐ろしく早いようで、エース・フォンバレンが他の生徒を殴った、という事件は、既に生徒の間に広まっているようだ。歩いていた時の背中に突き刺さる視線とひそひそ話が止まない感覚が、エースの背中を落ち着かせてはくれなかった。



 何か言いたいのなら、はっきりと言われた方が、エースにとってはよかった。もちろん、言われることが確定しているのなら、という前提条件の下での比較であるが、先ほどの生徒による指摘も、面と向かって言われる分不快感は少なかった。とはいえ、言われた中身は全くもって気持ちいいものではない。


 『真実を知る』という大義名分の下に正義を振りかざしている分だけ、とても厄介であった。


――まぁそんなのは、これからに比べればどうでもいいんだけど


「はぁ……」


 一つため息をついて、エースは先の方に物憂げな視線を向けていた。


 これから、どんなに嫌でも、この視線を浴びながら昼夜生活しなければならない。また、レスタの街には土曜日まで待てば行くことが出来るが、本来の来訪の約束を破ることに変わりはない。


 そして、こんなことを考えなくてはならない程に今の自分を苦しめているのは、他ならぬ過去の自分の行動が招いた結果。もうどこにも吐き出すことが出来ないために、エースは憂鬱気分を抱え込むことしか出来なかった。



「おい、フォンバレン。校長が呼んでるぞ」


「あ、はい」


 渡り廊下でたそがれているところにやってきた教師から告げられたのは、パードレからの呼び出し。先ほど懲罰房にて酷い顔を見せたばかりなのになぜ、という思いが、エースの返事を気の抜けたものにさせる。


 中身は分からないが、呼ばれたからには出向かなければならない。


 先ほど歩いた道を、エースは再び戻っていく。我を忘れたせいで叩き込まれた懲罰房への道のりと、校長室への道のりは運よく被っていなかった。


 中学棟と高校棟には地下の概念が存在しないため、そのどちらかに向かうには一度教師棟の1階に戻らなくてはならない。だが2階よりも上まで戻っていれば、教師棟へは2階の渡り廊下を通って向かうことが出来る。


 同じ景色を眺めながら戻ることにはならないだけよくはあったが、先ほどの出来事もあって、やはり気は進まなかった。


 少しゆっくりとした足の動きが続けられて、進んだ先。



 茶塗の荘厳な扉は、近くまで来ていた。エースはその扉に手をかけると、一気に引き開けた。


 その奥には、パードレがいつものように座っている。少し違うのは、別の生徒がいたことだった。


 何かの書類であろう紙の束を持っている、見知らぬ男子生徒にエースは不思議そうに視線を向けていた。



「おうエース。また呼び出して悪かったな」


「いやまぁ別にいいですけど……」


「そこにいるジウェル・ビアノートが話があるそうだ」


 ジウェルと呼ばれた生徒は、エースの方を向く。その視線には敵意も好意も乗っておらず、そのことがエースを少し困惑させていた。


「我々は、あなたに退学処分を求めて勝負を申し込みます」


「はぁ?」


 あまりにもいきなりすぎる言葉が、エースの困惑を強める。


 面と向かって勝負を申し込まれたのは、エースの人生では初めてであった。子供の頃の喧嘩まで含めると2、3度はあったのだが、それはあくまでも子供の喧嘩であって、今のエースにとっての勝負とは重みが違う。


「先ほど校長にはお話しましたが、これは、今回の件に当たり集めた署名です。十分な数は集まりませんでしたが、それでもかなりの人数が名前を書いてくださりました」


 ジウェルの言葉を聞いて、エースはパードレに真偽を問う視線を投げる。


「確認したが本当だ。退学処分として扱うには全然足りないが、短時間で集めたにしてはかなり多かったな」


「流石にルールとして存在する以上は、正規手順に乗っ取らなくてはなりません。ですが、過去に数回、勝負なるものを行ったとお聞きしまして」


 彼の言う『勝負』が、エースとミストが1年次と2年次で合わせて数回ほど行った、嫌がらせを黙らせるためにパードレがセッティングしたものを指すのは、エースにもすぐに分かった。


 実際のところ学校のルールにあるわけではないので、正式なものではない。だが実例として挙げるには、確かに最適ではある。


「その熱意自体は認める。だが、それだけの人数とエース1人を戦わせよう、というのは流石にこちらも了承できん」


「フェアじゃない、ということでしたら、回数を分けたり、日付を分けたりして行えばいいではありませんか。無論、不必要に伸ばされても困るので、管理はしますが」


「ううむ……」


 ジウェルが淡々と口にした代替案に、パードレは受け入れがたいがためか唸っていた。


 中々要求を通そうとしないその様子に、ジウェルが少しあきれ顔で口を開く。


「校長は、何故そこまでして拒むのです? この人は、生徒全員が必死で戦っている中で、一人だけ逃げ出した卑怯者です。魔導士育成学校という最高峰の人材を育てる場所で、そのような行為はいただけない」


「まぁ本当に逃げたのだとして、他に逃げた生徒はいなかったのか? 未遂だろうと、逃げようしたことには変わらんぞ」


「未遂ならそれなりにいましたよ。でも、結果誰も出来なかったから、全員戦いました」


「ほれ見ろ。いるんじゃね「ただし」――?」


 待ってましたと言わんばかりのパードレの指摘を、ジウェルが自らの言葉で上書きするように返す。


「彼に対する指摘は、逃げたことだけではありません。実は、彼自身が事件を起こした張本人ではないか、と言われています」


「……どういうことだ?」


「事件が終わった後、どこからともなく現れた竜の背に乗ってグラウンドに降り立った生徒は彼を含む4名。しかし、校舎内にて同じ竜の背に乗ったのは、彼を除く3名。一体彼――エース・フォンバレンは、どこから来たのでしょう?」


 パードレに対して投げかけられる、彼からは確実に答えの出ない問い。


 その答えを、エースはもちろん分かっている。だが話すことが出来ない以上は、口を開くことはしなかった。


「彼は逃げた後から事件の終結まで、正確な行方が分からなくなっていることも考えると、僕も考えたくはありませんが、ゼロではない」


 ジウェルの指摘は、パードレの表情を険しくさせていた。


 指摘されている側のエースとしては受け入れたくないことであるが、彼の指摘そのものに矛盾点はないのだ。


 ただ、その機密性故に表に出せない空白の時間が、エースの行動を怪しませることになっている。


「我々が指摘したいのは2つ。逃げだしたことへの弁明と、黒幕である可能性。彼が勝負を引き受けなくとも構いませんが、相応に苦しいと思いますよ」


 ジウェルの言葉に対して、パードレは唸ることしか出来ないようだった。


 それは、確実な詰み。もう引けないことを悟ったエースは、このタイミングで口を開いた。


「校長、もういいです」


「エース?」


「その勝負を受ければいいんだろう? そっちはそれを望んでるし、こっちもそれで声が収まるなら悪いことじゃない」


 口にした言葉は、最近では珍しく本心ばかりだった。


 不利な勝負を受け、その結果として声が収まるのであれば、エースにとっても利点はある。勝負の結果次第では引き換えに失うものもたくさんあるが、それでも、今は何かこの状況から抜け出す口実をエースは欲していた。


「なら、決まりですね」


「気は乗らんが、決めたのなら従う他ないな。後で教師の誰かを経由して書類を渡すから、それで手続きをしてくれ」


「分かりました」


 満足した結果を得られたにも関わらず、ジウェルの表情は変わらなかった。


「それでは、僕は授業があるので、失礼します」


 そう言うと、向きを変えて、ジウェルが校長室を出ていく。



 その姿を見届けた後で、エースとパードレはお互いの方に向き直った。


「ここからは、校長としてではなく、父親として話をしよう」


 パードレの声色が、少しだけ変わる。威厳が少し落ちて、その分柔らかさが増す。


「どうしてあんな不公平な戦いを飲んだ?」


「それで声が収まるなら、その方が俺にとってもよかったんで」


 その言葉は、半分だけ本当だった。


 声が収まることが良いことなのは、間違いない。だがそれよりも、自分の周りの人物が、自分のために追い詰められることが耐えられなかった。


 先ほどフローラが追い込まれる姿を見ているだけに、エースはどうしても、あの場面で我慢できなかった。


「お前、まさか負けるつもりじゃないだろうな」


「そんなつもりは全くないです。でも結果としてそうなれば、従うしかない。そうなったら、すみません」


「馬鹿野郎。お前の負けるとこなんて見たかねぇが、そんなん今はどうだっていいんだ」


 パードレの表情は、再び険しくなっていた。エースもそれにつられて表情が険しく、そして苦くなる。


「何故、何も話そうとしないんだ」


「全部は語れないんです。でも何か言うとしたら……」


 そこまで言って、エースは言葉を選ぶために少し間を置く。


「大切な人を危険にさらしてまで、勲章を得る気なんてなかった。でも、あまりにも何もしなかったからこうなった。この結末自体には、俺はもう何かを言うつもりはないです。覚悟してたとこはありますから」


 続きの言葉は、エースの表情は変わらずに、しかし声色は少しだけ柔らかく放たれた。


 パードレはそれを見て、深いため息をついていた。


「分かった。引き受けたことに関しては、もう何も言わんよ。だがこれだけは言わせろ」


「はい」


「義理ではあるが、俺はお前の父親だ。お前の在り方を見続けている以上、あいつらが話してることなんて一ミリも信じちゃいない。絶対にお前は、見えてないとこで何かをしてるはずだ」


「そう言っていただけるだけで十分です」


 普段とは正反対な、ストレートな表現でのパードレの言葉。


 エースに先ほどよりも自然さの残る笑みを作らせるが、その笑みには、悲しさが宿っていた。


「じゃあ、俺はこれで」


 エースは再びパードレに背を向けて、校長室を出た。


 教室へと戻っていくその姿には、強い孤独感が漂っていた。


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