第11話 似た人の、言に引かれて



 懲罰房からの帰り道は、フローラにとっては気持ちが落ち着かない時間だった。


 エースが物凄い勢いで怒り、そして我を忘れて他生徒に手を出した現場にいたフローラの心の中は、事が荒立った時から既に穏やかではない。


 そしてその後の、怒ったエースが教師陣に抑えられ、そのまま懲罰房へと連行されるのを見た時に感じた、胸の奥がきゅっと締められる感覚。それは、少しばかり間が置かれた今も確かに胸の中に残っている。


「はぁ……」


 とても教室に戻る気分にはなれなかったフローラは近くのベンチに座ると、盛大に1つ、ため息をついた。授業はなく、すぐに戻ったところでやることがあるわけではない以上、別に問題はない。


 そもそも、今のフローラにとっては、エースのこと以外は大した問題ではなかった。



――悪いのは、フォンバレンくんじゃないのに……


 彼に言い寄った生徒の、真実を解明したい、という心意気はなんとなくだが分かる。しかしながら、その後の行動や、物言いを含めると、フローラにはどうしても、その行動がずれているような気がしていた。


 まるで誰もが、エース・フォンバレンを悪者としたいかのような、そんな同調圧力。おそらくは、それが彼が戦っているもの。


 エースのことを嫌っている人物は確かに存在するが、実際はそこまでは多くはない。中立の立場の面々が上手く曖昧にしているせいで、相対的に味方が少なく見える状態ではある。


 おまけに、敵対する人たちが言う『卑怯者』『性格が悪い』は、平然と振りまかれている情報であるが故に、耳に入りやすい。そのせいで、エースが四面楚歌のような状態になっているのが、現状だった。



 だが、フローラから見たエースという人間は、そんな振りまかれている言葉通りの人には見えなかった。


 見えているものが全てではないことは、フローラも十分分かっている。それでも、孤児院の子供たちと戯れている彼の姿を含めた色んなシーンを思い浮かべると、どれも明らかに言葉のイメージとはずれている。同じ姿の別人がいるかのような、奇妙な感覚にさせられる。



 少し思い返せば、エースが物凄い剣幕で怒った時も、その言葉の中身はエースではなくフローラをかばっていた。フローラは自分に学校を救えるだけの力などないと思っていたが、彼がおそらく本心で吐き出した言葉を聞くと、本当に自分が救ったのだ、という気にもなった。



 そしてその言葉で、エースがフローラの覚えていないあの日の、誰も知り得ない時間を確かに知っていると、フローラは確信した。



 そのこともあり、フローラは懲罰房に向かうことを決めた。エースに怒られたり、詰られたりする覚悟をした上での行動であり、彼を中途半端にかばい、事をこじらせたことを謝る、という目的ももちろんもあったが、それよりも大事な人であったはずの彼を忘れてしまったことへの謝罪、というもっと早くにすべきだったことを、そこで為すつもりでいた。


――結局、私が励まされただけだったな……


 もう一度、フローラは懲罰房でのやりとりを思い返す。


 フローラが聞きたかった情報は、本人の口から語られたことで真である確証を得られた。想定外だったのは、その情報を語っていた時の、エースの態度だった。


 まさか、謝罪の言葉をエースの方から遮ってくるなど、フローラは考えてもいなかった。先ほどの過剰に帯びた熱は気配すらせず、怖いくらいに落ち着いていたエースは、ひたすら自責し続けていた。


 『忘れられてしまったことは確かに辛い。でも、そうなるかもしれない道を選んだのは自分だ。だから、君に悪いところなんて1つもないんだ』


 優しすぎるその言葉が、むしろ怖かった。静かに優しく語られたことに、フローラはただ戸惑っていた。


 嫌われることに慣れているから問題ないと言っていたことは、覚えている。


 とはいえ、執拗に言われ続ければ心は蝕まれていく。如何に心が強くとも、開始が遅いだけで侵蝕はされていく。どこかで傷ついているんだろうな、とは思っていた。今回のそれも、傷ついた分もろくなったことで、耐え切れなくなって爆発したのだろうと、なんとなくは予想できる。


――そんなに傷ついても、何も言えなくなったのは、私のせい……


 真実を覚えていたはずの自分が忘れてしまい、誰にも話せなくなったからこそ、エースは口を閉ざした。今日この時間までの出来事を考えると、そうとしか考えられなかった。


 忘れてしまった理由は、見当などつくはずもない。だが忘れてしまったこと、思い出すことを半ば諦めていたことで、今回の騒ぎになってしまったのは間違いないと、フローラは考えていた。




 愛する人に忘れられて、それでも大切な人に刃が向かないように口を閉ざして。何も知らない人たちには、暗さを見せずに振る舞い続ける。


 大襲撃事件から4ヶ月もの間、何も知らない他の人間から非難を浴びせられ続けながらもそれを続けてきたことが、フローラには信じられなかった。


 そしてエースが1番守りたかったものが、他でもない自分自身であることをその口から聞いた時、フローラは自分が過ちをおかしてしまったのでは、と考えた。


 彼のことを、もっと早くに知るべきだった。自分を愛し、自分が愛したその青年のことを、もっと深く知るべきだった。


 そう考えるのは、自然なことだった。



「私は、どうしたら……」


 いつの間にか音になって漏れ出ていた思考も気にせずに、フローラはベンチで1人佇む。


――どうやったら、思い出せるんだろう


 忘れてしまった記憶があれば、きっと今彼が欲している言葉をかけてあげられる。


 そんなないものねだりのようなことを考えながら、フローラもまた、自責の念に心を蝕まれていた。




「やぁ、スプリンコートさん」


 考えの最中、突然、声をかけられる。


 意識の外からかけられたことで少し体をビクッとさせる。その反応が、声の主――ミスト・スプラヴィーンには、少しおかしいようだった。


「そんなに驚かなくても」


「考え事してたから、つい……」


「そっか。隣、いいかい?」


「うん、いいけど……」


 ミストからの意外な誘いに、フローラは少し戸惑いながらも右に少し寄る。


 そうして出来た広めの空間に、ミストが腰を下ろした。


「エースのところに、行ったんだってね」


「……知ってるの?」


「うん。人伝いに耳に入ってきてね」


 情報の伝達は恐ろしく早いようだった。


 こうしてフローラが思い悩んでいる間にも、騒ぎの情報と共にエースの悪評が回っているのだろう。


「詳しく聞いたら、君が傍に居る時にエースが物凄く怒った、って聞いたから、ああ、多分君に何かあったんだろうな、って思って、声をかけたんだ」


「えっ?」


 ミストの言葉の中身を認知して、フローラは思わず聞き返す。


「エースが自分自身のことで怒るなんての、めったにないんだ。小さい頃――孤児院生活の時代からそうで、エースが怒ったり、手を出したりするのは、だいたい僕のためだった」


 ミストのその言葉の終わりには、どこか懐かしむような色が出ていた。


 フローラはそれを聞いて、エースの人となりが――自分への配慮が足りない、という部分が、もう少しだけ分かった気がした。


「まぁそんなことは置いといて。スプリンコートさん、大丈夫だった? 怖くなかった?」


 突然の問いに、フローラは言葉に詰まる。意図が分からず、少し困惑した表情をミストに向けていた。


「いやさ、とっても稀なんだけど、エースが本気で怒ったらめちゃくちゃ怖いんだよね。僕も1回だけ、もっと小さい頃に見たけど、それでも十分怖いと思ったから……今のエースだと、まぁ怖いんじゃないかな、って思ってさ」


 ミストの言う通り、先ほどのエースの姿は、本能的に恐怖を呼び起こされるほどに怖かった。普段あまり感情表現が見えないエースの劇的な変化だったからこそ、余計に差が際立つ。


 とはいえ、それでエースへの評価が変わったわけではない。


「うん。怖かったけど……私は大丈夫」


「そっか。よかった。エース、相当気にしてそうだし」


 ミストの言葉通り、懲罰房でのエースは、怒ったことと、そこから派生する様々な影響全てを悔いていた。それを見ずに言い当てるところに、エースとミストの信頼関係が見て取れる。


 と同時に、申し訳なさの感情がフローラの中に湧き出る。意図的ではないとは言え、双子の兄にひどい仕打ちをした自分に、何か思うところはあるのだろうなと思ってしまう。


「ねぇ、スプラヴィーンくん」


「なんだい?」


「スプラヴィーンくんは、フォンバレンくんを忘れた私のこと、何も思ってないの……?」


 恐る恐る、フローラは問いを口にした。


 そしてこれから返される言葉を、全て受け止めるつもりでいた。心無い言葉を吐かれても、今回は耐えなくてはならないと、そう思っていた。


「何にもないね」


 だからこそ、ミストの返答に、フローラは何度したか分からない驚きの表情しか示すことが出来なかった。


「なんで忘れてしまったの、くらいは思ったけど……僕が何か言ったところで、スプリンコートさんの記憶が返ってくるわけじゃないし、そもそも僕のことは覚えてくれてるわけだからね。そのことに関してエースが何も言わないのなら、僕に文句を言う権利はない。いやまぁ、文句なんてないんだけど」


 言葉通りに、ミストは全く気にしていないようだった。


 エースの無理をしていると分かる表情を見過ぎてしまったせいか、エースと似通った顔立ちに宿るその表情に、裏の意味はないだろうと、フローラは考えていた。


「私、どうしたらいいかな……」


 相手の思いを考えられなかった自分だけでは、きっと答えを出しても同じ過ちをしてしまう。


 そう思ってしまったが故の弱い言葉が、フローラの口から漏れ出る。


「したいようにすればいいと思う」


「えっ?」


 ミストからの返答は、驚くほど早かった。顔に出ていた悲しさは引っ込み、フローラはミストの方を向く。


「ちょっと言い方は悪いけど……エースは『こうするべきなんじゃないか』って、誰にも相談せずに勝手に考えて動いて、そして今がある。だったら、スプリンコートさんも、今自分がすべきだと思ってること、したいと思ってることをすればいいんじゃないかな。もちろんその相談なら僕は乗るし、きっとプラントリナさんものってくれると思うよ」


 その言葉の言われ方は、少し軽かった。


 だが中身には、少なからずミストもエースに対して思うところがある、と推測させるものだった。


「それにね、多分今のエースは、君にしか救えない。僕ら含めて、周りの人間が出来るのはその道を作るところ。その上を歩くのは、君の役割だと思う」


「どうして?」


「こう言って理由が曖昧なの申し訳ないんだけど……なんだか、そんな気がするんだ。エースは自分から遠ざかってる癖に、君の言葉を欲してる」


 自分にしか救えない。


 曖昧な言葉ばかりの中で、その部分だけ、フローラの心に確かに残る。


 自分に何かが出来るのであれば、しないわけにはいかない。エースを苦しめる原因であることを自覚しているフローラが、そう考えるのは当たり前なことだった。


 しかし、情報が足りない。エースのことを、今のフローラはまだ知らない。言葉を模るためには、もう少し彼についての情報が欲しい――


 そう思ったところで、フローラの頭に、ある考えが過る。


「ねぇスプラヴィーンくん」


「なんだい?」


「レスタの街のレイラさんに会いに行ったら、レイラさんはフォンバレンくんの昔のこと、教えてくれるかな?」


「マザーか……。教えてくれるとは思う。でも、だいぶ急だね?」


「もっと知りたい、っていうのもあるけど……昔の姿でも、知れば何かに繋がる気がするから」


 フローラのその言葉を聞いて、ミストが軽く微笑む。主語はなくとも、誰に対する言葉なのか、というところで同じ相手を想像しているようだった。


「いいんじゃないかな。きっと、君が本当に知らないエースの姿も、色々と出てくると思うよ」


「本当に知らない……?」


「記憶を失くす前の君も見ることが出来なかった頃の、エースの過ごした姿。今とは大分違うよ」


 ミストの言う通り、記憶を失くす前から知ることが出来なかったエースの過去の姿。


 興味と共に、少しだけ怖さも出てくる。


 その横で、ミストがふっと笑っていた。


「ちょっとビビらせたところ悪いけど、まずは上に戻ろうか。プラントリナさんも色々事情を知りたがってたみたいだし、色々と共有してあげてから、あれこれ色々考えればいいさ」


「うん。そうする」


 短い了承の言葉の後で、フローラがベンチから腰を上げる。隣にいたミストも少し遅れて立ち上がると、教室への道を戻り始めた。


 その後ろをついて戻る道中のフローラの顔は、先ほどまでとは違い、決意に満ちていた。


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