第10話 遅すぎた後悔
サウゼル魔導士育成学校には、それなりに実力のある人物や志のある人物が、自らの技術を磨くために入学してくる。この大陸には4校しか存在しないとなれば、入学しただけでもかなり祝われるほどの、そんな場所。
もちろん、プライドが高い生徒や、退くに退けなくなった生徒のいざこざというのも、ないわけではない。昨年夏の事件ほどならば即退学となるが、大抵の喧嘩騒ぎは、引き起こした生徒や関わった生徒の頭を冷やさせるために、教師陣が容赦なく生徒をとある場所に放り込む。
そんな、荒れた後の生徒たちを収めている場所の名前は、懲罰房。教師棟の地下一階にあるそこは、入口に厚く固い扉、格子や壁にも強固な素材と、壊されないための対策が万全になされている。
大体の生徒は見ることなく卒業していくその場所の、最も端にある檻に、エースは1人でいた。
エースがここにいる理由は、先ほど怒りが頂点に達したことで、生徒を1人負傷させるほどに荒れ狂ったからだった。しかし、今のエースは少し前までの暴れた時の様子と反対に、静かに座ったまま壁にもたれて、上を見上げていた。
もちろん上には天井しかなく、そこには何か見入るものがあるわけではない。エースはただ顔だけをそこに向けて、意識は己の内側で自問自答に明け暮れていた。
――なんで、俺はあんなに狂ってしまったのだろう
先ほどのフローラの前での豹変した様子を、エースは恥じると同時に悔いていた。
言い合いをしている時にはまだきちんと制御が出来ていたが、言葉を吐き出しているうちに我を忘れて、相手の言葉で完全に堪忍袋の緒が切れ、殴ってしまった時には理性は飛んでしまっていた。
怒ったこと自体は、別に何とも思っていない。
ただ、フローラの目の前で物凄い剣幕で怒ってしまったことで、彼女を怖がらせてしまったのではないか、ということが、エースの中で尾を引いていた。
「助けたかっただけなのにな……」
エースは、大襲撃事件における誰もが知り得ない時間、場所の出来事を知っている。当然、その中に含まれるフローラの頑張りも、彼女があげた反撃の狼煙も、嘘ではないことを分かっている。
加えて、エースはフローラに命を何度も救われた。そこには恋人であるという色眼鏡がかかっているのかもしれないが、フローラがいつも以上に頑張り、そしてサウゼル魔導士育成学校の行く末を変えたのは、事実だ。
もしもフローラが動かなかったら、という仮定は、何も意味を為さない。彼女に救われたのは、もう過去のことだとしても、紛れもない事実であることを、生徒たちは知っているはずなのだ。
だからこそ、エースは目の前で、あのような言葉を言われたことが許せなかった。真実を知るという大義名分の元で放たれた、あまりにも平和ボケし過ぎているとしか思えない言葉が、エースの理性を吹き飛ばすには十分だった。
しかし、だからと言って、人を殴り飛ばす大義名分が出来たわけではない。むしろ状況を悪化させたあの怒り方は、明らかに過剰反応だった。
そんな風に自分の内側に意識を向けていると、遠くから足音が聞こえてくる。
「よお」
現れたのは、パードレの姿。その表情は、いつもと違い神妙な面持ちだった。
「何しに来たんすか」
「息子の顔を見に来た」
「……ごめん」
「謝るな。話は生徒たちから聞いたが、お前がすごい剣幕で怒った、なんて聞いたが、なんとなくお前が悪いわけじゃないことは分かる。理不尽にキレるような奴じゃないしな」
パードレのその言葉が、今は嬉しかった。言葉をきちんと受け取り、信じてくれる人間がいるという事実は、エースの心の明確な支えだった。
「だが、外はそうは見てくれないらしい。さっき、俺のところに生徒が数人揃って、お前の退学要求をしてきたよ。中身の整合性が取れないし、書類もないからもちろん突っぱねたがな」
「そっか」
書類がなく、ただ言うだけなら、パードレでなくとも教師たちが要求を呑むことはない。そのことは、エースも当然知っているが故に、特別な反応をする必要はない。
しかし、今のエースの短い反応は、それとは別のことを考えていたからだった。
「やっぱり、俺も今週いっぱいは家に帰れないですよね」
「今のお前に酷なのは分かっているが、暴れるような生徒を外には出せないという、4校での取り決めだからな。そこは守らなければならない」
エースが気にしていたのは、対外活動禁止に伴い、自宅に帰れなくなることだった。
魔導士育成学校では、校内か郊外かに関わらず、傷害レベルの問題を起こした際には処罰として育成学校の敷地内で生活するように定められている。相応に力を持つ生徒を外には出せないという考えの下、魔導士育成学校は、力を持つものの檻の役目も果たしている。
もし仮に今回の騒動が双方の取っ組み合いで、それにより負傷しているならばまだ懲罰房に叩き込まれるだけで処分は軽かったのだが、今回のエースの場合は直前に言い合いがあったとは言えども一方的に殴っている。その『一方的である』ということが、エースへの処罰を重くしていた。
それ故にエースは、これから4日間、サウゼル魔導士育成学校の1階の部屋で寝泊まりをしなくてはならず、完全な四面楚歌の状態で生活を強いられることになる。
もちろんその準備をするために通達された日は家に帰ることが出来るが、その次の日に学校に来ない場合には処分が重くなり、それを続けると果てには除籍処分になってしまうため、軽いうちに従わなくてはならない。
「分かってます。特別扱いは、されても困りますから」
表面上は出来る限り平静を保ちつつ、エースはそう口にした。
苦労ならば、これまでもしてきてはいる。茨の道を進むこともとっくのとうに覚悟していた。
それでも、これから始まる短いようで長い苦しみの時間は、耐えきれるかどうか分からない。考えたくもない時間の思考は、放棄したくても出来なかった。
「で、ここまではただの通達。こっからは、少しだけ朗報だ」
「……?」
パードレの口から出た朗報という単語に、エースは首を傾げる。
決まりであり、処分が軽くする要求は現実的に可能ではない以上、思い当たるものなどない。
「お前と話をしたいって生徒が、そこまで来てくれている」
パードレのその言葉が、エースはすぐに理解できなかった。
あの状況を引き起こした自分と話をしたいと思ってくれるような生徒が、いるなどとは思えない。火中の栗を拾うのすら生温いと思えるほどのことを引き起こしていた自覚があるほどに、先ほどのことはあまりにも周囲に悪評を広める。
「この場で最後に俺からお前に言う言葉は1つ。そいつの話をしっかりと聞いてやってくれ。じゃあな」
パードレは、そう言い残して去っていった。後に残されたエースは、パードレの言葉の中身を考えていた。
話をしたい人が1人、なのはパードレの言葉で分かる。だがそれ以上の情報はない。何も分からないエースは、牢の中で首を傾げることしか出来なかった。
程なくして、再び足音が聞こえてくる。先ほどよりも若干軽い足音の主は、聞こえ始めてから数十秒ほどで現れた。
「フォンバレンくん」
「!?」
パードレと入れ替わりで現れたのは、フローラだった。少し緊張した面持ちで現れた彼女の姿に、エースは数秒間言葉を失った。
「どうして、ここへ?」
「お話がしたかったから」
エースの問いに返ってきたのは、先ほどの出来事の前と同じ言葉だった。
しばしの間、2人の間に沈黙が生まれる。
それを切り裂いたのは、フローラの方だった。
「話をこじらせてしまって、ごめんなさい」
再びの会話の最初の言葉が、それだった。居たたまれない表情でいるフローラの姿が、エースの心にダメージを負わせる。
「俺の方こそ、怖がらせてごめん」
「ううん。それは別に気にしてない。でも……」
「でも?」
「どうして、事件の日のことを、何も言ってくれなかったのかな、って」
いつかは来ると思っていた質問。
このタイミングで来ないで欲しかったという気持ちは、エースの中に確かにある。
だが、フローラにそれを言われれば、答えないわけにもいかなかった。
「記憶のない君があの日のことを中途半端に知ったら、多分俺をかばうと思ったから、言えなかったんだ。それだけ」
静かに語られるエースの言葉に、フローラがはっとした表情になる。
次いで、愁いを帯びた表情で、フローラが言葉を零す。
「じゃあ、やっぱり私のせい、なんだ」
「え?」
「あの時の質問に答えられるだけのことを知っていたはずなのに、何故か忘れてしまっていたせいで、私は言葉に詰まるしかなかった。私が頑張ってすぐにでも思い出そうとしていれば――「やめてくれ」」
エースが静かに、しかし強く言い放った言葉で、長く続きそうだったフローラの言葉による自傷行為は止まる。
冷たい刃を押し当てるかのようなそれの後で、エースは、悲しそうな表情をしていた。
「そんなことを言われたら、俺は、あの日何のために悩んだのか分からなくなる。なんのために遠ざかったのか、分からなくなる」
自責の言葉を口にさせてしまったことへの悲しさと、不甲斐なさ。
それらが、エースの表情と心を支配していた。
「あの日、学校のみんなを再び立ち上がらせたのは間違いなく君だ。だけど、ほとんどの敵と戦ったのは俺だった。各々が出来ること、って思って頼んだのは俺だし、そう出来るようにあれこれ決めた――決めてしまったのも、俺だ」
エースが他の誰にも相談しない理由の1つがそれだった。
全てが自分由来ではないにせよ、最後は自分の意思で選んだ道。そうであるならば、エースにはこの苦しさを誰かに吐き出す考えなどするはずもなかった。
「忘れられてしまったことは確かに辛い。でも、そうなるかもしれない道を選んだのは自分だ。だから、君に悪いところなんて1つもないんだ。今の俺を苦しめる根本は、自分で選択したんだから」
エースが零したその言葉は、フローラに自責の言葉を一切吐かせないようするためだった。
その目論見通り、フローラは次に言う言葉をなくして、口を閉じていた。
「君が動いたのは、確かに俺の言葉があったからかもしれないし、それは誰でも出来ることなのかもしれない。だけど、あの日、学校のみんなが立ち上がるきっかけになったのは君で、何人もの生徒がそれを見ている。そして確かに過ごした時間だから、変わらない。君は間違いなくあの時、勝利の女神だった」
あの日の記憶に思考を飛ばして、エースは言葉を作る。
ウォンサーの指摘通り、フローラへの賞賛は確かに過剰かもしれない。だが、大襲撃事件のフローラの功績は、それでなくなるほど小さいものでは決してない。
そう思っているからこそ、あの場面でエースは引こうとしなかった。引けば、自分自身で、行いを全て否定することになってしまう。
「でも、こうなるなら、確かに全部話した方がよかったのかもしれないな。悪人かもしれない人間をどうにか知ろうとしてくれてて、記憶がないままでも寄り添おうとしてくれるんだから」
「それは……」
「ミストやプラントリナさんから色々聞いたのは知ってるよ。でもそれだけで――周囲の悪評を気にせずに接してくれるだけで、嬉しかった。本当にありがとう」
窮地に陥らなければ言うことすら叶わない、感謝の言葉。伝えることが出来ただけ、まだ救われているのかもしれないと、そう思えた。
そうして、少しばかりの余裕が出来て、次に頭にふっと浮かんだのは孤児院にいる子供たちのことだった。今後、少なくとも今週末の土曜日まで、エースはレスタの街に行くことは出来ない。
「ねぇ、スプリンコートさん」
「どうしたの?」
「もし頼まれごとを聞いてくれるのなら、1つだけお願いしたいことがある。無理にとは言わないし、君の事情最優先でいいんだけど」
「うん」
「孤児院の子供たちに、ごめん、って謝っておいて欲しいんだ」
「えっ?」
エースの言葉を聞いたフローラの表情は、想像していなかった反応だった。
「人に頼むことじゃないのは分かってる。だけど、子供たちとの約束をあろうことか我を忘れて、破ってしまった以上、俺は後から言うことしか出来ないから……」
「それは別にいいんだけど……」
「けど?」
「フォンバレンくんは……? フォンバレンくんはこの後、どうするの?」
フローラが口にした、エースを気にかける言葉。
最近よく口にする 『大丈夫』は、もう通じないことは分かっていた。しかしそれでも、エースは、その優しさに浸ることを良しとは出来なかった。
「俺のことは、気にしなくていい。俺自身のことは、俺が何とかするから」
エースの言葉に、フローラは三度言葉を失っていた。
エースもそのつもりで、言葉を吐いていた。もうこれ以上、フローラを自分の過ちに付き合わせてはいけない。
もっとたくさん話したいことはあるが、自分自身の欲とエゴで、フローラを自分の方へ引きずり込みたくはなかった。
「色々と話を聞いてくれてありがとう。でも、帰った方がいい。ここに長くいると、君にとってよくない」
出来る限り優しい声で、エースはフローラにそう告げる。
フローラは少し戸惑っていたようだったが、やがて首を小さく縦に振ると、そのまま外へと続く方へ歩いて行った。
そうして、再び1人だけになってしまった空間で、エースは壁際にもたれかかる。
「ありがとう。どう考えても怪しい俺を、信じてくれて」
フローラに向けられた独り言――三度目の感謝の言葉が、静かな空間に響き渡る。
これから先のことを少しで考えないようにするために、エースは、会話をしたことで出来た少しの温かさに、ずっと浸っていた。
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