第8話 言わぬ現に、言う想い



 レイラに連れられて、再び街中に出たエース。


 その背を見ながらの道中で、エースは改めて質問をしていた。


「んで、どうしたんですか、急に」


「ちょっと話がしたくてねぇ」


「話なら別に孤児院でも……」


「他愛ない話ならそうだね。でもそうしないってことは、そうじゃないってことさ」


 レイラのもったいぶった言い回しに、エースは首を傾げる。


 確かに最近は会っていなかったが、5月に数年ぶりの再会をしたときにこの数年の話はしていた。故に、今のレイラがエースに対して話すことなど、ほとんどないはずだった。


 そう思っているが故に、思い当たるものがないエースは、解消しない疑問を抱えたままでレイラについていっていた。


 しばらく歩くと、エースは懐かしい雰囲気を感じ始めていた。その理由であり、目的地である建物が見えた瞬間に、エースは一言零した。


「何も変わらないですね」


 前方少し先にあったのは、エースがこのレスタの街で過ごしていた時に幾度も訪れた家だった。他の子供がいない場所で話したいときや、何かを叱られた後の話など、何か大事な話をされるときに、この場所を訪れた記憶がある。


 故に、エースの背筋が伸びるのは、自然な反応だった。


 扉を引き開けて入ると、右横に靴箱が置かれただけの玄関と、そ二又に分かれた廊下があった。右が薬屋で、左が住居スペースだったと、すっかり古びたエースの記憶が示している。


 レイラが進んでいく方向に合わせて、エースも左に曲がり、少し進む。


 その先には、小さなダイニングテーブルが置かれた空間があった。


 幼い頃、話をされていたのも、この食卓だった。懐かしさを感じる空間に入ると、エースは一番奥の椅子を引いて座った。


「椅子が小さく見えるねえ」


「身長、ずいぶん伸びましたからね」


 座る位置を微調整しながら、エースはレイラの言葉に反応していた。


 エースがここに最後に来たのは、サウゼル魔導士育成学校に入学する直前。もうすぐで6年経とうか、というくらいの月日があれば、背格好は別人レベルに変わっている。


「それでね、話なんだけど……」


「はい」


「校長がね、事件について何があったのか聞いてくれ、って」


「……っ!!」


 まずエースに宿った感情は、驚き。それからコンマ数秒おいて、何故このタイミングで、という思いが心の中に出来上がる。


「俺じゃ話してくれそうにないが、もしかしたら、って頼んできてね。無理ならまぁ、いいんだけど」


 細かい部分がレイラの言葉からは欠けていたが、エースの中では補完されていた。大襲撃事件に発端するエースの変化を、おそらくは知りたがっているのだろう。


 しかし、誰にも打ち明けていない、この事件の核心に近い部分を、エースは誰にも打ち明けるつもりはなかった。


「なんで聞くんですか?」


「なんで、と聞かれると答えるのが難しいんだけどねぇ……まぁ、昨日見せた反応が、少し気になってね」


 レイラの言う『反応』が、エースにはどのタイミングで見せた反応かはすぐに分かった。


 エース、フローラ、シエスタ、レイラの4人でやりとりをしていた時の、レイラの言葉に対するエースの反応。頑張って隠してはいたが、流石に多少は顔に出ていたであろう感情を、おそらくレイラは事情があると察したのだ。


 ほんの少しの反応だけで何かあると考えたレイラに、エースは過去に置いてきたはずの感情を呼び起こされる。孤児院にいた頃、何度も思わされた、叶わないという感情。今、胸の内にそれがある。


 だがそれでも、エースは、自分に言い聞かせた覚悟を揺らがすことはしなかった。


「話すつもりはないです」


「どうしてだい?」


「だってそれ、多分校長に言うために聞いたんじゃないでしょう」


 エースは表情に少し宿った驚きを消し去った後に、レイラに向けて言葉を放った。


 前半は、完全に自分の意思。後半は、確信に近い、推測込みでの言葉だった。


 エースがパードレに大襲撃事件の話をしたのは、事件の直後からフローラが目覚める前までの期間になる。その間に話せないことと言えば『どこから力を借りたか』と『最深部で何があったか』の2点だけで、事件の大まかな流れは既に話している。


 話していない中身についてはパードレが知りたがるとも思えない。加えて、本当に知りたいのであれば、パードレはこのような回りくどい聞き方は絶対にしない。そういう人間だと数年間の付き合いで理解しているからこそ、エースは嘘を指摘した。


「……怒ってるかい?」


 申し訳なさそうな顔をしたレイラから出された問い返し。


 それは、エースの指摘や推測が真であったことを示していた。エースは怒ってない顔を意識しながら、言葉を続けた。


「別に怒ってませんし、噓をつかれたこともどうも思ってませんよ。ただ、その中身が知られる先が意図せぬ方向に向きそうだから、自衛しただけです」


 今この薬屋には、席を外していない限りはフローラがいる。


 何かの弾みで聞かれてしまうことを恐れて、エースは自衛の意を、言葉で示していた。


「どうしてそんなに鋭いのかねぇ……」


「人の仕草や表情、そしてその意図を読むのは、人を見る眼を鍛えるために必要なこと。昔、何も見えてなかった俺に、マザー自身が教えてくれたことでしょう」


「あら、そうだったかしらね。とんでもなく育ったわね」



――今の俺は、何かおかしく見えますか?


 その言葉を、口にしようとして、エースは瞬時に引っ込めた。この言葉を言うこと自体、自分が今おかしくなっていると認めることになりかねないからだ。


 確かに、普段学校でのあれこれで疲弊してはいる。だが、それで判断が狂うこともなければ、異常をきたすこともない。そうであるならば、エースの中では普通とあまり変わりないと言えた。


 しばし、やりとりの中に沈黙が生まれる。その時間の中で、ふと、エースの中にある欲求が生まれる。


「マザー」


「なんだい?」


「1つだけ、聞いていいですか?」


 欲求に任せて、問いを1つ、レイラに向けて投げる。


「大切な人に自分のことだけを忘れられて、その原因が自分にあった時……マザーは、どうしますか?」


 出来る限り表情を変えないように意識しつつ、エースは静かに問いを投げた。


 その中身は、言うだけでも心が締め付けられるほどに、辛い現実。今も完全には受け入れられていないものだった。


「ふぅむ、難しい質問だねぇ」


「……ですよね」


 レイラからすぐに返ってきた言葉に、エースは少しばかりの愛想笑いを見せるしかなかった。


 難しい問いなのはエースもよく分かっており、だからこそ外に答えを求めていた。自分ではどうしようもなくなりつつある問いの答えを、今確かに欲している。


「一つ、いいかい?」


「はい、何でしょう?」


「エースは、その忘れてしまった子のことを、どう思ってるんだい?」


 優しさを伴い、世界に音となって発せられたレイラのその問いには、エースはもう既に答えを用意していた。


「今でも大切に思ってます。忘れられても、俺の中から過ごした分の時間が消えたわけじゃないから」


 かみしめるように、エースは言葉を零す。


 エースにとって、その想いを捨てることは半分死ぬことと等しかった。大切に思い続けるからこそ、今もなお、自分の足で立てる。


 想いを捨ててしまえば、楽になれる。だがそれは死力を尽くしたあの日の意味を、自分自身で無にしてしまうことになる。


 そうしたくないからこそ、苦しくても、ずっと捨てずに持っているのだった。


「なら、そのまま思い続けることが、一番なんじゃないかね。忘れてしまえば、楽かもしれないけど……それはもう、戻れなくなることと同じだから」


「そう……ですか。そうですね」


 レイラの言葉を聞いて、エースは少しだけ口角を上げた。


 それを見たためか、レイラも少し表情が緩む。


「あ、そうだ」


「どうしたんだい?」


「もし、俺が何か悩んでいそうでも、シエスタさんや子供たちには内緒でお願いします。俺自身の問題を、孤児院に持ち込みたくはないので」


 エースは、表情の柔らかさを意識しながらそう言った。


「辛いなら……っていうのは、エースには意味なかったね。分かったよ。あたしの口からは漏らさないでおくね」


「ありがとうございます」


 レイラが少し呆れた感じなのは、エースにもすぐ伝わった。


 だが、おそらくは理解してくれているのだろう。念押しする必要もない。


「話はこれだけだよ。ありがとうね」


「そうですか。じゃあ、邪魔にならないうちに戻ります。薬屋もあるでしょうし、孤児院では子供たちが待ってくれてるので」


 レイラの言葉でやりとりの終わりを認識すると、エースは席を立った。


「じゃあ、またね」


「はい。また来ます」


 レイラの言葉に反応した後で、エースの姿は薬屋の外に消えていく。静かな空間には、扉の開く音だけが響いていた。







「もう出てきてもいいよ」


 エースが去っていった後、レイラしかいないはずの空間に、誰かに向けられた声が響く。


 数秒後、閉まっていた押し入れから出てきたのは、フローラだった。長い時間丸くなっていたのか、少し体を気にするような仕草が見られる。


「身体、痛くないかい?」


「はい、大丈夫です。音を漏らさないようにするのが大変でしたけど」


「よく頑張ったねぇ」


 フローラが体を伸ばす様子を見て、レイラは感心したような言葉を零す。


 しかし、その表情は、次の瞬間に少しの愁いを帯びる。


「でも、これでよかったのかい?」


「はい。すみません。嘘をつかせてしまって」


「そのくらい別に構わないんだけどね。むしろ聞きたかったことを全然聞けなかったし、申し訳ないね」


「いえ、全然。むしろ、色々としていただいて本当にありがとうございました」


 言葉と共に、フローラは頭を下げる。


 その頭が再び上がった後で、レイラが口を開いていた。


「ああなったら、エースはおそらく本当に口を割らないよ。何かを本当に知りたいなら、フローラが自分で聞くしかないね」


「はい、自分で頑張ります。いつかきっと、話してくれると思うから」


 エースが戻った後、フローラとレイラの間に交わされた秘密のやりとりは、そんな締めくくりで終わっていた。




 後にフローラは、その判断が間違いであったことを、思い知らされることになる。


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