第7話 始まりは、いつもと違って



 週明けの月曜の朝、エースの姿はレスタの街に向かう列車の中にあった。


 街と街の間には、それなりに緑に満ちた光景がある。車窓から見えるそれを、エースは頬杖をつきながら眺めていた。その傍らには、今日も誰もいない。平日の授業の時間中に、学校を離れて、となれば、当然のことだった。


 ついてきてくれそうなヒールとメールも、未だにエースの元にはあまり顔を見せず、最近では夜のご飯時くらいしか様子を見られる時間がない。元気ではあるようだが、エースと共に行動する時間は大幅に減っていた。




――また、フローラに会えるかな……


 流れていく外の景色に視線だけ向けつつ、エースは思考に意識を回していた。


 同じ街で活動している時間帯がある、ということは、上手くいけば交流する時間がある、ということになる。もしかしたら神様もまだ見捨ててないのかもしれない、と思うくらいに、運に恵まれた遭遇だった。


 フローラが薬屋にて手伝いをしていること自体は、記憶を失くす前の彼女から聞いていたため知っている。


 だが、それがあろうことか同じレスタの街の、しかもエースの育ての親であるレイラの営んでいる場所というのは、前回訪問時に分かるまではエースは一切知らなかった。後でシエスタに聞いたところちょくちょく薬を持ってきたりして顔出ししていたようで、それが上手くかみ合わなかったがために、双方分からなかった、ということらしい。


――フローラはどうして、レスタの街を選んだんだろう?


 ふと、そんな疑問が浮かぶ。いつ選んだのかも定かではない。大襲撃事件の数日前の時点で始めて将来の話をしたことを考えると、記憶を失くす前に決めた可能性は非常に低い、くらいの想像はつく。


 関係性が全くなくなったわけではないが、フローラが以前のエースとの関係性を知っているのは、ミストやセレシアが過去の話を少ししているからであり、知っている情報量も話された以上のものはない。実体験に欠ける以上、『お互い愛していた』などと言われても理解するのは難しいだろう。


 確かに、フローラはエースに対する周囲の悪評を気にせずに接してくれている。以前とは違う反応であることは悲しいが、嫌っているわけではないことは、エースにとって嬉しい誤算だった。


 とはいえ、割と好意的であったとしても、フローラがレスタの街を選んだ理由に繋がるわけではない。朝会の後すぐに学校を出るエースよりも早くついていることから、おそらく学校に事前に届け出をしている。的中率高めのその予想が当たっているのであれば、フローラが住んでいるナトゥーラの街からやや遠いレスタの街で働くことは、デメリットの方が大きい。


 悩んでも仕方のないことではあるが、エースはそれが何故か気になっていた。



 その疑問の答えを見つけることに長考の予感がしたエースは、一度視界に意識を戻した。


 流れる景色の中からは次第に見える緑の数が少なくなり、その分が街並みへと変化している。降りる時が近いなと思わせる変化に、エースは少し気持ちを入れ直す。一人で物思いにふけるのが許されているのは、ここまでのようだった。


 そして数分後。エースの乗っていた列車は、無事レスタの街へ到着していた。


「着いた……」


 人の流れに乗って列車を降り、駅のゲートを抜けると、そこには、今日も青空の下で息づく街の姿がある。


 きっと今日も、街中を行けば声をかけられるのだろう。それは、昨日と違う人かもしれないし、同じ人かもしれない。


 もしかしたら、この街で過ごす時間の中で、フローラと運よく会えて、そして話せるのかもしれない。運の悪いことに、全く会えないかもしれない。


 色んな『かもしれない』が頭の中に浮かぶ。それは、まだ可能性がゼロではないからこその思考。


――ここに来たからには、マイナスになるのは止めよう


 そんな考えと共に、エースはレスタの街の中央通りへとその足を踏み出していく。


 その歩みは、これから先の明るい時間に反して、静かに刻まれた。







* * * * * * *







 中央通りの人の数は、いつもより多いように感じられた。皆がそれぞれにやりとりをしており、エースにかけられた声は少なかった。それでも、八百屋の中年男性や紅茶を好む婦人は声をかけてきてはいたが。


 そんな中央通りの人混みを抜けて、ようやくたどり着いた孤児院は、いつも通りの姿だった。昨日と違うのは、洗濯物を干していたシエスタの姿が、今日はそこにないことくらい。


 既に陽の光を浴びている白いシーツを横目に、エースは孤児院の扉を開いて中に入ると、いつものようにハンドベルを軽く鳴らした。


「あにぃ来たー!」


「ん、おはよう」


 数秒後、前回と変わらずドタドタと盛大に足音を立てながら玄関に来た子供たち。何故かいつもミアを先頭に、短い髪のカイル、一番年長のシェーン、そしていつも最後のベルーナと、さらにワンテンポ置いて全員揃ってから、エースは声をかけた。


 元気いっぱい、病気とは縁知らずのような姿に、エースの表情は少しだけ緩んでいた。


「やっときたー」


「やっと?」


 カイルの言葉に、エースが首を傾げる。


 その答えは、エースが聞く間もなく、ミアから返された。


「もうフローラおねーちゃんも来てるよー。はやくー」


「ん、そうなのか」


 フローラが先に来ていることを知り、エースの中にはほとんど間を置かずして疑問が浮かぶ。


――なんでこの時間に……?


 会えること自体は、嬉しいことに変わりない。


 だが、朝のこの時間にフローラがこの場所に来る理由が、エースには全く分からなかった。ひとまず理由について考えるのは後回しにしておき、エースは玄関まで来た子供たちを連れて廊下を歩く。


 先に来ていたというフローラと出会ったのは、廊下の途中だった。校外での活動であるためか、制服を身に纏ったフローラの正面姿が、エースの視界に入る。


「おはよう、フォンバレンくん」


 先に声を出したのは、フローラの方だった。


 カバンを持ち、エースとは反対方向へ向かう姿は、フローラが既にここを出ようとしていることを示していた。残念な気持ちはあったが、エースはそれを心の奥に押し込んで、平静を保ちながら返答した。


「おはよう、スプリンコートさん。もう出るの?」


「うん。お仕事前に少し立ち寄っただけだから」


「そっか。じゃ、また学校で」


「うん、またね」


 玄関の戸を開けて去っていくフローラの後ろ姿を、エースは少しの間だけ名残惜しそうに見ていた。会話が出来るかもしれない機会を得られなかったことが、しょうがないと分かっていても残念に思えてしまう。


「おにーちゃん、ざんねん?」


「かなしい?」


「まぁ……うん。ちょっと残念だけど、しょうがない。スプリンコートさんにも、お仕事があるからね」


 ベルーナとカイルとの言葉が、エースに突き刺さる。子供たちは、素直で、そして残酷だ。


 興味本位がエースの心を削り取ろうとしていることなど、もちろん知らない。


 知られるつもりもないエースは、笑顔で言葉を返し、残念な気持ちを心の奥にしまい込んで、廊下の奥に向かった。


 シエスタがいたのは奥のキッチンだった。隣接するダイニングルームの入口まで来ると、シエスタの方が先に気づいて声をかけてきた。


「エースさん、おはようございます」


「おはようございます、シエスタさん。掃除中なのに手を止めさせてすみません」


「大丈夫ですよ。もうほとんど終わったので」


 挨拶を返しながらゴム手袋を外している辺り、確かに作業は終わりかけのようだった。


 それを見たエースはもう1つ、シエスタに疑問を投げる。


「ところで、スプリンコートさんがいましたけど、何かあったんですか?」


「特別な事情ではなく、単純に子供たちの姿を見に来ただけみたいです」


 そう言われてしまい、エースはさらなる問いを口にすることをためらった。


 シエスタが嘘をついているとは考えられないが、この時間に特別な事情なくして来るというのも、エースにはちょっと変に思えていた。仕事の前の時間なので、見に来たとは言え明らかに時間がないのだ。


「でも確かに、なんでこのタイミングで来たんでしょう……?」


 おそらくは、シエスタにもわからない何らかの事情を抱えて、ここに来ている。そんな推測こそ出来るが、当てることは出来ない。


 あまり深入りすることでもないと判断したエースは、これ以上はイレギュラーなフローラの来訪について考えることを止めていた。


「ここの掃除終わったんなら別のとこしますけど、どこかあります?」


「前にしていただいたので、今日は大丈夫です。いつもの部屋でゆっくりしていてください」


「じゃあ、そうさせてもらいます」


 この孤児院の長たるシエスタに言われれば、気を利かせて動くのも違う、という風にエースは考えていた。数秒後、ダイニングルームを出ると、言葉に甘える形で玄関近くの小部屋に向かう。


「おにーちゃん、なにしてあそぶ?」


「何しようか」


「おかいものいきたーい」


「それはこの前行ったろ」



 ワクワクを抑えきれない様子のミアとベルーナを微笑ましく思いながら進むエース。その歩みは出来る限り子供たちの歩調に合わせられており、先ほど来た道はゆっくりと逆向きになぞられる。



 その道中、角を曲がる前。玄関の戸が、鈴の音ときしむ音を同時に発生させ、それがエースたちの耳に届く。


「ちょっと待ってな」



 子供たちに静かにそう告げた後、来客を告げる音に対してエースは真っ先に動いた。


 シエスタとエースがどちらも孤児院にいる時は、なるべくエースが出るようにする。申し出当初、シエスタはそれを少し渋っていたが、万が一を考えると実力的にエースが先陣を切った方がリスクが小さいため、エースが粘って納得させていた。



「やぁエース。今日もちゃんと、やってるかい?」


 エースが玄関の見える位置まで来た時、そこにいたのはレイラだった。少し驚いた顔をした後で、近づきながら声を出す。


「マザー! どうしてここへ?」


「ちょいと孤児院の様子を見に来たんだよ。朝はあまり人が来ないしねぇ」


 エースは今の薬屋の状況を全く知らなかったが、レイラが言うからには問題ないのだろう。


 少し考えてみれば、このタイミングで来たレイラは、フローラと入れ替わるような形で孤児院に来ていることになる。そう考えると、確かに薬屋に居なくても回るには回る。


「ところでエース、今時間はあるかい?」


「ありますけど……どうしました?」


「ちょっとうちまで来てほしいんだよ」


「まぁ、俺は別にいいですけど……」


 レイラからの急な誘い。時間的な余裕はまだある上に拒む理由もなく、エースはほとんど思考時間を置かずに、了承を返す。


 ただ、レイラがこのタイミングでエースを家に呼び寄せる理由は、候補こそあるものの、絶対にこれだ、というものはなかった。一番思い当たる節であるフローラ関連の話だとしても、この時間にする話なのか……? という否定が容易に出来る。


 そんな風にあれこれ推測している間に、物事は、何もかもが不明なままで動いていく。


「子供たち、ちょっとエースを借りてくよ」


 その言葉で、エースは始めて子供たちが自分の後ろまで来ていることに気づく。


 振り返った時に見えたのは、遊べなくなることを危惧しているのか、少し不安そうな子供たちだった。年長たるシェーンこそ表情に変化はないものの、他の3人は明らかに不安そうな顔をしている。


「大丈夫。そう長くはならないから、遊べなくなったりはしないよ」


 子供たちの様子を見て同じことを思ったのか、レイラからの言葉は、明らかに安心感を与えようとするものだった。


 レイラの目論見通り、子供たちはその言葉で安心したようで、すぐに不安な表情は消えていた。それを見たエースも少し安心して、口を開く。


「じゃあ、行ってくる」


「「いってらっしゃーい」」


 再び孤児院を出る際の、子供たちの元気な声での見送り。


 それを背に受けたエースは、レイラと共に、薬屋に向かうのだった。


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