第3話 晴れ晴れ、その下で
とある平日の朝、ほとんどの人が己の仕事に精を出す頃。
エースは、『レスタ』という名前の街に来ていた。
時渡の森最寄りのグリニや、セレシア、フローラ姉妹の住むナトゥーラがある路線とは違う方向ではあるが、サウゼル魔導士育成学校の最寄り駅から3駅先と、割と近めに位置する街である。やや駅の間隔が広いため徒歩で向かうには少し厳しい距離だが、列車であれば揺られながら少し長めの思案をしているうちに着くことが出来る。
そして、この街は、エースとミストが今の家で過ごし始める前――すなわち育成学校に入学する前の数年間を過ごした場所でもある。当時と今とでは建物の配置に若干の違いはあるが、町の雰囲気はほとんど変化がない。サウゼル魔導士育成学校の周辺地域も活気に溢れているが、このレスタの街もそれと同等くらいに活気づいている。
そんな街の中の、エースを含めた乗客が降り立つ駅の位置は街の東側に位置する。校長パードレから貰った定期券を見せて駅のホームから出ると、そこには青空の下で息づく街の姿がある。
――今日も賑やかだな
その光景に満足感を得た後、エースは少しばかり空を見上げた。制服をカバンに押し込め、普段着に近い格好を纏っている今は、どこか体が軽く感じる。
駅のホームを背にして正面に伸びている商店通りには、今日も老若男女の声が飛び交う。その中を、エースは真っ直ぐ通り抜けていく。
その道中、エースを見知る人物たちはその勢いのある声の先を、エースへと向けてくる。
「よおエース。取れたての野菜が入ってるぞぉ!」
「おじさん、俺まだ来たばっか。後で頼まれたら来るよ」
小さい頃からの顔見知りである八百屋の中年男性はエースに威勢のいい声を投げかけ、
「あらエースくん。今日も紅茶、飲んでいく?」
「子供たちの世話が一段落したら来ますね」
喫茶店を営む女性の言葉にエースの声のトーンは少し上がり、
「おや、今日も孤児院に行くのかい」
「はい」
「頑張るねぇ」
「好きなので」
街のベンチに座り談笑していた老婆2人に会話を投げかけられて。
「ふう」
レンガ造りの建物が並ぶ石畳の道を進む途中にも交わしたいくつかのやりとりを含めても、育成学校のような一方的なやりとりや言いがかりはなく、全てが双方向の、自然なものだった。
大襲撃事件から4ヶ月が過ぎた今も、エースを取り巻く状況は良い方向へ向かう兆しを全く見せていない。そんな中でもエースが精神的に崩壊しなかったのは、こうした双方向のやりとりが出来るレスタの街の存在が非常に大きい。
もし、自分に明確な夢がなければ、居心地のいいこの街に逃げているだろうと、エースはそう思っていた。実際今日もまた、居場所がなくなりかけている学校から逃げるようにこの場所にたどり着き、一日を始めている。
だがそれは、毎日のように行われる出来事ではない。
このレスタの街に、エースは多くとも週の半分ほどしか来ない。エース自身が、ここに居座り続けることをよしとはしていない。そう考えさせる最大の理由である建物は、今まさにエースの視界に映ろうとしていた。
商店通りを真っ直ぐ突き抜けて、突き当たりを右に。その後もいくつかの道を進んだり曲がったりした先の、レスタの街北西エリア。
そこに、エースとミストが過ごした孤児院が存在する。当時と変わらぬ姿で立っている、ちょっと大きめの建物は、何度来てもエースに懐かしさを感じさせていた。
エースがこのレスタの街に居座ることをよしとせず、きちんと残りの学校生活を全うしようとするのは、この孤児院の存在――正確にはここに住む子供たちの存在が大きかった。
いずれはここを巣立っていく子供たちのために、今ある未来のお手本として、恥じない姿、堂々とした姿を見せ続けられるように。
そんな思いを抱えながら、エースは残りの日々を耐えていた。耐え続ける日々はもちろん辛くはあるが、ここでの時間が、エースの心の痛みを和らげてくれていた。
孤児院の外では、1人の若い女性が洗濯物を干しているのが見える。エースがゆっくりと近づいていくと、女性の方もエースの来訪に気づいたのか、残った大量の洗濯物を置いて駆け寄ってきた。
「おはようございます、エースさん」
「おはようございます、シエスタさん」
この孤児院の当代の管理人である、シエスタ・ソルテール。エースがこの孤児院で過ごしていた頃にも先代に連れられて孤児院に出入りはしていたため、ここで過ごしていたエースは当然顔見知りである。育ての親の娘であるためエースにとっては義理の姉のような立ち位置ではあるが、長い間交流が途絶えていたこともあり、エースとシエスタのやりとりには、程よく固さと緩さが同居する。
「子供たちは?」
「みんな中にいますよ。多分今か今かと待ち望んでいると思います」
「そうですか。なら早く行ってやらないと、掃除が手についてなさそうですね」
「ふふっ、そうかもしれませんね」
エースの呆れの感情を少し混ぜた言葉に、シエスタが優しく笑いながら返答する。
基本的に前もって来訪する日を孤児院の面々に明言しており、訪れる日は決まって、子供たちの掃除の手が止まりやすくなる。だからこそエースは、なるべく早めにここに着くようにして、その後で街での用事をするようにしていた。
「じゃ、子供たちを見てきます」
シエスタと軽くやりとりを交わした後、少し歩いて孤児院の入口前に立つと、扉を押し開けた。
軋む音とドアにかけられた鈴を鳴らして開いた扉の向こうには、決して広くない玄関がある。人の気配こそ何となくはするものの、見ための変化は何もない。
それを見たエースは、持っていたカバンから小さめのベルを取り出すと、少しばかり大きめに鳴らした。孤児院の中に、鈴とは明確に違うベルの高い音が響き渡る。
と、数秒後に足音が混ざり始める。程なくして、玄関に1人の子供がやってきていた。
「あにぃきたー!」
「ああ、また来たよ」
玄関にやってきた女の子が、目を輝かせてエースを見る。下から見上げる羨望の眼差しを、エースは優しく受け止め、その優しさを声に乗せて返していた。
次いで、建物の奥の方からどたどたと走ってくる音がいくつかする。十数秒後には、玄関に数人の子供たちが集まっていた。
エースが鳴らしたベルは、扉が開く音がしてもすぐに出ないように、と教えられている孤児院の子供たちに、孤児院にエースが来訪したことを示すものだった。シエスタから渡されたハンドベルは、来訪し始めて間もない頃に、シエスタからの提案で受け取ったものだ。
「みんな揃って出迎えは嬉しいけど、ちゃんと朝の掃除はしたのか?」
「したよー」
「じゃあ今から俺がチェックするけど大丈夫か? 容赦なくいくぞ?」
エースがそう言うと、最初に出迎えた女の子以外は皆そそくさと建物の奥の方へと向かっていく。何も言葉を返さずとも動きだけで分かる有様に、エースは少し呆れたような口調で話をした。
「……してなかったんだな」
手がつかなくなる気持ちが何となく理解できるだけに、あまり強い口調にも出来なかった。ここで過ごしていた日々の中で、自身も何度か掃除をサボっていた頃を思い出す。
『人としてやるべきことをやらずに、強くなることなど出来ない』
強くなること以外を無駄だと考えていたあの頃に言われた先代の管理人の言葉は、今も心の中にある。それを直接言うことはあくまでもここの長たるシエスタの役目だと考えているため、エース自身が明言することはない。
だが、発する言葉にはそういう思いを込めていた。
「ミア、ちゃんとやったのに悪いけど、他の子のところも手伝ってくれるか?」
「うん。あにぃは?」
「キッチンの方を見てくる。あっちはみんなじゃ危ないしな」
残った女の子――ミアにそう言いながら、エースはキッチンの方に少し視線を向けた。
注意すれば安全。そんな場所は、基本的にはエースかシエスタの役割だった。日々の洗い物は子供たちにしてもらうことはあるが、掃除となると一時的な物品移動が増えるために子供たちの注意が向けられる範囲を超える。
エース自身も、この孤児院が主な生活の場だった頃は先代の管理人からの言いつけでこのキッチンを掃除することはなかった。孤児院に来るようになった後は、最初の頃は、ある程度シエスタに助けを仰ぎつつ、今では来訪時に必要に応じて1人で掃除を行っている。
最も、この日は掃除の必要はなさそうだった。
食器がよく置かれるシンクの中に、容器に入った水の中に沈んでいるふきんが数枚ある。おそらくは消毒をしているのであろうそれは、ここの掃除をいつもよりも念入りに行っている証拠だ。
それらを見て、掃除の必要はないと考えるのは自然なことだった。
――じゃあ、他どっか掃除した方がよさそうなところを探すか……?
そんな考えを、キッチンから出たエースが歩きながらしている時だった。
玄関口の方から、戸が開く音がする。来客を告げる鈴の音は鳴るが、当然ベルの音は鳴らないため、子供たちが出ることはない。
エースが孤児院にいる間は、来訪者の確認もエースの役割だった。ダイニングテーブルのある部屋を出ると、少し小走りで廊下を移動して、そのまま玄関口に向かう。道中の部屋では子供たちが少し頑張って掃除作業をしている姿が見える。
玄関と廊下の接続部まで来れば、来訪者が誰なのかが分かる。その視界に来訪者が入った瞬間に、エースにかなり大きな驚きが与えられる。
そしてそれは、相手にとっても、同じようであった。
「「えっ……?」」
重なる、戸惑いの声。
そこにいたのは、何かが入った紙袋を抱えたまま驚いている、フローラの姿だった。
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