第2話 戻すための糸口



 変わりなく始まった1日のうちの午前の時間を、それぞれがそれぞれの予定や思い付きで過ごした後。サウゼル魔導士育成学校は昼休みとなり、生徒たちも教師陣もやや長めの憩いの時間へ突入していく。


 そんな中、昼食を取るべく机の上を片づけていたセレシアのところに、授業を終えたフローラが来ていた。


「お、おかえりー」


 教科書やノートの類を持ったフローラに、セレシアがそんな挨拶を投げる。セレシアとフローラの席は隣り合っているため、フローラがセレシアのところに来るような形になることは全く珍しいことではなかった。


 しかし、フローラは自分の席へとは向かわず、セレシアの右隣で立ち止まる。いつもと少し違う行動に気づいたセレシアがおや、と疑問を感じるが、それを声にしようとするよりも前に、フローラの方からやりとりは始まっていた。


「ねぇ、セレシア」


「ん、なぁに?」


 席に座ることなく、立ったままでセレシアを見るフローラの顔は、いつになく真剣な表情だった。こういう時のフローラは大抵何かを相談したい時だと、これまでの長い付き合いから来る経験がセレシアに告げていた。


「今日のお昼ご飯、屋上で取らない? ちょっと話したいことがあって」


「うん、いいよ」


 フローラが何か話したいことがある時は、決まってお昼時で、必ず屋上に行く。彼女の悩みを知ることを拒む必要もないセレシアは二つ返事で了承していた。


 そうして行き先が決まると、2人揃ってそそくさと昼食の準備を始める。カバンから弁当箱が入った袋と水筒を取り出すだけで必要なものは揃い、屋上へ向かう準備が整う。


「それじゃ、いこっか」


「うん」


 先ほどとは提案と了承が入れ替わったやりとりを交わし、セレシアとフローラは教室を出た。


 教室の扉を開け出てすぐ左に曲がれば、屋上へと繋がる階段が見える。昼休憩で行き交う人の量が若干増えてはいるが、屋上に行く人は見当たらなかった。


 あまり人がいすぎると内緒話も難しくなるため、状況としてはよい傾向だった。


 が、しかし。



「「フローラ先輩!」」


 あと2、3歩で階段のステップに足をかけようか、というところで、すぐ横の廊下から女子生徒2人が寄ってくる。それぞれに弁当袋を持ち、少し目を輝かせてフローラを見ていた。


「お昼ご飯、一緒にどうですか!?」


 セレシアが横にいるのにも関わらず、一切の躊躇いなしに誘いをかける生徒。以前、別の後輩生徒のそんな願いを優先して1人で食べたことがあるとはいえ、その躊躇いのなさがセレシアに苦笑いをさせていた。


 フローラも後輩生徒の勢いの強さに困った顔こそしていたが、迷うことはなかったようだった。


「ごめんね、今日はセレシアとご飯食べる予定があるから……」


「あ……そうなんですね。じゃあ、またの機会にお願いします」


「うん。そうさせてね」


 笑顔でやりとりを交わし、女子生徒が去っていく姿を見送るフローラ。大襲撃事件からかなりの時間が経ってもなお収まる気配を見せない人気ぶりに、やりとりに一切関与しなかったセレシアも感想をもらす。


「相変わらず人気だねぇ」


「そうだね……」


 そのしみじみとした物言いに反応するフローラは、その顔に若干困り顔と笑顔を同居させていた。生徒会の任期を終え、生徒たちを取りまとめたり動いたりする役目はなくなっても、彼女を慕う生徒の数は減ることはなかった。


 ただ、多くの好意的感情を浴びせられる側のフローラには、不思議なことにその根本的な理由である大襲撃事件の記憶が一切ない。他の人から聞いただけの情報でしか知ることの出来なかった事件当時の姿は、何も知らない今のフローラを戸惑わせるには十分すぎた。



 そう言ったやりとりのせいで、すぐには上ることが出来なかった、屋上までの2つ分の階段。それを上りきり、屋上の外エリアと繋がる扉を開くと、少し暑い日差しと共に青空が2人を出迎える。目の前の景色には人の姿はなく、待ち望んだロケーションがそこに存在していた。


 しかし、2人の目的地は、この場所ではない。屋上ではあるものの、まだここからは見えない。


 扉を出てすぐに左を向き、壁に沿って左に曲がること2回。校内からは見ることが出来ない屋上のベンチが、いつも秘密の話をするときに使われる場所だった。


 そこに並んで座り、弁当袋を開けたあたりで、しばしの間止まっていたやりとりが再開する。


「はぁ……。何だかここが落ち着くなぁ……」


 溜まっていたものを吐き出すかのような、そんなため息。そのあとの言葉が、フローラのため息の理由を間接的に言い表していた。


「校内じゃ、落ち着くことないもんね」


「うん。ずっとこんな感じだから、なんか疲れちゃった……」


「まぁあれだけいろんな人に親切にしてたら、疲れるよね」


「それは別にいいんだけど、いつも誰かに見られてる感じが抜けなくて、どうしても背筋が伸びちゃって」


 フローラの感じている感覚は、セレシアから見てもそうだな、とは思っていた。下級生と話す時間こそ生徒会在籍時の方が多かったイメージがあるが、逆に下級生からの視線を浴びる時間は非常に増えているように感じる。教室以外でフローラと合流するとき、セレシアから見える景色の中には高確率で下級生がいるのだ。


 陰口を叩いている生徒はほとんどいないだろう。ほとんどが羨望の眼差しで、好意的に接するからこそ、フローラも丁寧に対応する。そしてそれが重なれば、嫌でも疲れていく。



「前はもっと落ち着ける場所があったような気はしてるんだけど、今はもう家かここしかないから……」


「そうだねぇ……」


 落ち着ける場所――素を出せる場所と言い換えてもいいかもしれない――は、フローラの言う通り、自宅か屋上のベンチしかない。おまけに後者はセレシアと2人きりでいるとき、という制限がつくため、本当の意味で落ち着けるのは自宅しかない。


 もう一つの居住スペースである寮の一室は、フローラが一時期不眠症まがいの状態になりかけたこともあり、今は2週間おきに入れ替わることを止めて固定化し、セレシアがずっと寮で生活している。当時申し出を断っていたフローラをセレシアが無理矢理言いくるめてそうしたのも、2人の記憶には新しい出来事として刻まれている。


 家で過ごせなくなりほんの少し寂しくはあったが、流石に妹の身が心配だったからこそ、セレシアはその選択を後悔していない。


「まぁでも、好意的なだけ、まだ私は幸せなのかな……」


「ん?」


 話題を切り替えるような、フローラの言葉。聞き返す反応を見せたが、その言葉の中身に目を向けたとき、セレシアはフローラが何を話そうと思っていたのかを理解した。


「話したかったのは、やっぱりフォンバレンくんのこと?」


「うん。校内じゃ、なかなか話せないから」


 そう語るフローラの顔は、心配そうな表情をしていた。


 事件の記憶と同時に失われた、フローラの中のエースの記憶。セレシアがフローラとエースの関係性を話したことで『フローラにとってエースは特別な人間』ということ自体は知っているもの、細かいところまでは知ることが出来なかった。


 その理由としては大きく2つ。1つは、校舎内でエースに関する話をすることがかなり難しくなってしまったからで、『卑怯者』『裏切り者』と揶揄されたエースのことを主立って話にするのは、どうしても長話になってしまうが故に難しかった。


 そしてもう1つの理由は、フローラの記憶喪失が判明した後から、エースがフローラに関することと事件に関することの2つにおいて、完全に口を閉ざしてしまったからだった。


 大襲撃事件におけるエースの行動は、同時に戦艦内部に入ったセレシアとミストでさえも、完全には分かっていない。少なくとも一部の生徒たちが言っているような言葉とは正反対の動きをしているのは確かなのだが、エースがどのようにして復帰し、内部で何をしていたのかは、今のセレシアたちには知る術がない。


 フローラが記憶を失くした以上は、知る方法がエースが話すことしかない。それが為されない以上は、事件におけるエースの行動は、誰もが真実を知らないままになっていた。


 故に、一般に出回っている風評被害レベルのエースへの暴言を、セレシアたちが面と向かって否定することはできなかった。知らない状態で中途半端に否定すると飛び火するから、と、エース本人から早い段階で止められていた。


 それならば話してほしい、と思い、セレシアは一度そのことを告げたが、エースは首を横に振るだけだった。


「毎日のように言われ続けて、それでも顔色一つ変えないように見えるのが、なんだか怖くて……」


「なるほどね……」


 肉体的、技術的な強さも十分だが、エースの精神的な強さは、一般生徒の比ではない。おそらくは過去の境遇がその理由なのだろうとセレシアたちは理解しているが、それ故に精神的に崩すのは非常に難しい。


 しかし、それは彼の精神状態が普通であった時の話。恋人から自身の記憶が失われ、心の支えがほとんどない今の状態で、4ヶ月もの間毎日のように陰口悪口を言われる日々。想像することすら難しいほどの精神的攻撃で、今のエースの精神状態がどうなっているのかは、もちろん誰にも分からない。


「朝の伝達があるから姿は見れるけど、ここ最近は全然会話してないし、伝達以外だと校内じゃフォンバレンくんの姿すら見かけなくなってきてるからねぇ……」


「私、避けられてるのかな……」


「うーん……学校に嫌気がさしてる可能性はあるけど……」


 もしも本当に避けられているならば、おそらくフローラの望みは叶わない。しかしそれは、エースがフローラのことをもう好いているとは言えない状況とも言えるのではないかと、セレシアは考えていた。


 そして、そう考えているからこそ、次にこんな言葉が口から出ていた。


「フォンバレンくんが学校の雰囲気に嫌気がさしているだけで、フローラを避けてるんじゃないなら話す機会はあると思う。ただ……」


「ただ?」


「今のフローラは、『フォンバレンくんとは特別な関係だった』ってことを聞いただけだからね。実際のところ、こうして記憶がなくなっちゃった後のフローラがフォンバレンくんのことをどう思ってるかによっては、多分そこまでは話してくれないと思うんだよねぇ……」


「うーん……」


 フローラがしばしの間悩む姿を見て、セレシアは難しい質問だったかな、と考える。


 だが、セレシアとしても、今のフローラがどのように考えているのかは知りたかった。ずっとうやむやにはし続けていたが、義務感だけで案じていては、おそらく本心は聞き出せない。


「それは義務感だ、ってしっかり言われちゃうと、ちょっと否定できないかもしれないんだけどね」


「うん」


「せめて、フォンバレンくんが何を考えているのかは知りたいな、って思う。絶対にしんどいはずなのに、何を思って口を開かないのか、とか、気になるから」


「そっか。なるほどね」


 ひとまず、フローラが完全な義務感だけで動いているわけではないことを、セレシアは知ることが出来た。しかし、1つ問題を乗り越えると、次の問題が立ちはだかる。


「そうなると、問題は場所だね」


「学校の外に、フォンバレンくんを呼び出す……のは難しそう……」


「そうなのよね。そうなるとあっちの行先に出くわすしかないんだけど、フォンバレンくん、孤児院に行ってることがある、くらいのことしかスプラヴィーンくんから聞いたことないのよね……」


 エースとフローラが学校の敷地外で会う可能性は、セレシアの見立てではおそらく非常に低い。しかし、もうその可能性に賭けるしかない。外でたまたま遭遇した時に、上手く聞き出すくらいしか手段が残されていない。


 と、セレシアは思っていたのだが。


「……私、頑張ってみる」


 フローラから返ってきたのは、意外にも前向きな言葉だった。


「何か思い当たるところがあるの?」


「1つだけ、ね。近いうちに思い当たる場所に行く予定があるから、上手くいけば会えるかもしれない」


「そっか。頑張ってね」


「うん」


 そうして、前向きな結論が出た数秒後。


 学校中に、鐘の音が鳴り響く。


「「あ」」


 それは、昼休みの終了を告げる鐘の音。まだ半分も手を付けてない2人揃って声を漏らす。


「あー……授業行かないと」


「ごめんねセレシア。お昼ご飯の時間とっちゃって」


「いいのよ別に。ちょっと前進しそうだしね。じゃ、あたし先に帰るね」


「うん。ありがとう」


 食べかけの弁当箱をしまったセレシアが、再び校内に戻っていこうとする。


 その姿を、授業のないフローラが見届ける。



 駆け足で鳴らされる固めの音が消えた後、1人きりになった彼女はぽつりと、独り言をこぼした。



「頑張れる……かな……」


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