episode after Chap-4 F-side 言わないあなた
目覚めたばかりの私の、不思議そうな表情の目の前で、呼吸すらも忘れそうになるほどに、その場で固まっていたあなたの姿。
今思い返せば、あの時、あなたは私の状態を知って、呆気にとられていたんだ、と分かる。心の内は察することは出来ないけども、現実をどう受け止めていいのか分からない――多分そんな感じの表情だった。
私には、あなた――エース・フォンバレンくんの記憶がない。
お父さんやお母さんのこと、セレシアのこと、友達や先生のこと――私が出会ってきた人のことは、記憶が許す限りは全て覚えてる。きっとあなたに一番近い位置にいるであろうスプラヴィーンくんのこともちゃんと覚えているのに、何故か、フォンバレンくんの記憶だけが、思い出せなかった。
謎の頭痛のせいでまた床に臥せて、2回目に目覚めた時くらいまでは、別におかしいとも思ってなかった。ただ単に『あなたはだあれ?』くらいのことだった。同じ学年の男子生徒なんだろうな、ということ、生徒会に関わりがあることは分かったけど、でもそのくらいの、見た目で分かることだけが分かった、くらいだった。
でも後からセレシアに話を聞いたら、フォンバレンくんは私の恋人で、大切な人だった、っていうことを教えてくれた。セレシアとスプラヴィーンくんとかなり親しげに話している辺り、私にとっても親しい間柄だったのかな、なんてところまでは気づいていたけど、それが恋人だった、っていうのは少しだけ驚いた。
と同時に、どうして私は何も知らないの、って不思議に思った。セレシアが最初に連れてきたことも、記憶がなくなった私に向けたあなたはのあの表情も、多分恋人関係が本当に存在していたの証拠なんだと思う。
となればきっと、私は、本来忘れることがないくらいに記憶に刻まれた大切な思い出を、全部忘れてしまったんだろう。
忘れてしまった原因には、思い当たる節がないわけじゃない。私の中から、全く記憶がなくなってしまった期間が数日だけあるから。
私がこうして生徒会の仕事に復帰して、色々と考える時間が出来たのが、4日くらい前。目覚めたのは、その2日前。だいたい1週間前の記憶が、今の私からすっぽりと抜けている。
それよりも前や、その後の記憶はちゃんとある。なのに、1週間くらい前の数日分の記憶が、全く思い出せない。学校の有様も、私の記憶がない数日の間にいつの間にか変わっていたっていう感じだった。
学校中で戦闘になるような大きな事件があったこと、その事件を生徒たちだけが知っていること。今の私は、抜け落ちた数日分の情報をそれだけしか知らない。その事件に関連した私自身の情報は、いつの間にかベッドにいた、くらいのものしか、私の中に残っていない。
そこから、セレシアやスプラヴィーンくん、生徒会長フィーアちゃんを含めた親しい面々に聞いてみたけど、事件の日の情報はセレシアとスプラヴィーンくんが少し多く持ってるくらいで、私が記憶を失くす原因となった出来事は誰にも分からないみたいだった。本当に知らないのかな、と思って何回かセレシアに聞いたけど、『エアードくんが何かしたのかも……?』くらいの、推測による追加情報しか、得ることは出来なかった。
だから、これも私の推測でしかないけど……私が記憶をなくした原因を、もしかしたらあなたが知っているのかなって思う。
まだ、フォンバレンくんにそのことを直に聞いたことはない。生徒会の仕事の最中に何度か生徒会室で出会ったことはあるし、仕事の確認の会話はしたけども、フォンバレンくんの方から何かを切り出すことはなかった。
私の方から話してみようかと思ったけど、フォンバレンくんが会話を拒んでいるような気がして、上手く切り出せなかった。別に話しかけてくるな、と言われたわけじゃないのに、何故か、声をかけることをためらってしまった。
原因がフォンバレンくんにあるのだとしたら、会話を拒もうとするのもなんとなく分かる。
でも最初の反応を見る限り、きっとそうじゃないんだろうな、って思った。思い当たる節があるんだったら、あの時にあの表情をするとは思えないから。だからきっと、予想外のことが起きていて、それでも何かは知っている、っていうことなんだと思う。
それを聞いてみたいけど、中々聞けないから……やっぱり自分で思い出すしかないのかな。
ちょうどお仕事もひと段落したし、生徒会室に人もいないし、ペンを置いて休憩ついでに考えてみよう。
「うーん……」
とはいっても、どうやって思い出せばいいのかな。
何も考えなしに思い返すのは難しいし、一番最近で思い出せない数日間のその前のことについて、もう少し詳しく考えてみるのもありかもしれない。
記憶からすっぽりと抜け落ちてしまった数日間の、その前日っぽい日。
あの日は確か、朝から張り切ってご飯を作っていたような気がする。珍しく頑張って早起きして、無理を言って買ってもらった具材を使ってサンドイッチを作ったのはなんとなく覚えてる。
でも、あれは何のために作ったんだっけ。特別な何かがあったのは確かなんだろうけど、それが何だったのか思い出せない。
「うっ……!?」
急に、頭が締め付けられるような痛みが襲ってくる。その痛みに耐えようとして、考えるのを止めるしかなくなる。テーブルの上に臥せて、丸くなるように頭を抱えこんで、どうにかやり過ごそうとしてみる。
「ふ……あ……」
痛みに耐えようとする間に、意味のない声が漏れる。これまで何ともなかったのに、どうしてこんなに痛くなるのか、その理由も分からないままで、痛みが過ぎるのを待つ。
「っ……」
ある程度経った後で、頭痛が消える。時間経過はそんなにないとは思うけど、その苦しさ故に体感時間は何倍にも長く感じられた。ようやく解放されたことに、少し安心する。
前もそうだった。ベッドの上で思い出そうとしたとき、急に頭が痛くなった。あの時ほどではないけど、急に締め付けられるように痛くなるから、無理に思い返せない。だから出来る限り他の人に聞きたい。そう思って、聞いているんだけど……。
そんなことを考えていると、今まで誰も来なかった生徒会室の扉が、音を立てて開かれる。
そうして現れたのは、まさに今私が考えていたあなた――エース・フォンバレンくんだった。
「大丈夫か?」
「え、あ、うん」
私の顔を見るなり、心配そうな表情で声を投げかけてくれたのは、きっと私の体勢が明らかに苦しんでいたことを示していたから。突然の来訪で上手く言葉を出せなかったけど、大丈夫なことだけは伝わった……と思う。
「はいこれ」
そんなあなたから手渡されたのは、さっきまでお仕事に使っていたペンだった。きっとテーブルに臥せた時に落ちてしまったそれを、私はフォンバレンくんの手から受け取った。
「で、生徒会の仕事、何かあったりする?」
「え、えーと……」
淡々とした感じで投げられる、フォンバレンくんの言葉。私はその様子に戸惑いながらも、近くにあったノートを手に取った。
数ページ分を一度にめくって、最近のタスクが書かれている場所を見る。校内の補修作業は少しずつ手が回り始めていることもあって、すぐに頼みたい仕事というのはなさそうだった。
「特にはなさそう」
「そっか。分かった」
短い言葉が2つ。私の返答に対して投げられた言葉は、たったそれだけだった。本当は何か言いたいことがあるんじゃないか――そんな、お節介かもしれない言葉が思い浮かぶ。
そんな、思い違いかもしれない言葉は、音になることはなかった。
それは、程なくして、フォンバレンくんが入ってきた時から開きっぱなしになっていた扉から、別の一行が現れたからだった。
「何しに来たんだよ」
「見りゃわかるだろ」
発言者は、3人グループの中の、同じ学年の男子生徒。と言っても、他の2人は生徒会室の外で待ってるみたいで、入ってきているのは1人。名前は確か、コレア・シーガーくん。
そのシーガーくんが言った言葉に、フォンバレンくんは素っ気ない返答をしていた。
確かに、見ればフォンバレンくんが生徒会の仕事に協力しようとしてくれていることは分かる。そのために、腕章をつけているはずだから。
「なんでお前がその腕章をつけてんだよ」
「会長から渡されたからだが?」
フォンバレンくんのつけている腕章は、シーガーくんがつけている白い腕章とは色が違った。役割はほぼ一緒なのだけれど、青い腕章は生徒会長であるフィーアちゃんから、直々に協力を依頼されたことを意味していて、少しだけ特別感がある。
そういうものだから、もちろん、感覚的な重みもある。
「外せよ」
「は?」
「卑怯者がつけていいものじゃないだろそれは」
シーガーくんの物言いは、明らかに一方的で強かった。
その物言いに少し面食らってしまった私は、恐る恐るではあるけど、シーガーくんに問いを投げてみた。
「卑怯者……って?」
「こいつは、みんなが戦っている最中に死んだように見せかけてこっそり離脱して、事件が終わった後にまた戻ってきてるんだ。いくらでも文句や詰りを受けてもいいようなことをしているのだから、それを卑怯者という言葉に留めただけいい方だろう」
シーガーくんの口から、若干興奮交じりの言葉が吐き出される。怒気をはらんだ言葉に気圧されながらも、その言葉の意味するところはきちんと考えていた。
私の感覚だけど、多分嘘じゃない。出まかせならこんなに冷静に怒りをぶつけるような言い方にはならないと思う。彼についてきている生徒も何も言わないのだから、疑う必要もなさそう。
だけど、フォンバレンくんがそんな言葉通りの人間だったとしたら、フィーアちゃんがわざわざ目立つ青い腕章を渡すとは思えない。時々盲目的になってしまうところはあるけども、人を選ぶ力には長けていたはずだから。フィーアちゃんがフォンバレンくんに渡した意味が、何かしらあるはず。
そしてそれ以外にも多分、まだ、見えていない何かがあると思う。
でもそれを知る術は、私にはない。記憶がすっかり抜け落ちてしまっていて、フォンバレンくんに関する情報はほとんど取り戻せていないし、取り戻したものも全部伝聞情報に過ぎないから。
「はぁ……」
刺々しい言葉を浴びせられたフォンバレンくんの、最初の反応がそれだった。言葉を受けてから少しの間黙ったままで、何かを考えていたみたいだった。
不意に、フォンバレンくんの視線が少しだけ私の方を向く。その瞳は、まるで私に何かを求めているような、そんな風に思えた。
だけど、それはほんの少しの間だけだった。すぐに外れた視線は、やがて行く当てをなくし、フォンバレンくんの左腕の腕章に向けられた。
「逃げた覚えは少しもないが……まぁいい。これで満足だろ」
そう言いながら、フォンバレンくんが青い腕章を外して、私の目の前の机に置いた。
それでも、男子生徒は不満そうだった。フォンバレンくんもそれを感じているのか、また口を開いていた。
「まだ何かあるか?」
「さっさと出ていけ。そして二度とここに来るな。卑怯者が気軽に来ていいところじゃない」
シーガーくんの、フォンバレンくんに対する不満が、どんどんと投げつけられる。明らかに過剰すぎる要求に、流石に私も黙っていられなかった。
「ちょっと、それは言い過ぎじゃ……!」
「どこが? 流石にかばう相手を間違えてるぞ」
シーガーくんの鋭い視線と共に、私への苦言が飛んでくる。
ほんの少しだけ弱くはあるけど、だいたい同じ物言いに、私はすくんでしまっていた。
「腕章をつけておきながらサボっている姿を何人もの生徒が見ている。俺はあくまでも、その生徒たちの中ではっきりと言う方の人間だった、というだけだ」
返す言葉が見つからない。何人も見ているのは本当なんだろうけど、それは本当にサボっているのかな。
何か求めるハードルが高すぎて難癖をつけているだけのような気もしているけど、ここでの反論は刺激してしまうような気もして、怖気づいてしまう。
「……じゃあな」
そうやって私がまごついている間に、フォンバレンくんは特に言い返すこともせず、背中を見せて去っていった。
私はその様子を、ただ見ることしか出来なかった。ほんの少しだけ投げかけられた視線に、何かを返すことも叶わないままに、あなたの背中が遠ざかっていく。
なんだか、寂しそうに見えた。何かを抱えていながらも、こらえているように思えた。
そんな私の感覚がただの思い違いなら、それで済む話。
でもそうじゃないとしたら、なんでフォンバレンくんは少しも言い返さなかったのかが気になる。あれだけ思い切り詰られた言葉の中身が、フォンバレンくんからだとただの言いがかりにしか過ぎないものなのだとしたら、何かをもっと言い返したっていい。
だけど、フォンバレンくんは要求を呑んで腕章を外し、何も言い返すことなくどこかに行ってしまった。
その行動に至った理由が、どうしても理解できない。
「あんたも、流石にここに入れる人を選んだ方がいい」
「え?」
考え事をしているせいで、シーガーくんからの言葉に返したのは、間抜けな声だった。シーガーくんは、それを気にすることなく、またどこかへ行った。
「えっ、何か用事があったんじゃ……」
「いや、もう済んだ。学校のために動く人たちがいるこの空間に、あの卑怯者が当然のようにいることが嫌だっただけだ。じゃあな」
シーガーくんが最後に残した言葉。その中身に私は、少しの間驚きでその場に固まっていた。
嫌だったから、フォンバレンくんに厳しい言葉を浴びせた。嫌な相手に対して暴言を浴びせること自体もあんまりいいことではないけど、今回のそれは明らかに過剰だった。
普通、あんな物言いを面と向かってされれば、こらえきれなくなって怒り返すか泣き出すかのどちらかだと思う。少なくとも、私には耐えきれない。
でもあなたは顔色をほとんど変えることなく、腕章だけを置いて去っていった。何だか心が擦り切れているような感じがして、ちょっと怖い。
本当に、大丈夫なのかな。
見えない何かがある気がして、それを知りたくて、気づいたら、私は生徒会室を出ていた。
何も言わずに要求を呑んだ理由。本当に言いたいことをこらえている理由。それを聞いても、きっとあなたは答えてはくれないと思う。でも、あの背中を追いかけて、少しでも言葉を交わさないといけないって、そう感じた。
そうしなきゃ、いつか、何かが手遅れになる気がした。だから私は、残っていた仕事を放り出して、あなたを探していた。
時間が経っていないからか、フォンバレンくんは思ったよりも近くにいた。駆け寄る足音で気づいたのか、フォンバレンくんはこちらが声をかけることなく振り向き、そして私の姿に少し驚いていたようだった。
「どうしたんだ?」
「いや……その……」
追いかけて、追いついたのはいいけど、言うべき言葉がすぐに見つからない。
だけど何か言わないとまたどこかに行ってしまうから、頭をフル回転させて、上手く場を繋ぐことが出来る言葉を絞り出す。
「ええと……私のせいで、ごめんなさい……」
「なんでスプリンコートさんが謝るのさ。別に、誰も嘘は言ってないだろ」
私が何とか絞り出した言葉に対して、そんな風に言うフォンバレンくん。その雰囲気は、さっきよりも少し緩く感じられた。
「本当に……?」
「ああ。てか、こんな風に俺と話してたら、また誰かに何か言われるんじゃないか? そっちの方こそ、それで疲れたりしないのか?」
「それは……」
フォンバレンくんの言った言葉の前者は、多分本当だと思う。
私の記憶から抜け落ちた数日の間に、私に対して友好的、というか若干畏怖に寄った感情を持つ人が増えた気がしている。決まって『変な人や悪い人には気を付けてくださいね』という感じの言葉を、私にくれる。
「……さっきのこと、気にしてくれてありがとう。でも、俺は大丈夫だから。こんな風に色々と言われてきたのも、別に今回が始めてじゃないし」
やっぱり、始めてじゃないんだ。
でも、あなたは何でそんなに耐えきれるの? 辛かったり、苦しかったりしないの?
その疑問を、ぶつけてみようと思った。同時に、何故か聞いてはいけない気もした。
そう思っているうちに、フォンバレンくんの足がまた動き出そうとする。
「待って!」
別に何かがあるわけではないのに、反射的にそう言ってしまう。もちろんフォンバレンくんも足を止めてまたこっちを向いてくれるけど、言葉を何も用意してなかった私は、自分の行いに困らされてしまう。
「えっと……」
「どうしたんだ?」
「あの、その……」
首を傾げるフォンバレンくんの姿に、別にフォンバレンくんが悪いわけじゃないのに焦らされる。
時間を取ってしまうのは申し訳ないけど、何か気の利いた言葉でも言えれば、と思って、もう少しだけ悩んでから、口を開いた。
「私は、全然卑怯者とか、悪い人だとか、思ってないので……あなたが大丈夫なら、また生徒会に協力してくれると嬉しいです」
傷ついている相手だから、表現とかも気にしながら、恐る恐る口にした言葉。
フォンバレンくんは、少しだけ驚いた顔をした。でもすぐに、力の程よく抜けた笑みを見せてくれた。
「ありがとう。またなんかあれば協力するよ。それじゃ」
そう言って、フォンバレンくんは三度足を動かして、またどこかへと歩いて行った。その背中は、少し離れただけで、やっぱり寂しそうに見えた。
何も聞き出せなかったけど、少しだけ話をして感じたことがある。
フォンバレンくんは、今無理をしている気がする。なんでそう思ったかは私にも分からないけど、でも、無理をしてるな、って感じたのは確かだった。きっとそれは、私の中にほんの少しだけ残っているのかもしれない、恋人関係だった頃の感覚が教えてくれたのだと思う。
それ以上は、私には分からなかった。何も言ってくれなかったから当然のことなんだけど、でも少しくらいは知りたかったな。
だって、元々私とあなたの間には、特別な関係があったんでしょ?
私に何も言わないのはどうして? ずっと抱え込んだままでいるのはどうして?
その答えを、何も言おうとしないあなたの口から、聞ける日が来てほしい。
記憶がなくなった今の私も、今のあなたが少し気になるから。
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