episode from Chap-4 A-side 退けず、踏み出せず



 神の戦艦がサウゼル魔導士育成学校を襲った事件。


 それが終わった直後に、フローラが突然倒れてしまった時、俺の心の中は当然穏やかじゃなかった。事件終結の余韻に浸ることが出来た時間なんて数秒ほどしかなくて、ずっと心の中はざわめいていた。担架に乗せられたフローラが保健室に運ばれ、一行のざわつきが落ち着いた辺りからは、心の中はざわつきの代わりに無事であってほしいという願いで埋まっていた。


 それから2日経って、眠っていたフローラはついに目覚めた。俺は、気を利かせてすぐに知らせてくれたセレシアに連れられて、フローラがいる保健室に向かい、そこでフローラと面会した。



 だけど、そこにいたのは、俺が求めた姿じゃなかった。いや俺が求めた姿っていう言い方は物凄く失礼だけど……でも間違いなく、俺はそこに存在する事実を、欲してはいなかった。


 嘘であってほしかった。きっと夢なんだろう、って思いたかった。


 でもそうじゃなかった。ちゃんと現実で、本当だった。


 父親も母親もセレシアもミストも他のみんなも全て抜け漏れなく覚えているのに、俺のことだけが、フローラの記憶から抜け落ちていた。


 最初に目覚めた時、俺のことを見るフローラの、可愛らしいはずなのに変だと思ってしまったあの感性。


 忘れられてしまったと分かった時の、立っているのかどうなのかが分からなくなるあの感覚。


 少し経った今も、俺の中に強烈に残っている。忘れたいくらいなはずなのに、少しも色あせない。


 それらがずっと居座ろうとしてくるから、何をするにもあまり乗り気にはなれない。でも、少しでも暇な時間が来たり、思考に意識が移ると、やっぱりあれこれと考えてしまって、気分が沈んできてやりきれなくなる。


 なら考えなくてもいいように仕事を増やせばいい、って思って、会長からもらった腕章を上手く利用して……というとなんかまた言い方が悪いけど、それで仕事を得て、ちょっと忙しいくらいにして暇な時間を減らそうか、っていうのは考えた。


 けど、それでも思考時間を全くなくすなんて出来なくて、ふとした瞬間に色々と思考が動いてしまう。今更ポジティブに、なんてのも無理だった。



 今は、フローラの最初の目覚めから数日経って、フローラも生徒会の業務に復帰したくらい。それだけの時間があれば、色んな事をあれこれ想像するのは簡単だった。授業の開講数も減ってるし、なおさら暇だったのは、多分拍車をかけてる。


 そんな考え事を、色んな視線を浴びることなく、誰からも何か言われずに出来るとしたら、教師棟の屋上くらいしかない。


 だから、俺はちょっと前から教師棟の屋上のベンチで一人佇んでいた。腕章はつけっぱなしだけど、仕事もあるわけじゃないし咎められることはまぁないと思いたい。





 フローラがなんで記憶を失ったのか。


 想像の域を出ないけども、その答えになりそうなものを俺は知っている。


 事件を終わらせるために、フェアテムと結んだ契約。俺自身が持つ要素から1つ、何かを奪う代わりに、この先を突破できるだけの知恵と力を貸す、という、等価交換的なあの約束。あれを上手く解釈されて、多分フローラは記憶を一部消されている、と考えている。


 正直、嘘をついている、と糾弾したくなるレベルだった。曲解にも程があるだろうが、という文句を叩きつけたくなる程の、予想外の方向からだった。まぁ神様だしなぁ、で済ませてきたけども、今回ばかりはフェアテムに面と向かって文句を叩きつけようと、一昨日くらいまでは思っていた。



 でも結局、俺はあの事件の後から今まで一度もフェアテムと会っていない。時渡の森に行くこともなかったし、夢の中で会うこともなかった。


 もしも、俺の予想が外れて、フェアテムとの契約とは関係のないところでフローラの記憶が抜け落ちていたのだとしたら。


 そんな『もしも』が急に降りてきたせいで、俺は、知りたくないがための恐怖で立ちすくんでしまっていた。


 本当に関係のないところが原因だったならば、俺はもう正気を保てないだろうな、と思った。フェアテムの求めた代償なら、『嘘つき』とかなんとかいえばまだ何とかなるかもしれない、と思ったけど、そうじゃなく、もう戻らないものになっている、なんて考えると前に進むことなど出来るわけがなかった。




 あの日、真っ向から対面して全部ばらしてしまう、という、計画を根本から破綻させてまで俺がその行いを否定しようとした、別世界線のエース・フォンバレン――ゼロ。皮肉なことに、今ならその気持ちが分かるかもしれない。自分のことをきちんと覚えているフローラと、たどり着けなかったあの日から続きを始める――そんなことを願う気持ちは、今既に自分の中に少しある。大勢を巻き込んでまで行ったことは肯定するつもりはないけども、でもそうまでしてでも叶えたかったというのは、段々と分かってきた。


 零れ落ちてしまった未来が、もう一度手に入る可能性があるのだとしたら。その時は間違いなく、その可能性の実現を頑張るのだろう。色々と謎が多かったゼロの襲撃だったけど、その根幹にある部分は、時間軸こそ違えど元がほぼ同じ人間だったし、分かる部分は多かった。


 数日だけしか経ってない今の俺ですら、少しずつ欲する気持ちが大きくなっている。だったら、おそらく長い年月をかけて方法を探し出して、あっけなく終わってしまったゼロは、どんな気持ちだったのだろうか。



 今まで相手の思いとか、背景事情とか、敵だからと真っ向から否定してきたけど、それはまだ、自分が恵まれていたから出来たことなのかもしれない――なんて思ってしまう。まだ俺は、甘いんだろうか?




 ふと、鐘の鳴る音がする。


 壊れたのは中学棟と高校棟だけで、鐘がある教師棟は無傷に近い状態だったため、鐘を鳴らすのは事件終了直後から難なく出来ていた。だから普通に鳴っているし、そのお陰で日常がある程度戻ってきた感じはある。


 そんな日常からかけ離れてしまった俺も、鐘の音で動かなければいけなくなったわけだけども。


「ぼちぼち動くか……」


 今の鐘は、俺の感覚が大幅に狂っていなければ今日鳴る予定の最後の鐘――つまりは放課を知らせるもの。それが鳴ったということは、ほぼすべての生徒たちが自由に動き始めるはず。中学棟も高校棟も屋上が崩れてしまった今、屋上という要素を求めている人たちは、間違いなくここに来る。


 そうなれば今みたいにベンチを大きく陣取って空を見る、なんてことは出来ない。視線や声にさらされてまで物思いに耽る気もないので、流石に移動する必要がある。


 俺はベンチから少し重い腰を上げて、屋上を移動した。そして校内に繋がる扉を開けて、中に入った。



 そこから2階まで降りてみると、やっぱり歩いている生徒の人数は多くなっていた。いつもの教室ではないし、まだまだ中学棟・高校棟の復旧は進んでいないけども、どことなく日常に戻ったような感覚も、あるにはある。



 きっと、ほとんどの生徒は、大きな事件だったけどなんとか切り抜けられてよかった、くらいの感覚で、少しずつあの日の記憶を風化させていくんだろう。それは間違いではないけど、なんか同じ事件の重みが軽すぎて、少し嫌になる。じゃあ俺は、なんでこんなに悩まなくちゃいけないんだろう、なんで普通に切り抜けることが出来なかったんだろうって、考えさせられてしまう。


 先生たちにとってはもっと軽いもので、夢を見ている間に始まり、終わったくらいのことでしかない。その間に必死に生徒たちが頑張ったことはもちろん聞いてはいるだろうけど、どのくらい分かってくれているんだろうか。


 そして、語られた話の中に、真実はどのくらいまで出ているんだろうか。



 きっと、全てが明かされる日は来ない。だって、全てを知るには、俺しか知り得ない部分があるから。


 俺と記憶をなくす前のフローラしか知らない部分もあるけど、フローラが記憶をなくした以上は、空の上で起こった出来事の全貌は俺しか知らない。ミストやセレシアだって知ってる部分はあるけど、おそらくそのほとんどは俺も知っている。


 全てを知ってほしい、なんて、今更思わない。だって、フローラに迷惑がかからないように、って、事件を切り抜けた後のことまで想像して、俺は身を隠す選択をしたんだから。





「「フローラせんぱーい!!」」


 下級生の誰かが、フローラを呼ぶ声がする。その声に反応して、自然と声の方向に俺の視線は動く。


 今俺が歩いている廊下の、吹き抜けを挟んだ反対側、俺の進行方向と同じ向きに、フローラはいた。後輩であろう数人の生徒に囲まれ、談笑やらサービスやらしているのが見えた。



 あの事件の後。


 フローラは、事件を解決に導いた、勝利の女神的な存在になっていた。元々生徒会の一員という顔と、本来の真面目さ、穏和さがあって人気は高かったけど、事件解決により、下手すれば生徒会長や先生よりも生徒間の信頼が高くなっていた。


 それ故か、廊下を歩いていて見かけた時、フローラはだいたい後輩たちと談笑していることが多い。そんな風に楽しそうに話しているフローラの姿を見ると、なんだか心が痛かった。ずっと見てたい笑顔だったはずなのに、今では見るのが辛いだけだった。



 別に俺のものじゃないのは分かってる。心が痛いなんて思うのはおかしい、ってのも分かってる。


 でも、俺だけに向けられていた特別な感情や、それから派生する表情、声色、それら全部がもう見られないのかもしれないと思ったら、やりきれない気持ちでいっぱいだった。


 考える度に思い出して、そのせいで苦しくなって、っていうのを繰り返して。ああ、俺は思い切り依存してたんだな、と改めて分かった。


 依存してたのは知ってるし、分かってる。でもそれがどのくらいか、というところまでは、よく分かっていなかった。支えがなくなって、始めてその度合いに気づいた。


 寄りかかっていたのに、急に支えを外されて、どうにか踏ん張っている状態。それが今の俺。


「……弱くなったな、俺も」


 ちょっとかっこつけたような言葉を音にしないと、今抱えている感情を消化しきれない。ぶちまけようにも場所もないし、零そうにも聞いて、理解してくれる人がいない。


 いや、いないってのは流石にミストやセレシアに申し訳ないな。


 この2人に話すことは、俺がしていないだけだから。少し前までしようとは思ってたけど、俺を取り巻く環境の変化がそうさせてくれなかった。



 俺をとりまく環境の変化は、学校を救ったフローラと正反対のもの。俺の評価はほぼ地に落ちた、と言っても過言ではなさそうだった。どうやら集束砲から逃げた現場をしっかりと覚えている生徒がいるらしく、事件終結後に校舎へと戻ってきた俺のことを、『早々に学校から逃げた卑怯者』なんて言っているそうだ。


 逃げたのは事実だけど、ならその前に数々の難敵と戦った俺の功績はどこに行ったんだ、となる。というか、成功していないだけで逃げようとしていた生徒も普通にいるのに、そっちを棚に上げて俺だけが言われるのは、腑に落ちない。



 そんな風に、色々と思うところはあるけど、反撃なんて出来るものじゃなかった。相手にする生徒が多いのもそうだけど、この事件を解決に導いたのは俺だ、ってとこも含めて隠しておかなければならない事実がたくさんある。となると、俺には黙って耐える以外の選択肢がすでになかった。


 だから、俺はミストやセレシアに事件のことを全ては話していない。中途半端に情報を得たせいで、2人が俺に味方し、結果として2人まで糾弾されるのは、流石に申し訳ない。



 そういう道を選んだから、事件の終わった後に出来た問題に関しては、自分で迷って、答えを見つけるしかないらしい。感情のやり場もだけど、俺はフローラとの関係を、どうすべきか、ってところも。


 この学校のヒロインになったフローラに、敵ばかり作る俺はふさわしくない。フローラは優しいけど、そんなフローラを守ろうとする他が、俺を拒んでくる。何も知らずに、ただ切り抜けていただけの生徒が、俺をフローラから遠ざけようとするんじゃないかって、思ってる。


 でも、築いたはずの関係をなくしたくない。確かにあった俺とフローラの特別な時間を、感情を、約束を、誓いを、なかったことにはしたくない。時間がかかっても、元のように戻したい、とは思ってる。


 けど告白しようにも、今のままだと何も関係がない。ないから、踏み出せない。踏ん切りがつかない。


 関係を作りたくても、今の俺では敵が多すぎる。以前よりも増えてしまった敵対関係は、俺の行動の自由を少なからず奪っている。反撃出来ないのだから、その制限を受け入れて進むしかない。



「…………」


 もう一度、フローラがいた方向に視線を向ける。


 もうそこには、フローラはいない。でも、俺の視線の先の景色は、さっきの光景を思い出させようとする。


 苦しいから忘れたいなんてのは、もう無理なところまで来てるんだ。少し歩けば、思い出の欠片がそこかしこに散らばっている。スポットに目を向ければ、過ぎてしまった時間の中のワンシーンが、自然と思い出される。


 世界を彩った感情が心の中に根付いてしまったから、知らなかった頃に後戻りなんて出来ない。同時に、たどり着くまでに考えられる障壁が多すぎて、見たかった未来の方向にも進めない。




 こんなことを考えちゃいけないって、分かってる。でも、思うんだ。


 あの日、何度も死にかけながらも、事件を終わらせようとしたあの姿勢は、本当に正しかったんだろうか?


 間違いでなかったとしても、もっといい方法があったんじゃないだろうか?


 2つの問いに、俺は答えを出せないままでいた。そしてもうしばらく、答えは出せそうにない。


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