第21話 終わりを、いつも通りに
先ほどまで戦闘が繰り広げられていた、部屋の中央に近い位置。そこに倒れていたエースに最初に反応したのはフローラだった。視界に映りこんだのを認識したのとほぼ同時に、その体を動かしていた。
「フォンバレンくん!!」
フローラの強い呼びかけに、エースからの反応は程なくして現れた。甲板で呼びかけた時と同じような、寝起きに似た鈍い反応を見せる。
「ん……」
エースが目を覚ますと、傍にいるフローラへと視線が向く。先ほどまでのやりとりで、今のエース・フォンバレンの体に入っている意識がエースなのかゼロなのかが分からないフローラは、まだ落ち着かない様子でエースを見ていた。
そんなフローラの様子に、エースが少し穏やかな口調で言葉を零す。
「やっぱり、自分の身体が一番落ち着くな……」
その言葉を聞いた瞬間に、フローラの表情から少し憂いの色が取れる。
だが、まだ若干強張っているのには変わりなく、エースはさらに言葉を続けた。
「大丈夫だよ。俺はちゃんと、この世界のエース・フォンバレンだ。ヒールとメールを呼べば分かるんじゃないかな」
エースの言葉を聞いたフローラが、ヒールとメールを呼び寄せる。
不思議そうにエースとフローラの元へと来た2匹に向けて、エースが声をかける。
「ヒール、メール、いつもの俺だって分かる?」
「「くるるぅ!!」」
エースの呼びかけに対して、ヒールとメールが元気よく鳴いて答える。
先ほどまでは見られなかった反応によってエースが元の体に戻ってきたことが分かると、フローラの口から安堵の息が漏れ出た。それを見て安心したエースも、上体を起こそうとする。
「いてて……」
先ほどまでの戦闘で蓄積された痛みが、全ての行動を阻害する。終わらせるために、と自分でつけた傷や痛みの数々が、我先にとその存在を主張してきている中で、エースはどうにか上体を起こしたのだった。
「流石にきつい……」
「今すぐ回復するね」
「頼んだ」
一度回復してもらったとはいえ幾度もの戦闘を越え、満身創痍であった身体にフローラの回復が行き渡る。包まれるような感覚に、エースは敵地の真ん中で安らいでいた。
「ふう……」
ぼんやりとしながら、エースは少し考え事をしていた。
――もしも、俺がこの世界においてフローラを失ったりしたら、あんな風になり得るのだろうか
一度精神がゼロの肉体に宿ったことで知り得た情報。
それらを今一度考えた時に、この先に続いていく未来がゼロの通った時間を沿うような展開になることは、可能性として存在する。本質が自分と同じところにあるのだから、根本的な部分の理解は出来た。
しかしそれでも、彼の生き様を肯定することまでは出来ない。半ばやり直すためだけに、多くの犠牲を払ってまで勝ち取ろうとする姿勢の身勝手さを、エースは理解したくはなかった。
――まぁでも、それはまだ『いる』から言えるんだろうな……
同じ立場に立たなければ――失わなければ、完全に理解するのは難しい。ならば、理解する日は来てほしくないなと、エースはそう考えていた。
「……いるんだろう、フェアテム」
「もちろんだとも」
何もない空間から、フェアテムがいつもの様子で現れる。その物言いは、相変わらず場の雰囲気から浮いていた。
「これは……終わったって見ていいのか?」
「いや、まだだね」
あっさりと返された否定の言葉に、エースはもうたくさんだ、と言わんばかりの怠そうな態度を見せていた。
「まだあんの……?」
「といっても、ほぼ終わりに近いけどね。あの中央の装置を破壊すれば、この戦艦は機能を停止し、やがて崩れる」
「あれをか……」
氷の壁の向こうにある、巨大な装置の破壊。回復をしてもらっているとはいえ、気が遠くなりそうな作業だな、とエースは思っていた。エースの全力は先ほどのゼロとの戦いで出し切ってしまっており、気分としては完全に事が終わった後の状態であった。
「そもそもの話として、あれって破壊できるのか……?」
「さっきフォンバレンくんじゃないフォンバレンくんが壊したがってたし、一応出来るんじゃないかな?」
「ほーん……なら出来るのか……」
フローラの言葉を聞いて、エースは再び視線を中央の装置に向ける。
壁の向こうで青白い光と共に異質さを放ち続けているそれは、かなり頑丈そうに見えた。エースが一撃、二撃加えたくらいでは表面をひっかく程度にしかならなさそうだな、と思わせる。
「いやでもこんなにデカイのをどうやって壊すんだ……?」
「中央のコンソールに、エース・フォンバレンという人間にしか押せないボタンがある。厳密には起動者は君ではないが、平行世界の同一人物であるならば同じとして認識されるはずだよ」
「なるほど。でも、先に壁壊さないといけないのか……」
先ほどエースの体に入ったゼロを止めるために厚く張った壁。後先考えずに張ってしまったそれに、今度はエース自身が阻まれる。
頑張ったせいで増えた手間に、流石に頭を抱えるしかない――
そう思っていた時だった。
「壁なら、私壊せるよ?」
「えっ、どうやって」
「こうやって。ブラム・エクスプロージョン!!」
フローラがエースの傍から立ち上がると、氷の壁の方へ向けて、赤い煌めきを放つ。フローラの唱えた爆発魔法が氷の壁を破壊し、道が出来るのを見た後、エースは視線をフローラの方へと向けていた。
フローラの顔は、少しだけ晴れやかだった。
「やっと、私も役に立てた」
「え、なんで何もないのに……?」
「そっか。フォンバレンくんは知らないんだっけ。私とセレシアが、ここに入ってくる前に共鳴してたこと」
エースの体こそ甲板にあったものの、意識はゼロの体に宿っていたため、エースは甲板での出来事からここに至るまでのことを知らない。氷の壁を生成した時が、ようやくこの世界に意識ごと戻ってこられた時だった。
「まぁちなみに、戦艦のコントロールを持っていたのなら自壊させることも出来た。まぁその様子だと、それを知ろうとはしなかったんだろうね」
「いや知ってた。でもあの場面で自壊はリスキーだからな……」
そう言いながら、フローラが作った道を抜けて、中央のコンソールに向かっていくエース。
だがその道中で、その体は突然バランスを崩し、地面に転がった。
「フォンバレンくん!?」
「ヤバい、『回復ずれ』してきた……」
自身を襲うめまいを、エースは過去に一度だけ経験していた。短期間で何度も回復したことにより、自身の感覚と疲労感が大幅にずれる現象――通称『回復ずれ』。
今日だけで2回も完全回復を行ったエースの体は、このタイミングでその症状に襲われていた。
「大丈夫……!」
しかし、あくまでも感覚がずれているだけで、慎重に進めば問題はない。エースはゆっくりと歩みを進めて、巨大な装置の前にたどり着いた。そこにある長方形状の何かに、自然と視線が向く。
「これが……コンソール?」
「そうだね。おそらくそのどこかに目立つボタンがあるはずだ」
フェアテムの言葉を聞いて、エースはコンソール上のボタンを探した。
それは視界の中を探し始めて数秒ほど、左上に存在していた。指さしながら、エースは言葉を発する。
「これか?」
「ふむ……私には見えていないが、あるのなればそうなんだろう」
「神様でも見えないのか?」
「起動者と、その同一存在にしか見えないのさ。神様の場合だと同一存在なんていないんだけどね」
フェアテムの言葉を聞きながら、エースはそのボタンに指を置いた。これほどまでに大きな戦艦――もっと言うと非常に大きな事件の終わりが、ボタン1つでやってくることに、正直なところ拍子抜けしていた。
だが、終わらせるべきものは、しっかりと終わらせなくてはならない。
「これで……「させるかぁ!!」――!」
エースがコンソール上のボタンを押そうとする瞬間に、ゼロの声が響く。
刹那、ゼロの姿が、エースの目の前に現れる。避けきることは難しい絶妙な距離に、殺意をもって現れる。
「ちっ……!」
それでもエースは、その原理を何となくは分かっているが故に、目の前のボタンを押すことを優先した。ボタンが押されると同時に、目先数センチの距離まで来ていたゼロの姿が、あっけなく消失する。
攻撃をもらうことを覚悟していたエースは、何事もなかったことに安堵の息を漏らす。
だが、また次の瞬間に、地響きのような音が鳴り始める。何事かと驚くエースたちに、フェアテムが何食わぬ顔で言葉を向けていた。
「崩壊が始まったね。急いで出ないと、巻き込まれるよ」
「早すぎるだろ……!」
あまりにも急すぎる展開に、エースとフローラは急いで部屋を出て、少しだけ上り坂になっている廊下を駆け上がっていく。ヒールとメールがついてきていることは、エースは部屋を出る瞬間に後ろを一瞥した際の光景で確認していた。
一つ通路を越えると、次の部屋が見える。その中に入り、前を向いた時、目の前に扉は一つしかなかった。
「一本道ならありがたい……!」
もう『回復ずれ』しないでくれと祈りながらも、エースは次の通路へと飛び込んだ。
ただ長いだけの通路は、戻ることが出来ているのかを不明瞭にさせ、エースの中に不安を模る。緩やかに上り坂になっていることだけが、おそらく出口に近づいているであろうことを予感させていた。
2つ目の部屋に入った時には、すでに壁に亀裂が入り、天井から落ちてきたのであろう何かがそこにあった。それを避けて、またもや前に一つしかない扉へと飛び込んで行く。戻れば戻る程に、戦艦の壁や天井の崩壊は進み、エースたちの道を阻んでいた。
しかしそれでも、必死に走って戻っていくと、さらにいくつかの通路と広大な部屋を抜けた先に、空の色が見えてきた。
「外だ!」
まさしく甲板であろう場所に、エースは歓喜の一言を発する。2回目の『回復ずれ』を起こすことなくたどり着いたことでようやく見えた外の景色に安心していると、今度は聞き慣れた声が聞こえてくる。
「こっちこっち!」
「早く来てー!」
その声の発生源には、全く慌てる様子のないヴォリッツと共に、ミストとセレシアが甲板の先の方で待っている様子があった。エースとフローラは、最後のひと踏ん張りとばかりに、その方向へと全力で走る。
「色々あるけど、話は後回しだ! ヴォリッツ、みんなを乗せてくれ!」
エースの言葉に、ヴォリッツが了承を示す重低音の鳴き声を漏らす。体勢を低くしたヴォリッツのその背中に滞りなく乗っていき、最後尾からセレシア、フローラ、ミストの順に乗っかったのを確認すると、エースも乗って合図を発した。
「ヴォリッツ、飛んでくれ!」
エースの言葉を聞いたヴォリッツが翼を広げて、ゆっくりと上昇する。ヒールとメールは、その動きに合わせるようにそれぞれの翼を羽ばたかせ、空へと向かう。
それから間もなくして、赤銅色の甲板も、地面へと落ちていく。空へと飛び立ったヴォリッツの背中で、エースたち一行はその様を見届けていた。
そんな崩落の音だけが発せられていたのは、少しの間だけ。学校の方から湧き上がった歓声に、一行はほんの少しだけ驚く。
崩れてしまった3階にも人がある程度戻り、お互いの生存と事の終結を喜ぶ姿が見て取れる。それを見て、エースたちもようやく終わりを実感していた。
「ようやく、終わったんだな」
少し陽が落ちた夕暮れ時の空を飛ぶ中、エースがそんな言葉を零した。
「そうだね。みんな無事で、この景色を見ることが出来た」
そのすぐ後ろで、ミストも同調するような言葉を口にする。
「諦めないでいたら、何とかなっちゃうもんなんだねぇ」
「ふふっ、そうだね」
セレシアとフローラも一言ずつそう述べた後、一行は静かに、校舎の様子を見ていた。
いつの間にか、ヴォリッツにまたがって空を飛ぶ一行に手を振る面々も現れていた。エースはほんの少しの優越感を得つつも、それが自分に向けられたものではないと理解した後は、前を向いていた。
久しぶりに見た空は、綺麗な夕焼けだった。いつもとは違う目線での夕焼けに、エースは近くに来ていたヒールとメールに言葉を向けた。
「ヒール、メール、いっつもこんな感じで、空を見てたんだな」
「「くるるぅ!!」」
元気のいい返事に、エースは自然と笑顔になる。
ずっとこのまま、のんびりと空を飛んでいたい――そう思っていたエースだったが、この後にすることがあるかもしれないと考えると、その気持ちを胸の奥にしまって、ヴォリッツに話しかけた。
「ヴォリッツ、降りれそうなところに降ろしてくれ」
エースの言葉に、ヴォリッツが少しずつ高度を下げていく。
ゆっくりと近づいてきたのは、サウゼル魔導士育成学校のグラウンドに広がる、土の地面だった。ヴォリッツが緩やかに地面に降り立つと、エースたちはその背中から移動し、グラウンドの上に着地した。
「本当にありがとう。助かったよ」
降りた後で、ヴォリッツの方に向き直ってから発せられた、エースの感謝の言葉。
ヴォリッツはそれを理解したのか、重みのある鳴き声をエースに向けて発した後、その両翼をまた広げた。
そして、その身は再び空へと動いていく。大きな体が空の中へ溶け込んでいくのを見届けたエースは、後ろに向いた後、校舎へと視線を向けていた。
「かなりやられたんだな……」
地に足をつけ、いつものように見上げる形で見た校舎の姿は、安心感と残念な気持ちを半分ずつエースに持たせていた。
――でもまぁ、これからみんなで頑張って直していくんだろうな
事が終わったこともあり、残念な気持ちはすぐに圧縮され、そこに前向きな感情が居座る。
そうして、また日常に戻れることを安堵していた――
その時だった。
エースとミストが並び立っていた位置から少し離れたところで、地面に誰かが倒れ込む音が聞こえる。
「フローラ!?」
ほぼ同じタイミングで、セレシアの慌てたような声が響き、エースとミストが音の方向を見る。
そこにはフローラが地面に横たわっている姿があった。何の前触れもなく起きた出来事に、その場の全員が不安と焦りを呼び起こされる。
「しっかりして!!」
校舎側から辿りついた数人の生徒も、フローラの様子にざわついていたようだった。その生徒たちに向けて、エースが少し荒げた声を投げる。
「担架を持ってきてくれ!!」
エースの真剣な表情に気圧されながらも、数人の生徒が再び校舎へと戻っていく。
数分後、急いで運ばれてきた担架にフローラを慎重に乗せた後、三度校舎内に向かう担架と共に、エースたち一行も校舎の中へと入っていった。
最後の最後に起きた出来事に、担架の移動をする最中、それぞれがフローラの容態に不安を抱える。
目覚めてくれ、という祈りはその日の間に届くことはなく、フローラは覚醒の兆しを見せないままに、多くの生徒はそれぞれの帰路についていたのだった。
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