第19話 急く思いを留めおいて
異形の兵士たちとの戦いをミストとセレシアに任せ、奥へと向かったエース。そのすぐ後ろにフローラが慎重な足取りでついてきており、さらに後方ではヒールとメールがふわふわと浮きながら2人を追っていた。
そうして一つ通路を進み終えた先で、エースたちの来訪に反応したのか扉がスライドして開く。その先に広がる六角形状の床を持つ部屋は、一つ前の部屋とは違い静けさに包まれていた。
雰囲気だけが全く別物に感じられるその空間に、まずはエースが臆することなく踏み入れる。
「罠……じゃないよね?」
そんな言葉と共に、エースの後ろからフローラが少し怯えながら空間の中に入る。エースも壁といくつかの扉のようなもの以外に何もない空間をただ見回すだけで、すぐに行動を起こすことはしなかった。
それからしばらく何もない時間が続いた後で、何もないと判断したのかエースが扉の方へと近づいていく。
「何もなさ過ぎて、本当に何もないだけな気がするけどな……」
そう零した後、扉の距離がかなり縮まったところで、エースの視線の先にある扉がスライドし、その奥に繋がる通路を見せる。それを見て、エースは驚くこともなく、
「開いたな」
ただ事実を口にして、目の前を見続けるだけだった。
「なんか不気味だね……」
「不気味……か? いやまぁ奇妙ではあるけど」
まるでエースたちを奥へと招き入れているようにも感じられる、勝手に開く扉。感想の違いはあるものの、相手の出方に対して抱いているエースとフローラの感情の方向性は、だいたい同じであるようだった。
「不気味だけど……進むしかないんだよね、うん」
「そうだな。あまり時間はかけられないし、先に進もう」
また、エースが先頭、続いてフローラ、さらにヒールとメールという順番で、横幅の広い通路を進んでいく。外と同じ赤銅色の壁と床で構成された一本道は、その長さ故に進んでいる者の距離の感覚を狂わせようとする。
そんな中、周囲を見回しながら進んでいたフローラは、エースとの距離がやや離れていることに気づく。歩いているのは同じであるはずなのだが、その速度差のせいか、いつの間にか若干の間が出来上がっていた。
その速度差は、危険ながらも時間がかけられないことを意識して先に進んでいるのか、何かあるかもしれないと細心の注意をはらいながら進んでいるのかの違いによるものであることは間違ない。エースが前者で、フローラが後者であることを考えると、速度差が出来上がるのは至極当然なことだった。
少し駆けて、またエースの近くを警戒しながらフローラは歩く。その間、エースも前方への注意をはらいながら歩いているようだった。フローラやヒールとメールが後ろを見ている、と考えているのか、エースが後ろを向くことはあまりなかった。
やがて、長い通路を抜けた先で、また同じような部屋が現れる。敵どころか何もない、静かな空間であることも同じ。ループしているかのように思えるその部屋で、たった一つ違うのは、エースたちが入ってきた入口とは別の扉が2つあることだった。
「どっちなんだろう……?」
「さぁな……」
間違うこと自体は許されても、間違ったことに気づいてから引き返すだけの猶予はそれほどない。1回の選択にかかる責任は、否応なしに重くなる。
「こっちにするか……」
そんな重さなど全く気にしていないかのように、エースが左の扉を選ぶ。そしてほとんど間を置かずに扉の方へと近づいていくエースに、フローラは驚きの声を少し出すことしか出来なかった。
「えっ……?」
「どうかしたか?」
「いや、えっと……」
聞き返してくるエースに対して、フローラはその驚きの理由――エースがほとんど間を置かずに選んだことへの疑問を、口に出すことはしなかった。構造を把握していない以上迷っても仕方がない、という結論で自己解決したフローラは、代わりの問いを用意していた。
「どうして、こっちを選んだのかな、って」
「いや、まぁ、直感でしかないけど……」
「そ、そうだよね。変なこと聞いちゃった。ごめん」
作り笑いをしつつ話題を打ち切ったフローラに対して、エースが戸惑いの表情を見せる。
しかしその表情もほんの少し経つと収められ、まぁいいか、と呟いた後、エースが先ほど選んだ左の扉の方へと歩いて行く。それを見たフローラも、遅れないように、と空いていた距離を詰めるべく歩みを早めた。ヒールとメールも、2人のやりとりに関わることはせず、周囲を見回しながら、その後をついてきていた。
また通路へと入っていったエースたちは、次の部屋を目指す。警戒をしながら進んでいく通路も、代わり映えしない、赤銅色の壁と床が続いているだけ。だが、やや下り坂のようになっている、というところが、中心部のようなところへと近づいていることを予感させている。
そんな中で、フローラはふと、置いてきていたセレシアとミストのことが気になった。学校内ほどではないもののそれなりの個体数がいた中で、戦闘を任せて先に行く、という方法を選んで早期解決に臨んでいる現状。
ある程度数を減らした後での別行動ではあるが、2人は大丈夫だろうか、と少し不安にもなる。あの戦闘を4人で突破して、その後も4人で行動する選択肢もあったのではないか、と、遅くはあるが考えてしまうフローラ。
そのような考え事を続けているせいか、気づけばエースとの距離がまた出来ていた。彼を見失わないように、フローラはまた慌てて小走りで距離を詰める。
警戒心がないわけではないことは分かるが、気にする素振りがあまり見られないところに、何かを急いでるように感じられる。
――決めたのがエースくんだから、急いでるのかな……?
あの場面でエースが別行動の選択をしたことが、フローラにとっては少し意外だった。なるべく事を早く終わらせたい気持ちはもちろんフローラも持ち合わせているが、そうだとしても少し危険な決断ではないか、という考えに勝るほどではない。
他人の心の内は、もちろん推測することしか出来ない。しかし、いつもよりもエースの慎重さが薄れているような気がしているフローラは、自身にブレーキとしての役割が必要なのではないか、という考えを起こしていた。
「ねぇフォンバレンくん」
「どうした?」
フローラの呼びかけに対して、エースが一度立ち止まって反応する。
「こんなに勢いよく進んでも大丈夫なのかな?」
「大丈夫かと言われると何とも言えないけども……まぁ、何もないからって警戒し過ぎると進めないし、ある程度割り切って進んでる感じかな」
「そっか……。うーん」
言葉そのものに、何か問題があったわけではない。しかしそれでも、エースの返答の中身に、フローラはどこか腑に落ちない感覚を得ていた。
そんなフローラの様子を、エースは不思議そうに見ていた。
「どうかしたのか?」
「なんだか、急ぎ足すぎる気もしてて……」
「確かに急ぎ足ではあるよ。ああやって頼んだ以上は、急いで事を終わらせないといけないしな」
「そう、だけど……」
エースの口から出た、急ぎ足であるその理由。それを理解出来るが故に、フローラは納得することも不服を唱えることも出来なかった。
そうして言葉に詰まっている間に、エースが先に次の言葉を口にした。
「どのみち進まなきゃならないからな。ここは、無理するとこだから」
エースはそう言うと、また歩き始めた。フローラは納得出来ないままでいたが、流石に止まるわけにもいかず、その後に続いた。
そこから少し間を置いて、3つ目の部屋が見えてきた。近くまで来ると今度もまた何事もなくスライドして開いた扉と、中に床と壁と扉以外に何もない光景が、その暗い色合いと相まって異様さを漂わせている。
――本当に、何もないのかな?
その奇妙さは、フローラの脳内にそんな疑問を作らせ続ける。本当にただ何もないだけなのか、それとももう既に相手の思惑通りになってしまっているのか、分からないままでここまで来てしまっている。
フローラが視界に意識を向けると、少し先で、相も変わらずエースはどの扉へと進むかを悩んでいるような様子を見せていた。そんなエースの様子にも、フローラの中に生まれていた違和感はもう既に自己解決出来ない程に大きくなっていた。
最初の部屋を除いて一切の障壁がないことに対して、疑問を抱いているような素振りがエースにあまり見られないのだ。最初は悩んでも仕方がないから、という理由を考えていたが、そうだとしても、ここまで無警戒に進んでいくのは、エースらしくない、という感情が湧く。
――無意識のうちに、誘い込まれてたりするのかな……?
不意に、そんな考えがフローラの脳裏に浮かぶ。
フローラが学校に向かい、そして甲板に戻ってくるまでの間に、エースは一戦交えている。そこで見かけでは分からない何かが起こっている、というのはあり得ない話ではない。
己の意思で動いているように見えて、実は全てが相手の思惑通りで、知らず知らずのうちに虎穴たる道筋に入り込んでしまっている。その可能性が存在することの恐怖が、一度離したブレーキとしての役割を再びフローラに担わせる。
全てを終わらせるために中心部に向かう必要があることは、既に分かり切っている話であった。しかしそれでも、この可能性を口にしておくべきだと考えて、フローラは口を開いた。
「ねぇ、フォンバレンくん」
「どうした?」
既に次の通路へと入りかけていたエースが、フローラの声を聞いて振り返る。
「私たち、本当にこのまま突き進んでいいのかな」
「いいも何も、進むしかないだろ」
「うん、そうだね。でも、それって本当に私たちの意思なのかな?」
「どういうことだ?」
フローラの言葉を聞いて、エースが眉をひそめる。出来る限り真剣な表情で、フローラは続きの言葉を発した。
「敵と戦ってたフォンバレンくんが、倒れてた間に何かされて、知らず知らずのうちに相手の思惑通りに動いてる可能性って、考えられないかな……?」
「それは……」
フローラの言葉を聞いて、エースが口元に手を当てつつ、首を傾げた。いつもエースが悩む時の仕草は、フローラが考えている可能性が存在するかどうかを、考えているからだろうか。
そうして少しの間悩む素振りを見せた後で、エースが口を開いた。
「仮にフローラの言う通り操られてたとして、この後どうすべきなんだろうな。結構来ちゃったし」
「それは……」
エースからの問いかけに、フローラは少し苦い顔になった。急ぎ足なエースのブレーキとしての役目を果たすことだけを考えすぎて、この後の行動の事まで気が回っていなかったことに、この瞬間に気づかされてしまった。
故に、発する言葉の中身に少し悩んだ後で、フローラは自身の口を開いた。
「進むしかないんだけど、急ぎの行動は控えた方がいいと思う。一つ行動を起こす度に、ある程度の思考時間はいるはずだから」
「慎重に進もう、ってことか」
「うん」
「まぁ、そうだな。ちょっと気を付けた方がいいのかもな」
フローラの言葉が通じたのか、エースは特に訝しむ様子もなく頷いていた。その様子に、フローラは少しだけ安堵の息を漏らした。
「けどまぁ時間的な猶予はないだろうし、ひとまず、この先に進んでみよう」
「うん」
今度はエースの言葉に対してフローラが頷いた後、エースが選んだ扉の向こうへフローラも進んでいった。
一本道の通路の緩やかな下り坂が、奥へと進んでいる感覚をより強くする。そんな中でのフローラの歩みは先ほどまでと違い、考えに没頭しかけることなく前へと進んでいくエースの背中を見ながらの前進になっていた。
警戒しながらなのか、エースの歩みは先ほどよりも遅かった。エースとフローラの間の距離は、ほとんど変わらないままで、通路の終点たる扉が近づく。
そして、次の扉がスライドして開かれた時、その中はこれまでと違う光景だった。
「ここは……」
「なんか、全然雰囲気が違う……」
先ほどまでの部屋よりもかなり広いスペースのある部屋の、その中央に何かしらの立体物と青白い光。これまでの部屋と違い何かがある部屋であることを、部屋そのものが示していた。
「ここに、何があるんだろう……?」
「うーん……」
エースとフローラは、これまでより広くなった部屋を見回していた。
「他の扉が……ない?」
周囲の壁伝いに視線を動かしていたフローラの口から、そんな言葉が零れ出る。
「ということは、ここが中央部の可能性があるのか」
「行き止まりの部屋だから、可能性はあるけど……」
中央には、複雑な立体物から青白い光が漏れ、さらには天井に向かって一本の柱が伸びている。そのような構造が2人に、ここが中心部である可能性を示していた。
「中心部なら、他に何もないし、誰もいないのがちょっと気になるかな」
「確かにそうだな……」
フローラの言葉通り、中心部の立体物以外に目立つものがないことに、エースも疑問を覚えたのか表情を険しくさせていた。
重要な部屋であるならば、最初の部屋と同じように複数体の兵士がいてもおかしくはない。しかしそれも見られないことが、むしろ警戒を強めることになる。
「でも、ここを壊せば、何かが変わりそうなんだよな……」
エースの呟きと共に、彼の手に氷の剣が握られる。
エースは、明らかにここを壊したがっている様子だった。そんなエースが次の瞬間には動き出してしまいそうな気がしたフローラは、反射的に動き出していた。
しかし、反射をもってしても、そもそもの速度が違う。エースが駆け出したのを、フローラは止められない。
「待って!」
フローラの言葉も耳に届いていないのか、エースは中央の装置の方へと向かっていく。そして――
「なっ……!?」
突如として現れた氷の壁に、エースはその移動を阻まれる。部屋を横断するようにそびえ立つそれは、中央の装置へとたどり着かせないように、隙間なく作られていた。
先手必勝とばかりに動き出していたエースは、その壁に二刀を突き立てる。それでも壊れる様子のない壁の有様に悔しさをにじませた表情をしている間に、フローラが追いつく。
「フォンバレンくん、なんでそんなに急いでるの!?」
先ほどの注意喚起を忘れてしまったかのように行動を急いたエースに対して、フローラは今一度問いを投げかける。しかし先ほどとは違い、非難の色は強く、本当に問いたかった質問が投げかけられていた。
「急がなきゃ、何も守れないだろ!」
そんな、フローラからの珍しい非難の言葉に、エースもやや荒い物言いで、問いへの答えをぶちまけていた。明確な理由を先に言わないままですぐに熱くなるのは、どこか彼らしくないように見え、フローラの中の違和感を強くする。
答えそのものは、本心に近くなっているように感じられた。しかし、まだどこかぼかしている感じが否めない。
とはいえ、やや熱くなった状態のエースに何かを問いかけたところで、何かを刺激してしまいそうな気がしたフローラは、これから言おうと思っていた言葉の数々を引っ込める他なかった。
そうなると、これ以上はフローラにどうすることも出来ない。エースは悔しさをにじませた表情のままで、事が動かずに過ぎていく――
そう思った、次の瞬間だった。
「ふう、間に合った」
不意に、エースの声が響く。
しかし、その声が聞こえてきた方角は、今エースがいる方向とは反対――フローラの背中側だった。不思議に思い、フローラは声の方向に視線を向ける。
「ぶっつけでやってみるもんだな」
そんな言葉と共に、何もなかったはずの空間を切り裂いて、人の姿が模られる。
そうして2人の前に現れたのは、別世界線のエース・フォンバレン――ゼロの姿だった。
「さて、これでタイムリミット――ってところか?」
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