第15話 思いをついで咲き誇れ
もういないと思われていた人物が、現れるはずないと思っていた場所から。
エースの登場は、戦艦上部から吹っ飛んできたというその現れ方も相まって、かなりの驚きをフローラとエアードに与えていたようだった。やや距離は遠かったが、その立ち姿からは戸惑いも見て取れる。
「はぁ……はぁ……」
これまでの蓄積をより強くする、高所からの落下。それが決め手になり、エースは全身に走る痛みでその場からまともに動くことが出来ない。相手の表情を見る行為すらも辛く、身体は限界寸前だった。
「何故……何故、あなたが生きているのです!?」
エアードから飛んでくる、驚愕に染まった声。相手の目論見通りにさせなかったことに対して、エースはしてやったりの笑みを返したかったが、今はそれを作るだけでも一苦労どころでは済まない。
「運が……よかっただけだ」
何故かエースは壁をすり抜けられること。ヒールとメールの力により、短時間に1回だけ危険を回避出来ること。神様に力を借りることが出来たこと。
中身を話せば相応に長くなるが、結論として運が良かったから生き残ることが出来たのは間違いない。中身をほとんどなくした言葉も、そういう意味では嘘ではない。
「運がよかった……だと……!? そんなデタラメで……!!!」
間違いなく怒りに震えているのは、言葉を聞いただけでもエースは理解できた。
エースがただの学生の範疇を越えなければ、確かにエアードの目論見は完璧であったことに違いはない。
しかし、時間転移の力によって危機を回避することが出来る上、神の力を借りている人物が相手では、流石にエアードの目論見も完璧にはなり得ない。
フローラが何故ここにいるのかは分からなかったが、エースはおそらくエアードが関係しているのだろうと思っていた。過去のやりとりや今の状況を見ても、フローラに危害を加えられる可能性というのはかなり低いだろう。
そうなれば、矛先は当然敵であるエースにしか向かない。普段ならそれでも問題ないのだが、今のこの体の状況では非常にまずい。
「殺してやる……! 絶対に殺してやる……!」
もう隣にいるフローラのことは見えていないのだろうかという、明らかな激情の言葉。
しかし、己の理想を成すための力を先ほどまで動かしていた兵士たちに依存しているのか、エアード自身はすぐには動かない。
兵士たちもそれに倣っているかのように動かない様子を見せていることから、エアードの言葉が帯びている感情は、再び驚きへと戻る。
「何故だ……? 何故兵士たちは動かない……?」
エアードのその戸惑いの答えは、エースだけが知っている。この兵士たちを動かすために守らなければならなかったものは、既にエースが壊した後だと。
己の行動によって生まれた結果に、エースはまた少しの笑みを浮かべる。
「フォンバレンくん!!」
エアードが戸惑いを見せる隙に、フローラがこちらへと駆け寄ってくる。その行動は敵であるエアードに背中を見せながらの行動ではあったが、おそらくはエアードがフローラへの直接的なダメージを避けたいのか、攻撃はなかった。
フローラの方も、エアードを刺激しないためか、ただ駆け寄るだけだった。動かなくなった兵士たちの間を通り抜けて、横たわったままのエースの元に来る。
そして間近に迫ったところで、すぐに回復魔法を発動していた。エースの体が瞬時に青白い光に包まれ、全身から痛みが遠ざかり始める。
しかし、そうしている間に、エアードは次の行動を起こしてくる。エアードがこちらへと手を向けるのが見えたエースは、回復で頭がいっぱいになっているのであろうフローラを少し強引に押しのけて、魔法で氷塊を放つ。
「ぐ……」
痛みに呻きながらもエースの放った魔法が、エアードの放った風を相殺し、氷塊は砕けて辺りに散らばる。かろうじて間に合ったそれに安堵しつつ、押しのけたフローラにエースは言葉をかけた。
「フローラ、俺の回復は後でいい」
「でも……」
「手足だけを狙って。それなら、殺さなくとも戦える」
言葉を出すのもそれなりに辛い中、エースは大事な部分だけを伝える。本当は励ましの言葉も口にしたかったが、長時間のやりとりは明確な隙を生むことから、心の中に押しとどめていた。普段は2人きりの時以外では絶対に使わない名前での呼称も、僅かに時間を縮めるためのものだった。
フローラは少しだけ戸惑っていた様子だったが、エースの意図を理解したのか、すぐにエースの傍を離れてエアードの方に向き直っていた。それを見たエースは、今度は安心に起因する笑みを浮かべていた。
一方で、エースの回復を優先しなかったことに、エアードが驚きの表情を浮かべる。
「なっ……」
その一瞬の隙が、フローラの戦う準備を整えるために十分な時間を作らせる。
フローラの作り出した水の弾が、空中に生成される。エースの氷魔法とよく似たそれは、過去にエースが教えた氷の礫の技術を、フローラが自分なりに模したものだった。
「私も、やらなくちゃ……!」
フローラの手の動きに合わせて勢いよく発射された水の弾は、寸分の狂いなく相手の手へと当たる。エアードが魔法を放つよりも先に、その根本を狂わせていた。
「ぐっ……」
思うように動けないエアードが、呻き声を漏らす。
連射速度は十分だったが、吹き飛ばすほどの威力はなく、あくまでも動きを止めることに重きを置いたもの。フローラの性格を見越して、最初にエースが提案し、調整にまで付き合った水魔法――アイル・ウィークバレット。練度を高めるための時間も十分に得られていたためか、フローラは迷いなく操ることができていた。
フローラが自分でも戦えるように、と変わっていった過程を知らないエアードは、完全に虚を突かれ、攻撃用の魔法を唱える準備が出来ずにいた。
「ちっ……!」
魔法で狙えないと分かったエアードが、移動の素振りを見せる。
その瞬間、フローラが放った水の弾がエアードの足元の絶妙な位置に着弾し、エアードはその場に転ばせられる。
だがエアードはその勢いを利用して、動かなくなった兵士たちの裏に隠れる。フローラはこれまでの兵士たちのことが頭をよぎったのか、それ以上の攻撃に少しの躊躇いを見せてしまっていた。
「少しばかりは痛い思いをしてもらいましょうかね……!」
反撃体勢を整えたエアードが、マジックペーパーを手に魔法を唱える。それにより赤の煌めきが、フローラの前方に模られる。
しかしそれは、突如として出来上がった氷の壁に阻まれ、壁の表面を砕くだけに留まる。咄嗟に身構えていたフローラは、その氷の壁を作った人物――エースの方を向いていた。
「今回は俺が支える番だな」
フローラに視線を向けられたエースは、そう言った後に、痛みが残る体を支えながら笑った。その笑みで少し安心したのか、フローラの顔にも笑みが生まれる。
しかし。
「させませんよぉ!!」
遠回りに移動して壁の向こう側から現れたエアードが、フローラたちに向けて風を叩きつける。強い風によって煽られたフローラが体勢を崩し、風魔法により速度を増したエアードが、その距離を大きく詰める。
まだエースとは若干距離があるため、今からエースが距離を詰めても間に合わない。故に頼るべきは氷魔法だが、それも今からでは時間が足りない。
「少しばかりのお灸を据えましょうか……!」
痛みに顔をしかめるエースの前で、体勢を崩されたフローラに対して放たれたのは上からの強烈な風による叩きつけだった。背中側から地面に叩きつけられ、フローラが呻き声を漏らす。
「うぐっ……!」
「フローラ!!」
全身を打ち付けた痛みに悶えるフローラに、エースは場所を忘れて名前を呼ぶ。
魔法の威力を意図的に下げたり、殺傷能力の高い魔法を使わなかったりするあたりに、エアードはフローラを行動不能にはしても、殺しはしない、というところが見て取れた。
ただ、そうだとしても、フローラに対しての攻撃である以上、エースの中に怒りの感情が湧きあがることには間違いない。
間違いないのだが、痛みと疲労がエースの身体を重たくしていた。勝ちを確信したのか目の前でゆっくりと近づいてくるエアードに、エースはどうにか立ち向かおうと、鈍くなった身体を動かす。
しかし、その次の瞬間、
「ぐふっ……!?」
水の弾がエアードの背中にあたり、エースの方へと数歩よろめく。エアードは何事か、というような反応で、視線をぐるりと後ろに向けていた。
「まだ……行かせない……!!」
そこに、体勢を仰向けに変えていたフローラの姿があった。十中八九彼女の魔法が、エアードを背中から狙撃したのだろう。
そのことが腹立たしかったのか、エアードは怒りをにじませた声で、フローラの方に歩んでいた。
「驚いた……! これは、もっとお灸を据えないといけないようだ……!」
言葉に見え隠れする狂気を認識し、エースの思考が危険信号を出す。
エアードは明らかに我を忘れかけている。フローラの予想外の成長に事が上手く運ばず、力をつけて反抗しようとする彼女に対して、意識が変わっているのが分かった。
そしてその次の瞬間に、エースの体は痛みを忘れて、前へと進みだしていた。
慣れない中で頑張って、痛みに悶えながらも自分を守ろうとしたフローラに、これ以上は攻撃させない。彼女の成長と勇気に、なんとかして報いたい――
そう思ったエースの手の中に、氷の煌めきが生まれ始める。次第に刀と鞘を作り出していくそれが出来上がるより早く、エースの体は振り向き途中のエアードの体にヒットする。
「ぐっ……」
たった一撃の代償として身体を走り抜ける痛みに、エースは顔をしかめる。癒し切れなかった痛みのぶり返しに体がよろめきそうになるが、ここで動きに従ってしまえば、その後の反撃を許すことになる。
手の中の煌めきが為した刀は、まだ抜いてすらいない。抜かなければ、目の前の敵は倒せない。
「っ――!!」
踏みとどまったエースが構えた鞘から抜かれた刀は、右斬り上げの軌道を描いてエアードの胴体に傷を創る。返り血を少し浴びながらも、その刀はしっかりと振り抜かれていた。
胴体に大きな傷を作り、のけぞるエアード。そこにさらなる一押しとして、エースはいつも追撃に使う氷塊を放った。
氷塊に押されて、エアードの体は甲板の端へと近づいていく。完全に復帰を阻止すべく、地面に手をついて氷の床を展開した後で、エースがさらに追加で氷塊を放つと、エアードは滑る足場と氷塊によって移動が自由に出来ず、ついに甲板から押し出されていた。
「うわあああああああ――」
空中へと押し出されたエアードが、やがて重力に引かれて地面へと落ちていく。絶叫が尾を引きながら小さくなっていくのを聞きながら、エースは我慢しきれなくなった痛みと疲労でその場に倒れた。
程なくして、甲板の上に静寂が訪れる。呆気なく訪れた終わりは、エースとフローラを再び繋ぎ合わせるために十分な時間を作り出していた。
地面に仰向けに寝転がっているエースの元に、フローラがゆっくりと歩いてくる。そしてエースの隣まで来ると、フローラはすぐに座り込んでいた。
「スプリンコートさん、大丈夫?」
「うん……。私自身の回復は、もうしたから。回復、あげるね」
そういうと、フローラが横たわるエースに対して回復魔法をかけ始めた。
その表情は、どこか暗かった。それが何かを気にしているから、ということを、エースはすぐに感じ取っていた。
「どうしたんだ? そんなに暗い顔して」
「……結局、私は弱いままだったんだな、って」
ポツリと、フローラが呟く。声のトーンも、そのネガティブな中身に合わせて下がっていた。
「戦ってくれ、って言わなきゃ戦えないし、戦っても私じゃ力不足。最後まで、フォンバレンくんに頼りっきりになっちゃった」
おそらくは、ほんの少ししか戦えなかった自分を、かなり悔いているのだろう。エースは、そんな彼女の気負う様を、今はただ見聞きだけしていた。
「まだまだだよね。頼ってばっかの私で、本当にごめんなさい……」
そう言い切ったフローラが、少し体を震わせているのが分かった。自責の念が、雫となって零れ落ちるまでに、おそらくそんなに時間はない。
――どうしてそう、いつも自分のやったことへの評価が低いのか
エースはまだ痛みの残る体を起こして、回復を施していたフローラの手をとった後に、そのまま体を抱き寄せた。
「フォンバレンくん……?」
突然抱き寄せられ、フローラが戸惑う様子を見せる。エースは彼女を抱きしめ、表情が見えない状態で言葉を発した。
「何も言わなくていい。少しだけ、こうさせて」
「うん……」
腕の中に感じている温もりが、少し力をかけるだけでも辛いはずの体を労わってくれている。戦いを経たことで傷だらけにはなってしまったが、まだきちんと存在するその柔らかな温もりを、エースは少しの間しっかりと感じていた。
そして、腕を離してお互いの顔が見える位置まで来ると、エースの目には、やや顔の紅潮したフローラが映っていた。そんなフローラに対して色々と言いたいことがある中で、エースは、おそらく今の彼女に一番必要な言葉を口にした。
「俺のこと、守ってくれてありがとう」
「えっ……?」
エースの発した言葉を聞いて、顔に紅を差したままのフローラが目を見開く。想像していなかった言葉が来た時の反応をするフローラを見て、エースは呆れ交じりの、ポジティブなため息を吐いた。
学び始めてから順調に日を重ねているにしても、総量が少ないのは確かな事実。その中で、ほぼぶっつけ本番の状態で粘れたことは、もっと誇っていいことだと、エースは考えている。
「甲板に落ちた時、状況としてはめちゃくちゃ厳しかった。ヒールとメールが危機回避にかけてくれる転移の魔法も使った後だったからさ。身を守るためには自分で何とかしないといけないのに、ほとんど動けないってなってて……正直、死ぬことも覚悟してた」
戦艦の上部から落ちて、甲板の上で痛みに悶えていた時、エースは確実に、戦うことの出来る状態ではなかった。故に、エアードに狙われた時に己の死の気配を感じ取っていた。
「でも、フローラは俺の回復よりも自分で戦うことを優先した。確かに、きっかけは俺が言ったからかもしれないけど……その選択のおかげでエアードが完全に面食らってたのも、少し追い込まれたのも事実だよ」
エースは、フローラの前で、己の思いを静かに語る。それに対して、フローラは何かを言うこともなく、回復を施しながら聞いているようだった。
「成長したな、って思ったよ。何様だ、って話だよな。でも、本当にそう思った。1年も経たないのに、ちゃんと俺のこと守れるようになってた」
「でも、ほんの少しだけで……」
「短くたっていいんだよ。あの数分間のおかげで、俺が救われたのは事実だ。助けてくれて、ありがとう」
エースの発した二度目の感謝に、フローラの涙腺が耐え切れなくなったのか、涙をポロポロと零し始めた。次いで感情の制御が効かなくなったらしく、フローラは両手で顔を覆い、体を震わせていた。
――本当に、よく頑張ったよ
エースは泣いているフローラに体を寄せると、おそらくしばらくは止まらないであろう涙を見た後に、フローラの身体を優しく抱きしめた。
交わした約束を果たすためにこの地に戻り、そして成し遂げたことで得られた時間がもたらした、確かな温もり。身を委ねたくなるほどに、柔らかくて優しく、安心感のあるそれを、絶対に離したくない。
今、この瞬間のエースの心の中には、そんな思いが出来ていたのだった。
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