第13話 神頼みの選択肢
時を遡ること十数分前。
エースの意識が覚醒した時に見えたのは、見慣れたくなかった岩肌だった。
「いててて」
体を起こそうとすると、全身に痛みが走る。それでも何とか上体を起こすと、起きたばかりの思考で己の体に刻まれた痛みの原因を思い返す。
「そうだ学校――いててて」
反射的な行動の代償でもう一度痛みを実感した後で、エースの脳内に、ここに来る前の全ての記憶が展開されていく。
エアードと遭遇し、数の暴力に対処する最中で魔力の集束砲を受けそうになったエースは、見えない壁をすり抜けられる自身の特異性にかけて、壁に空いていた穴から外に飛び出たのだ。そうして回避に成功し、その代償として階下に落ちた時に、ヒールとメールの力により時渡の森へと転移し、今に至る。
「ひとまず、ここから出ないと……」
幾度も重ねた戦闘のうちに蓄積していた身体へのダメージをこらえつつ、エースは、揺らいだ空間を越えて、すぐそこにあった出口から洞窟の外へと向かった。
目覚めから数分ほどで視界に入れることが出来た森の中は、木々の合間から光が差し込む静かな空間だった。生物がいる気配は、今はあまりしない。
そんな、自然の音に包まれた中で、これからのことを思案し始めたエースは、1つ大きな問題が残っていることに気づく。
「出てきたはいいけど、戻ったところでどうにかなるのか……?」
エースが口にした問い。その答えは、当然受動的に貰えることはない。
エースがこの時渡の森に転移してきたのは、今回で3回目。過去2回の来訪時もエース自身は、徒歩で帰る以外の選択肢を持たない状況ではあったが、外から手段を得ることは可能であった。
加えて、エースが転移してしまっただけで、それ以外に考慮しなくてはならないことがなかった。故に、外から手段を得てしまえば、エースはその手段を用いるだけで戻ることが出来ていた。
しかし今回は、エース以外にここに来ることが出来る人物がいないため、エースが単独で脱出してサウゼル魔導士育成学校まで戻るしかない。そうなると、タイミングよく移動のための費用があるわけではないので徒歩での帰還を試みるしかないのだが、かなりの疲労を溜めている今、試みの実現可能性は低い。
また、校舎内に入ることが出来たとしても、エース一人が復帰したところではおそらく焼け石に水だ。早く戻りたいと焦る中、戻ったところでどうにも出来ないかもしれないという可能性が、エースがここから動くための一歩を踏ませずにいた。
そんな、途方に暮れる寸前だったエースの目の前で、木々だけを映していた空間が揺らぐ。待ってました、と言いたくなるほどに最高のタイミングで、そこにフェアテムの姿が形成されていた。
「やぁ、どうも」
「どうも――って呑気に言ってるほどこっちは余裕ないんだ」
「そうみたいだね。学校の方を見てきたけども、中々に面倒なことになっていたね」
あくまでも、他人事としてさらっと語るフェアテム。その語り方にエースは少しの苛立ちを感じたが、フェアテムにとっては間違いなく関係のない出来事であることに気づき、文句を口から吐くことはしなかった。
その代わりにエースは、今後のために何かを得られないかという思いで、1つ問いを口にした。
「学校の方を見てきたのなら、どうにかする方法とか知らないのか?」
エースの問いを聞いたフェアテムの表情は、少し驚いたようなものだった。その表情の意図するところが分からず、エースが訝しんでいると、次の瞬間、フェアテムの口からは、予想もしない言葉が飛び出た。
「おや、君が起動したんじゃないのかい?」
「は!?」
突拍子もない問いに、エースは思わず聞き返す。
「なんで俺が犯人になってるんだよ!? むしろ色々ぶっ放されて死ぬかもしれない側だったんだが……」
「それに関しては僕は見ていないから分からない話だけどね」
「ああ、そうか……」
冷静に言葉を返されて、エースは自身が帯びてしまった熱を冷ます他なかった。自分でも驚くほどに表面の熱は冷めていき、心の中にざわつきを飼いながらも一応の平静は取り戻した。
「でもそうか。君じゃないのなら、僕が見たものの話をするには知識が足りないな。何か知りたい様子みたいだけど、そこも含めて少し説明するとしよう。それでもいいかい?」
「ああ、構わない」
ここ最近では珍しく感じられる、フェアテム側からの情報提供。元々情報を欲していたエースは、何か有効な知識を得られるかもしれないと思い、体ごとフェアテムの方に向け、彼の言葉を聞く意思を見せていた。
「君たちの学校に衝突した赤銅色の物体の名前は、『神の戦艦』と言うんだ」
「神の戦艦……」
「安直過ぎる名前だろう?」
フェアテムの呆れ交じりの言葉は、エースの耳を通り抜けていった。安直だとしても、その名前の持つ重い響きは、エースに緊張感を覚えさせる。
「でその神の戦艦はどんなものかというと……一度起動すれば、起動した人物が止めない限り、大量の兵士を生み出し続け、圧倒的な物量で一帯を殲滅する。人間には不可能な魔法やシステムも使用されていて、まさに神からの罰としての終焉のために使われる――そういう兵器さ」
「俺たちは神様を相手にしてるってことなのか?」
「起動自体は多分神ではない何かが起動してるんだけど……まぁ、そういうことになるだろうね」
血の気が引いていく感覚の中聞こえるフェアテムの声は、あまりにも軽かった。
現在とりまく状況が悪化しているのは、この場においては色々と聞いているエースだけである。フェアテムからしてみれば完全に他人事であるのでその軽さにエースは難癖をつけることをしなかったが、絶望を押し付けられたのは事実だった。
「ただね、あれは通常、普通の人間には起動することすら出来ない。神様か、神に準ずる因子を持つ人にしか起こすことは出来ない。僕の思い当たる限り、今の時間軸においてそれが出来るのは君くらいしかいないはずなんだけどね」
絶望の中で、どうでもいい情報はエースの耳に入っても抜けていく。遠ざかって行きそうな今に自分自身を繋ぎとめるために、エースは、フェアテムに向けて問いを投げた。
「神の戦艦を止める手立ては何かないのか?」
「ないね。起動してしまったあれを迎え撃つ側が止めることは基本的に無理だと思った方がいい。圧倒的な物量で一帯を消すことが目的のものであって、それが簡単に押し返されては意味がないからね。可能性が限りなく少ないのではなく、基本的にはない」
「そんな……」
あまりにも希望のない言葉に、抱えた絶望すらも重みが分からなくなっていく。このまま現実から目を背けてしまうことを許されたかのように、身体の感覚が遠くなっていくような気分が、確かにそこにあった。
「俺の大切な人たちもいるのに……」
現実を忘れることを良しとすることなど出来ない。しかし目を背けたくなるような絶望は、もう目の前で広がってしまっている。進み過ぎた時間が、そのまま不可逆の道となり果てていた。
「まぁでも壊滅はしていないどころか普通に生き繋いでいたのを見ると、おそらくは起動している人が攻撃を止めているみたいだ。時間的な猶予は、多分あるよ」
「時間的な猶予があったところで、どうにもならないんじゃ……」
「そうだけど、仮にあれを人が起動していたとしたら、そう長くはもたない。魔力の効率こそいいけど、最大保有量を越えるくらいの魔力はいずれ使っちゃうからね。そうなれば、あの戦艦とて動きを止め、やがて消滅する」
この地獄が永遠に続くものではない、ということを聞き、エースは遠くなりかけていた感覚を引き戻した。活路が開けるかもしれないという言葉に、少しだけ力が満ちる。
「どのくらいもつんだ?」
「そうだね……。あれだけ色々した後なら、おそらく4日くらいで魔力が切れてそのままダウンすると思う。そうなれば、起動した対象の発動していた魔法は全て解ける。まぁ損害は残ったままだけどね」
「4日……」
その数字は、短いのか、長いのか、その判断が難しい数字だった。
4日耐え凌ぐことが出来れば、損害こそあれど元の生活に戻ろうとすることは出来る。そうなれば、いつかはこの出来事も笑い話に出来るくらいには、過去のものに出来るかもしれない。
ただ、4日もの間何も起こらずに耐え凌ぐことの出来る可能性が、存在しているかどうかは分からない。予想外のことが立て続けに起きれば、命の保証などあるはずもない。
そう考えたエースは藁にも縋る思いで、口を開いた。
「即座に対処する方法はあるのか?」
「まぁ、何をどうすればいいのかは、もちろん僕は知っている」
「だったら……!!」
「けれども、それを成すためには神に匹敵する力が必要だ。証ではなく、力がね」
己の全力を以てですら、どうにも出来ない事実。念を押すようなフェアテムの言葉によって与えられた絶望は、エースを地面に崩れ落ちさせた。
どうにかしようとしても、どうにもならない未来。どうにか繋ぎ続けてきた命で未来を拾ってきたエースも、その事実を知った以上は絶望するしかなかった。あがいたところで、何も変わらないことが、残酷なほどにはっきりと分かってしまった。
狂わされ続けながらどうにか繋いできた日々を、終わらせたくはない。そう思い、感じたところで、どうにも出来ないのが、そこに存在する現実だった。
「ただし、君が運命を変えたいと本気で願うのなら、この現状を打開する道はないわけではない」
「本当か?」
突如として降ってきたフェアテムからの希望の言葉。エースは遠ざかっていた己の感覚を取り戻すと、即座に聞き返した。
「僕の力を貸そう。神の力を以て、現状を打破できるだけの道筋は作れる。もちろん、君の頑張り次第ではそれも無駄になるけどね」
「だったら、今すぐにでも――」
「そう急いではダメだ。神に何かを願ったり、頼んだりするということは、何かを代償にする、ということを、忘れてはいないだろうね?」
「そう、だったな……」
フェアテムに冷静に言葉を返されて、エースは急いていた己の思考を落ち着ける。
そこから少しの思案の後、エースはもう一度口を開く。
「なぁ、代償って、どんな感じなんだ?」
これまでに幾度か聞いていた、頼み事の代償の話。自力で何とか出来る範囲内だったからこそ深くは触れていなかった中身だったが、今回はその選択をする必要があると考え、聞いていた。
「そうだねぇ。何を頼むかにもよるけど、今君が願おうとしていることだと、大きなものを1つ失う可能性はあるね。例えば……そう、記憶とか、時間とか。これらは何を1つとするかが曖昧だけど、まぁそのくらい大きなものが代償かな」
それを聞いたエースは、望もうとしていることの対価の大きさに、黙り込むことしか出来なかった。
それほどまでに大きな何かを失わなければ、たどり着けない未来。失ったところで、たどり着ける保証が、あるわけではない。
「それに、願った数が多かったり、あまりにも大きな願いだと、失うものの大きさや数も増えていく。1つにつき1個、というわけではないけどね」
躊躇いなしに放たれたフェアテムの言葉の中身は、今のエースにとっては重いものだった。
願えば願うほどに、失うものも大きく、多くなっていく。天秤に、無理やりかけなくてはいけない。
「君は、何も失わず祈って平穏を得るか。何かを捨ててでも切り開くか、どっちを選ぶ?」
まるでこの選択にたどり着くのを待っていたかのような、フェアテムの少し芝居がかった言葉。
選ばなければならないことは、エースも分かっている。しかしそれでも、進む勇気はまだない。
「選べねぇよ、そんなの」
故に、エースが吐き出した言葉がそれだった。
「なるほど?」
「頑張ってここまで生きてきたんだから、全部取り零したくないんだよ……!!」
「そうか。そうだろうね。こればかりは僕も決断を急かすことはしない。時間的な猶予はあまりないだろうが、君自身が選ぶといい」
フェアテムが珍しく見せた配慮に対して、エースは既に反応すらも返すのを忘れて考えていた。
まず思い出すのは、数日前の、物置部屋での約束。震えるフローラに対する元気づけの約束を確かに交わしたことを、エースはもちろん覚えている。
もしここでエースが待つ選択肢をとったのならば、頑張りの物差しになるべく自分がいると、そう言った己の言葉に嘘をつくことになる。その事実もまた、避けなくてはならない事実であることは分かっている。
「なぁ、本当に1つだけなのか? 本当はもっとたくさん失う、ってことはないんだよな?」
「神は嘘をつかない。1つといえば1つだ。そこから増えることはない」
少しのやりとりの後、また沈黙の空間が出来上がる。
何かを確実に1つ失ってでも進むことで得られるかもしれない未来と、為すがままにされて失うかすらも分からない未来。もし少し失うことで進めるのならば、前者を選んだかもしれない。しかし、大きな代償を払わなくてはならないのならば、後者を取ることも選択肢になる。
ただし、後者の選択は、仮にフローラがそう思わなくとも、交わした約束を確実に裏切る行為になる。前者の選択ならば、何かを失ったとしても、交わした約束を守ることは出来る。
退いて得た未来は、本当に問題ないものになるのか? 進んで得た未来は、欠けても問題なく出来るものなのか?
前にも後ろにも道はあるが、どっちを選んでも、先が見えない。エースが満足できる未来は、その欠片すら見えない。
頑張って得られる未来なら、その方が納得できるかもしれないと、エースは考える。
何も失わない可能性が僅かにでも存在するなら、その未来が欲しいとも、エースは考える。
進むべきなのか、退くべきなのか。前だけ見るべきなのか、後ろへと振り返るべきなのか。記憶のアーカイブを開けて、その中でエースは佇み、さらに時間が過ぎていく。思考が堂々巡りして、何度も見返して――
「俺は……」
静寂が場に馴染んできたくらいの時間で、エースの声が響く。
「俺は……失ってでも進む方を選ぶ」
「ほう?」
「今まで止まって失いかけた。また止まったら、同じことになりそうな気がするから。今度は進むんだ」
交わした約束をきちんと守らなくてはいけないという思い。
臆病だったからすべてを失いかけたあの日を、もう一度繰り返してはいけないという戒め。
ヒールとメールとの遭遇に関連した一連の事件を経て、変わろうとしているフローラに対する申し訳なさ。
それら全てを思い返した上で、エースは、迷いを消せないなりに選んだのだった。
「いい決断だ。進んででも勝ち取ろうとするその選択に、僕は見合うものを与えるとしよう」
フェアテムの言葉は、エースのその選択を待っていたかにも思えるような物言いだった。今までとは段違いに重くなったように感じられる彼の言葉を、エースは真正面から受け止めていた。
「改めてここで、僕の本当の自己紹介をさせていただこう。僕は時間と運命の神フェアテム。時間を見守り、運命を司る神。まぁ司ると言っても、僕は眺めている方が好きだし、あくまでも決断を促すだけだけどね」
そんな自己紹介の最中に、1匹の巨大な竜が下りてくる。少し前に見た時竜と同じくらいの図体で、それとは正反対の白い姿。風格の感じられるその大きな図体はフェアテムの横にゆっくりと降り立つと、エースの方に視線を向けてきた。
圧力のあるその視線に、エースは思わずたじろいだ。敵視しているわけではないことはすぐに分かったが、それでも、その双眸の深い青は、エースに畏怖の感情を抱かせる。
「おや……まさかこの子が気に入るとは。君は本当に面白い人だ」
「知り合いなのか?」
「知り合いも何もこの子――ヴォリッツは僕の使い魔みたいなものだからね。まぁ、いつもは気ままに空を飛び回るだけの穏やかな時竜だけど」
そんな紹介をする最中、ヴォリッツがフェアテムに、その視線を向けていた。それに気づいたフェアテムも、ヴォリッツの方を向いた。
「どうしたんだい?」
その投げかけの後、フェアテムとヴォリッツが再びやりとりを交わす。少し驚いた反応を見せた後、エースの方に向き直った。
「背中に乗れ。力を貸してやる――ヴォリッツはそう言っているよ」
「そうか……。ありがとう」
エースの感謝の言葉に、ヴォリッツが低く唸る。
そして乗りやすいようにするためか体勢を低くしたところにエースが乗っかり、その重みを感じたであろうところでヴォリッツが再び起き上がる。
「さぁ、行こうか。そして、その運命を変える瞬間を僕に見せてくれ」
「……やってやるさ。変えなくちゃいけないんだ」
フェアテムの言葉に対して、エースは、静かな口調にやる気を見え隠れさせながらそう言い放った。
「俺は……俺の手で、この先を切り開く」
もう1つ言葉を口にしたその表情は、迷いを全て振り落とすためのもの。迷ったままでは、未来へたどり着くことすら出来なくなる。
この先に見え始めた未来のために、エースは心の中にあった迷いを今、ここに捨て置いていた。
そして
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