第12話 零れた札は、ここにあらず
一方その頃、フローラは、悲しい表情を浮かべながら1人佇んでいた。
場所は、敵が移動のために使ったと思われる赤銅色の物体の上。高校棟と中学棟を繋ぐ渡り廊下に衝突する形で停止していたこの物体はエアード曰く『空飛ぶ船』らしく、フローラを乗せた後は浮かび上がって、屋上から飛んでも届かない高度まで上昇していた。
今は、確かにあるはずの重力に従うことなく、空中でその位置を維持している。フローラはその甲板から、サウゼル魔導士育成学校の校舎の有様を見下ろすことが出来ていた。
距離が遠いため中身はさっぱり分からないが、校内を飛び交う声自体は少し聞こえていた。同時に、破壊されてしまった校舎の天井の隙間から、教室の中や廊下を歩く生徒の姿が見えている。
激しい戦闘の末、活気のなくなった学校の姿に、フローラは心を痛めるしかなかった。
「どうかしましたか?」
後ろから、声と共にエアードが近づいてくる。
フローラは振り向いた後、すぐに顔に悲しさを住まわせていた。
「学校、壊れちゃったな……って」
「なるほど。まぁ気にしないでいただきたい」
表情と同じく悲しみを帯びたフローラの言葉は、エアードに受け止められはしたものの、返ってきたのは軽々しい言葉だった。あまりの素っ気なさに、フローラは思わず言い返す。
「気にしないで、って、そんなの無理だよ」
「でしょうね。まぁ決まり文句的に考えてもらえれば結構です。心に優しさを根付かせていれば、誰とてそう思う」
そう言いながら、エアードも校舎に目を向ける。何かしら思うところはあったのか、真剣な眼差しで、今のサウゼル魔導士育成学校の有様を見ていた。
その横顔を見て、今ならば問うことが出来るかもしれないと考えたフローラは、その口をゆっくりと開いた。
「どうして、学校を襲ったの?」
「ここにいるのは、将来性豊かな魔導士たちと、それを教える一流の魔導士たちです。あなたのような優しい方でも、そこに間違いはない。だったら、ここを潰して見せしめにするのが一番でしょう?」
「魔導士が集うのはそうだけど、でも何のために……?」
「世界を力で壊すため、とでも言いましょうか」
エアードの口から放たれた、あまりにも大がかりな言い回しの言葉。
それは、フローラにその意味を理解させてはくれなかった。反応に困ってしまい、次の言葉を紡ぎ出せない。
「思い通りにならないことはいくらでもあるでしょう。しがらみとか、周りの目とか。あなたなら、それが分かるはずだ」
「……っ」
全く異を唱えることの出来ないエアードの言葉に、フローラは俯くことしか出来なかった。
フローラにとって、そのようなことは日常茶飯事に近い。その主な中身はセレシアのことやエースのことだが、特にエースと関わるにあたって舞い込んできた災難の数々に、心を痛めることもあった。
どうにかしたくともどうにもならない現状と、上手く折り合いをつけながら生きる。それが、幸せのためにフローラが選び続けたことであるのは、間違いない。
「そんなどうにもならないものを、無理やりだとしても壊せたら楽でいいでしょう。また来たら叩き潰して、恐怖を教えてやればいい」
そう語るエアードの目に、爛々とした狂気が宿り始める。取りつかれているかのような語りを耳にして、フローラは言葉を挟むことはせず、聞くことに徹していた。
「ご存知の通り、僕は昨年の夏、この学校を追い出されました。まぁ、それ自体はしょうがないですし、別によかったですが、あの男に思い通りの人生を歩ませるのだけは少し嫌でした」
あの男、というのは間違いなくエースのことだろう。
少なくとも、フローラのことを好いているという点において、2人は敵対をしていたのは間違いなく、間接的とはいえエアードがエースを殺そうとしていたのは既に過去となった事実だ。
「いやぁ、僕としてはリベンジマッチとでも言うべきものが出来て満足です。これで既に、あの男はいないのですから」
そう言いながら、エアードは愉悦に浸っているような姿を見せる。
一方で聞いている側のフローラは、エアードが発したその言葉の通りの現実になっていない可能性を、まだ心の中に持ち続けていた。それは、喧騒が残る校舎を離れるギリギリのタイミングで、あの異様に目立つ特殊な音が聞こえた気がしていたからだった。
おそらくヒールとメールのものであろうその特殊な音が聞こえてきた時、エースは確実に時渡の森に転移している。つまり、エースはあの攻撃を何らかの行動で回避して生き繋いでいることは確実だ。
しかし、エアードの言葉を全て信じるのであれば、エースも当然見えない壁を抜けることが出来ない。ヒールとメールも傍にいなかったことを見ると、奇跡に奇跡を重ねて、ようやく起こる可能性、くらいの確率でしか、生存していない。
藁にも縋るような思いを抱えなければ心が崩れてしまいそうな中で、フローラはどうにか会話を繋いでいた。
「それだけのために、学校をこんなに……?」
「いや、それはあくまでも目的の一部でしかないですし、そもそも反撃できるだけの力を手に入れられたのも、僕自身の功績ではないですけどね。あの人のおかげだ。これはあの人の目的のために、同時に遂行したに過ぎない」
「あの人?」
「……おっと、口が過ぎました」
エアードの口から漏れたキーワードのようなそれに、フローラは素早く反応した。
確実に、エアード以外にも今学校と敵対する理由がある人物がいる、ということになる、『あの人』という言葉。ぼかして言っていることから、少なくとも表に出せるような名前ではないことが分かったが、そうなるとフローラには推測など出来るはずもなかった。
故に相手側の事情についてのこれ以上の詮索はひとまず止めておき、フローラは再び目下の学校を見ていた。
「目的が何かは知らないけど、こうなったら、あなたたちも無事じゃ済まないよ?」
「そうでしょうね。援軍が来れば、の話ですが」
「え……?」
「教師陣は全員、事が終わるまで覚めない眠りについていますし、この学校には誰一人侵入することは出来ない。まぁ来たところで圧倒的な物量で押し返すだけですし、そうすれば、町に被害が及びますよ」
「そんな……!!」
エアードから告げられた事実に、フローラは絶句するしかなかった。
いずれは来るかもしれないと思っていた援軍は、期待できない。僅かでも時間を稼ぐために、という思いで自分の身を差し出したことが、全くの意味を持たなくなる。
「私の行動は、無駄だったってこと……?」
内から起こった絶望の感情は、フローラの顔から少しだけ血の気を引かせ、現実の感覚を遠ざける。
「時間稼ぎのためだけに身を投げ出したのなら、確かに無駄だと言えるでしょう。しかし結果的に町の人や学校の生徒を救っているのですから、無意味どころか英断だと思いますよ」
その表情の変化を見たエアードが、後付けの形で言葉を足す。
それを聞いたフローラは、敵対する相手の言葉でありながらも、感覚を取り戻した。
しかしそれでも、状況に好転の兆しが見えないことに変わりはない。戦力が少し増えたくらいではどうにもならなさそうな、絶望一色の現実は、まだそこに存在する。
――フォンバレンくんがいたら、どうするのかな
それを今この瞬間に考えるべきことではないのは、フローラもよく分かっている。だが自発的に何かを考えなければ、フローラは自分の頭の中がどんどんネガティブな方向にいってしまうような気がしていた。
たった1人で場の雰囲気すらも変えられるほどに大きな何かを持った人間を、フローラはエース以外に知らない。
きっとエースならば、この状況をひっくり返せるだけの何かを持って打開してしまうことも、あり得てしまうのだろう。そう思わせる不思議な力が、彼にはある。周りがそうだと言わなくとも、フローラにとってのエースは、そうなのだ。
この状況は、頼りすぎてしまった罰なのかもしれない。肝心な場面で頼り過ぎたからこそ、こうして、取り返しがつかなくなるところまで来る可能性が、早くも訪れてしまった――
フローラはそう、考えさせられていた。心から愛していても、並び立つだけの何かを、もっと早くに持たなければならなかった――
そんな風に、愛する人へ縋る思いを巡らせていた、その時だった。
フローラのところに、空と似た色の2匹の小竜――――ヒールとメールが舞い寄ってくる。
2匹は、飼い主であるエースに攻撃を向けたエアードに敵意を見せるわけではなく、絶望に沈もうとしているフローラの目の前にいるだけだった。
そのただのふれあいのような光景を、エアードは不思議そうに見ていた。
「おや、小竜ですか。珍しい。懐かれているとは、流石というべきか」
エアードが、素直な感想を述べる。
この2匹がエースに関わりがある、ということを明かしてはいけない。そう思ったフローラは、特に言葉を用いず、2匹をただ見つめるだけにしていた。
ヒールとメールは、フローラに何かを訴えかけるように鳴いた。その意図を理解できるはずもなく、フローラは2匹の様子に戸惑いながら問い返す。
「どうしたの?」
フローラの問い返しに対して、ヒールとメールは空の彼方を向くように示しつつ短く鳴く。飼い主がいなくなったかもしれない状況で、特に悲しむこともなくそうした彼らの意図することが分からず、フローラはただ首を傾げるだけだった。
すると今度は、巨大な咆哮が空から鳴り響く。
「今度は何……?」
「何かが来ます。下がってください」
紳士的なエアードの言葉に反射的に従いつつ、フローラは音の方向を見る。そんなフローラに続くように、ヒールとメールはふわふわと浮いている。
やがて、空に浮かぶ雲の中から、1匹の白い竜が現れる。それは、一ヶ月ほど前にフローゼの来訪の時に見た竜と同じくらいの大きな図体をしていた。
その大きさに、フローラは恐怖を覚えるしかなかった。これほどまでに大きな竜など、今この場にいる人々では対処のしようがないと、容易に想像できるほどのサイズだった。
隣にいるエアードも、その図体の大きさに圧倒されているようだった。しかしながら、この船が保持しているであろう戦力のことを知っているのか、恐怖とまではいかず、臨戦態勢を取ろうとしていた。
「くるぅ」
「くるるぅ」
そんな中で、ヒールとメールが再びフローラに対して鳴き声を発する。何かを訴えるようにも、元気づけているようにも聞こえるそれを、フローラはやはり理解できない。
故に戸惑いを見せていると、ヒールとメールは、再び空へと飛び立っていく。空の色に吸い込まれていくように、現れた竜のいる方向へと向かっていった。
ヒールとメールの行動の理由。
ギリギリで聞こえた特殊な音が、本当のものだったかどうか。
その答えは、現れた竜が、背中に乗せて運んできていた。
「見えてきた……!」
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