第10話 切れない1の札



 時を遡り、校舎内に轟音が響き渡った直後。


「いたた……」


 横たわっている自身の身体に少しの痛みを感じながら、フローラは目を開けた。


「……っ! セレシア、大丈夫!?」


「ん、まぁ、なんとか……」


 顔をしかめながらもゆっくりと上体を起こすセレシアに、心配そうな表情と声を出したフローラは少しだけ安心をする。飛び込むように避けたため、下側になった半身には擦れた痛みがいくつもあるが、新たな痛みはそれだけ。再び動く分には問題なさそうだった。


 だがしかし、それはあくまでも、セレシアとフローラに問題がないだけに過ぎない。


「「……っ!!」」


 上体を起こし、視線を廊下に向けたことで見えた光景に、セレシアとフローラは揃って絶句していた。


 先ほどまでいた廊下には、膨大なエネルギーが通ったことで焼け焦げた床や削れた壁があった。黒煙が見え、コアごと砕かれた人型の残骸が散らかっている。


 ゆっくりと立ち上がって角から砲撃の抜けていった方を覗くと、そこにあった椅子や机は跡形もなく消し飛び、奥の壁にはぽっかりと大きな穴が開いていた。その少し手前の、焦げて色が変わった場所には、おそらくエネルギーの奔流に飲まれてしまった数人の生徒が横たわっており、他の生徒が必死の声で呼びかけている様が見て取れる。


 一瞬で出来上がってしまった悲惨な状況に、多くの生徒が動揺していた。戦闘可能な生徒の人数自体が減ったこともあり、残存している人型との交戦で次第に押されていく様子も見て取れる。


 状況を目の当たりにしたフローラも、その有様に動揺を隠せないようだった。


「私の、せい……?」


 青ざめた表情で、肩を震わせながらフローラが言葉を口にする。そんな彼女の様子に気づいたセレシアは肩を持って、真正面から呼びかける。


「フローラ、しっかりして! 違うから!」


「でも、私が呼びかけたばっかりに……!」


「そんなの言いだしたらキリがない! 敵を迎え撃ったら二段構えでした、だなんて、想像のしようがない……!」


 行いの結果の惨状を見て自らを責め続け、今にも崩れ落ちてしまいそうなフローラに対し、セレシアは強い語気で立ち直らせようと試みる。


 戦える生徒ですら少なくなってきている今、他人まで気に掛けながらでも戦うことの出来る生徒などもうほとんど残っていない。ほとんどは自分のことで手一杯で、そこにセレシアも含まれてしまう以上は、フローラに無理にでも立ち直ってもらわなければ、更なる被害を呼びかねない。



 今も、話している2人に対して、人型が1体襲いかかろうとしていた。まだ立ち直れずにいたフローラから手を離して、セレシアの手が熱を帯びる。


「面倒な時に来るな!!」


 やや過剰な火力での近距離爆撃で、人型が大きく吹っ飛び、焼け焦げた柵を突き抜けて階下へ落ちる。そうして出来た時間で、セレシアは再びフローラの方に向き直った。


「戦えるなら戦うしかないよ、フローラ。まだ終わってないから」


「うん……」


 フローラもこれ以上悔やんでいては危険だと判断したのか、弱々しくも言葉を返していた。未だに先の見えない中で、まずは生きるために、再び敵へと意識を向ける。





「サイズの割にいい威力ですね……」


 そんな中で、突如恍惚に満ちた声が、砲塔の奥の方から聞こえてくる。


 長らく聞いていなかった、そして二度と聞きたくはなかったその声に、セレシアとフローラは驚愕の表情を顔に宿した。


「エアード・ヴィラノローグ……!!」


「どうして、あなたがここに……?」


 どこかで見たようなローブ姿を纏い、そこに立っているのは、ここにいるはずのないエアードの姿。


 嬉々としたものを顔に宿した彼は、生徒の動揺も視線も全く意に介さず、先ほど廊下を焦がし尽くすほどの集束砲を打った砲塔を撫でていた。


「見たものが全てです。僕はこの兵士たちを従えて、この学校に攻め込みに来たんですよ」


「え……?」


 エアードの口から発せられた、衝撃的な言葉。フローラはそれを、瞬時には理解できなかった。


「攻め込みに来た……って正気なの? ここまで大事になったら、ただじゃ済まないわよ?」


「そうですね。確かにただでは済みません」


 セレシアの強気な言葉にも、エアードは全く気にしていない様子で振る舞っていた。その双眸に狂気的な光を宿らせ、むしろ望んでいるかのようにすら思える。


「でも、向かってくる全てを力で抑え込めば何の問題もありません。現に、僕には何の問題もない」


 その言葉は、周りにいた数人に冷や汗を流させるには十分な言葉の圧力を持ち合わせていた。若干の芝居がかった仕草も相まって、恐怖が形としてそこに存在しているかのようだった。


 セレシアとフローラも、その異様な有様に気圧されてたじろぐ。


「これと同じ砲塔が、この学校の至る所にあります。そしてそのリチャージは、加減すれば割と早く済みます」


 エアードが砲塔の射線上からその身を動かすと、砲身に光が集まっていく。明らかに何かが飛んでくる予兆に、セレシアが大きな声でたまり場に今もいる生徒に呼びかける。


「みんなたまり場から離れて!!」


 セレシアの大きな声に、たまり場にいた生徒が移動を始める。二度も同じ手を食らうものか、と、生徒たちは出来る範囲でその戦場を横に移していく。



「ならこれでどうでしょう?」


 その様子を見たエアードの言葉と共に、砲塔が勢いよく上を向く。


 そこに集まり続けていた光は、数秒後にそのまま上に向けて放出された。天井を壊して、サウゼルの空へと光が吸い込まれていき――




 少し時間をおいて複数の爆発音が聞こえ、上方から襲い来る衝撃波が天井を破壊し、辺り一帯に瓦礫と衝撃波を振りまいた。セレシアとフローラを含め、3階にいた生徒は皆、崩れてきた天井と衝撃で傷を負わせられていた。


 さらには、今まで教室内にいた生徒たちも、崩れてきた天井によって傷を負ったり、瓦礫の下敷きになっていたようだった。手負いの状態で救助を試みたり、恐怖で固まっている様子が、そこに見て取れる。



 そんな、変わってしまった景色を目の当たりにしながらも、セレシアは立ち上がっていた。幾度かの戦闘で蓄積した疲労とダメージのせいか、それだけの動作に苦痛を伴う。


 一方でフローラは、セレシアの横で痛みに顔をしかめながら這いつくばっていた。戦闘慣れをしていないわけではないが、その立ち回りが故に痛みに慣れているわけではないため、戦線復帰は遅くなりそうだった。



 瓦礫を越えて、兵士たちは生徒たちへと襲い掛かる。当然のことながら、セレシアやフローラの方にも、兵士たちはその得物を向けてくる。


「来るな!!」


 セレシアがそう叫びながら魔法を放つが、人型は強度が上昇しているのかすぐには倒れない。いつの間にかすぐに倒せなくなってしまっている相手に対し、セレシアの顔は険しくなる。


「ぐっ……」


 万が一剣を取り落とした時のために腰に提げていた防御用の短剣を抜いて、セレシアは相手の攻撃を防ぐ。受け流し用に作られた短剣の刃を相手の大剣が掠め、セレシアの横を抜けていく。


 衝撃共々どうにか受けきり、横を抜けていく兵士の横っ腹に炎を当て、その胴体を破壊する。そうしてどうにか1体は切り抜けるが、別の個体がすぐにセレシアへと襲い掛かる。


 重い一撃が、防御用の短剣を再び掠めていく。耐え防ごうとしているセレシアの両手から、握力が失われていく。


 さらにはその背後から、もう1体、兵士の姿が見える。確実にセレシアたちの方に向かっているが、セレシアは今目の前にいる個体の攻撃を防ぐだけで手一杯だった。


 どうにかして相手を退けたいと考えるも、片手では支えきれない剣撃の1つ1つに、セレシアの両手は攻撃へと転じることが出来ない。


 そうしているうちに、相手は迫ってきている。間もなくして、防戦一方のセレシアの横を一つ、何かが抜けた――





 ――セレシアの背後から、冷気と煌めきを伴って。


 兵士は、剣撃の間の隙を狙った別方向からの力を受けて、後ろへと下がる。


「流石に遅れた。すまん」


「「フォンバレンくん!」」


 後ろからの攻撃の主――エース。フォンバレンが、セレシアの隣に並び立つ。流石のエースも傷を負ってはいるが、それでも見せられる余裕は、助けられた者に安堵感を覚えさせる。


「数が増えたな……」


 一瞬見せた愚痴の後、エースの体がさらに前へと進む。両手に煌めく氷の剣が、まずセレシアたちに向かってきていた兵士を防ぎ、そしてそのまま押し返す。


 戦場の中で研ぎ澄まされている感覚が、エースの行動1つ1つの俊敏さを高めているようだった。


「ほう、来ましたか……」


 そんな風に兵士が押される様子と、エースがこちらへと向かってくるのを見て、エアードの表情に狂気が満ちる。それはまるで、獲物を待ちきれなくなった肉食動物のようだった。


「お前は……!」


 一方のエースは、エアードがそこにいることに驚きの表情を見せるも、ほんの少しで冷静な表情が顔に戻る。特別な感情はなく、ただの敵として見ているようだった。


「お前が元凶か」


「そうだと言ったら?」


「戦うだけだ」


「ではやってみてくださいよ」


 エアードはその手を振るうと、大量の人型を呼び寄せ、エースにだけ相手をさせるように突っ込ませた。


 エースは、両手に握った氷の大剣を振いつつ、瓦礫で埋め尽くされた廊下の上を移動しながら迎撃していた。相手が当初よりも硬くなっているとはいえ、エースの立ち回りにさほど支障は出ていないようで、相手の攻撃を防ぎ、腕を落とし、そして倒す、という行動を通していく。


 しかし、数が少し減ったところで、エアードはさらに大量の人型兵士を呼び寄せ、その全てをエースに向かわせた。まるで最初からエースだけが狙い目だったかのように、疲弊して容易に倒せそうな生徒は無視されている。


「まだこんなに敵がいますよ」


「くっ……」


 両手の剣を振って敵を両断してはいるものの、適度に硬くすぐに葬ることの出来ない相手が大量にいることで、エースは少しずつ穴の開いた方へ押されていた。


 そんなエースと対称的に、エアードは余裕綽々の様子で立っていた。エースの苦戦する様子に目を向ける様子はあまりにも隙だらけであったが、その身を狙い、倒そうとする生徒がいないのが、今のサウゼル魔導士育成学校側の状態の悪さを表していた。


 まだ動けるエースは、半ば背水の陣のような状態で、時間をかけながらも人型の数を少し減らす、という状態だった。意図したわけではないが一手に敵を引き受けている状態であるため、他の生徒の負担は一時的に減っている。


 そんな大きな負担故か、大量の敵を相手している最中、エースの氷の剣が悲鳴を上げ、刀身がへし折れる。


「ちっ……」


 減る様子があまりない兵士たちの前で、舌打ちをしながら残った柄を投げつけた後、エースの両腕が氷の手甲に包まれる。インファイト気味への戦闘へと、エースの動きが移っていく。


 だが一撃分の威力に欠ける攻撃や立ち回りのせいで打開策というにはほど遠く、敵の数を減らす時間はまだかなりかかっていた。視界の隅に見える煌めきを認知しても、エースには何の反応も出来ない。



 そうしているうちに、タイムリミットが早くも訪れたようだった。


「リチャージ出来たようですね。では、さようなら」


「!!」


 エアードの言葉の直後、僅かな瞬きを挟んだのちに、エースと人型のいる通路に向けて、強力な魔力の集束砲が放たれた。先ほどよりも少し細くまとめられたそれは、人型に紛れてしまいそうだったエースの姿をすぐに見えなくさせていた。


 圧倒的なエネルギーの塊は、通路にあった瓦礫を消し飛ばし、空いた穴を溶かし広げるように放出される。



 当然、その後には、何も残らなかった。まだ複数いた人型も、その向こうにいたはずのエースの姿も、跡形もなく消えていた。


「フォンバレンくん……?」


 その光景を目の当たりにしたフローラは、人の目がそこにあるのを忘れて、壁に大きく空いた穴のところまで走った。すがるような思いを胸に、その穴からエースの姿を確認しようとする。


「痛っ」


 フローラが階下を覗き込もうとする直前、空間に触れた額に少しの衝撃と痛みが与えられる。そこにある見えない壁のような何かを、フローラは戸惑いながら両手で触る。


「そこには何も通さない特殊な壁があるので、穴から外に出ようと思っても無駄です。まぁ、つまりは……そういうことです」


「あ…………」


 いつの間にか後ろに来ていたエアードから告げられた見えないものの正体。


 そこに突破不可能な壁があるのであれば、エースが辿る結末は1つしかない。フローラの思考は、見えなくなってしまった事実からその考えにたどり着いた瞬間に、体を支えていた力を全身から失わせた。


「このままだと、彼と同じように、他の大切な人もいなくなりますね」


 エアードの問いに、糸が切れたかのようにその場に座り込んだフローラが、自身の背後に広がる校舎の有様に目を向けていた。


 瓦礫だらけの道に、生徒たちの泣き声と、必死の抵抗。


 無慈悲な攻撃に、未だ残る砲塔、先の見えない状況。


 これ以上抗う選択を取れるほどの戦力は、そう経たないうちになくなってしまうように思えた。


「ただ……あなたがこちら側に来れば、これ以上の攻撃は止めようと思います」


 フローラはエアードのその言葉を、鵜吞みにしてしまっていいのかどうかも分からなかった。


 自分を求めて何になるのかも分からない。ついて行ってしまえば裏切り者扱いもありえる。


 しかし、これ以上大変な状況にしたくはないのも、本心だった。


「じゃあ、これならどうですか?」


 エアードは、その言葉と共に、右手をセレシアの方へと向ける。


 次の瞬間には、その右手に握られたマジックペーパーが、赤く煌めいていた。


「ブラム・エクスプロージョン」


 唱えられた魔法によって引き起こされた爆発が、味方の兵士もろとも近くの生徒を吹き飛ばす。その中には未だ抗っていたセレシアもおり、爆発によって近くの壁に叩きつけられていた。


「セレシア!!」


「おっと、先に答えを頂きましょう」


「……っ」


 その様子を見て駆け出そうとしたフローラを、エアードが遮る。阻まれた先で、セレシアが痛みに苦しむ姿が、はっきりと映る。そんな彼女を含む生徒たちにも、兵士たちの手が迫ろうとしている。


 決断のための時間も、その選択肢も、もうフローラには残されていなかった。


「……お願いします。みんなを助けてください」


「それは、あなたの身を差し出す、ということでよろしいかな?」


「はい」


 未来へと続く道を得るために、フローラは、そこでその選択をするしかなかった。


 望んだ答えを得られたためか、エアードは満足気な表情をした後、何かしらの動作をして、兵士たちへの指示を出していたようだった。そうしている間に、フローラは急いでセレシアの元に駆け寄り、回復を始めていた。


「フローラ……?」


「ごめんなさい……」


 痛みで声も出しづらくなっているのか、フローラの謝罪の言葉にも、セレシアは何かを言うことはなかった。身を癒す青い光を受け入れながら、フローラの悲しそうな表情を見ているだけだった。




 程なくして、サウゼル魔導士育成学校を襲う攻撃は止まり、生徒たちは、戦いから解放された。それと同時に、今まで戦い抜くことだけで手一杯だった生徒たちに、思考の余地が出来る。


 彼らの目に映るのは、戦いによって大きく破壊された校舎と、連戦で傷つき倒れた仲間、そして、今も闊歩する異形の兵士たち。



 必死で戦い抜いて、その先の未来で彼らに残ったもの。それは、破壊されて戻せなくなった、日常だけだった。


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