第9話 不動な今への不安
エース・フォンバレンは、戦場の喧騒とは程遠い、静かな教師棟の中にいた。
2階の渡り廊下から入り、そこから見える限りには誰もいない。中学棟・高校棟とは正反対の状況にあるという空間の異質さは、エースに驚きを与え、その場に棒立ちさせるには十分すぎた。
「どういうことだ……」
自身と、後ろでふわりと浮いているヒールとメール以外には、この教師棟において誰かが活動しているような感じは全くない。気配すらもない、というわけではないが、今も戦闘音がいくつも聞こえているのに、教師陣の行動は何一つとして見える場所にない。
朝礼の時間になっても来ていない、というのであれば、忘れていた教師が慌ててきたというエピソードが過去にあったために、普通に考えられるくらいのことだ。だが、生徒が全員戦っている、という状況にあるにも関わらず教師が来ていない、となると、流石に教師の側にも何かあったと思うしかない。
ならば、教師陣には何があったのか。その問いの答えを知るために、エースは最も近い部屋の扉を開けた。
喧騒から切り離されたかのように、視界の中の世界は静かだった。戦闘音が入ってくる聴覚情報との差が大きすぎて、まるで耳と目が別の場所にあるかのような、そんな感覚さえ抱かせる。
「確かこの部屋は……」
そんな呟きと共に、部屋の右奥にある扉を開ける。そこはやや広かった最初の部屋とは反対に、狭く作られ、物置部屋のように乱雑に物が置かれた部屋だった。
その少し奥の、ちょうど物で隠れてしまうような位置に、くすんだ金色の何かがほんの少し見える。
明らかに他と違う色のそれに気づいて近づくこと数歩分、ようやく形が見えたそれは、誰かの頭髪だった。
「先生!!」
人だと気づいた瞬間に、エースは接近を試み始めた。遮る物は雑にかき分け、段ボールの類は軽いものを適当に投げて道を作りつつ、奥に足を踏み入れる。
ようやく全貌が見えるまで近づくと、そこにいた男性教師は壁にもたれかかるようにして座っていた。エースのやや大きい声に反応した様子はなく、ただ静かに眠っているようにも見える。
「先生、エドウィン先生! 起きてください!!」
強めにゆすっても、エースが『エドウィン先生』と呼んだ教師は起きる気配すら見せない。触れた肌から温かみを感じることから死んでいないのは確かだったが、そうであるならばこれだけしっかりとゆすっても起きないことに対する説明や筋書が、エースの中ではまとまらない。
「エドウィン先生、起きてください! 生徒たちが戦ってるんですよ!!」
生徒たちの現状を訴えながらの揺さぶりにも、反応は一切示されなかった。そこまでの無反応を見せられてはエースも諦める以外の選択を取れず、ゆっくりと男性教師を元の状態に戻した。
「どうなってんだよ……」
どうにもなりそうになく、変えることが難しくなっていく現状に、エースは悪態をつくしかなかった。
生徒が必死に戦っている中で、どうして眠り続けているのか。その答えを何も得られないまま、最初に入った扉からエースは再び廊下に出る。
そして次に向かったのは、通常なら多くの教師がいるはずの2階最奥に位置する職員室だった。
後ろにいるはずのヒールとメールのことを半分ほど忘れて、空いた思考にもしかしたら、という淡い希望を抱きながら、途中に並ぶ教室群は全て無視して一直線に廊下を走る。現状を全て知る、という今の自分にしか出来ないであろうそれに使命感を感じながら、疾走の末に廊下の果ての扉をやや乱暴に開けた。
開けた扉のその向こうでは、教師たちは皆、それぞれに休息をとる体勢を見せており、エースの来訪に対して動こうともしていなかった。入口から数えられるだけでも、20人以上の教師が皆そこで寝ていた。
「マジかよ……」
先ほどの無反応っぷりから推測すれば想像できそうなことではあるが、それでもエースは、目の前の光景を信じられなかった。これほどの人数が誰も起きていないことや、近くでされれば明らかに起きそうな行動や反応をしても一切の動きがないことが、あまりにも異常すぎるからだ。
「この学校に、今何が起こってんだ……?」
エースの零した言葉は、誰の反応も得られないまま宙に溶ける。
生徒が使う側の校舎では得体の知れない何かの襲撃を迎え撃ち、教師がいる側の校舎では、誰一人として動いてない。サウゼル魔導士育成学校に、同時に2つの異常事態が起きているような状態だった。
――この調子だと、おそらくは校長もこんな感じなんだろうな……
まだ見ぬ最上階の校長室にいるパードレのことを想像し、エースは思案している最中の顔を少しだけ悲しみに染める。
校長であり義父でもあるパードレは、生徒を見捨てるような選択を取ることをしない人物であることを、エースは10年近くの付き合いでよく知っている。
そもそもパードレがそういう人物であったならば、エースの人生は数年前にどことも知れぬ路上で終わりを迎えているはずなのだ。他人の中でならエースが一番よく分かっているであろうその事実は、図らずして想像の正確性を上げていく。
そうなると、これ以上の援軍を内側には望めない。であるならば、何かしらの手段を用いて外に求めるしかない。
そう考えたエースは、階段を駆け上がり、今いる棟の屋上を目指した。教師棟の屋上に行ったことは一度としてなかったが、校舎の配置的にはおそらく校門の辺りが見えるはずだと推測して、エースは全力で段を蹴っていく。
上りなれた階段の、さらにその先を目指して、扉を開いた向こう側の世界。
落下防止のために高くなっている壁とフェンス越しの光景に、エースは目を疑う。
そこにあるのはまず、数人の生徒が校門から出ようとして、見えない壁に阻まれている姿。そして校門から外側の世界には、まるで今自分たちがいるこちら側の世界の出来事が嘘であるかのように、通行人が学校を気にも留めずに歩いて行く姿があった。
「どういうことだ……!?」
これだけ大事になっている状態ならば、普通は外部が無視するはずもない。事の始まりからある程度経てば、流石に外部からの応援がやってくるはずだ。
しかし、今まさに外を歩く人々は何食わぬ顔で生活を送っている。無視できる類の出来事ではないはずなのに、校門のすぐ横を歩いている人は、まるで何も見ていないかのように進んでいくだけだった。
想像できる度合いを、明らかに越えている光景。この日何度感じたか分からない驚きの最高値を、エースの視界情報は軽く超えていった。
「今、俺たちには何が起こっているんだ……?」
屋上で風に吹かれながら、エースはその意識を己の思考へと向ける。
今日見たものだけが得られた情報の全てであるため、相手側の情報は非常に少ない。赤銅色の物体に、土で出来たような自律式の兵士のような何か。後は、隔離された学校と、喧騒の中眠り続ける教師陣。
自分たちの置かれている状況の不明瞭さだけが際立ち、その状況を切り抜けるための案は出てこない。現状が全てを置き去りにして進み過ぎてしまっているせいで、情報が過ぎた時間の中から取り出し切れない。
「俺たちは、一体何と戦っているんだ……?」
これまでに吐いた言葉に似た、今の有様の中身を問う言葉を、エースは再び零す。これほどまでに戦って、未だに見えてこない全貌に、流石に不安を抱くことしか出来なかった。
そうして場に佇むエースの耳に、校舎の方から轟音が聞こえてくる。距離感を無視したあまりに大きな音に、不安に沈む形でぼんやりしていたエースの意識は現実に引き戻された。
ずっと屋上で沈んでいたところで、この状況を打開できるわけでもない。意識を引き戻された後は、エースは先ほど来た道を戻るために動き出していた。
数分ほどの疾走で見えてきた校舎内は、何故か中が見えなくなっていた。おそらくは、エース以外が通り抜けられない障壁のせいだろう。
「……っ!!?」
再び校舎内に入ると、その有様は少しの間で大きく変わっていた。
エースが再度入った場所から少し奥の、渡り廊下がある辺りに、大きく焼け焦げた壁や崩壊した柵、そして倒れている生徒の姿が複数見られた。
未だ複数の生徒が人型と戦っているものの、そこに割かれている人員は大きく減少していた。人型自体の個体数も減ってはいるが、先ほどまでエースたちが相手していた個体よりも図体が大きい。
それ故に少ない人員でどうにか戦線を保っている、というのが現状のようだった。
「マジかよ……」
変わり果ててしまった状況に言葉を零しつつも、エースは再び戦場に身を投じた。目の前のこれまでと同じサイズの人型をその両手に持った剣で刻みながら、走り抜けていく。
――どうにか、無事でいてくれ
エースの頭に、校舎内で戦っているミスト、フローラ、セレシアの顔が思い浮かぶ。セレシアとフローラと別れてから既にどれだけ経ったか把握しておらず、ミストに至っては襲撃直後から一言も交わせていない。
十分な実力を有しているとは言えど、普段想定しているレベルを超えていると予想される敵の襲撃で無事かどうかは分からない。不安を抱えながら、エースはその行き先を近い方の、おそらくセレシアとフローラがいるであろう中学棟3階に決めた。
その道中、渡り廊下の手前まで来ると、そこに目を惹く大型の砲塔と、それを守護するかのような形で配置された複数体の人型が見える。周辺に見える焦げ目や削れた壁は、おそらくはこの砲塔の攻撃によるものだろうと、エースは勘で察した。
「エース!!」
別の方向から、エースはその名前をしっかりと呼ばれた。
一番聞きなれたその声の方を向くと、ミストが近くに来ていた。おそらくはいくつもの戦闘を越えてたどり着いたのか、制服にはいくつかの傷が残っている。
「ミスト、ここまで来たのか」
「僕も流石に先生たちのことが気になってね。多分エースと別ルートでここにたどり着いた」
「なるほどな。先生たちの話は、まぁ後で移動しながら話すとして……」
ひとまず見ることの出来たお互いの姿に少し安堵しつつ、その視線は今も陣取っている砲塔を見る。
「少なくとも、あれは今すぐに潰しておいた方がいいと思うんだ」
「同感だね。あれを放っておくと、戦力ダウンか戦えるスペースの減少のどっちかは避けられないだろうし」
「じゃ、援護頼む」
「分かった」
向く先を合わせるためのやりとりを交わした後に、エースとミストが砲塔の方へと走り出す。
ミストがまき散らした突風で体勢を崩された兵士たちの中を抜けて、エースが氷の二刀を振るって刻んでいく。その刀身の長さは、取り回しと動きの速さを優先してやや短めに作られていた。
エースの突破力を十二分に発揮するためにミストが攪乱する、という、やや強引にも思える方法での突破の試み。しかし慣れているからこそ、その強引さは、無謀と等価にはなり得ない。
「どけっ!!」
行く手を阻む兵士たちの攻撃を、もはや反射なのではないかというくらいの速度でギリギリ回避し、二撃目を撃たせないために剣を、時に足を使って退ける。刃を相手の胴に滑り込ませて両断し、その奥から現れる兵士には隙を埋めるための体当たりを入れ、地についた足を軸に全方位への二刀攻撃。その一つ一つの動きが、滑らかに繋がれていた。
兵士たちはその姿を砂に還し、体を維持するためのコアは地面に転がる。本来はそのコアごと破壊しなければならないのだが、エースはその行動を後方にいるミストに任せ、まずはたどり着くために目の前の敵を退けることだけを優先させている。
そうさせている最たる理由は、砲塔が今現在、次なる攻撃のリチャージに入り始めたことが分かったからだった。黄色い光がちらほらと見え始めたことで、思った以上に時間がないことが分かり、エースとミストの中に焦りは確実に生まれていた。
おそらくはミストによって砕かれたコアが辺りにいくつか転がる中、それに目を向けることなくエースは前の敵を葬っていた。
――数が多いな……!!
エースの中にはかなりの数を退けた感覚があるが、それでも、砲塔と真正面から対峙するためにはやや距離があった。当然相手はそれをさせまいとするために、動員する兵士の数はまだまだ多い。
おそらく後から確実に増えているそれに、次第にエースが阻まれ、前に進みづらくなる。同時にミストも、迫りくる兵士への対処で余裕がなくなっていた。
「ちっ……」
上手く進めず舌打ちする間にも、黄色い光は集束していき、リミットが迫ってくる。群がってくるその他大勢を倒せなくとも、せめてたどり着ければ――エースの得意なレンジの中に収めてしまえば、まだやりようがある。
そのための方法を、エースは持たない。故に、外に求める必要がある。
「ミスト!! 俺ごと巻き込んで砲塔の方へ突風をぶちこめ!!」
既に、多少の無理はしている。だが、その無理にまだ余裕はある。
そう考えたからこそ、エースの発した言葉は、ミストに対してのものだった。
「分かった!!」
エースの出した案を、おそらくはエースが考えなしには言わないという信頼の元にて、ミストが受け入れる。
そして直後放たれた強力な突風は、周りにいる兵士たちや、ほんの少しだけ生徒を吹き飛ばして、エースの元へと追い風を届ける。
「ぐうっ……」
背中側から受ける風に、痛みをこらえながら、エースは剣を投げ捨てて前方へと吹き飛ぶ。周りの兵士たちと同じように風に翻弄されるような形で、ただ一人望んだ方向へと進む。
そして、砲塔に集まる光を越えて、砲塔の後ろへと着地する。足を取られることもなく、己の手が届く範囲にて、敵を見据えることが出来た。
新たな視界の奥では、ミストを始めとした、他の面々が兵士たちをどうにか抑え込んでいる。かろうじて目の前に集中できる状況に、エースはその感覚をより一層研ぎ澄ます。
―― これで……決める!!
エースの両手に氷の剣が握られ、その刃を以て、砲塔に一撃を刻み始めた。先ほどと同じように動きやすさ重視で短めに作られた刀身を、相手に叩き込んでいく。
すぐに壊れることがなかった砲塔は、やがてその細長い銃口を叩きおられ、やや丸い砲身が残った。未だ集束し続けている光は、もうかなりの量が溜まっていることが分かっていたが、エースはそれを意に介さずただひたすらに刃を刻み続ける。
そしてそれだけではなく、周りの兵士の攻撃すらも利用し、倒せない相手の攻撃を砲塔に叩き込ませた。己の労力以上に叩き込んだ攻撃の数々は、やがて、相手の胴体に大きな傷を負わせていた。
「せああっ!!」
エースの振るった刃の軌跡に出来た穴に、エースは右手の剣を突き刺す。その果てに得たのは、硬いものに突き当たる感覚と、へし折れる感覚。
それが何かを把握した後、エースは右手の剣の柄を離し、左手の剣を大きく空いたそこに叩き込んだ。
その次の瞬間から、集束していた光が、行き場を求めるかのように少しずつ零れ始める。兵士たちはまだ生徒たちと戦っていたが、砲塔は何かが起こることなく、ただそこに残骸を残しているだけだった。
その有様で一つ完遂したと思わせる前に、とてつもない轟音が校舎を揺らす。生徒たちの動揺が見て取れ、そこにつけこむように兵士たちが押し込み始める。生徒たちに明確に出来た隙に、少しの間保たれていた膠着が崩れようとしていた。
エースに対して襲いかかってきた兵士を、エースは左手の剣で防いだ後で、右手で放った氷塊で吹き飛ばす。
幾度か繰り返した後に出来たエースのほんの少しの余裕に合わせて、同じく手が少し空いたミストが近づいてくる。
「エース、急ごう。瓦礫が落ちてくるのが見えたし、上がとんでもないことになってそうだ」
「そうだな。急ごう」
2人の意見を合わせたことで、その目的地は1つに定まった。エースとミストは、目の前の障壁になりそうなものだけを突破しながら、上の階を目指すのだった。
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