第7話 不自然な境界
フローラたちと分かれて単独行動となったエースの姿は今、教師棟へと向かう道のりの最中にあった。
いつもならそう遠くないはずの道のりでは、赤銅色の物体から出てきた人型が上の階から溢れてきているだけでなく、その対処に向かったサウゼル魔導士育成学校の生徒との戦闘があちこちで繰り広げられている。
その戦闘を避けながらでも一度にそうたくさんは進めない上、エース自身も道中に遭遇した人型の異形との戦闘をしつつの移動であったため、経過時間は既にいつもの倍以上になっていた。
迂回する道は存在こそするが、今はただひたすらに時間が惜しい。ただし、時間の短縮のためだけに魔法を使って足場を作り、外を移動する行為となると、魔力と気力を使ってしまうため長期戦を見越すといい判断ではない。
故に下したエースの判断が、いつも通りの道を突破することだった。
そんなエースの目の前で、疲弊して動きが鈍くなっている下級生に、人型の攻撃が襲い掛かる。エースはその人型に、横槍とばかりの拳を放った。
砂と化して崩れ落ちる人型に向けて、また氷塊を落としてコアを叩き割る。ガラス玉がヒビ割れる時と似たような音が発せられ、砂の中に赤いきらめきが混ざったのを見たエースは、元の目的を遂行すべく傍で呆気にとられている生徒とやりとりを一切交わさずに進む。
何か言いたそうな表情が少し見えたが、今はその中身に気を向けるべきではない。感謝はまだこの時には必要なく、苦言を口にするなら場違いにも程がある――そう考えていたエースの意識は既に、前方へと移っていた。
今のところ人型しかない状況で、苦戦する生徒も少し見える。幸運だったのは人型が人ならざるものであることを、最初に恐れ知らずな下級生たちが示してくれたことだ。彼らを壁のように使ってしまったことに対する一定量の罪悪感はもちろんあるが、まずは自身がこの場を生き延びなければそれは感じようがない。
おそらくはそのおかげで、多くの生徒が戸惑いなく戦闘をこなすことが出来ている。魔導士育成学校に籍を置いているとは言え、人に危害を加えることに一定の抵抗がある生徒は少なくない。エースには抵抗こそないが、避けられるのであれば避けたい、くらいの気持ちはある。
別の生徒が2人がかりで1体の人型を対処しきったその横を、相手の邪魔にならないような道を瞬時に判断して、エースは駆け抜ける。そうしてさらに次の、やや広いスペースで行われている戦闘へ、エースはその身1つで飛び込んだ。
目の前に、どの生徒も相手していない人型が2体。明らかにエースを見つけて敵視している様子を見ても、エースの足は止まらない。
「どけ!!」
相手の魔法よりも早く、手前にいる方の懐に飛び込み、ほぼ零距離で氷の槍を打ち出す。貫いた体から落ちる砂を振り払って、もう1体の剣撃にはギリギリの見切りを成功させてカウンターパンチをお見舞いする。
それを、もう1体は反対の手に持っていた盾で防御した。これまで見せなかった突然の防御行動に、エースも驚きを隠せない。戦闘における一瞬の迷いが敗北に繋がることが多いという事を知っていながら、あっさり通っていた攻撃が通らないという想定外に、エースの動きは止まる。
しかし、それで思考までも止めてしまうほど、エースに隙は出来ていなかった。また飛んできた剣撃はその腕を攻撃して跳ね飛ばし、少し宙に浮いた自身の体の着地と同時に魔法を打ち出す。
「リオート・ソロガイザー!」
砂に還った人型のコアへの攻撃とまとめて、その場にいた1体へ、間欠泉のように打ち出した氷柱で攻撃する。既に散っていた方の核らしき赤いコアは砕かれ、もう1体も同じように散った砂の状態と化す。
周りに目を向けると、相手に攻撃をかいくぐって砂に還す攻撃までを通し切った生徒がちらほら見えている。人型の数は減る様相こそ見えていなかったが、対抗出来ているなら切り抜けることは不可能ではない。
とはいえ疲弊による戦力の低下を考えると、教師の協力が得られる体勢を可能な限り早く整えるべきであることに違いはないだろう。そのために目指している教師棟への道も、ある程度は見えてきていた。
入りっぱなしの力を一瞬だけ緩め、そしてまた引き締める。ずっと張っている糸のように切れかけまで耐えるのではなく、一度抜くことで気持ちを入れ直す。
と、そんな時だった。
エースの耳に、他の生徒の慌て声が重なって聞こえたかと思うと、大きな衝撃が校舎を襲った。
少しだけ地面が揺れる感覚の中で、エースの進行方向に近い位置に、人型と同じ色をした異形の物体が現れる。もはや何を模しているかも分からないその形と、明らかに一回りは大きいその図体に、エースは焦りを感じる。
その異形の姿を見て明らかに恐怖を抱いた生徒もいたようで、2階の今いるエリアで戦っている生徒の士気が削がれているのは間違いなかった。このままでは、持ち直した今の状況をもう一度劣勢にされてしまうのではないか、という思いすら過る。
「止めるしかないか……!!」
反射的な行動で、エースはその大型の異形の前に飛び込む。生徒に向けて振り下ろされようとしていた剣を、その両手に握った氷の剣を重ね合わせて受け止めた。ちょっとやそっとでは割れることはないほどの硬度を持つ氷の剣を通して、重い衝撃が伝わっていた。
「ぐっ……」
簡単に弾き飛ばせない重さに、唸り声が漏れる。押し返そうとすれば氷の剣に負荷がかかり、欠損までの時間が短くなるが故、受け止めることしか出来ない。
――せめて、他が気を逸らしてくれれば……!!
何か一つきっかけがあれば、相手の懐へと飛び込める。早くも膠着状態になった対面の中、エースはそう考えていた。
しかし、周りもそれぞれの戦闘で手一杯なのか、エースに力を貸そうとする生徒は現れない。横槍が入らないだけまだ良いと思えるほどに、各々の手が空いていない。
「ぐう……っ!!」
剣が軋み、ひび割れてしまうのではないかと思うほどの負荷がかかっていることが分かる。焦りの感情が流れ込み始め、表情を険しくせざるを得なくなる。
大型の異形も、断ち切ることの出来ない相手にしびれを切らしたのか、押し込む力が強くなる。このままの状態が続けば、エースの方が押し負けてしまうのは目に見えていた。
「一か八か……!!」
前に動けないのならば、後ろへ。
膠着状態から抜け出すために、エースは右斜め後ろの方向に向けて、後退すると同時にかけていた力を抜いた。大型の異形は前にかけていた力を崩され、ほんの少しだけ明確な隙を作る。
自身の左横数センチの位置に見える大きな刃に見向きもせず、エースは一気に相手の懐へと飛び込んだ。図体の大きさ故に対処に困る程に近い位置へと僅かな隙の間に入り込み、仕留めるために足を踏み込む。
相手もその行動に反応こそするものの、エースの現在位置は大型の剣を振るための腕にぶつかる場所。直角に曲がる動きにまでは合わせられず、エースの両手に握られた氷の剣によって、大型の剣は持っていた腕ごと胴体から切り離された。
しかし、大型の異形はそれでは止まらず、まだ繋がっている左の拳を用いての攻撃を繰り出していた。エースの進行方向をなぞるように放たれた攻撃は、振り向いて咄嗟の防御態勢をとったエースを強引に吹っ飛ばす。
「うぐ……!!?」
壁に叩きつけられたエースは、体中に響く衝撃で呻き声を漏らす。取り落とした剣を拾う動きにも痛みが伴い、エースの動きを鈍らせる。
周りに目を向けると、他の生徒は相変わらず異形の兵士たちに手こずっていたようだった。異形の兵士たちも、目の前にいる生徒たちへの攻撃が最優先で、手負いのエースを狙う素振りはない。
故に、エースの意識はもう一度、右腕を切り落とした大型の異形に向く。その体を砂へと還すべく、エースは痛みをこらえながら地面を蹴った。
「うおおおおおっ!!」
痛みを紛らすように、声を出す。切り落とすのではなく、コアを撃ち抜いて一発で仕留めるために、集中力が高まっていく。
大型の異形の左ストレートが、エースに向けて放たれる。それすらも緩やかになっていくような感覚の中で、エースは瞬時に両刀を手放し、前転して左ストレートを回避した後に、両手を揃えて構える。
その手の中から伸びていくように、氷の大剣が生成される。その刃は、生成されきったかどうかというタイミングで大型の異形の胴体を真っ二つにする軌跡を描いた。
土で作られた胴体から、赤いコアが零れる。そのコアに、引き戻すような軌道に乗った刃が叩き込まれ、そして砕かれた。
そうして、大型の異形が砂へと還る。大剣の刃は、コアを破壊した際の衝撃でひび割れていた。
そんなエースの撃破の様子を見た生徒たちが、恐怖交じりに応戦する最中で歓声を上げる。強敵だと容易に想像できる個体の撃破が、再び士気を高めているようだ。
それらに一瞥を投げて、エースはその足を再び教師棟に向けていた。交戦中の場所を出来る限り避け、人型の攻撃はカウンターで応戦しつつ、さらにもう2区画進んだ先で、ようやく教師棟へと繋がる道が見える。
目の前には、またもやエースの道を阻もうとする人型が1体。少し鬱陶しくも感じてきたそれを見て、エースの両手が氷で覆われる。
「おらぁっ!!」
力を籠めつつ任せっきりにはならないその一撃を、全体重と共に打ち出す。
防御をさせることなく、頭へとヒットしたその攻撃は、相手の強度が上がったのか砂にするには至らない。しかし、攻撃をするだけの余裕はないようだった。
明確な隙を、エースはもちろん逃さない。さらに懐へと潜り込み、避けられない距離で次の攻撃を放つ。
「吹っ飛べ!」
エースの全力での零距離砲撃が、人型を吹き飛ばす。強度が上がったことを逆に利用し、後ろに大きく吹き飛ばしてその後ろにいた人型数体を巻き添えにする。
衝突により若干なくなった勢いは、人型を教師棟へと続く道の入り口の方まで続いていた。おそらくは退路やスペースの確保のために開けられた扉を越えて、外まで飛び――
出るかと思われたその人型数体は、突如その勢いを何かに止められ、その衝撃により体を構成しきれなくなったのかようやく砂に還った。
結果として数体を仕留めたエースも、その有様に驚きを隠せない。だが足を止めることはなく、教師棟へと続く渡り廊下へと進んでいく。
「教師棟へは行けないぞ!」
横で戦闘をこなしていた、エースが名を知らぬ男子生徒が、今まさに教師棟へと続く道の前にいるエースにそう告げる。その声に反応して、エースはそちらに少しだけ歩みを向けていた。
「行けないってどういうことだ?」
「見えない壁があるっぽいんだ。俺たち自身も、俺たちの攻撃も通らない。ほら」
男子生徒の言葉と、放った攻撃が見えない壁に阻まれる様子。それを目の当たりにして、エースは驚きを隠せなかった。
「だから、この先へは行けないんだ」
「マジか……」
先ほど人型も通さなかったことを踏まえると、この壁がある以上は、現状を把握することも協力を仰ぐことも不可能だ、ということになる。そこから敵の進入がない、という事実はありがたいのかもしれないが、それ以上のメリットはなく、生徒と教師が分断されているデメリットの方が大きいと、エースは考えていた。
「どうすれば……」
未だ収まりを見せない戦場の中、エースは警戒しつつ思考を回す。
佇んで考える時間はほぼない中で、触れれば何か分かるか、という苦し紛れな考えの元に、その左手を伸ばした。
伸ばした手は、空間を進み続ける。
ただ進み続けて数秒後、その指先に、微かに風が吹く。
「ん?」
それによりエースは、確かに存在しているはずの見えない壁に、自身の手が触れていないことに気づく。疑問に思い、そのまま自身の体ごと、外の世界へと向かう動きをする。
「……マジか」
何のひっかかりもないまま、エースの体は、あるはずの壁を抜けて外の渡り廊下へと確かに立っていた。エース自身も驚きの表情を隠せずにいると、後ろから先ほどの生徒の声が飛んでくる。
「どうやって抜けたんだ!?」
声を発する男子生徒は、未だ校舎内にいる。どうやら通り抜けだけが出来ない様子で、壁の向こうでは男子生徒が見えない壁を叩きながらエースを見ていた。
「俺にも分からない……」
エース自身も、通り抜けたことで困惑している状態だった。特別な何かをしたわけではない以上、抜けることが出来たその理由を聞かれたところで答えることが出来ない。
程なくして、壁の向こう側にいる男子生徒を、別の人型が襲う。すぐに気づいて応戦したのを見て、これ以上のやりとりは望めないと分かったエースは、少し大きめに声を発した。
「ひとまず、見に行ってくる!」
伝わっているかどうかの確認はせずに、エースは教師棟へと続く渡り廊下を進み始める。今は身を案じて戻るよりも目的を果たすために進んだ方が、結果的にはいい方向に繋がると考えて、振り向くことはしなかった。
「「くるぅ!!」」
少しして、聞き覚えのある鳴き声が上から聞こえる。
その方向には、白と水色のまだ小さい体で翼を羽ばたかせるヒールとメールがいた。その姿を見たエースは、一瞬だけふっと笑みを浮かべた後で、真剣な眼差しを向けて口を開いた。
「ヒール、メール、ついてきてくれるか?」
「くるるぅ」
「くるぅ」
おそらくは了承の意を持った鳴き声が2つ。それを聞いて、エースは教師棟へと向かうのだった。
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