第6話 乱れる今を抜けて
突き刺さるように校舎の渡り廊下を破壊し、そこに止まっていた赤銅色の物体。サウゼル魔導士育成学校の敷地内に現れたそれは、明らかに何かの形を模って作られているようだった。
目撃した生徒は皆、崩れた渡り廊下とそこにある物体を見て、明らかな非日常の訪れをその脳裏に思い浮かべているだろう。エースも当然その1人で、そこにある赤銅色の物体が何を意味するのかも分からないまま、そこに立ち尽くしていた。
ひとまず意識を己の体の感覚を認識出来るほどに引き戻すと、渡り廊下に興味本位で向かう生徒が何人か見えた。何があるか分からない以上、安易な接近は危険であることは、エースはもちろん身に染みて知っている。
興味本位で向かう生徒のほとんどは、この近辺の教室を使う1年生のようだった。まだ5月の半ばで依頼に出られるようになってから日が浅く、言わば怖いもの見たさ、もしくは怖いもの知らずな感覚で近づく生徒たちが数名ほど、赤銅色の物体と己を隔てるものがないところまで出ている。
その後ろから、名も知らぬ下級生を盾にする形にほんの少しの罪悪感を抱きながらも、エースは情報だけでも取ろうと物体へと近づく。動いた先も、まだ入り口1つ分、エースが退避して教室に戻るまでの隔てがある。
赤銅色の物体からは、人型の何かが数体姿を現していた。緩慢な動きで赤銅色の物体の奥から現れるのを見て、接近していた生徒たちがほんの少したじろぐ。
しかし、そうして感じさせられた恐怖はすぐに捨てられてしまったようで、人型の何かに向けて、生徒の1人が殴りかかる。器用に炎を纏って、土の色をしたそれのおそらく顔のような場所へと、さながら火球のように叩き込まれた。
人型の何かの顔の部分は、勢いのある拳にえぐり取られ、ついでその体を構成する呆気なく崩れ去る。遅れて他の生徒もそれぞれの方法で人型へと攻撃すると、勢いのおかげかこれまた呆気なく崩れ去り、何かが煌めいたものと共に地面に落ちるのを、エースを含め2、3年生の数名は遠くから見ていた。
もう少し事の動いている方に耳を傾けてみると、勝ち誇ったような声が聞こえる。その慢心が次への対処を遅らせる、という先輩風を吹かせたような言葉は、エースは今すぐにでもしようかと思っていたほどに、喉元まで出かかっていた。
だが、事の次の展開は、その言葉を言う判断に入れない程に早かった。
先ほど崩れた土が、瞬間的に人の形へと再生を始めた。先ほど勝ち誇っていた生徒は呆気にとられる、という形で、目の前の光景への注意力が少し削れる。
さらに次の瞬間に、そこにいた生徒の数名は、人型たちの攻撃によって手すりに叩きつけられた。ある者はただの力任せの拳を、あるものは圧縮された水の弾を、あるものは強烈な風を、しっぺ返しとして食らっていた。
明らかな敵対行為に、ほんの少し遅れて悲鳴が響き渡る。突然の出来事で明らかにパニックになっている1年生たちの起こした喧騒は、おそらく何かが起こったことを教室にいる2、3年生や教師に伝えているだろう。そこにさらなる情報を付け加えつつ体勢を整えるべく、エースは飛び交う音の中をくぐり抜けて教室へと戻る。
――明らかに普通じゃない。何か1つ、大きな事が動いた
ある種の確信を持って、エースは直線的な構造の廊下を突っ切る。学校で一度も見せたことのないほどの速度で走って教室まで戻ると、ざわつきの収まらない面々に、やや大きめの声で事態を伝えた。
「敵襲だ! 全員、体勢整えろ!!」
事の重大さが伝わるように、そして理解しやすいように短く整えられた言葉。明らかに普段と違う声のトーンで、叫ぶように放たれたエースのその言葉に、教室内の全員がざわつく。いつもはエースのことをよく思わない面々も、明らかなエースの焦り方と、先ほどの轟音を紐づけてその言葉が嘘ではないと感じ取ったようだった。
こちらへと雪崩れてくるそのタイミングに備えて、エースを先頭に立ち向かおうとするものが数名。その援護のような形でさらに数名の生徒が体勢を整える。衝突地点から遠くなるように階段を使って下の階に降りようとする生徒も数名。脱出経路を確保するために大半の生徒は教室を出るような形を取り、おそらく窓から階下に降りる手段を持っている生徒は窓際からの脱出を試みていた。
この場面において、逃げる行動も立ち向かう行動も、それなりに正しい選択であると、エースはそう考えていた。
戦えないものが無理に立ち向かえば、その後の展開によっては戦線崩壊を招く事態になりかねない。戦えるからといって逃げてはいけないわけではなく、素直に退避の選択を取ることも、また賢い選択である。
程度の違いはあれど、エースのように幼少期に過酷な経験をした生徒はそう多くはないだろう。そうした過去を越えたことで、今の己の恐怖という感覚が若干狂っているならば、狂っているなりの選択がある。故に、エースは衝突現場に赴き、事の起こりを見た。
今、目の前に直線的に伸びている廊下で戦っている1、2年生。おそらくはある程度の実力がある面々が対処したのであろう砂が、廊下にちらほら見える。
程なくして、下級生たちが対処することが出来なかった人型の物体が、教室前の生徒の防御を抜けて、こちらへと迫ってくる。
「あれが敵だ。攻撃1発で崩れるくらいにはもろいが、おそらく中にあるコアを潰さなければ再生する」
眼前にして共有されたエースの情報で、同じ教室を使っている学友たちの戸惑いが少しだけ勢いに転化される。
程なくして突撃してきた人型の物体に、エースが先陣を切って攻撃をぶつける。いつも通りの氷の手甲を相手にぶつけ、呆気なく崩れる瞬間に上から氷塊を2発落とすと、微かに何かが割れる音がした。
エースの足元に、砂と赤色の割れた欠片が散らばる。その砂が再生しないのを見るに、エースは己の勘が正しかったと感じた。
隙が出来たエースに対して人型の物体が敵討ちのように襲い掛かるが、エースはそれをいなして拳で迎え撃つ。両側からの攻撃に反射的な行動で対処し、カウンターをヒットさせてさらに敵の数と勢いを削り取る。
コアへの直撃とまではいかないため瞬時に再生することは分かっていたが、倒すことが出来る、という事実だけで、エースの行動は、後ろの控えていた生徒たちに少しの希望を与えていたようだった。
「続け!」
さらに、誰かの声を皮切りに、エースの行動に感化された生徒たちが、己の実力を存分に振い始める。3年生ともなれば依頼をある程度こなしているため、実戦経験を積んだ生徒は少なくない。
サウゼル魔導士育成学校の校舎は一瞬で戦場と化すが、どんどん数が増える人型の物体に対し、苦戦する下級生の援護に入ったり、単独で立ち回ったり、コンビネーションを発揮したりと生徒側も対応していく。
エースも当然その中で実力を存分に振い、次々に人型の物体を仕留めていく。肘打ちや蹴りも交え、果てには壁を使い、多少の校舎へのダメージはしょうがないとしつつ戦闘を繰り広げていた。
学校は戦場と化していく要相を見せていたが、高校棟側では事を理解できていなかった生徒も、場の状況に慣れてきたのか、己のやるべきことをこなし、敵を食い止めることには成功していた。
そんな中でエースがほんの少しだけ出来た余裕に拳を休めていると、攻撃を飛び交う中、遠距離魔法と回復で援護に回っていたフローラがその傍に来ていた。
「どうした?」
「中学生の方の援護に行かないと、あっちにも被害が出ちゃう」
「そっちは流石に教師陣が――」
若干焦り気味の表情で告げるフローラに返答をしようとして、エースは事が起こる前の己の勘を思い出す。
明らかに事が起こってから少しは経っているはずなのに、教師の姿が一向に見えないことを考えると、中学棟が完全に手薄になっている可能性は十分にあった。そうなれば、実力的に戦えるのはほんの一握りである中学生の方は、今のままでは一方的な戦いになることすら考えられる。
そもそもの話としては、校内が戦場と化すほどの大事件が起きているにも関わらず、教師が誰一人としてその姿を見せていないこと自体がおかしい。
だが、今はその可笑しさを問うよりも、フローラの推測の通りになりそうな未来を案じるべきだと考えたエースは、また大きな声で戦場に声を響かせた。
「何人かは中学棟に回って中学生を守れ!!」
その声を聞いたのかどうかは分からないが、渡り廊下方面へ移動していく生徒が数名見えた。幸いなことに、エースたちの教室から中学棟に行くために最も近い経路は、戦闘こそ繰り広げられているものの、まだあまり塞がれていない。
「フォンバレンくん、援護に行くならあたしも」
再び思考を動かし始めるのと同時に、これまた手が空いたセレシアが寄ってくる。
「分かった。早いうちに行ってしまおう」
人を待つ余裕はないと判断したエースは、唯一戦闘開始からやりとりを出来ていないミストのことを気にしながらも、2人を連れて急いで中学棟へ向かった。その道中で、戦闘をしている他の生徒からのフレンドリーファイアがあることを考慮し、エースたちは3階の渡り廊下を使うことを断念し、一度2階に降りた。
おそらくは3階でそのほとんどが戦闘をしているのか、2階にはまだあまり戦闘の爪跡はなかった。そう遠くないうちに上の階から雪崩れてきて次第に騒がしくなることはほぼ確定した未来であるため、そうなる前に移動する必要がある。
急いで中学棟側へと走った後に3階に戻ると、高校棟ほどではないものの、明らかに戦闘が繰り広げられていることが分かる光景が遠くに見えた。既に戦場の一部になっていたことは予想通りだったが、中学生の中で戦える面々がそもそも少ないこと、また衝突地点の渡り廊下が使えないことを考慮した場合、その被害は思ったほど出てはいないようだった。
ただ、やはりと言うべきか、外に出て戦っている面々に教師の姿は1人もなかった。明らかに変だと言うしかないそのことを気にして、エースはついてきていた2人の方を向いた。
「俺は今から教師棟に向かう。これだけのことが起きておいて、教師が1人もいないのは明らかに変だ」
最初は推測だけで下手に不安がらせるのはよくないと考えて内側に留めておいた、朝登校してからの考えを、エースはここで始めて口にした。
それを聞いて、セレシアとフローラもそのことの可笑しさを理解したようだった。
「確かに、朝から先生を誰も見てないし、先生が行動を起こさないのは変ね」
「フォンバレンくんは、そっちも、何か起こってる、って考えてるの?」
「ああ。だから、先にそっちの様子を見てくる。中学生を守るのはその後になりそうだけど……」
力を持たない下級生を守ることは大事ではあるが、今教師たちに何が起きているのかを知る必要があると考えたエースは、少し申し訳なさそうな気持ちがありつつもそう言った。
「そっちも大事な仕事だからね。行ってきて」
「後輩たちを守るのは、私たちに任せて」
セレシアとフローラの言葉を聞いて、エースは少し大きくうなずいて、再び2階へと戻っていく。己の勘が正しい、という事実の結末を知るために、エースはまた全力で走り、目的地を目指した。
「さて、言ったからには頑張りますかね」
「みんなを守らないと」
それから程なくして、中学棟3階の、衝突地点から最も遠い位置まで来た人型の物体。セレシアとフローラは、同じように中学生を守るべくこちらへと来た生徒と協力して、人型の物体に立ち向かっていくのだった。
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