第5話 突き刺さる非日常



 知らせを受けた後の最初の平日。日数にして、3日後。


 警戒こそすれど結果的に何も変わらぬ日々になった土日を過ごして、今週最初の授業のために学校へと向かうエースとミストの姿は、通学路の途中にあった。その傍らにはいつものようにヒールとメールが、ふわふわ浮いた状態で後についていっている。


 遠回りの道の、木立を右側にして歩いた道の先まで行って右に折れ曲がると、サウゼル魔導士育成学校の校舎が見えてくる。幾度も通ることで見慣れた校門とその内側の敷地がしっかりと見える位置まで来れば、遠くからでも目立つ白塗りの校舎が視界の半分以上を占め、圧倒的な存在感を放っていた。


 その中で目立つ位置にある大時計は、急ぐ必要こそないものの、始業まであまり余裕がないくらいの時間を差している。エースたちと同じように時間に余裕を持たせず登校してくる生徒の姿は、校門から生徒玄関に向かう人の流れを少しだけ形成していた。


 校門を過ぎて少しもないくらいで、エースが大きな欠伸を見せる。片手で口元を軽く隠すくらいの動きは、本人に隠す気があまりないことを表していた。


「ねみぃ」


「今日のそれは寝過ぎのせいだよ」


「俺もそう思う」


 ミストの言葉に反応しつつも、エースはもう1つ若干小さめに欠伸をした後に、目に溜まった涙をこすって落としていた。


 その原因は、金曜午後に伝えられた行方不明のエアードのことだった。起きている間に変に気を張りつめていたこともあり、その睡眠が思った以上の長時間となってしまっていた。


「寝過ぎるほど寝られるのはいいことなんだけどな……」


 3回目の欠伸をためらいなく行いながら、寄り道するような場所もなく、人の流れに乗ってミストと共に校舎内を目指すエース。


 まだ続きそうな欠伸を噛み殺そうとしている最中に適当に動かしていた青色の視線は、ある一点に数秒間止まった。


「エース、どうしたんだい?」


「んー……いや、なんか変だなって」


「変って、何が?」


 ミストの問いに対するエースの答えに、具体的な中身は何もなかった。同じように周囲に目を向けても思い当たるものがなく、さらなる問いを投げかけるミストに対して、エースは少し考える素振りを見せた後で口を開いた。


「いや、今日は校門付近で先生の姿をあまり見かけないからさ」


「そうかい? こんな感じだと思うけどね」


「うーん……」


 ミストのあっけらかんとした言葉を聞いても、エースは己の感じた引っかかりを捨てきれなかった。先ほど数秒間視線を向けていた、校門近くの花壇の方向に、今度は指も一緒に向けながら口を開く。


「この時間、いつもならあの花壇で水やりしてる先生がいて、校門から入ってくる先生が1人くらいはいるんだよな。でも今日は先生いないし、たまたまいないだけならじょうろが置かれてないのはちょっと変」


「後半はたまたまな気はするけど……というか、あれだけ欠伸するくらいに寝ぼけ気味なのによく見てるね」


「いつも来る時間だし、自然と覚えるだろ」


「そういやエースはそういう人だよね」


 今度はエースのあっけらかんとした言葉に、ミストが呆れ半分の表情を返す。視界から受動的に得られる情報の記憶力に関して、エースのそれは普通の人よりも多い。


「いやまぁ、思い過ごしならそれでいいんだけどな……。ヒール、メール、なんかあったらすっ飛んでこい」


「「くるぅ!!」」


 エースの言葉に元気な声を返したヒールとメールが、校舎に近づいたのを見て、自ら空へと飛び立っていく。その姿を見届けた後に、エースとミストは校舎内に入っていった。


 感知ドアを抜けて校内に入りエントランスが見える辺りまで出てくると、生徒たちの会話がいくつも展開されるいつも通りの賑やかさがそこにはあった。


「ここは……何ともない」


「やっぱりエースの気にしすぎだと思うよ」


「そう……まぁ、そうか」


 ミストにそう言われれば、エースも気にしすぎだと思うしかない。現に、談笑に包まれたエントランスからは、非日常の香りはしない。


 とはいえ、それでエースの中にある引っかかりが取れたわけではなかった。


 いつものように3階の教室に向かう最中も、エースは己の視界に見える諸要素から注意を逸らすことはしていなかった。ミストの言葉通りエースが気にしすぎであることを証明するにしても、他に変なところがないかを探し続ける必要性は、未だに存在している。


「うお、だいぶ並んでるな……」


「だね。リクエストルームだし、受理待ちかなぁ」


 階段へと差し掛かる最中、視界に見えた人だかりに、エースとミストはそれぞれの感想を口にする。


 依頼を受けるためのリクエストルームの前には、そこそこの人数がいた。待合室のような形で混雑緩和スペースが取られているために混み合っている感覚はないが、それでもいつもより人が多いのは事実であった。


「朝会前に受理してもらってすっぽかすなり行くなりしたいんだろうな……」


「だろうね。とはいえこれだけの人だかりは珍しい気もする」


「それはそう」


 階段を上りながら、各々で勝手な想像を広げるエースとミスト。


 目指す先、教室がある3階まで上がると、程なくしていつも使用している教室が見えてくる。


「……いや待てよ?」


「どうしたんだいエース」


 ふと雰囲気の違う声色で発せられたエースの言葉に、ミストが問いを投げかける。


「ミスト、リクエストルームよりも手前側のすぐ横の部屋って、事務室だよな」


「そうだね」


「事務室の方には人いたよな」


「んー……」


 エースからの問いに、ミストは少しの思い返しの後に答えた。


「ちょっと見てないけど、そうなんじゃないかな。そっち側には人だかりなかったし」


「だったら、なんで事務室の方は混んでないのに、リクエストルームだけが混んでたんだろうか」


「……言われてみれば、確かにそうだね」


 会話が続きそうな気配を感じて、エースとミストは3階の階段横の踊り場のスペースに移動する。


「捌ききれないから、と言われればそう。なら、そうなったのはなんでなんだろうな。リクエストルームの方を開けられる人がいなくて、事務室は開けられるような状況って、俺は1つしか考えられないと思うんだが」


「つまり、エースはそれこそ、『先生がいつもほどいないから』と言いたいわけだね」


「察しが良くて助かる。事務室の方は先生じゃなくて雇われているだけの人もいるって聞くしな」


 エースが出した結論を、ミストは何のためらいもなく受け入れていたようだった。ある種の信頼感によって場を止めることなく、エースの考えが続く。


「もしも玄関前で話したことだけで済んでたなら、ただ珍しいで片付く。でも事務室とリクエストルーム周りのことが絡むんならそうはならないと、俺は思う。まぁ、推測の域を出ないけど」


「正しいかどうかは、この後朝会の時に分かるよ。ひとまず、教室へ行こう」


「だな」


 会話のために止まっていた移動を再開して、エースとミストはいつもの教室にたどり着く。


 教室の角の方では、窓際の席で談笑しているセレシアとフローラの姿があった。


「あ、おはよー」


「おはよう、2人とも」


「ん、おはよ」


「おはよう」


 それぞれの形で朝の挨拶を返した後、エースとミストはそれぞれの席に座る。


「今日はいつもに増してギリギリだねー。寝坊でもした?」


「多少したところで遅れるような時間じゃないし、ヤバくなる前にヒールとメールのボディプレスで起きるのがオチだ」


「なにそれ。重たそうだけど幸せそう」


「場所が悪いと夢見が悪くて跳ね起きるけどな」


 セレシアから返される言葉を切ることはせず、エースは他愛ない会話を続けていた。それが変に心配させないための気遣いだということはアイコンタクトすら必要とせずにミストに伝わっていたようで、ミストもするりと会話に入ってきた。


「寝坊の話なら、僕らよりもそっちじゃないかな?」


「いつもすると思ったら大間違いよ。ねぇフローラ」


「う、うん」


 セレシアが自信満々に言うのと対照的に、フローラの視線が若干だが宙を泳ぐ。


 分かりやすいその反応に、セレシアが重たい視線を投げかけていた。


「……したのね?」


「はい……」


 いつもと反対に、セレシアとフローラのやりとりでエースとミストが笑う、という状況。先ほどまであれこれ悩んでいたエースとミストの緊張は、それで少しほぐれたのだった。


 程なくして、本格的な始業を知らせる鐘の音が校舎に響き渡る。立ち話をしていた生徒は一度席に着き、座って会話をしていた面々は一度正面に向き直る。もちろんエースたち4人も少しの名残惜しさをこらえて、一度教室前方の黒板の方に向き直る。


 そうして、ある程度の静寂が訪れる。少し遅れて来る教師もいることから、生徒たちは多少の誤差はあれど、皆席に座って待っている。エースも、今日の予定や昼食のことをあれこれ考えながら、教師が来て朝会が始まるのを待っていた。



 しかし、エースが1日の予定をいつも通りに考え終わって、昼食の候補を決めて、さらには外に視線を移しても、教師が来る気配はない。


 他の生徒も、一向に現れる気配のない教師に対し、苛立ちや戸惑いを感じ始めたようではあった。後ろの方で席が隣り合わせになっているエースとセレシアも、静寂を我慢しきれずに顔を見合わせていた。


「先生今日遅くない?」


「遅いな……」


 セレシアの言葉に反応しながら、エースは校門前や事務室周りで働いた己の勘がほぼ正しいことを確信した。考えこむために首をひねり、口元に手を当てるエースの様子を見て、セレシアが再び問いを投げる。


「フォンバレンくん、何か思い当たる節があるの?」


「いや、思い当たるというか、考えてたことはあって――」



 エースの言葉は、最後までを言い切る前に、突如として聞こえてきた大きなざわめきと悲鳴にやりとりごと遮られた。


 何事か、と思った生徒が全員聞こえてきた方向を各々のやり方で向いた次の瞬間、サウゼル魔導士育成学校の校舎全体を、大きな衝撃が襲った。


 校舎内を駆け抜けていくのは、衝撃による轟音と、共に何かが崩れる音と、更なる悲鳴。確実に何かがあったと考えるしかないそれに、エースが反射的に教室の外へ向かう。


「フォンバレンくん!?」


「エース!?」


 ミストとセレシアの驚きの声と、その他大勢のどよめきの声を振り切って、エースは音の聞こえてきた方向へ向かう。


 教室の黒板を北として、南東の方角の、高校棟と中学棟を繋ぐ渡り廊下の辺り、様々な場所が見渡すことの出来るそこへ、エースは全速力で走っていった。エースと同じことを考えたのか、数名の生徒が同じように動いている中で、エースは現地ではなく、自身のいる教室から最も早く渡り廊下を見ることが出来る窓にたどり着く。


「なんだあれ…………!?」


 そこから見える景色は、普段同じ場所から見えるはずの景色を埋め尽くすほどに巨大な赤銅色の物体に染まっていた。


 明らかに普通ではない事態を予感させるそれは、エースを含めそこから外を見ていた全員に、驚きと畏怖の念を抱かせる。


 サウゼル魔導士育成学校の生徒が始めようとしていた1日は、この瞬間に崩れ去る予兆を見せていた。


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