第4話 思案は、どうにもならぬまま



 パードレとの会話の後、程なくして授業の時間になったエース。突如として告げられた異常事態の知らせのせいで、午後の彼は授業に出る気分ではなかった。


 しかしながら、知らせの前座のような形で話をした将来の進路のこともあって、気分的に休むことなど出来ないことも分かっていた。そのためエースはほとんどないような集中力で、どうにか1コマ分の時間を乗り切ったのだった。


 そして放課に近い状態になった今は、教室に戻る気分になれずに、中庭のベンチで天を仰いでいた。


 視界の多くを占める晴れ渡った空には、ほんの少しの雲が浮いていた。快晴とまではいかずとも晴れている、という状況ですら、何かを暗示しているのではないか、と悪い想像を働かせてしまうくらいには調子が狂っていた。


「やってられんわ……」


 こぼれ出た悪態は、誰の耳にも入らずに宙に溶ける。複数人が座れるスペースを、授業の最中で誰もいないのをいいことに、手足を投げだすような姿で占領し、これから先に起こりえる未来のあれこれに思案を巡らせていく。


――にしても、一体何のために消えた?


 全ての事情が分からない今、エースが真っ先に疑問に思ったのがそれだった。


 これまでに途中経過などの話を一切聞かなかったくらいに、エアード側の動きがなかったことは明白であった。エースの頭からは、今日の話を聞くまでは頭の奥の方で忘れ去られていくものだったことも間違いない。


 昨年夏の事件も、大切な思い出の部分ですら一定の記念日の度に少し思い返すことがあるくらいで、それ以外の事件の中身は、何でもない記憶として風化しつつあった。


 それだけに、このタイミングで姿をくらませたことへの『何故?』という問いが、何よりも先に来てしまう。


「うーん……」


 いつもならば、『考えても仕方ないことは一旦置いておく』のがエースだった。


 しかし、この問いだけは何故か置いておくと危険な気がして、エースは頭の片隅においやることを拒んだ。体勢を変えて、まるでとある国の彫刻かのように、顎に手を当て背を丸めた姿勢で思考を続ける。



「お悩みですか?」


 ふいに聞こえてきた優しい声が、エースの思案を中断させる。


 声の聞こえてきた方に視線を向けると、そこにはフローラが立っていた。その姿は、先ほど昼食の前に見たものとは違い、いつものリボンカチューシャをつけた姿だった。


 見慣れた姿は、何故だか少しだけ安堵感を、エースの心にもたらしていた。


「まぁ、ちょっと」


「そっか。隣、座ってもいい?」


「ここ、結構目立つ位置だけど、大丈夫?」


「うーん……」


 授業中であるとはいえ、中庭は面している各教室から簡単に覗くことが出来る。不用意に噂話を作りたくないエースの言葉に、フローラも少しだけ悩む。


「こっちじゃなくて、あっちのベンチ……あんまり変わらないか」


「屋上は?」


「今ならサボり常習犯がいそうだな」


「そっかぁ……。どうしよう」


 一定範囲内には、安心して話せる場所がない、という状況。少しの間、2人揃って考えこんでいた。


「ねぇフォンバレンくん。教師棟3階の、校長室の隣はどう? ちょっと遠いけど」


「そこなら大丈夫だけど……あそこでいいのか?」


「うん。移動しよ」


 フローラの誘いに乗る形で、エースはベンチから立ち上がって物置部屋までの道を歩き始めた。校長であるパードレ以外に聞き耳を立てられにくい場所であるため、移動距離の長さを除けば、長い時間話すには最適な場所であった。



 その道中で、エースはフローラに、ベンチに座る自身の場所に来るまでのことを聞いていた。


「俺のこと、どうやって見つけたんだ?」


「生徒会の仕事してて渡り廊下を渡ってた時に、たまたまフォンバレンくんが見えてね」


「なるほど。それで?」


「その後、フィーアちゃんの許可をもらって、今に至る……って感じです」


 フローラの言葉を聞いたエースは、その許可を出している時の光景を少し思い浮かべながら、苦笑いしていた。


「会長、絶対楽しんでるだろ……」


「フィーアちゃん、企むようなことはしないと思うけどね」


「いやまぁ俺もそうは思ってるけど……」


 エースの元にフローラが来る際、生徒会の仕事の後であることがやけに多いなと、エースは考えていた。そしてそれは気のせいではなく、理由はほぼ確実に生徒会長だろうというのもエースの中で想像がついていた。


「これに関しては、普段の手伝いの見返りだと思っておこうかな」


「お仕事、最近だと私からじゃなくてもいっちゃうもんね……」


「まぁ、別に俺はやることいっぱい、ではないからな。先生になるっていっても実技寄りではあるし、そっち系の授業は成績いいし」


「そっちは心配してないけど、座学も頑張らないとダメだよ」


「はい、頑張ります」


 少しだけ痛いところを突かれて、エースは苦笑いでそう答えた。


 実際のところ進路を意識し始めてからのエースの座学の成績は別に悪いわけではないのだが、優秀な成績を取り続けるフローラと比べると見劣りしてしまうのも事実ではある。


 だいたい同じくらいの点数を取るセレシアも同じことを言われているのだろうか、という想像を働かせつつ、エースは目的地までの道を、フローラを先導する形で歩いていた。


 既視感しか感じられない道を通り抜けて、再び見えてきたのは茶塗の扉だった。授業の前には押し開けて入っていった場所を抜けて、もう1つ分先の、教室の扉と同じ形状の扉を開ける。


 普段ヒールとメールの休憩場所兼一時退避場所として使っているその部屋に、エースとフローラは入っていく。遮る物を押しのけて、エースが少し奥の方にある使えそうな椅子を1つだけ持ち上げて手元に持ってくる。


「ほい椅子」


「フォンバレンくんは?」


「俺は立ち話でいいよ。他にないし、俺が座ってフローラが立ち話するの、慣れないのもあるし」


 若干こじつけの入った理由でフローラを無理やり椅子に座らせて、エースは壁に寄っかかる。若干落ち着かない様子でいたフローラは、配慮が逆効果になると考えたのか、それ以上気遣う言葉を表には出さなかった。


「それで、フォンバレンくんの悩みって、なあに?」


「……結構真面目な話で、不安にさせるようなことだけど、それでも聞いてほしい」



 少し先の時間に想像できる光景を受け入れる決心をして、真剣な表情で、エースが言葉を発する。


 急に変わった雰囲気にただならぬ何かを感じたフローラも、その表情を少し引き締めて視線をエースの方に向けてきた。


「観察処分になってたエアードの行方が、分からなくなったらしい」


「っ!!」


 エースの言葉を聞いたフローラの顔に、驚きの表情が現れる。想像通りの未来へと動き出した世界を見たエースは、不安がらせることへの罪悪感をどうにか押し殺して、続きの言葉を口から音に変えた。


「死んだとかじゃなくて、本当にどこに行ったか分からないらしい。校長から、昼休みが終わった後にそう言われた」


「そっ、か……」


 椅子に座ったままで、フローラが視線を少し落とした。短い言葉を伴うその反応は、事実を認識した結果生じた、戸惑いと不安から来るものだろう。


「何も知らないよりは知っておいた方がいいと思って、こうして話させてもらった。ミストから話がいってなければ、多分プラントリナさんだけはまだ知らない」


「そうだね……。何も知らないまま驚くよりは、そっちの方がいいかな……」


 弱まった語気と、作り笑いに隠されようとしている、少しだけ怖がった姿が、エースに更なる罪悪感をもたらす。


 叶うことならば、これ以上怖い思いを、フローラにさせたくはない。ただし、その願望のせいで言うべき情報を言わないと言うのが優しさであるかというと、エースはそれも違う、という風に考えていた。


「やっぱり、怖い?」


「うん。今まで何もなかったから、ちょっとね」


 何もしなかったエアードが、今になって突然消えた、ということへの疑問。エースがこの学び舎を離れた後ならまだしも、何故まだ在学中であるこのタイミングで消えたのか。その背景事情を含めて、ほとんどが見えてこない。


 故に、何が起こるか分からないという未知への恐怖は、フローラの中には確かにあるのだろう。同じことを、エースも感じていた。


「まぁ、なんで消えたのか本当に分からないもんな……」


「それもそうだし、去年の冬とか、春みたいな危ないこともあったから、とっても心配で……」


 フローラが口にした、冬と春の2回の襲撃。


 それによって得られた情報は、エースの事を狙う誰かがいる、という情報だけのままであり、それ以上の情報は今のままだと決して憶測の域を出ない。そんな、有効打をそうだと確信して打つことが難しい現状を考えると、ひとまず自分が出来ることを確実にこなすしかないと、エースは切り替えて過ごしていた。


 そんな中に舞い込んできた知らせに、不安になるのは至極当然な感情だ。エースもその事実を消化しきっていない。おそらくはフローラも、自分と同じように過去と現実を照らし合わせて、迫ってくる不安と戦っているのだろうと、なんとなくの想像は出来る。


「……でもきっと大丈夫だよね。頑張ったんだもんね。うん」


 そう言いつつ、頑張って笑おうとするフローラの姿が、エースにとっては逆に痛ましかった。


 恋人になったばかりの頃と比べるとフローラの戦闘に関連した技能が見違えるほどになったのは、エースもよく知っている。授業で幾度か見ただけでも、その身のこなしや技術は眠っていたセンスがあったのだろうと思わせるほどだった。


 ただ、大きな事件を乗り越え、技能も相応についたとはいえ、1人の年相応の女性であることに違いはない。目の前で微かに震えるフローラを見て、エースの心が痛まないはずがなかった。いつでも、どこでも、恋人の弱々しい姿は微塵も見たいとは思わない。


――無理してるな、きっと


 嘘が苦手な彼女の作り笑いは、エースにはすぐ分かった。ただでさえ心労が増えたフローラに、これ以上の心的負担をかけるのはよくない。


 エースは、椅子に座ったままのフローラの前で、目線が合うと想像した位置までしゃがんで、その手を強引に取った。


「フォンバレンくん……?」


 いきなり手を取られて戸惑うフローラ。その水色の透き通る瞳に視線を合わせた状態で、エースはゆっくりと口を開いた。


「俺も君も、前とは違う。色々間違えたりもしたけど、その分はきちんと次に生かしてきた」


 今度は前向きに過去を振り返り、エースは勇気づけるための言葉を伝えるために音にする。そうして発せられた声を、受け手のフローラはただ聞いていた。


「もし目の前に来たら、この10ヵ月で成長した分を、思いっきり叩きつけてやればいい。2人でもなんとかなるし、何ならミストやプラントリナさんもいるし、4人なら大丈夫だ」


「……うん」


 エースの言葉を聞いたためかいつの間にか眼の淵に涙を浮かべていたフローラが、少しだけ口角を上げた。それを見たエースは、過剰でもいいくらいの気持ちを込めて、最後の一押しを口にした。


「もしフローラが、自分自身が頑張れたかどうか不安なら、俺を見て。君が頑張った分が分かるように、俺も頑張るから。約束だ」


 言い切った約束の言葉の最後に、エースは少しの笑顔を付け加える。それを受けてフローラは、空いている右手で目元を拭って、きちんとした笑顔を作った。


「珍しいね、フォンバレンくんが言葉で約束してくれるなんて」


「俺もそう思うよ」


 フローラが立ち上がろうとするのを感じ取って、エースはフローラの左手を離す。その後は、フローラが椅子から立ち上がるのにほんの少し遅れて立ち上がっていた。


「いつだって君は、行動で約束してくれるから」


「出来ない約束はしたくないからな」


 そう言って、エースとフローラは笑顔を交わす。心の中に温かい感情が入ってくる感覚を皮切りに、エースは、もう一度口を開いた。


 今度は、いつも通りの日常に戻るために。


「じゃ、戻ろうか」


「うん」


 お互いへの信頼を再確認するかのようなやりとりを終えた後、2人は物置部屋を出て、これから各々がやるべきことへと戻るための準備へと気持ちを向けた。



「そういえば、今回はヒールとメール帰ってこなかったね」


「そういやそうだな。まぁ、帰る時にはこっち来るだろ」


 いつも通りの状態に戻った後は、教室へと戻る道の途中で、そんな話もしていたのだった。


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