第3話 異変を告げる言葉



 幸せなひと時となった昼食を終えた直後、フォンバレン家の戸締りを行い、フローラよりも後に学校へと戻ったエース。午後の予定に向けての準備をするべく教室に戻った彼を待っていたのは、パードレからの呼び出しだった。


 そのことをエースに伝えたのは、いつものようなパードレからの直々の通達でも、他の誰かからの伝言でもなく、机の上に置かれたミストからの書き置きだった。


 エースの所在をある程度は把握しているはずの彼が、直に言いに来ずに書き置きという形式をとったのは、おそらくは気遣いによるものだろう。既に午後の1つ目の授業が始まり、授業に行ったであろうミストの書き置きを手にして、エースは準備を軽く済ませた後に再び教室を出た。


 目的地は、教師棟3階の最も奥にある校長室。ここ1年の間にこれまで以上に多く訪れたその場所へ、エースは何を考えるまでもなく足を向けていた。


 閉じられている茶塗りの光沢のある扉を押し開け、エースは軽い挨拶を奥に座っているパードレに投げた。


「ちわーす」


「おーうやっと来たか惚気ボーイ」


「来て早々義理の息子にとんでもない呼び方すんな」


 校長室奥の長机に備えられた椅子に背を預け、全く悪びれる様子のないパードレ。エースはいつもの敬語混じりの口調を捨てて、呆れ交じりの非難の言葉をお返しとばかりに投げつけた。


「そうは言ってもよ、実際のとこ幸せ真っ只中なのは事実だろ?」


「事実かどうかと、呼び方どうこうは全くの別問題でしょうに。つか、呼び出しといていきなりセンスの欠片もない呼び方しないでほしいんですけども」


「へいへい、わーったよ。最近お前とは面と向かって話した覚えがなかったから、ちょっと寂しかっただけだ」


「素直じゃねぇなぁ」


 白旗を上げる代わりに面倒な絡みの理由を打ち明けたパードレに、エースは呆れ半分に言葉を返す。実際のところ、ここ最近パードレと面と向かって話した記憶がエースの中にもなく、その理由は思い過ごしではない。


「で、俺を呼び出した理由はなんすか」


「2つあるが、どっちからいこうか?」


「いやどっちがどっちなんすか」


「俺から聞く方と、知らせの2つ」


「んじゃ聞く方で」


 何の前置きもなく2つあると言ったパードレに、反射的に突っ込むエース。情報を聞き出した後に前者をまず選ぶと、エースとパードレとの間にはきちんとしたやりとりが始まった。


「そろぼち進路の話が出てきてたと思うが、結局、何て言ったかと思ってよ。お前のことは前から聞いてたし、大方予想はつくけど、教師陣に反対されそうでもあるしな……」


「されましたけど、突っぱねてそのままですよ。変わらず、先生になろうと思ってます」


「ほう、そうか」


 エースのその言葉に、パードレは少しだけ笑みを浮かべた。それが数週間前に始めて明かした時の馬鹿笑いのような、いつもの笑い方でないのは、分かっていたことを確かめるためだった故だろう。


「お前のことだから、ふらつくよりもどこかで役目を全うする方を選ぶとは思ってた」


「その方が楽ですし、ふらつくのは性に合わないんで」


「だろうなぁ。ミストは料理人にでもなろうか、とか割と決まってない、みたいな感じだったが」


「ミストは……まぁ、やろうと思えばだいたいなんとかなるけど……」


 パードレの言葉を聞いて、エースはほんの少しだけ弟の行く末を心配した。将来の話をする時、いつもエース側の話ばかりでミストに関する話をしていなかったな、と、今更ながらに思い返していた。


 とはいえ、それらはエースが考えてどうにかなることではなく、そもそも説得の類が必要になるわけではないことからも、すぐに考えるのを止めていた。


「そこんとこは俺にはどうにもならんとこなので、俺は俺のことを考えます」


「そうだな。そして、将来は俺の跡を継いで校長にでもなってくれ」


「にでも、って職でもないでしょうに。そこまでは無理っすよ」


 軽々しい言い方で放たれた重たそうな期待に、エースはほとんど間を置かずに言葉を返す。それを聞いたパードレは、何かを確信しているかのような表情を変えることはなかった。


「まぁここの椅子に座るには色々面倒なことはあるだろうが、お前ならなれるさ。俺の考え方や技術をお前は色濃く受け継いでいるし、俺が今までに見てきた生徒の中で一番変わったのはお前だ。あれだけ刺々しかったお前が、まさかこんな生徒になるなんて、思ってもなかった」


 しみじみとした口調で並べられた言葉が、エースの思考を過去の自分の記憶へと向かせる。


 このサウゼル魔導士育成学校に入った直後のエースは、誰にも舐められないための、圧倒的な実力をつけることだけを考えていた。その頃の自分に、数年後の自分は教師になるという夢を持ち、傍らに愛してくれる少女がいるという状況になっていることを告げたところで、確実に嘘だと返されてしまうだろう。


 たった数年で、世界の色は驚くほど鮮やかになり、蓄えていた力は、傷つけるよりも守るためのものに変わったのだった。


「生徒会の面々は俺がよく顔出すから話を聞くんだけどよ、みんな感謝してたぞ」


「それに関しては、スプリンコートさんに頼まれれば嫌とは言えないので、まぁ……」


「だろうな。でも助かってるのは事実だ」


 本人たちからではないものの、正面から投げられた感謝の言葉。未だに慣れないエースはむずがゆくなった気持ちから意識を逸らすように、視線を正面から外した。


 一番感謝の言葉を述べる機会の多いフローラからでさえ、その些細なものに、エースはようやく慣れてきた段階なのだ。


「積極的に関わろうとする人間は確かに少ないが、関わった人間はだいたいお前に感謝してるんだよな」


「感謝……ですか。まぁされるに越したことはないですけど、そんな大したことはしてないっすよ」


「もうちょっとお前は助けたことを誇りに思わないもんか……。いや、まぁいいか。どうせすぐには変わらんだろうしな」


 いつものやりとりとは反対に、エースの謙遜した物言いにパードレが呆れ交じりの言葉を返す。


「俺の話はそんなとこで十分でしょう。で、もう1つの話題はなんすか?」


 された側のエースは、それを特に気にすることもなく、もう一つの話題に興味を示していた。


「ああ。こっちが本題だ」


 パードレの口から放たれたまだ軽い言葉に反して、その表情は真剣なものに変わっていく。それを見たエースは、首を傾げつつ、次の言葉を待った。


「正直、幸せ真っ只中にいるお前にこれを言うことはしたくない。だが知っておかなければならないことだから告げておく」


「はい」


「観察処分になっていた元生徒エアード・ヴィラノローグの姿が、最近、その形跡を全く追えなくなった」


「っ!!」


 発せられた言葉に、エースは血の気が引いていくような感覚になった。


 エースとフローラが今の関係性になるためのきっかけでもあった、昨年夏の事件。そこに、また別の同級生であるフォーティス・ヴァニタを引き連れ、フローラ以外の面々を殺害しようと企てた主犯が、エアード・ヴィラノローグという生徒だった。


 エースは明確な接点がないため彼のことをよく知らないが、唯一分かっているのは、彼もまた、フローラに明確な好意を持っていたことだ。当然、そのフローラが好意を向けているエースのことをよく思っていなかっただろうことは容易に想像がつく。


 動機に関しては、おそらくは双子などへの優劣的な思想を元とした何かしらがあることだけが分かっており、詳細なところまでは未だ不明のままではある。


 だが、被害者の側だったエースたちが卒業する今年の3月までは、このサウゼル魔導士育成学校を退学した後も学校からの観察処分になっていることまでは、夏の事件に関わったいつもの面々は知っている。今までにこうした形で彼の話が出なかったことから、いつもの面々も、未だに何も起こってないのだろうと考えていた。


「どうしてそっちを先に言わなかったんだよ!?」


「先に言ったら、将来のことを『それどころじゃない』って突っぱねられそうだったんでな。もちろんこの事態の重要性は熟知しているが、お前の将来も、それはそれで大事なことなんだよ」


 筋の通る理由を返されたエースは、それ以上重要度のつけ方に対して文句を言うことはしなかった。代わりに手を顎に当て、腕を組んで少し唸りながら考えるポーズを取る。


「にしても、形跡を追えなくなった、ってどういう状況だ……?」


「死んでいるわけではないと見ていい。何か素振りがあったわけではなく、ほぼ抜け目のない観察状態で、それは起きた」


 パードレの言葉に、エースは姿勢を変えずに、思わず唾を飲み込んだ。


 退学の後に学校側からの観察処分になるケースは、かなり稀な例だと以前聞いている。生徒間での一方的な殺害未遂を理由としてフォーティスとエアードはその処分になり、意外にもフォーティスは特に何を言うわけでもなく過ごしているらしい。


「本当に何も手がかりがないんですか?」


「いや、1つだけ不可解な点がある」


「なんですそれは?」


「おそらく最後に形跡を追うことが出来た日にエアードの姿を見に行っていた職員は、ヴィラノローグ家の近くで眠ったような姿で発見され、今もまだ目を覚ましていない」


 またもや異常さを感じさせる言葉に、背筋を冷や汗が伝う。


 いわゆる昏睡状態というものに近い状態だが、それが普通には起きないことは、決して博識ではないエースも知っている。何かしらの異常事態が起き、今まさに知らないところで進行しているその事実に、エースの表情は強張っていった。


「そっちも死んでいないのは見てわかる。だが、何をしても起きない。まるで無理やり意識を沈められているかのようにな」


「そう……ですか」


 異常事態を告げる言葉の数々に、エースはそう口にするしかなかった。


 何かしらの策を取ったところで、それが有効打になるかどうかは分からない。そうなると、事の全貌が見えない以上は行動を起こすべきかどうかの判断に迷う。


「この話はミストには先に言ってある。最初は揃って伝えようかと思ったが、ミストはどうしてもお前とフローラの食事を邪魔したくなかったらしい」


「それはありがたいっすけど、流石にこの異常事態はな……」


「とにかく、伝えることは伝えた。セレシア・フローラの2人には、そっちで伝えておいてくれ」


「分かりました」


 パードレの言葉にエースは短い言葉で了承の意を返す。セレシアとフローラを不安にさせたくないという思いは少しだけあったが、伝えない方がかえって危険である以上は、表情を曇らせたとしても言わざるを得ない。


「ひとまず、話としてはこのくらいだ。そっちから何かあるか?」


「いえ、何も」


「分かった。午後の授業も頑張れよ」


「ういっす」


 開けられたままの茶塗りの両開きの扉を越えて廊下へと出た後、パードレの姿を奥に見ながらその扉を閉める。


 舞い込んできたとんでもない情報に、集中出来るかな、という別ベクトルの不安を考えつつも、エースは午後の授業へと向かっていくのだった。


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