第2話 未来の語らい



 その日の昼休みより少し前、午前中最後の授業の時間帯。エースは校舎を出て、学校の敷地の北東の端にある狭い小道の入口にいた。


 今が授業のない時間であることを利用して早めの昼休みに入ろうと画策している彼の目の前にあるこの道は、このサウゼル魔導士育成学校から最短距離でフォンバレン家に向かうことの出来るルートだ。最速での行き来が必要な時や、人目がないであろう時間には、エースはこの道を使って自宅まで戻っている。


 校舎からかなり離れた寮の裏、しかもかなり分かりにくい位置に隠れた形で存在しているため、人目のないこの時間にエースがここにいることを知る人物はほぼいない。


 可能性があるとするならば寮に住んでいる生徒たちだが、中等部の生徒は基本授業が詰まっているため帰ってくることはなく、授業のない時がある高等部の生徒でもこの時間に部屋にいるのは稀ではないかとエースは予測していた。仮にいたとしても、窓の外を凝視でもしない限り、森の入り口にある木々で見づらくなっているエースの姿は発見されにくくなっている。


 そう言った細々とした可能性を追い続けるくらいならば、速やかにフォンバレン家に向かうことが望まれるが、エースがそうしないのは待ち人がいるからであった。おそらくは短時間で終わる業務を終えて、今こちらへと向かっている最中だろう。


 自分よりも忙しい毎日を送る彼女も、この時間だけはどうにか確保してくれている。金曜日だけは作業速度が速いという情報は、生徒会でも顔を合わせることのある、同じホームルーム教室を使う口数の少ない同級生がくれたものだった。



 そんなあれこれを考えているエースの耳に、軽やかな足音が背後から聞こえてくる。


 待ち人かな、と考えてエースが校舎の方へ顔を向けると、そこには冬制服の上にカーディガンを羽織ったフローラの姿があった。


 いつもとはかなり違う印象を受けたのは、髪を首元でまとめ、さらには眼鏡をかけているからだろう。一瞬別の人かと思ったが、会話をするのに自然な距離まで近づいた時に向けられた笑顔で、エースは目の前の女子生徒がすぐにフローラだと分かった。


 不自然なほどに一言も口にせず、アイサインだけでやりとりを交わしたエースとフローラは、時間を惜しんですぐに森の中に入っていった。


 生い茂る木々で陽の光は少しだけ遮られ、合間を抜けたものだけが地面を照らすような道を数分ほど歩くと、森の中で少しだけ目立つ青塗りの立札と、2つに分かれた道があった。木漏れ日でより際立つ立札には何も書かれていないが、エースとフローラは気に留めることなく、そしてまだ一切のやりとりを交わすこともないまま、左に曲がった。


 そして、その後も現れる分かれ道を、左、左、右の順に進む。そうして選んだ道の先に、森を抜けることが出来そうなあたりで、始めて2人の間にやりとりが生まれた。



「うーんダメだ。この沈黙、結構辛いな……」


「私も、早くお喋りしたくてうずうずしてた」


 いつものように、自然なやりとりを交わすエースとフローラ。漏れた声で所在がバレないように黙る、という策は、つい最近始めたことだった。その理由としてあげられるのが先月上旬の、フローゼ来訪の際に起きたローブ姿の男子生徒たちの襲撃だ。


 エースかフローラについていく形ならば確実に結界を突破することが可能で、そんなことを企む相手がスニーキングをしないとは考え難い。会話をせず微かな足音が隠れないようにすることも、移動をする時間が昼休みより少し早いのも、それぞれが立派な対策の1つである。


「で、なんでその恰好?」


「これ?」


 しかし、フローラの遠目から見れば分からないレベルの変装だけは、エースもその真意を全て理解するには至らなかった。今の姿は、ピンク色のリボンカチューシャを身に着けた普段の彼女と違って、別種の落ち着きと大人っぽさがある。笑顔でフローラだと分かっても、会話をしなければ少しの不安が付きまとうくらいには、雰囲気に違いが出ていた。


「これはね、『流石に有名人だし、ちょっと変装してみる?』 ってフィーアちゃんが言って、セレシアがそれに乗っちゃってこうなった」


「いや会長何してんだ」


 前々から生徒会長フィーア・クラシオーネがエースとフローラの関係性に気づいているだろう、というのは、いつもの面々にも話をしていたこともあって、今は既に予想の範囲内である。


 ただ、流石にエースにも変装の提案をしてくることまでは予想できなかった。何かしらの不都合があるわけではなく、むしろフローラの珍しい姿を見ることが出来たという点でいい方向に傾いてはいるが、言葉に出来ない何かが確かにエースの中に存在していた。


「あ、でも伊達眼鏡以外は全部私のだよ?」


「伊達眼鏡は?」


「セレシアが借してくれた」


「プラントリナさん持ってんだ……」


 意外な事実がやり取りの中でいくつか判明したところで、エースとフローラは開けた空間にあるフォンバレン家までたどり着いた。


 程なくして、上空からヒールとメールが下りてくる。おそらくはエースがフォンバレン家に向けて移動したのを察知して飛んできた2匹は、いつもとかなり違う姿のフローラに戸惑うことなくいつもの人懐っこい仕草を見せていた。


「ヒールとメールは、今の私の姿見ても驚いたり警戒したりしないんだね」


「俺とミストの例もあるし、もしかしたら姿じゃない何かで見分けてるのかもな」


 見た目ではない何かで見分けているような体の2匹を見て、フローラとエースがそれぞれ言葉を発する。何もしなくてもエースの元へと戻ってくることの出来る能力からも、間違いなく普通の生き物には備わっていない何かがあるのは間違いない。


 この2匹と出会った際に言われた『神の使い』という言葉や、その出会いに付随する様々な出来事が、ヒールとメールがただの小竜ではないことの何よりの証拠だった。


「まぁ、正直そこは何でもいいかな。それよりも、俺はお腹が空いたんで早く入りたい」


「ふふっ、じゃあ早くお昼ご飯にしよ」


 そんなやりとりを交わした後、エースとフローラは2匹を連れて、フォンバレン家の中へと入っていく。


 誰もいない空間に帰宅の足音が添えられて、ちょっとした生活の色が灯る。テーブルに備え付けられた椅子に座ったフローラが持っていたバスケットを置いて中身を出す間に、エースは台所に向かい、飲み物を保存した水差しやそれを入れるためのコップの準備をしていた。


「はい、これはヒールとメールの分」


「「くるる~」」


 目の前に差し出された食事に、ヒールとメールが喜びの鳴き声を返す。それを聞いて作られたフローラの笑顔に、ちょうど準備を終えて席に座ったエースの表情もほぐされていく。


「じゃあ、食べよっか」


「だな」


 そのまま自分に向けられた笑顔に、エースも微笑みを返して、昼食が始まった。


 エースがフローラから手渡されたのは、いつもより少し大きめのカツサンドだった。少しだけ特別感のあるそれを、エースは少しの緊張を持ちつつ、一口食べた。


「ん、いつもより美味い」


「うん。ちょうど10ヵ月の記念日だから、材料も含めていつもより頑張ったよ」


 フローラの方も今日が記念日であることに気づいていると知り、右手に半円状の食い跡がついたカツサンドを持ったままで、エースは微笑んだ。


「すごくありがたいことだけど、でもこれは張り切ったな……」


 今エースの手に握られているカツサンドは、おそらく材料一つ一つが決して安価ではない。食感や味の些細な違いで分かるくらいに特別感のあるそれにかけられた様々なものを考えると、エースはしみじみとした言葉を吐かずにいられなかった。


「安心して2人で過ごせるようになったら止めちゃうかもしれないけど、今はそんなこと全然ないから。これは、ひっそりとでも積み重ねることの出来たご褒美だよ」


「そっか。まぁ俺、何もしてないけど……」


「それは、いつかスイーツ作ってもらうことにしておくね」


「うーんそれは頑張る」


 少しだけ意地悪さの混じったフローラの言葉に、エースは嬉しさと困りの混ざった微妙な表情になった。作る分には問題はないのだが、甘いものとなると食欲旺盛になるフローラにこれまでの作業を返す分となると、1年中作り続けても返せないのではないかという気分にすらなる。


「そんな顔しなくても大丈夫だよ。半分冗談だから」


「半分はホントなんだ……」


「お誕生日に作ってくれたら嬉しいな」


「善処します」


 今は込み入ったものはまだ作れないため、エースはフローラの要求に対してそう返すのが精一杯だった。言った以上は当然のことながらエースもある程度練習を重ねるつもりではいるが、暇な時間に加えて材料が必要となるとそう練習も出来ない。朝食程度の材料を用意できれば上出来な方ではある。


「積み重ねるのが難しいってちょっと言った後に未来の話をたくさんしてるの、よく考えたら変だな」


「ふふっ、そうだね。でもその方が楽しいから」


「だな」


 前後の話題の正反対さに気づいたエースの言葉で、2人の顔は可笑しさからくる笑い顔になった。少しの笑い合いの後、表情はいつも通りに戻り、しばしの間食事が進む。


「あ、そういや今日進路の話軽くされたけど、フローラはどうする予定なんだ?」


「私? 私は、薬師になろうかなって」


「あー……なんかぽいなぁ」


 フローラの将来のことを聞いて、エースは何の引っかかりもなく腑に落ちた。勤勉であり、優しくもある、という、エースが持つフローラのイメージと照らし合わせても、似合っている仕事だ。


「だから、生徒会の引継ぎ終わった後くらいから少しだけ学校にいないこともあるかも。別の街でお店出してるところで実習に行こうかなって考えてるから」


「そっか……。まぁでも大事なことだもんな」


 少しだけ学校で会う頻度が減るかもしれない、ということは、確かにエースにとって残念な想定だった。だが将来の夢のための頑張りを否定するべきではないとも考えて、今度は微笑みを見せつつ納得していた。


「エースくんは将来どうするの?」


「俺?」


 考えながらも口に運んで咀嚼していたカツサンドを飲み込んで、フローラからの問いかけに反応するエース。少し考えた後に、その口を再び開いた。


「俺は先生になろうと思ってる。こんな立場で、こんな性格だけど」


「性格は別に問題ないと思うけど……確かに、ちょっと意外」


 エースが始めて口にした将来のことに、フローラが軽く驚いた表情で反応する。


「あ、だから最近、学校にいない日があるんだ。孤児院に行ってるって聞いて、何でだろうって思って」


「そういうこと。まぁ、俺自身の将来のことをしっかりと話したことないから、確かに分かんないよな」


「そうだね。子供と触れ合ってるエースくん、見てみたいな」


 そんな感想をフローラが笑顔で楽しそうに言うのを見て、エースもつられて笑顔になる。夢に対して肯定的に言われれば、悪い気はしなかった。


「でも、なんでエースくんは先生に?」


「うーん……まぁ、昔の俺を救ってくれた校長みたいに、誰かを助けたいっていうのを、ちょっと思った、って感じかな」


「素敵な理由だね」


「ありがとう」


 また出てきた褒め言葉に、エースは自然な笑みで感謝を述べる。


「こうやって思えるのも、校長が拾ってくれて、色々くぐり抜けた末に、こうして幸せな時間に浸れるからだけどな。中学入りたての頃の俺じゃ、まずそう思えなかった」


「どうかなぁ。あの頃のエースくんは確かに尖ってたけど、でも優しかったよ」


「それは多分フローラにだけだよ。あの時ここへの帰り道に迷い込んで、関係性が出来たのがフローラじゃなかったら、多分今もある程度は尖ったままだったと思う」


 当時の、まだ刺々しい感じが表に出ていた自分自身を、エースは思い返しながら言葉にしていく。


「ずーっと、そんな感じなんだよな。大事なこと決める時、その決断のための要素のどれかにはフローラが関わってるんだよな……」


「嬉しいことだけど、それ、いいことなのかなぁ……」


「俺にとってはいいことだよ。俺1人じゃとんでもない道を突っ走りかねないし、ミストいても波長があっちゃう分ストッパーいないし」


 エースの言葉を聞いて、フローラの表情が何かしらの思いを含んだであろう苦笑いになる。


「何かある?」


「いや……ね? 確かに、ちょっと心配になる時はあるな、って」


「それはお互い様だ――って言いたいけど、俺の方がヤバい時に突っ走ってる自覚はあるからな……」


 毎度戦闘時に回復役を担うことの多いフローラのお世話になっているエースとしては、頭が上がらないのが現状だった。場面を選ぶことはしても、選択したなら無理でも走り切ろうとするのは、自らのことであるが故によく理解している。


「そういう意味では、確かに似た者同士なのかもしれない。俺たち」


「セレシアにも『根っこの部分でそっくりだよね』って言われたし、そうかもしれないね」


「俺も言われたなぁ、それ」


 いつだったか言われたセレシアからの言葉を思い出す。自分たちではむしろ反対だ、と思っているが、第三者の評価は、だいたい似ている、なのだった。



 思い返す仕草で意図せず動いたエースの視線に、壁に掛けられた時計が入る。


 そこに表示されている現在時刻は、楽しさ故に時間が想像以上に進んでいることを意味していた。


「やべ、全然食ってないのに結構時間経ってる」


 余裕を持たせるためにも早めに来たはずが、今は既に昼休憩の時間に突入してかなり経っていた。


「いっそのことサボっちゃおっか」


「別にいいけどさ、そんなこと言っていいのか、フローラ先輩」


「私は大丈夫だよ。私よりも君の方が大変なんじゃないかな、フォンバレン先生」


 ほぼからかうための苦言に、ほぼ同じ目的のからかいをフローラから返されたエースは、それ以上の反撃を出せず、苦笑いの表情を返すしかなかった。


「今の言葉、ちょっとだけセレシアっぽさあるなぁ」


「双子ですから」


「そっか。それもそうだな」


 上手な言い回しに翻弄されるエースと、してやったりという顔になるフローラ。数秒後に2人とも笑顔になり、残り少ない昼食の時間を楽しく過ごしたのだった。


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