エピローグ 続く道への後押しを



 フローゼの来訪により様々な出来事が舞い込んできた2日間。出来事や思い出が濃縮され詰めこまれたその時間は、楽しい一時の残り香と共に、様々な懸念事項や疑問を残していた。


 その中で最もエースを悩ませ、頭を回さざるを得ない状況を作るほどに謎なのは、自分を狙う誰かの存在に関してだった。己を嫌う人物に心当たりしかないくらいにエースは敵を作っている自覚こそあるが、それでも数日間悩ませるだけの謎足り得る理由なのは、その理由と行動だった。


 まず、何故エースを襲う理由が、『殺せ』ではなく『殺すな』なのか。その場にいたエース以外の面々に一切触れず執拗にエースだけを狙ってくる敵に、その背景に何かがあるのは確実だったが、理解が及んだわけではない。


 次いで、何故前回の襲撃である冬始めの事件から、5ヶ月という長い期間が開いたのか。疲弊させたり、夜間に襲ったりすれば叩くことは容易であるはずなのに、そうしない理由がエースには分からない。


 そして、何故エースを狙うその人物は、表舞台に姿を現さないのか。フローゼがエースに似た声を聞き、ローブを身に纏う姿を見たという発言を、出来事の後フローラ伝いにエースは聞いていたが、その人物が黒幕かどうかはもちろん判断がつかない。


 濃密な2日間から2週間経った今も、エースは事あるごとに悩み、少し精神を削る日々が続いている。考えてもどうにもならないことはひとまず置いておくことにしているエースも、この事だけはどうしてか置いておくことをためらっていた。


 しかし今日だけは、それらを考えることを止める必要があった。特別な日に、そのような事情を持ち込むのは流石に失礼だと、そう考えていたからだ。


「着いたな……」


 エースはミストと共に、ナトゥーラの町のやや駅から離れた位置にある、スプリンコート家の前にいた。昨年、一度だけこの家の前に立った時は制服姿で、ここに来ることを含めた一切の予告はなかった。


 しかし今日は、私服姿で、ここに来ることを前もって知っていた。背筋が伸びる思いで、その家の扉を軽く叩く。


「はーい」


 白塗りの扉の向こう側からは、来訪者に反応する声と、出迎えのための足音が少し聞こえてくる。その短い間にエースたちが少し下がって出来た空間に向けて、数秒後に扉が押し開かれた。


「あっ、2人とも、いらっしゃい」


「やっほー」


 その扉の奥から現れたフローラとセレシアに、エースたちは笑顔で出迎えられる。外に出る用事がないからだろうか、2人はアクセサリーの類いをつけておらず、髪をおろしてそっくりな姿を見せていた。


「どーも」


「やぁ」


 エースとミストは、それぞれの笑みと短いあいさつを返して、招きに応じるまま奥に入っていった。


 なんとなく記憶にある白壁の通路を抜けてリビングに入ると、そこにちょうど、先ほどエースたちが歩いてきたところとは別の場所から、ややくすんだ金色の髪の女性が現れる。少し爽やかな印象を受けるその女性をエースとミストは見たことはなかったが、誰であるかは簡単に推測できた。


「始めまして。セレシアとフローラの母親のネロ・スプリンコートです。今日はありがとね」


「エース・フォンバレンです。こちらこそ、わざわざ2人の誕生日に呼んでいただいてありがとうございます」


「ミスト・スプラヴィーンです。お招きいただき光栄です」


 昨年の夏の依頼の話の場にいなかったネロとは互いに初対面であるため、名前だけの簡素な自己紹介と、社交辞令を交わす。


 今日エースとミストがスプリンコート家に来ていたのは、セレシアとフローラの誕生日を祝うための家族パーティーに呼ばれたためだった。ちょうど休日ということもあり、細心の注意を払いながら来ていた。


 当初はスプリンコート家への来訪に伴うリスクを考えて、平日になってからフォンバレン家でやる案をエースとミストは考えていた。だがセレシアとフローラの母親であるネロの強い希望があり、スプリンコート家への来訪を決めたのだった。


 簡単な自己紹介が終わると、ネロはエースの顔を眺めるように見つめていた。その逸れない視線と突然の行動に、エースは戸惑いを隠せない。


「何か、変ですか?」


「いやね、前にうちの子が『知れば知るほどイメージが変わるから、まずは会ってみて』って言ってたからどんな子なのかなと思って」


 ネロの言葉を聞いて、エースはその言葉を口にしたであろう2人――セレシアとフローラを見る。2人とも、肯定を意味する笑顔を見せていた。


「まぁ、立ち話も何だし、お父さんがケーキ持って帰ってくるまで、みんなで雑談でもしよっか。セレシア、椅子置いてあげて」


「はーい」


 母親の指示通りに、セレシアが傍に置いてあった椅子を取ると、それをバケツリレーのように、エースとミストは協力して配置していく。


 ものの数十秒で終わった後は、その場の全員が、そのテーブルを囲んでいた。



「で、お母さん、フローラの彼氏を見た感想はどう?」


「うーんそうねぇ。ぱっと見落ち着いてるし、聞く分にはすごくしっかりしてそうだし、娘の彼氏としては十分過ぎるどころか、むしろこっちが申し訳ないわね。フローラはお家だと緩々だし」


「ちょっと、お母さん……!」


 セレシアの問いかけに答えた母親の、その言葉の中身を聞いて、フローラが反射的に立ち上がる。その頬は少し紅色に染まっていることから、恥ずかしさを耐えているのが簡単に分かった。


「早起きが苦手なのは知ってますよ」


「この前泊まった時も朝思いきり寝てたよね」


「そういやそうだな」


 そのネロの感想に乗っかるように放たれたエースとミストの言葉で、フローラは小さくなりながら、先ほどよりも顔を赤くしていた。


「変に乗っかって悪かったよ……」


 事実を並べられて反論も出来なくなったフローラの姿に、少しの罪悪感を覚えてエースは流石にそれ以上の悪ノリは止めることにした。


 そのやりとりを、ネロが小さく笑いながら見ている。


「思ったよりもノリがいいのね。もっとお話したくなってきたわ」


「でしょ?」


「なんでプラントリナさんが自慢げに言うのさ」


 ネロの言葉に満足げな反応を見せるセレシアに、ミストが笑いながらそう言う。


「そうね。エースくんは、セレシアじゃなくてフローラの彼氏さんでしょ?」


「それはそうだけどさー……ね?」


「ね、じゃ分からん」


 ミストの言葉に乗っかったネロからの言葉に、セレシアは少し勢いを削がれる。それでも何とか反論しようとしたいのかエースに視線と言葉を向けてくるが、言葉に一切の中身がない上に相手の言い分が正しいため、エースはそれを突っぱねるしかなかった。


「姉は騒がしいし、妹は緩いし、ってんで迷惑はかけると思うけど、今後ともよろしくね」


「こちらこそ、色々と迷惑かけてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」


 エースとネロが、軽い一礼を交わして、元に戻る。騒がしいと言われたセレシアと、緩いと言われたフローラは、何も言わず少し不満げな表情を、母親に見せていた。


「本当に出来た子たちね。ねぇエースくん、本当にうちの子が彼女で大丈夫? 後悔したりしない?」


 娘たちの無言の反論など意に介さず、ネロはエースにやや困り顔でそう問いかけた。それに対し、フローラの再びの反論が出るよりも早く、エースの口が開かれた。


「後悔なんてしませんよ。むしろ、俺がフローラの彼氏で大丈夫かどうか聞きたいくらいです。敵の多い人間ですから」


「あら、どういうこと?」


 問いかけに対してエースが問い返しのような言葉を放つと、またもややりとり相手のネロの中に疑問を生んだのか、ネロの視線が娘たちに向いた。


 解説を求められていると分かったセレシアが、その視線に反応する。


「フォンバレンくんの出で立ちとかはお母さんも知ってると思うけど、それに加えて、学校で異性に人気があるフローラに好かれてるからね。そりゃそうなるよ」


「後は、エース自身が結構人に選ばれるような性格をしているのもあるかもしれませんね」


 セレシアの言葉に後付けされたミストの言葉で、ネロは自身の問いかけに対するエースの返答を理解したようだった。


「なるほどね。そういう、人に選ばれるタイプの人なのね。君は」


「そうですね。味方を作るのは下手です」


 エースが苦笑いしながら言った言葉に、ネロも苦笑する。


 エースは、自身がそういう性格であることを熟知している。人と関わること自体そこまで得意ではなく、双子であることが知られる以前から敵を作ってしまうことの方が多かった。


 それ故に、最初から好意的なやりとりをしているのは、フローラとセレシアくらいである。


「そうねぇ……。まぁでも、エースくんがそう言う人間だって直に聞けたから、娘たちから聞いてた分含めるとむしろちょっと安心したわ」


「え?」


 意外だったネロの反応に、エースは驚きの表情を見せる。


「ミストくん、来てもらったのにエースくんにばかり話題振って悪いけど、もう少しだけ時間くれる?」


「構いませんよ。僕よりも未来の息子に、十二分に話してやってください」


「助かるわ」


 ミストのからかい込みの言葉に、ネロが感謝を返す。


 いつも通り少しの反論を返そうかとエースは考えたが、それよりも前にネロの言葉が場に放たれた。


「八方美人で優しいタイプよりも、君みたいに優しさに対して優しさを返す人の方が、娘を預けるにはありがたいのよ。芯が通ってる人、っていうのは、フローラの惚気話で耳が痛いほど聞いてるから」


「そんなに言ってるんだ……」


 エースがフローラに対して視線を向けると、フローラは気まずそうに視線をそらした。少し重たい視線を投げた後、またネロの方に戻る。


「それにね、セレシアがあーだこーだ考える負担が減ったのも、フローラが八方美人な優しさから芯の通った子に変わったのも、全部とまではいかなくても、エースくんとミストくんとの関わりがあったおかげっていうのは事実なの。あとは、フローラが相手の隠れた要素に怯えずに恋ができるのも、相手がエースくんだからこそ出来る話」


 そこにリップサービスの類はもしかしたらあるのかもしれないが、知らなかった事実を並べたネロの言葉に、エースは黙り込んでいた。他の面々も、ここで声を出すのが憚られるようで、誰も口を開かなかった。


「前に『なんでそんなに俺のことを信頼してくれるんですか』って質問したことがあったじゃない。それはね、信頼もあるけど、一番は感謝なのよ。どうしてもケアしきれない精神的な面で、決して強くはないフローラの心の支えになってるあなたの存在自体が、親である私たちにとってもすごくありがたかったから」


 やや低めの落ち着いた声で、ネロがそう口にする。感謝されるような人間ではない、自分のことを考えているエースも、この時はそのセリフを口にはできなかった。


 ほんの少しではなく、積もり積もった感謝が、言葉にされていると、そう感じられたからだ。


「今日どうしても来てほしかった一番の理由は、これまでのお礼が言いたかったからなの。エースくんにミストくん、本当にありがとう」


「いえいえ、そんな」


 畏まってされた礼に、ミストが手を振りつつ言葉を返した。


 一方エースは、しばらくの間固まっているかのように動かなかった。自分が、フローラだけでなく、スプリンコート家全体に対して必要な存在となっていた事実に、少し衝撃を受けていた。


 そんな様子のエースに、ネロが声をかける。


「あら、なんだかしんみりしちゃったわね。ごめんなさい」


「ああ、いえ、大丈夫です。むしろ、楽しい日に合わない話題を持ってきた俺の方が」


「大丈夫よ。本当に気遣いの出来る人間なのね、君は」


 ようやく我に返ったことで、今度は面と向かって口にされた感謝の言葉で、エースは少しだけむずがゆい気持ちになった。感謝されること自体は増えてきたが、まだ慣れることが出来ず、照れ隠しのような形で頬を指でかいていた。



 そんなやりとりをしている最中、玄関のドアが開いた音がリビングまで聞こえてくる。


 その音の方向を全員がそれぞれの形で向くと、大きな箱を2つ持ったテレノが現れた。


「ただい――おお、2人とももう来ていたんだね。今日は来てくれてありがとう」


「こちらこそ、ありがとうございます」


 ケーキの入っているであろう箱を置いてエースたちに軽く頭を下げたテレノに対し、エースとミストは立ち上がり、位置的に近かったエースが代表して挨拶を返す。


 元の位置に戻ると、唯一この場でのやりとりを知らないテレノが、不思議そうな顔をしていた。


「揃って何を話していたんだい?」


「始めてのやりとりと、将来の息子のお悩み相談よ。さ、準備するとしますかね」


 ケーキを食べるための食器類を準備するためか、椅子を立ったネロが台所へと歩いていく。


「そうだな。客人に手伝わせるわけにもいかんし、セレシア、フローラ、準備するよ」


「いや、スプリンコートさんの代わりに僕が準備しますよ。エースと2人で座ってて」


 テレノの言葉を聞いたフローラが席を立つ前に、ミストから発せられた言葉。表情を見る限り珍しく善意だけで口にされたそれに、台所に向かったネロが笑いながら反応する。


「うふふ、そうね。その方がいいかしらね。ミストくん頼むわ」


「はい」


 台所にいるネロもその行動に同意したとなれば、むしろ動くことの方がダメなのではないか、と考えたようで、フローラは席を立つことなくそこにいた。


 セレシアやテレノも準備を始めたことで、エースとフローラが隣り合った状態で残される。急に2人にさせられたことで、ほんの少しだけ気まずい雰囲気になる。


「今日は、来てくれてありがとう」


 その雰囲気を打開するかのように、フローラがそう言う。この日始めて自身にだけ向けられた言葉に、エースは柔らかな笑みを返す。


「こうして、一緒に祝う機会が出来てよかった。プレゼントは用意できなかったけど」


「いいんだよ、そんなの。一緒に過ごせるだけで、私はすごく嬉しいよ」


 フローラの優しい笑顔に、エースも自然と笑顔になる。


「さっきのお母さんの言葉、ちょっと重たい話もあったけど、全部本当なんだよ。今の私がこの形なのは、君のおかげ。ありがとう」


 改めて言われたフローラからの感謝の言葉に、エースは返す言葉を悩んだ。中身を作るまでの時間稼ぎをするように、またもや頬をかきながら、その視線をフローラからずらした。その先には、台所で準備をしている他の面々がいる。


 始まる前に言葉にしないと、という焦りの最中、自分の過去に想いを少しだけ巡らせて、エースは言葉を選び取った。


「こちらこそ、俺の未来を変えてくれて、ありがとう」


 もしかしたらずっと真っ黒だったかもしれない世界を、鮮やかに塗り替えてくれた人。


 フローラを含めたスプリンコート家の面々にとって、エースの存在が鍵だったのなら、そのエースの未来を変えたのは、紛れもなくフローラの存在があったから。


 お互いに作用しあったが故に、今のこの状況が出来上がっている。


 そしてもう少しで彼女と、セレシアの18回目の誕生日パーティーが始まる。



――もしかしたら、この光景を幾度か繰り返した先に、もう少し増えた家族と共に、誕生日を過ごす日が来るんだろうか。


 不意に、そんな考えがエースの頭をよぎる。


――そういえば、未来で待ってる、なんて言われたっけ。


 少し前に、未来から来た娘に言われた言葉を思い出す。いつの間にか目指したい未来が定まりつつあるこの頃、ずっとこの先も歩いて行きたいという思いは、強くなりつつあった。


 ただ、それは一気に飛び越えられるものではない。分かっているからこそ、パーティーの始まるその前にエースとフローラはもう1つだけ、未来へのやり取りを交わした。



「19回目も、隣にいてね」


「もちろん」





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