第17話 渡りの果てに



 ふとした瞬間に、エースの意識は、世界と繋がるギリギリの表面部分まで上がってきていた。感覚が少しずつ戻ってくるのを感じつつ、戻った部分は動かす準備を始めていく。


「ん……」


 そして身体全体の感覚が戻るとすぐに目を開け、そのぼやけた視界に明瞭さを取り戻す。


「うう……頭若干ガンガンする……」


 頭に少し居座る不快感に耐えつつ、エースは上体だけ起こして周囲を見回した。


 そこから見える世界は、一面の岩世界だけだった。あの時と同じ、本当にそれだけしかない世界に、エースは一人でいた。


「あ、俺ごと転移しちまったのか……。いやまぁそうか。そうだよな」


 覚えた既視感はひとまず置いておき、体についた砂埃を払って、エースがその場に立つ。


 何も知らなかった前回とは違い、知識を得た状態で、巻き込まれ事故ではあるが半分は望んでの転移。


 そうであるはずの2度目の転移も、エースにとってはいい感触ではなかった。無理やり世界との接続を切られて、奥に引きずり込まれるこの感覚を、未来において感じる機会は限りなくゼロに近くあってほしいと、そう思う。


 とはいえ今回のような本当に想定外だけを重ねた事態が存在することになれば、高確率で使うことになるのだろうという予想も、なんとなくはついていた。


「さて、どうなってるかな……」


 そう言いながら、ポケットから青い歯車状の石を取り出す。転移をしようとする翼竜の転移先をこの時間軸の時渡の森に固定するという方法は、この歯車状の石がなければ思いつかなかった。


 エースは今朝夢の中で言われた、神様の力の一部を使うべく、魔力を石に通して空中に地図を浮かび上がらせた。


 時渡の森を中心として空中に浮かび上がった地図には、光点が3つあった。時渡の森にある2つは今ここにいるエースの所在と、ほんの少しずれたものがおそらく翼竜の現在地。とするならば、もう1つは移動しているフローゼの現在位置を表していることが容易に推測できる。


 ただし、エースがどれほどの間、寝ていることになったのかは分からない。腕時計という高価なものなど持てるはずもなく、そんな緻密に作られた物品を、ぶつかり合いの多い前衛であるエースが持つことはない。故に正確にどれほど経ったのか把握できないままではあったが、ひとまず逃げようとする翼竜をこの時間軸に繋ぎとめることには成功していたようだった。


――まぁ別に、俺個人には、あの翼竜を追うメリットはもうないんだけども


 生き物である以上聞き取りは出来ないため、情報欲しさに翼竜を追うことに意味はなく、その情報を欲しないなら追う必要性はエースの事情だけなら皆無である。よって、反射的に行動した結果は、エースには何のメリットももたらさない。


 だが、元より翼竜を追ってきたフローゼのことを考えると、全く意味のない行動ではないのは確かだった。


 翼竜をこの時間軸に繋ぎとめることに失敗すれば、当然翼竜はどこかの世界線に野放しになる。そうなれば、フローゼは更なる転移を重ねて追い続けていく可能性は極めて高く、もしそれが不可能なら責任感故に頭を抱えるだろう。どちらにしても、心身にかかる負担は想像に難いものがある。


 そこまで考えると、エースの行動によってそうならない道を引き当てたことに意味はあったと、そう考えるしかなかった。


「まぁ、大丈夫かな……」


 光点が少しだけこちらに近づいていることから、少なくともフローゼは確実に時渡の森方面へと進んでいることが分かる。おそらくはフェアテムにより翼竜が転移したことを、あの場にいたセレシアかフローラ伝いに知らされたのだろう。後はフローゼたちと合流して翼竜を共に叩けば、一連の流れはひとまず終わるだろうと、エースの頭の中で筋道が立てられる。


――俺もここから出ないとな……


 石をポケットに戻し、エースは視線の先に伸びる道へと歩みを進め始めた。


 いくつか伸びていた脇道には、エレメント系の魔物の中でも図体の大きな個体が闊歩していた。しかしエースに対して何かしらの魔法を飛ばすことはなく、こちらを数秒向いた後にすぐさま元のように浮遊した状態で動いていた。


「本当に敵対されないんだな……」


 以前伝えられていた、石を持つことによる変化の1つ。『守護者たるシェルトエレメントに敵対されない』という言葉を実際に目の当たりにし、エースは驚きの表情を顔に宿していた。


 前にフローラが石なしで突入した際にかなりのダメージを負っていたのは、事後の彼女と事の流れを聞いただけでなんとなく分かった。エースが相対したならばその結果がどうなるかはほんの少し興味があったが、今はこの後に控える戦いのために無駄な消耗は避けなければならない。


 シェルトエレメントの行動を気にしていたのは十数秒の間のみ。エースは石を持ったことにより揺らいだ空間を目の前にして立ち止り、揺らぎの凪いだ後の空間へと足を踏み入れた。


 そこにあった、外からの光に照らされた入口を抜けて、その先の木々の生い茂る森までたどり着く。


 木漏れ日が降り注ぐそこでは、大きな泉が神々しさを保ち、透明な水を湛えていた。


「また来ちまったな……」


 エースに強烈な既視感を再び覚えさせたその場所は、今朝の夢の中で見た場所。こうして現実で来ることは、面倒なことに巻き込まれたことにほぼ等しく、出来ればあってほしくなかったと、そう考えている。


 とはいえもう変えようのない事実で、それ以前に自身が選んだ選択肢である。己の選択に難癖をつけ続けるのはあまりよろしくないと感じたエースは、思考を切り替えてまだ終わっていない出来事に目を向けた。


 と、そこであることに気づく。


「あれ、翼竜どこだ……?」


 石がきちんと光点を示していたことから、間違って時間軸を移動した、という可能性はないに等しい。


だがそうであるならば、この近辺に翼竜の姿が見えなくてはならない。


 先ほど見た情報の虚偽が気になり、エースは再び石に魔力を通して、地図を眺めた。光点は変わらず3つ、そのうち2つが限りなく近い位置にあるのは、見間違いではなかった。


――マジでどこ?


 偽りのなさそうな情報に、エースは戸惑うことしかできない。もしや洞窟の中か、と考えるが、さらに思考を進めると、同じタイミングで転移したはずが、エースが目覚めた場所にいなかったことも疑問として浮かび上がる。


 反射的な行動を重ねた結末として、エースは、時渡の泉を前にして、途方に暮れるしかない状態に陥っていた。己の頭に描いた予想と現実とのずれに悩み、それをどうにもできず、草の上に座り込む。


 時間が解決してくれるかな、という淡い期待も、抱いてすぐに消す。それで解消されるなら、エースは最初から悩んだりしないのだ。



 そんな匙を投げたくなりそうな出来事に遭遇したエースの、目の前の何もない空間が揺らぎ始め、数秒後にはフェアテムの姿がそこに現れていた。


 次いで、何もかもを気にしていなさそうな軽々しい声が、エースの耳に入ってくる。


「やぁ。ここで会うのは2回目かな」


「どーも。まさかまたここに来るとは思わなかったよ……」


 ややげんなりした様子で、エースが言葉を返す。その反応を当然とでも言うように、フェアテムは淡々とした口調で話を展開していた。


「それはそうだろうね。ここに何度も来る人はそうはいない。で、そんな萎えた様子を見る限り、何があったのかな」


「まぁ、別の翼竜の転移に巻き込まれたというか飛び込んだというか……」


 そこまで言って、エースは目の前の神様ならば何か分かるかと考え、思いついた問いを投げかけた。


「なぁ、俺を巻き込んだ翼竜、どこ行ったか分かるか?」


「おそらくは洞窟の中で眠っているよ。転移自体が魔力を大量に使う行為だからね」


「へぇ、そうなのか……」


 初出の事実を知り得てたエースは、またあれこれと考え始める。


 眠るほど大量の魔力を使う行為であるならば、おそらくすぐにどこかに行ってしまうことはない。しかし洞窟のどこにいるかが分からない以上、手出しも出来ない。


 早くも筋書を外れそうな現状に、エースは口元に手を当てて唸りながら考えこむ。


「どうかしたのかい?」


「いや、その翼竜に暴れられるのを止めたいんだが、どうにか出来ないかなって」


「なるほど。それならば洞窟に戻って仕留めるといいんじゃないかな。今なら簡単だよ」


 物騒な中身を備えた言葉を、何のためらいもなく口にするフェアテム。それを聞いたエースは、流石に己の善性が生み出した言葉を、その口から発した。


「いやマジか……。神様だし何とかできないのか?」


「私から頼む分には、基本は無償だ。しかしそちらから神様に頼み事をする場合、気まぐれでもない限りは代償が必要だよ」


「いやでも時竜なんだろ? 同じ時間に関する能力を持つんだし、何か言えば従ってくれるんじゃないか?」


 流石に不用意な殺生を避けたいと考えて、エースは食い下がる。その様子など気にすることなく、フェアテムは一切の配慮のない言葉を投げた。


「確かに時竜は私たちの力を受け継いだ竜から派生する生物だ。だけど生き物である以上行動の管理はしていない。だから私たちには、何の責任もないんだよ」


「ええ……なんだよそれ」


 屁理屈にも聞こえるセリフに、エースは呆れたような言葉を零す。


 生物の行動を全て管理することが出来ないのは、エースもよく理解している。特にヒールとメールと出会ったこの数ヶ月で、生き物の奔放さへの理解はより深まった。


 とはいえ、その行動の責任を負うことはしない、という言葉を認めることは、己の善性が拒否していた。流石に身勝手だろうと、そう言わざるを得ない。


「つまりは、別にどんな被害が出ようが知ったこっちゃないからどうするかも全部ご自由に、ってか?」


「そういうこと」


「ほーん……」


 ほぼ時間を置かずに返答したフェアテムに、エースは強い非難を宿した重たい視線を突き刺した。判断基準が人とは違うものであることを分かっているとはいえ、その無責任による被害をもらっているエースたちとしては、あまりに迷惑なことだ。


 だが、その償いを得られる機会はなく、事の起こりを知っている自身が何とかするしかないのだろう。そう考えた後、ため息を大きく吐き出したエースの目の色が、少し変わった。


 その目に宿された青は、闇のような深さを携える。


「その竜が寝てる場所は、迷わずにたどり着けるものなのか?」


「僅かなずれに、根気よく付き合う気があるならば」


「そうか……」


 フェアテムから得られた答えに対して、エースはこれまでとは違い、多くの文言を含む反応を返すことはしなかった。短く言葉を返した後、歩みを先ほどまでいた洞窟に向ける。


「覚悟を決めたのかい?」


「決めるも何も、そうするしかないだろ」


 背中側から聞こえてきたフェアテムの言葉。もはや煽っているのか、と思うくらいに分かり切ったことを投げてきたフェアテムに、エースは無愛想な返事で答えた。


「やるしかないなら、流石に心を決めるさ」


 もう1つ、そう言い置いて、エースの姿は洞窟の中の、揺らぎの奥へと消えていった。


「なるほど」


 何もなくなった洞窟の暗闇に残像を見るかの如く、見つめていたフェアテムは、どこか満足そうにそう呟いていた。


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