第16話 その後悔を前向きに
「……!、……ちゃん!」
誰かが、自身のことを呼ぶ声。ただ呼ぶのではなく、呼びかけるように、語尾が強い。
その声に引き戻され、フローゼは沈んでいた己の意識を引っ張り上げた。
「ん……」
うつ伏せになりやや横を向いた状態の顔から放たれる視線の先に、誰かの顔が2つある。しかし意識を取り戻した直後のぼやけた視界では、その髪の毛のクリーム色しか認識させてくれない。
「フローゼちゃん、大丈夫!?」
ようやく音の意味を取り込むことが出来るようになって、フローゼは始めて目の前の人物たちが誰なのかに気づいた。
「お母さん……?」
ぼんやりとした視界に、しっかりと意識を通して明瞭にしていく。
そこには、自身のことをやや上方から心配そうな表情で見るフローラと、少し離れた位置から同じ表情で見ているセレシアの姿があった。
体を起こして体勢を変えると、フローゼの着ている制服に刻まれた多数の小さな切り傷や、裂けた部分から覗く白い素肌など、今のフローゼの状態が明らかになる。
「うわ、大分派手にやられてる……」
「あう……」
今更ながらこみ上げてきた気恥ずかしさに、胸元を隠すフローゼ。制服の裂けた箇所から下着が、下着も裂けたところからは素肌が覗き、母親譲りのスタイルが世界に少しだけさらされていた。
「とりあえず、これ」
そんなフローゼに、セレシアが自身の着ていたパーカーを脱いで差し出してくる。差し出された手をフローゼの視線がたどり、半袖姿になったセレシアに顔に行き着くと共に、簡素な問いかけを投げた。
「いいんですか?」
「いいも何も、そんな格好で外を歩かせられないわよ」
「じゃあ……お言葉に甘えて」
フローゼが差し出されたパーカーを着て、ジッパーを上まで上げる。サイズが同じなのか、特に不快感なく着ることが出来たようだった。
「で、そんなにボロボロになって、何があったの?」
「えっと……」
セレシアからの問いかけを受けて、思考を記憶の海に飛び込ませる。こうして広い原っぱの真ん中でうつ伏せて意識を失う前に、何が起きていたのか。
それを探り出していく最中に引っかかった一つの要素が、フローゼの意識に警鐘の念を呼び起こさせる。
「2人とも、お父さんには会えましたか?」
「うん。会えたんだけど……」
「何か、あったんですか?」
フローラの歯切れの悪い言葉を聞いて、フローゼがおずおずと聞き返す。
「もう既に翼竜と戦った後で、その後の翼竜の転移に巻き込まれて時渡の森に行っちゃったの」
「そう、ですか……」
既にかなり進行してしまっていた事態を知らされ、視線を落としたフローゼが少し弱々しい声でそう口にした。
当初の巻き込みたくないという思いだけならば、その言葉は全てが自責の念で染めあげられていただろう。
だが今は、意識が落ちる直前に戦っていた男の声のせいで、言葉に微量の安堵を混じらせている。
「じゃあ、私が会ったのは、ただ声が似てただけの人だったのかな……」
「どういうこと?」
フローゼがぽつりと零した言葉を、フローラが拾い上げて問う。
「私はさっきまで、乱入してきた竜と戦ってました。その途中で横槍を思いっきり入れられて、こんな感じになったんですが……」
問いに対する答えをそこまで言うと、フローゼはその先の言葉を言うかどうかで少しだけ迷った。
フローラがフローゼに対して噓をつく必要はない。それはフローゼ自身分かっているが、それでも口にすることを少しためらいたくなる。
フローゼが黙ったことを不思議に思ったセレシアとフローラの視線に、フローゼは気持ちが落ち着かないままで閉じた口を開いた。
「その時相手にした人の声が、お父さんによく似てました。顔が見えなかったので、声でしか判別できなかったんですけど」
「フォンバレンくんに似てる……って、どういうこと? 私たちはさっき、ちゃんと会ったのに……」
「分かりません。でも、お母さんたちがちゃんと会えたなら、本当にただ声が似てただけなんだと思います」
自身の言葉の中身で少しだけ表情の曇ったフローラを、フローゼが自分の思い過ごしだとして元気づけようとする。
しかしすぐに、彼女自身の表情も曇る。
「でもなんでなんだろう。私の世界で、過去に飛んだことを知ってるのは多分お母さんくらいしかいないですし、このあたりにいることは誰も知らないはずなのに……」
「じゃあ、全く知らない人にやられたってこと?」
「はい。でも、その人は私をこんなにした後どこかに行ってしまったみたいです。やるなら徹底的にやればいいはずだから、余計に相手の目的が分からなくて……」
自身の知らぬところで恨みを買っていた、というのは、人間関係ではよくある話だが、この事件に関してはフローゼの中で一切思い当たる節がない。
そのことが、恐怖を這い寄らせる原因となっていたのだった。
「ねぇ、そもそもフローゼはなんでこの世界に来たの? 時渡の森に行きたいって言ってたけど……」
「それは……」
追い打ちをかける意図はなかったのだろうが、セレシアに己の目的を改めて問われ、フローゼの表情がより曇っていく。
隠しておきたかったものを、もう隠せないところまで来てしまったことを悟ったフローゼは、より重たくなった口をゆっくりと開いた。
「私がこの世界に来たのはさっきの翼竜を止めるためでした。この世界の時渡の森に転移していることを知った私は、私の世界線の神様に頼んで、この時間軸に飛ばしてもらったんですが……その時に降り立ったのが、フォンバレン家の前だったんです」
「そっか。だからあの時、フォンバレン家の前まで来れたんだね」
「はい。時結びという行為自体は事前に出来ることが分かっていたので、それだけ済ませてフォンバレン家を出ようと思ってました。ただ、それには私の素性を明かさないことには怪しまれますし、かといって迷惑はかけたくない。だから、私はお母さんの方のファミリーネームを使って関係性をぼかすことで、本当の理由を隠し通せないかと試みたんです」
フローゼが語る、この世界に来た理由と、当初のやりとりの理由。今になって明かされたその事実を、セレシアとフローラはただ聞いているだけだった。
「だけど神様に夢の中でバラされてしまって、お父さんだけは朝の時点で私がここに来た理由を知ってました。ただ、それでも私の願いを聞いて黙っててくれたから、まだ何とか出来ると、思ってたんです」
話しているうちに悲しみに染まった声が、世界に向けて絞り出されていた。まるで自傷行為を望むかのように、フローゼは自らを責めるその語りを止めなかった。
「本当は全部私がやらないといけないのに、私の甘い考えでお父さんやお母さん、ミストさんにセレシアさんまで巻き込んでしまって、押し付ける形になってしまって……本当にごめんなさい」
水色の瞳に目に涙を溜めたフローゼの口から、謝罪の言葉が零れ落ちていく。全て自分で背負い込めるはずだったものが予想外に大きくなり、それでも何とかしようと頑張った彼女の心は、活力を得たはずの一時から数時間で崩壊しかけていた。
そして、自責の念に苛まれた彼女は、やがてこらえきれなくなったように咽び泣き始めた。
「フローゼちゃん……」
かける言葉を選ぶことが出来ず、フローラは目の前で泣いている少女の名前を呼ぶにとどまった。
出会ってすぐの頃は、少しの予定の狂いこそあれど明るく振る舞っていたが、全てが狂ってしまった今は泣くほどに自分を責め続けるしかなかった。そしてそれでも足りないと感じるくらいに、フローゼは責任感に押し潰されていた。
そんな彼女を、セレシアがそっと抱きしめる。突然の行動に、フローゼの涙が少しの間止まった。
「セレシアさん……?」
「お父さんとお母さん、両方の悪いとこ継いじゃったね。いいとこでもあるんだけど」
「え?」
元の態勢に戻りながら口にされたセレシアの言葉を聞いて、フローゼは目にたまった涙を拭いながら顔を向けた。
「フォンバレンくんもフローラも責任感が強すぎるくらいで、そんな2人の子供だからそういうとこも当然引き継ぐんだろうけど……ちょっと気負い過ぎな気がする。あと個人的には、そこを継ぐならあたしのちょっと楽観的なとこ継いでほしかったなー」
最後の少し笑いながらの言葉は、おそらくはセレシアなりの気遣いなのだろう。
その表情はすぐに消え、しかし柔らかさはそのままに、言葉が続いた。
「どんなにいい血筋や能力を引いて、なんとか出来る力があったって、そもそもフローゼは1人の女の子だもん。個人差はあるけど、どうしても力負けとかはあるだろうし、1人で出来ることの限界だって、そりゃああるよ」
そう語るセレシアは、途中、どこか懐かしむような様子を見せていた。
いつもの彼女とは違うその静かな語りに、言葉を向けられたフローゼだけでなくフローラも聞き入っていた。
「だから、もう少しだけ周りを見て、余裕のあるうちから頼って。頼れる人はいっぱいいるから。フローゼの世界でもそうだし、今も私たちやフォンバレンくんたちがいるから、ね」
「でも……」
「迷惑かどうかは……確かにそうかもしれないけど、知らないよりも知ってた方がやりようがあるし、知ってれば何かしら出来るかもしれない。一人で抱えるより、みんなで考えよ。ホワイトボードはみんなで使えって言うくらいだし」
最後のセレシアの言葉に反応して、フローラも笑顔を見せる。フローゼを元気づけようとしてくれている2人の行動に、フローゼの心に絡まっていた棘茨は消えて、その中に暖かな感情と落ち着きを注いでいた。
そしてその顔は少しの間瞼をふせて、次いで泣き笑いの表情を作っていた。
「はい」
「よし、ちょっと元気取り戻したっぽいね。辛気臭いのは似合わないよ」
そんなフローゼを見て、セレシアは頭を撫でていた。撫でられるその感触に、心地良さを覚える。
ずっとそうされていたい気持ちはあったが、事態は今も動いている。それを分かっているからこそ、フローゼは自ら温もりを抜けて言葉を発した。
「で、これからどうするんですか?」
「まずはスプラヴィーンくんと合流しよ。フォンバレンくん曰く校長室らしいし、そうならスプラヴィーンくんだけ何も知らないから」
「分かりました。戻り――あ、待ってください」
「どうしたの?」
吹き飛ばされた際に手放した得物の存在を思い返したフローゼは、フローラの聞き返しに対して、傍に落ちていた棍を拾い上げることで答える。
「私の大事なこれを、申し訳ない気持ちでいっぱいになったせいで忘れるとこでした」
そう言いながら器用にくるくると回し、フローゼはその感触を確かめる。
「じゃ、行こっか」
「はい!」
元気よく返事をしたフローゼはフローラたち一行に加わって、サウゼル魔導士育成学校への道を進み始めた。
その道中、先ほどまでの思い詰めたり、悲しげになったりした後ろ向きな表情は、全く顔を見せなかった。
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