第15話 薄氷の上で踊る花
時間を遡り、セレシアとフローラたちが去ってから間もない頃。
フローゼはおそらくこのままでは通してくれないであろう青色の竜を前にして、得物である棍を構えた状態で出方をうかがっていた。目立った動きは、ヘアゴムで束ねられた髪が時折風でなびくくらいしかない。
後方支援型の母親からは才能を、前線で戦い抜く父親からは技術を受け継ぎ、相手との距離に関係なく戦えるフローゼも、まだ学生である。実戦経験などそう多く積めるはずもなく、当然のことながら図体の大きな個体と戦うのは始めてだった。
そもそもの話として、このような大きい個体と戦う経験が育成学校の生徒にとってどれほど存在するのか、という疑問もある。少なくとも今のフローゼは、依頼でこのレベルの個体を相手にするものがあった、という情報をまだ手にしていない。
相対している竜の方、己の実力に何の疑いもないかのように、悠然とフローゼを見ているだけだった。時折鳴いているその様は、あちらも出方を窺がっているような、そんな気配をさせている。
重厚さを感じさせるその鱗は、おそらく生半可な攻撃を通さない。技術はあれど絶対的なパワーがどうしても足りないフローゼにとって、全力を叩き込み続ける必要がありそうなのはやや辛い話だった。それ故に、フローゼが勝つための筋書きは、書き起こすことすら出来ずに白紙のままだ。
そんな、お互いが様子見の姿勢を見せる中、先に戦いの火蓋を切ったのは竜の方だった。その口を大きく開け、翼竜が放ったものよりも少し大きな火球を、狙いの狂いなくフローゼへと放つ。
まともに食らえば消し炭になりそうなそれを見たフローゼは、父親と同じく氷の壁を展開した。厚く作られたそれは火球を真正面から受け止め、熱で溶かされながらも衝撃に耐えている。
火球の方も阻まれたことで勢いを失い、氷壁を溶かしながら進むも完全に突き抜けることは叶わない様子だった。数秒後には完全に消し止められ、攻撃は届かずじまいに終わる。
「はああっ!!」
氷壁の横から飛び出したフローゼが、気合の乗った声と共に、疾風の如き突きを放つ。棍の先に作られた強固な槍の刃が、竜の体に叩き込まれる。
僅かに狙いが逸れ、胴体に突き刺さった刃。それは、穂先たる氷を赤い血に濡らしただけで、それ以上にはならなかった。ダメージ自体は発生しているらしく唸るような鳴き声が響くが、竜はそのままフローゼに向けてやや長い首による薙ぎ払い攻撃を敢行してきた。
その攻撃は槍と化した棍を抜く暇すらも与えず、そのやや長いリーチに巻き込まれる形でフローゼの体に叩き込まれる。吹き飛ばされて宙を舞うフローゼは、受け身を取り、少し転がって体勢を整えていた。
刺さっていた棍は、その時に穂先が折れて抜けたのか、フローゼとは別の方向に飛んでいたようだった。それを見つけたフローゼは、己の得物を素早く回収し、また向き直る。
竜はその大きな図体を空中に運び、空からフローゼを見下ろしていた。そしてあまり大きくはない火球群を、フローゼの周辺一帯にまき散らす。
「やばっ……」
もはや流星群のように降り注いでくる小さな火球を、フローゼは留まらずに身を動かして回避する形で耐えていた。威力の小さい火球たちは地面に刺さって消えていく程度のものでしかないが、それがばらまかれるようになれば、決定打にこそならないものの防戦気味にはなる。
合間を縫うように動いて、飛んでいる竜の元に接近を試みるが、相手は飛んでいるため直接触れることは出来ない。
そして狙われているために、立ち止まって放つタイプの魔法は、その動作すらも許されない。
故にフローゼは、今可能な範囲で近づいた後、相手の頭が見える位置に居続けるために弧を描くように動いた。合わせて、魔法による氷の礫を、頭周辺をめがけて乱射した。
火球の発射は予備動作が少し入る分、乱発は出来ても連発は出来ない。それを利用して、フローゼは相手の発射速度を上回る量を、ひたすら叩き込み続けた。
微々たる礫ではダメージは入らない。しかしそれを撃ち続ければ、己の行動を妨げる鬱陶しい攻撃に変化し、それに対処せざるを得なくなる。最初は火球で礫を消し去ろうとしていた竜も、発射の予備動作中も己の顔を掠め続ける大量の礫が煩わしくなったようで、火球を打つのを止めて振り払うように首を振って宙に留まった。
「グァァァ……」
短めの重低音をその喉から響かせ、僅かに飛行高度が落ちて頭が狙いやすくなった瞬間を、フローゼは逃さない。
「リオート・キャノン!!」
それは、父親であるエース・フォンバレンがよく近接戦闘の隙埋めに使う魔法。これまでのものよりも大きな氷塊を、まず顎狙いで下から放った。
竜は頭に走る衝撃に怯み、さらなる攻撃へと繋げることの出来る時間を生む。
そこに、頭をめがけて上から2つ目の氷塊が落ちてくる。高い空間認識能力により、狂いなく生成されたフローゼの氷魔法は、竜の脳天を捉え、行動不能に陥るには十分な量の衝撃を与える。
流石に効いたのか、竜はその青色の巨体を、ようやく地に降ろした。痛みに耐えているのか動きは鈍かったが、まだ行動不能になるだけのダメージにはなっていないようだった。
フローゼを見据えて、咆哮とまではいかない重低音の鳴き声を発する。若干震えている大気は、否応なしに相対する者の元へと伝わってきた。
――この竜、大きい分しぶとい……!!
手汗が目立ってきた手を制服に擦り付け、得物たる棍を構え直して前を見据える。
ありとあらゆる戦闘において、出来ることなら不用意な殺生をしたくはない。それは、母親の影響を色濃く受けたフローゼが、魔法を学び始めた頃から考えていることだった。
そのことを尊重してくれた父親が、それでも自分の身を守れるように、と教えてくれたのが棍のような打突系の武器の扱いと体術、そして相手を行動不能にする立ち回りであった。フローゼが前衛足り得る技術を持つのは、そのエキスパートである父親の丁寧な教えの部分が大きい。
しかし、それで何とかならない、殺意を持って殺しに来る相手が明確に存在することも、父親は厳しい視点として教えてくれていた。そのような相手に対しては、傷を負わせ、殺すところまでいかなければ、己がやられる可能性は常に存在し続ける。
分かっているからこそ、フローゼは最初からそのつもりで挑んでいた。普段使わない槍状の穂先を初手から解禁したのも、そのためである。
フローゼは再度棍を構え直し、穂先に槍状の刃をつけた。動きが鈍くなっている今叩くのがベストだと考えて、地を蹴り出す予備動作に入る。
「……違うな」
突如聞こえてきた声に、フローゼは走りかけていた足を止めた。背後に聞こえる足音は、少しずつ近づいているように聞こえる。
「おと――」
振り向きながら声の主に向けた言葉は、見えた姿の違いに気づいたことで止まった。
そこにいたのは、やや先が破けたローブを身に纏い、仮面で顔を隠した1人の男だった。先ほどまでその存在に気づかなかったことに驚きを覚えるくらいに、異様な雰囲気を漂わせている。
「お前は誰だ?」
二言目その言葉を言い放った男の姿は、フローゼの記憶にはない。しかしその声は、確実に聞き覚えのあるものだった。
父親のものとよく似た声を聞いたフローゼは困惑した表情を隠せず、まるで声を失ったかのように、男の問いに答えることが出来なかった。
「まぁいい……」
男は、問いの答えが得られないだろうと考えたのか、自ら答えの追求を止めていた。
直後、男はフローゼに向けて、強烈な突き攻撃を放ってきた。どこから取り出したのか分からない剣のその切先を、フローゼは持っていた棍を使って逸らす。
全体が魔力を通しやすい金属製素材で出来ている棍の、切先が擦れた位置に火花が散り、受け止めた棍とそれを支える腕に思った以上の衝撃が伝わる。勢い負けしないように踏ん張るフローゼは、その嫌な感触を受けたことで、若干痺れた腕の感覚に表情を険しくさせていた。ここから反撃に移りたくとも、手が動かせないのでは叶わない。
それ故に何も出来ず、受け止めた衝撃で動けないフローゼに、相手は押し込む形の蹴りを仕掛けてきた。もはや突き攻撃であるそれを、一瞬力が抜けたその間に受けたことで、フローゼの体は後方に吹き飛ばされる。
棍は握り切れずにどこかに飛び、フローゼの体は少し離れた位置まで転がって止まる。叩きつけられた痛みに顔をしかめるフローゼだったが、事の流れは痛みをこらえきるだけの時間をとらせてはくれない。
棍を回収しようとする前に、男がそこに先回りをし、フローゼを迎撃する。剣ではなく拳の攻撃が襲ってくる中、フローゼはそれを打ち落とすように防御する。一発はやや重い攻撃だったが、痛みを振り切って合間にカウンターを挟む。
しかしそれは力が足りずに突き刺さらない。技術では補えない絶対的な力の不足が、ここに来て恨めしく思われる。
振りぬかれた相手の右拳をそらし、カウンターを打とうとするが、引き戻す動作に連動した左拳を予感して、次の動作を回避に切り替える。
近距離であるが故に、フローゼは体を捻じっての回避行動をとり、その胸元ギリギリのところを相手の左拳が通る。
その次の瞬間、避けているはずの拳の軌道に沿って、少しの解放感と裂ける感覚を覚える。
いつの間にか左拳に握られていた小さな刃が、フローゼの胸元を覆う衣服を裂いていた。衣服だけを掠めるギリギリに調節されているであろうその攻撃に、フローゼは顔をしかめた。
母親譲りの恵まれたスタイルを持ちながら前衛を務めたフローゼが今までに戦ってきた人の中に、そういう衣服だけを狙った攻撃をする相手がいなかったわけではない。だがそういう相手は弱々しい攻撃になりがちで、フローゼはその都度やましい考えの相手を返り討ちにしてきた。
しかし今回は、明確な攻防の中に混ぜ込まれたため、読むことすらも出来なかった。今すべきことではないと分かっていながら、反射的に胸元を隠そうとしたフローゼに、相手の体当たり攻撃が当たる。
防御姿勢になれず攻撃をもらったフローゼは、そのまま後ろに突き飛ばされた。また地面の上を転がり、出来た距離の先にいるローブ姿の男を見ている。
少しの間静観していた青色の竜は、痛みをこらえどうにか立ち上がろうとしたフローゼの視線の先で、男の指示を受けている。どこかへと飛び立とうとする竜にフローゼは最も高速で生成できる氷の礫を放つが、それは気づいた竜の羽ばたきで勢いを弱められ、攻撃にはならなかった。
時間稼ぎにはなるか、と考えた次の瞬間に、ローブ姿の男が急接近する。動きが遅くなったフローゼが防御態勢を取るよりも早く、飛び蹴りがフローゼの腹部に突き刺さる。
「がはっ……!?」
強烈なダメージにこらえきれず、フローゼは口から少量の血と体液を吐き出す。
その後、大きな衝撃によりふらつき、大きな隙が出来たフローゼに向けて飛んできたのは、小さな氷の礫だった。掠めていくそれらは、フローゼの身を小さく切り裂き、白い素肌に赤い色をにじませる。
思うように身動きのとれないまま、ローブ姿の男はフローゼの目の前に再度現れた。防御態勢を取ろうとするフローゼの空いた背面に回ると、そのまま素早い肘打ちが一撃、背中に突き刺さる。
何も出来ずによろめいたフローゼは、足に来たダメージで体を支えきれなくなり、そのまま地面に倒れ込んだ。
段々と閉じていく視界の先で、ローブ姿の男が竜に何かを伝え、竜が去っていく。
「待って……!」
どうにか伸ばした腕は、数秒も持たずに、地に落ちる。何も為せない無力感に苛まれながら、フローゼの意識は深い闇の底に沈んでいったのだった。
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