第13話 春に荒れる吹雪
頭上から降り注ぐ光を受けてもなお黒い鱗に、やや黄みがかった翼膜。それは少なくとも、このサウゼル魔導士育成学校の地域近辺ではまず見ない姿。
そんな明らかな異質さを身に纏った翼竜が、呆気に取られていた集団に向けたのは、挨拶代わりの大きな火球を一つ。
その火球の衝突を防いだのは、一瞬早く我に返ったエースが作り出した氷の壁だった。
造形を行う魔法は、集中の度合いによってその硬度が大きく変わる。それ故、咄嗟に近い形で作り出したせいで脆く出来上がっていた壁は、火球の衝突の勢いでえぐれ、氷の破片を飛び散らせる。
「間に合った……」
戦地になりそうな様相のある中、ギリギリのタイミングと耐久力での防御を成功させたことに、エースは少しだけ安堵の息を漏らした。反射的に放った魔法により、これから得ようとしていた情報の損失は避けられそうであった。
エースがほぼダメージを引き受ける形になった前回とは違い、今回はエースたちはあまりダメージを追っておらず、逆に相手側のダメージが多い。そのような状況で、更なるダメージを追うような状況があれば、先ほどまで行っていた追及が不可能になるのは目に見えていた。
同じ学校の生徒ではあったとは言え、明確に拳を交わした敵同士であるという事実が消えたわけではない。しかし、ビートたちから背景事情を未だに聞き出せていないこと、故に彼らにこれ以上のダメージを与えるとむしろ不利になってしまうことを考えると、これ以上の被害はない方がいいと、少なくともエースはそう考えていた。
そうして損失を免れたと思ったのも束の間、翼竜から次の火球が放たれる。防ぎきるには、既にある壁だけでは耐久力が足りない。
それを分かっているエースは先ほどよりも余裕をもって、次の壁を張った。分厚く張られた壁は第二第三の火球を防ぎきり、その役目を果たしていることを示すかのように、ひび割れていた。
翼竜の方も、この攻撃では突破することが不可能だと判断したのか、火球の無駄撃ちを止めて空中からエースたちを見下ろしていた。当然エースたちも、その行動を視界の中に収め、気を引き締める。
場は、突然の襲来から、少し落ち着いた様相を見せる。
停滞にも近いその場を再び動かしたのは、今まで敵対していたビストだった。
「これもお前らの策略か?」
「んなわけあるか。どう見たって俺らも狙われてんだろ」
発言者的には真面目な思考ではあるのだろうが、それは明らかに、現状を含めての思考が足りていない発言だった。そんな発言をし、未だに疑いの目で見ているであろうビートに向けて、エースは言葉を吐き捨てた。
その視界で捉えている翼竜はこちらの反応を観察するかのように、未だ宙で羽ばたいている。次の一手に何が来るか、それを予想できるだけの予備動作がなければ、エースたちの側から仕掛けるのも難しい。
「ミスト、こいつら全員連れて、校長のとこ行け」
「エース?」
突然のエースの言葉に、ミストが困惑した表情で聞き返す。エースは、翼竜の次の動きを見逃すまいと視線はそちらに向けたまま、ミストに向けて己の意図を口にした。
「情報の聞き出し作業は俺がいない方が進むだろうし、なんなら俺はこっちで食い止める方が性に合ってる」
「それはそうかもしれない――「そう思うんなら行ってくれ」
おそらくは反論に等しいものが続くはずだったミストの言葉を遮って、エースは己の声を吐き出し続けた。
「逃げたところで追撃する素振りがあればこっちで食い止めるし、そっちが狙われなければそれでよし。適材適所、上手くやるぞ」
「……分かった。任せたよ」
これ以上会話を続けるのは無意味だと考えたのか、ミストはそれだけ言うと、未だに目を覚まさないローブ姿の男2人のうち片方をやや乱暴に担いだ。
その動作を一瞥したエースは、戻した視線を固定したまま、言葉の向く先だけを変える。
「そういうわけだ。自分の身の保証したいなら、余計なこと考えずにちゃんとあれやこれや話しとけ」
「お前……」
聞き出しをしていた時とは明らかに表情や雰囲気の変わったエースに、場にそぐわない言葉や要求をするだけの余裕があったビートも、その後の言葉を続けようとはしなかった。エースもそれ以上に何かしらの言葉を続けるつもりはなく、ただ敵を見据えていた。
少しの沈黙の後、ビートは未だに目を覚まさない仲間を背負って、何も言わずにミストと共に学校の校舎方面へと走り出していった。
「よし……」
一瞬でも相手の行動に遅れないように視線を固定していたエースは、足音の聞こえ方だけでそれを確認する。
するとエースの視界に、次なる動作の予兆が現れた。
翼竜は左右の翼を羽ばたかせて、風魔法にも似た強烈な突風を生む。エースはその風を、氷壁を生成して瞬時にしのぐ。
通常よりも強い風で衝撃が与えられているのか軋む音をさせている氷壁を前にして、少しの余裕が出来たエースは周囲の状況を見た。
いくら広大な立地を誇るサウゼル魔導士育成学校とはいえ、森に繋がる道の入口の周辺には、それほど土地の余裕はない。加えて近くには遠くに自宅がある生徒のための寮があり、長時間の戦闘で流れ弾がそちらに当たらないという保証は、もちろん出来ない。
現に今も、これまでの戦闘によって発生した音を聞いたのであろう数人が、窓から顔を覗かせているようだった。
「まぁ、休日にこんだけ騒ぎ立てりゃ見るわな……」
普通に考えればそちらに気が向いて攻撃が飛びそうなものだが、幸か不幸か今のところそのような素振りはない。
――多分こいつも、同じ理由だろうな……
先ほど校長室へと向かったビートを含むローブ姿の男たちの戦っている時と同じように、この翼竜にもエースだけを狙っている節があることを、エースは開幕の火球攻撃でなんとなく察していた。氷防壁による防御を全て成功させたのは、それが乱発されるのではなく、明確な狙いを持って吐き出されていたから、というのが大きな理由である。そうでなければこの場所で、氷壁以外への被弾なしに済ませるのは不可能に近い。
エースは、他に注意が向かない現状を利用して、あえてその場から離れた。目論見通り、狙いの変わらない翼竜は、氷壁から飛び出たエースの行動に合わせて移動を開始する。
先を行くエースの視線の先には、主に魔法が飛び交うような戦闘の演習用に使われる、土の広大なグラウンドがあった。障害物もないそこならば、エース狙いで放たれた攻撃を避けても、周りの被害はさほど気にせずに戦うことが出来る。
グラウンドに入って十分に周囲が確保出来たあたりで、エースは動きを緩めながら翼竜の方に向き直る。
その次の瞬間には、全身の力で地面を押し込むように、向き直った方向へとその身を動かした。意表をつくような形の行動に翼竜の反応は遅れ、何かしらの行動をとることは叶わないようだった。
「外さねぇ……!! リオート・ランサーズラッシュ!」
エースそのまま滑り込むように翼竜の下を通りつつ、直下から氷の槍を飛ばす。エースの氷魔法を真下からまともにくらった翼竜は少し体勢を崩し、その影響でやや飛行高度が落ちる。
勢いのまま反対側に抜けたエースは、足で己の体の進行を止め、翼竜の方を向いて階段状のステップを作り出す。前よりも低い位置で滞空している翼竜よりも、さらに低い位置で終わっているそれに向けて、エースはスタートを切る。
踏切台の役割を持ったステップの最上段を蹴ったエース。氷を多用するが故に、無理を言って特注で作ってもらった彼の靴のアウトソールの細かな凹凸が、彼を滑らせることなく空中へと身を躍らせる。
「せああっ!!」
そして氷の手甲を纏った右の拳で、翼竜の頭めがけて思いっきり殴りつけた。手袋に仕込んだ緩衝材をやや突き抜けて手に衝撃が伝わるが、それを気にしているほどの余裕はない。
その一撃は、すんでのところで翼で器用にさえぎられ、強烈なダメージを与える、という目的の達成には至らないようだった。一撃の後、地面に降りたエースと、翼を再び広げた翼竜との距離は若干詰まり、反応が遅れると危険なくらいの距離まで来ている。
相対する翼竜は、次の瞬間にその身を丸めて、エースに向けて突進を始めた。今の距離の近さ故に防御壁は張っても間に合わず、回避を優先すれば運悪く引っかかるか無理な体勢になり隙を生むリスクが存在する。
故にエースはあえて攻撃を受ける選択をし、クロスした腕に纏った手甲での防御で一発を入れられることだけは防ぎつつ、その勢いを受けて大きく吹き飛ぶ。
「うぐ……」
勢いを利用して、受け身をしつつ地面を転がりながら距離を取るエース。追い打ちをかける目的であろう火球が翼竜から放たれるが、その火球は十分な距離のために回避に成功したエースには当たらず、地面をえぐるだけだった。
抉られた地面に一瞥を投げた後に、エースは体勢を整えながら、空中から己を見据える翼竜を見ていた。
ひとまず今の自身にとって、この場を最小限の被害に抑えつつ、追い返すなりして危機を脱することが目的とすべきことなのは、自明の理ではある。
ただしそれを成すためには、まずはこちらが優位に立たなくてはいけない。再び空いた距離の向こうに見える黒い鱗姿を見据えて、エースは低い姿勢で伺う。
翼竜は、先ほどの突進攻撃がエースにとって有効打になり得ると考えたのか、一度上昇、後滑空し、その身を丸めて先ほどよりも勢いのある突進攻撃を放った。おそらくは風魔法により、貫通力と推進力は増している。
その攻撃を見たエースは、先ほどよりも距離的な余裕があったが、あえてその場にとどまり、詠唱を行う。
相手から向かってきてくれるのであれば、タイミングを計ったり、狙いを定めたりする必要はない。必要なのは、相手を引きつけるために、動かないことをよしとするための精神力。普段から前衛を務めることもあり、歩いてきた道のりの中で既にエースはそれを持ち合わせていた。
翼竜の攻撃が当たるまでわずか数メートル。そこに突然地面から生えたように生成された、縦長の氷の壁に、方向転換など出来るはずもなく翼竜が衝突する。
その勢いのせいか縦に長く作られた柱状の壁はひび割れ、衝撃を起点にして折れたが、翼竜はその衝突の勢いで動きを止めるほどのダメージを受けていたようだった。
狙い通りの場の展開に、エースの行動は、己の頭に描いたシナリオの続きをなぞり続ける。氷の手甲を纏った右拳は、踏み台を必要としなくとも当てられる位置にある翼竜の頭に、アッパーの軌道で一撃を叩き込んだ。
脳天を揺さぶる一撃は、防御を間に合わせることなく、翼竜の顎をぶち抜いた。己の全身の力を用いての一撃は、想像以上のダメージを生み出していたようで、翼竜は地に降り、その場でよろめいていた。
そして、そこでエースにスイッチが入った。確実に相手を行動不能に追い込むべく、攻撃のギアチェンジが行われる。
己の三半規管の限界にまで迫る速度の回し蹴り、かかとを叩き込む逆回転に、全体重をのせてのストレート。それだけに留まらない攻撃は、これまで伺い気味だったエースの行動とは違う、キレのある連撃であった。
攻撃の全てを頭に集中して叩き込んだためか、最初の頃の威嚇するような咆哮は、段々と弱くなってきていた。それにに気づいたエースは相手の反撃の可能性を頭からかき消すと、相手の顎を蹴り上げた後、後方に飛びつつ、その顔にいつもの締めに使う氷砲撃を放った。
距離を少しだけ開けた位置に、エースは着地する。
翼竜は頭に叩き込まれた連撃のせいで、動くことも叶わないようだった。エースの視界の多くを埋めている黒い鱗姿は、ふらふらとその場で千鳥足を披露した後、事切れたかのようにその場に倒れた。
「ふう……」
エースは、その身に集中力全開による疲労を感じながら、倒れ込んだ翼竜を見ていた。
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