第10話 来訪を告げる鳴り
時間を少し戻して、フローゼが発った後のフォンバレン家。
4人は、元気よく駆け出していったフローゼの姿が見えなくなるまで、外で見送っていたのだった。
「行っちゃったね……」
「そうだな……」
フローゼが行ってしまった後の、プラスアルファが何もなくなった空間。少しの間舞い込んできた非日常の、その終わりすらも過ぎた後には、見える形では何も残っていなかった。
あるのは、過ごした時間が作り出した思い出だけ。突然の来訪から始まった濃密な時間から続く今の真っただ中で、フローラとエースは名残惜しさのある言葉を零しながら、木々のある景色を見ている。
そんな2人に対して、よりフォンバレン家に近い位置で見送っていたセレシアとミストが、それぞれの口から感想を述べていた。
「なんか2人とも、巣立つ娘を見守る両親みたいな顔してる」
「ホントだね。見守ってる感じがすごくするよ」
それは、おそらくはからかい交じりの言葉と、それに乗っかった言葉といういつも通りのワンセット。
それらを聞いた2人の反応は、というと、いつものような否定や焦りとは違うものだった。
「だって、違う世界線だけども、私たちの子供だからね」
「見送ったのが本当の意味での両親なのか、それとも違う世界線の両親か、ってくらいの違いで、エース・フォンバレンとフローラ・スプリンコートが見送ったことには違いないしな」
言葉の方向を振り向いたエースとフローラの口からは、そんな言葉が紡がれていた。
おそらくは、本当に類似した感情を心の中に持っているのだろうか。そのような推測が出来そうなくらいに、優しい表情をしている。
「そっか。フローゼにとってのフォンバレンくんとフローラと同じように、2人のこれから先が分からなくても、ちゃんとそこにいるんなら娘なんだね」
「うん。最初はお母さんって呼ばれて驚いたけど、その後はずっと楽しかったから」
予想外ではあったものの、2人の反応に納得したような言葉を口にするセレシアと、それに笑顔で反応するフローラ。しばらくやりとりを聞く側に回っていたエースとミストも、フローラの言葉の中身に対しては同じ思いだった。
関わっている間に不快になる反応や仕草というのは全くなかった。それはおそらく、彼女自身の気質によるものだろう。一緒にいることを拒まれることはおそらく稀なのではないか、という推測すら出来る。
もちろん、未来世界から来たエースとフローラの娘である、ということだけでも、場の雰囲気作りや話題提供には十分だった。だがそれ以上に、やり取りをしていて楽しいと思わせたのは、フローゼの為せる技だったと、そう考えられる。
「さて、いつまでもこうしてるわけにはいかないし、そろそろ寝泊まりの片付けとかしようか」
「「はーい」」
楽しい時間にいつまでも尾を引かれていては、その後に何も出来なくなることはもはや自明の理である。いつもの日常へと戻るべく、4人はフォンバレン家の中に戻っていった。
* * * * * * *
フォンバレン家の中に戻った後、そこには楽しい出来事の後に面倒なことは付き物と言わんばかりに、朝食や布団の片付けという仕事が待っていた。
「さて、始めるか。ミストは布団よろしく」
「ああ。じゃあ台所周りは任せたよ」
「おーらい」
まるでそこに2人しかいないかのように、エースとミストが各々の仕事を割り振る。除け者にされてしまった女性陣からの指摘は、場によって流されることなく的確に入った。
「え、あたしたちはどうしたらいいの?」
「まずは着替えたらいいんじゃないかな」
セレシアの言葉を受けて、ミストから返しの言葉がサラリと投げられた。
セレシアとフローラの姿は、朝食の前後に着替えをしなかったこともあり未だに寝間着のままだった。この後フォンバレン家を出る時に着たままでいるわけにもいかないので、当然着替えることになる。
「私たち急遽泊めてもらった側なのに、何もしなくて大丈夫?」
「んー……まぁ別に大丈夫だとは思う」
かかる仕事負担について、エースはフローラからの気遣いの言葉にそう反応するくらいにしか気にしていないようだった。
そんな男性陣の何も気にしていなさそうな態度に、セレシアとフローラは流石に納得できないのか少し困った顔をしていた。それを見たエースは、納得のためのもう一押しとしての言葉を続けた。
「言いだしっぺがミストだし、そもそも2人とも客人だしな。いずれそっちの家に行くことがあったら、その時はそっちに全部してもらうってことで」
「それでいいの?」
「ああ。というわけで、俺たちがせっせとやってる間に着替えてくれる助かる。一応、ハプニングは避けたいんでな」
最後にユーモアを混ぜておいたエースの言葉で、ようやくセレシアとフローラが納得したようだった。
そうして、エースが食器を片付けに台所へ、ミストは布団の整理をしにリビングへ、セレシアとフローラは昨日来訪の際に来ていた衣服を持って着替えのために洗面所に、と各々のすることに関連した場所へ入っていった。
そんな割り振りのやりとりの後、やや狭い洗面所で、セレシアとフローラは寝間着を脱ぎながら会話をしていた。
「いやー何から何までやってもらっちゃったねー」
笑いながら、セレシアがそんな言葉を発する。
「言われたように、私たちの家に来たらもてなさないとだね」
「それがいつになるかは分かんないけど……そうね。その時が来たら思いっきりもてなしますか」
セレシアとフローラがフォンバレン家に寝泊まりしたのは今回を含め2回。ただの来訪を含めれば2桁回数は優にあるだろう。近さと秘匿性という相反する2つを兼ね備えているフォンバレン家は、灯台下暗しと言わんばかりの状況にある。
一方で、エースとミストがスプリンコート家に寝泊まりしたことはもちろんなく、来訪ですら、昨年の夏に依頼内容の詳細を話すために寄った1回だけ。2人の実家がある町は、実家からサウゼル魔導士育成学校に通う生徒もそれなりにおり、そこにエースたちが寄るとなると、人目を気にしながらの移動になるのは間違いない。
故に、未だに2回目の来訪は実現していないが、まもなく訪れるセレシアとフローラの18回目の誕生日に合わせて、その2回目をセッティングしようか、という話は、最近家族の間でしていた。
まだ構想段階ではあるので、実現するかどうかは、しない方に傾いたままではある。
「もてなしと言えば……朝ごはん、とっても美味しかったね……」
「そうね――フローラ、涎垂れてる」
「うそ!?」
未だ着替え途中なのを忘れ、下着姿で口元を押さえるフローラ。目の前のセレシアは何も言わなかったが、その顔がニヤリと笑った顔へと変化した瞬間、彼女の言葉が嘘だと理解して、気恥ずかしさで顔を紅潮させた。
「もうセレシアったら……からかわないでよ」
「うふふ。でも、おかわりしたい欲に負けそうになるくらいに食い意地張ってたのは間違いないもんね」
「うっ……」
痛いところを突かれたフローラが、昨日着ていた制服を身に纏いながら、苦い顔をする。
甘いものが大好きなフローラにとって、フレンチトーストはもちろん食欲をそそる品の一つだ。普段でさえ出されたものを難なく食べきってしまうのだが、それが恋人の作ったものならば、いくらそこにバイアスがかかっていたところで食欲と美味しさは普段よりも増していることに違いはなかった。
早起き出来ればまた作る、という約束にも似た言葉に、本気で頑張ろうかと思っているくらいには、その味は一瞬でフローラの舌に焼き付いた。
「まさかフォンバレンくんの料理にがっちりと胃袋を掴まれるとはねー。フローゼも美味しそうに食べてたし」
「そうだね。ずっとニコニコしてた」
朝洗面所から出ていた時点で先に食事を始めていたフローゼは、フローラたちが食べ終わるよりも少しだけ前に食べ終わる、というくらいに食事が遅めなようだった。ただ、そのおかげでセレシアとフローラは、自身の朝食の間、ずっと満足そうに食べている彼女を見ることが出来ていた。
「でも、フローゼはどうしてこの世界に来たんだろうね? まさかこうやってお泊り会したかっただけ、ってのはなさそうだけど」
「時渡の森に行きたいって言ってたね」
「「うーん……」」
髪を梳かすために狭い鏡の領域を上手く分けて使いながら、セレシアとフローラは同じような思案に唸る声を発していた。
「まぁ、考えても分かんないし、なんでもいっか」
先に髪を梳かし終わったセレシアが、櫛をポーチにしまう。
そのために動いた視線が、洗面台の右に向いた。
「ん、何このヘアピンとヘアゴム。あたしのじゃないけど……」
そこには、薔薇を模った小さな飾り付きのヘアピンと、小さなリボンのついたヘアゴムが置かれていた。
「私のでもないよ。そもそも私はカチューシャだし……」
「だよねぇ。じゃあこれ、誰の……あ」
思案ほぼなしで誰のものであるか分かったようで、セレシアの顔にハッとした表情が出来る。
「フローゼ、まさか忘れてったんじゃ?」
「届けてあげないと」
フローゼがフォンバレン家を出て、まだそこまでは経っていないはずだった。時渡の森に向かうには駅に行く必要があるが、その駅にフローゼが着く前に追いつくのは、今ならば可能である。
洗面所を出て、即座に台所を向く。そこにはまだ、エースの姿があった。
「フォンバレンくん、フローゼ、思いっきり忘れ物してる」
「ええ……マジか」
「多分まだ間に合うし、届けに行ってくる」
「大丈夫か?」
「全然。色々してもらったし、早めのお返しってことで」
エースの言葉に、セレシアは何を気にするでもなくそう返した。
しかし、そのタイミングで、ヒールとメールが異様な反応を見せる。その反応に見覚えのあるエースとフローラは、当時を思い出して警戒の色を強める。
2人のその雰囲気の変化に、先ほどリビングに戻ってきたミストが疑問を口にする。
「2人とも、どうしたんだい?」
「フローゼちゃんが忘れ物したから届けに行きたいんだけどね……」
「多分、この近くに俺らを狙ってるやつらがいる。ヒールとメールの反応は、冬の時にもそういうやつらが近づいた時に見せたんだよ」
エースとフローラの言葉に、セレシアとミストが表情を強張らせる。
警戒の色を落とさず、エースは行動の指針を立てる。
「ひとまず、全員で向かおう。それなら何とかなるだろうし、ついでにフローゼに忘れ物を届けられる」
「まぁ、僕とエースいるし、だいたい何とかなるでしょ」
「ああ、何とかするさ」
ミストの軽い雰囲気で放たれた言葉に、エースが追随する。
「よし、じゃあ行こう。一応ヒールとメールも来てくれ」
「「くる~!」」
エースの言葉にヒールとメールが鳴き声を返したことで、一行の行先が定まる。その後、エースたちはフォンバレン家を出て、フローゼが向かった方向に足を向けていたのだった。
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