第9話 伺いは立てる間もなく
フォンバレン家での楽しい一夜と朝を終えた後。
名残惜しそうに4人に別れを告げたフローゼはフォンバレン家から離れて、ソゼリアの街を1人歩いていた。
街行く人々の何人かが視線を投げかけてくるが、その視線には慣れているのか気にして振り返ることはない。代わりに、まだ濃密な時間に尾を引かれているのか、少しだけフォンバレン家の方向に対してだけ、体ごと向き直る。
その際に見せるやや悲しそうな表情は、母親譲りの容姿のお陰で絵画にしたためれば映えること間違いなしの姿だった。
「……朝食べたフレンチトースト、美味しかったなぁ」
思い返しただけでもう一度よだれを垂らしてしまいそうな今朝の食事が脳裏に再生され、フローゼはいまだ味と感触の残る口で感想を零していた。食にちょっと欲のある父親と、甘いものが大好きな母親の遺伝子を受け継いでいるフローゼは、甘い食べ物には目がないのだ。それは過去に、食を前にすると美人が崩れるよね、とまで友人に言わせたほどだった。
「あ、せめて作り方聞いとけばよかった」
惜しさを隠さず零した後、フローゼはまた前を向いて歩き出した。
休日で学生の姿はあまり見えないものの、大きな街ということもあり活気はある。ただしまだ朝であるため、静かなで人気のない場所も点在する。
そんな街中に1つベンチを見つけると、フローゼはそこに腰を下ろした。周囲を何回か見回した後で、制服の左ポケットから、青色の歯車状の石を取り出す。
「確か、これで見れるんだっけ」
夢の中で教えてもらったことを思い出して、フローゼは石に魔力を注ぎ込む。その間の彼女の顔には、これまで表向きに見せていた表情とは違う、どこか物憂げな表情が表れていた。
数秒後、空中に時渡の森一帯を中心とした地図が現れ、次いでその上に光点が出現する。自身と自身が追いかけている対象物との位置関係を正確に映し出す、神の諸行といえるものだった。
だが、フローゼはそれを見て首を傾げた。
「あれ……?」
地図の上には、自身と自身が追いかけている対象物との位置関係が映し出されるので、光点は自身と対象物の2つあるはずだった。夢の中で見せてもらった時にも、フローゼの見る地図には確かに2つの光点が映っていた。
しかし今の地図上には、位置を示す光点は1つしか表示されていない。今、フローゼがちょうどいる場所のみだった。
「どこに行ったの……?」
故障か伝達ミスの類かと考えて、フローゼの首がより角度を増す。神様が嘘をつかないのであれば、伝えられる情報にも、嘘はないと考えてよい――
そう考えたところで、フローゼの耳に、こもった重低音が聞こえてくる。
「まさか……!?」
その音にある考えがよぎったフローゼはベンチから勢いよく立って、自身の頭上に広がる空を見た。
青く晴れ渡り、白い雲とのコントラストが美しい空に、明らかに異質な黒色の何かが飛んでいる。飛行高度が高いのかやや小さくて詳細までは分からなかったが、間違いなく、その姿にフローゼは見覚えがあった。
「どうしてこんなところまで……!?」
フローゼ側からは、フェアテムの助力のお陰で相手の位置をある程度は把握できる上、元々時竜がどこに転移するのかは分かっていた。加えて、相手側からはフローゼの位置を把握する術がない。時竜は、自身が選んだ人物の位置しか、正確に把握できないとされていることを、父親やフェアテム伝いに聞いて知っていたからだ。
その時竜が、今フローゼのいる位置までたどり着いている。思惑が崩れ落ちたことで、フローゼの中に焦りが生まれる。
だが、すぐにもう一つ、違和感を覚える要素に、フローゼはたどり着いた。
――なんで、暴れたりしないんだろう?
フローゼがこの世界線に来る前、翼竜を友人と共に追い詰めたのだが、そもそも翼竜を追い詰めた理由が、街中で暴れだしたからであった。
その翼竜に、暴れる気配が一切見えない。平然と街の遥か上空を飛んでいる光景をそのまま受け取るのであれば、すぐには何か起きる様子はないと予想できる。だが、この先もそうであるとは断言できない。
「とにかく、追いかけないと……」
手元の石が映し出す光点は、2つ。故障でもなんでもなく、ただ位置が重なっていただけ。時渡の森と反対方向に向かう翼竜を追って、フローゼは走り始めた。
未だ街中であるが故に、戦闘行為は場所を選ばなくてはならない。すぐに止めたい気持ちを理屈で抑え込んでおき、行方は目で時々追いつつ、周囲に開けた場所はないかを探す。
そうしている間に、フローゼは図らずして来た道を戻っていた。翼竜の行き先がどこであるか、フローゼはほんの少しだけ嫌な予感を頭の片隅に置いていた。
そしてその予感が、より深まる事態に遭遇することとなる。
飛んでいた翼竜が、その進行方向を変えた。変えた先には、フォンバレン家のある森や、サウゼル魔導士育成学校がある。
フローゼの顔に、焦りの色がにじみ出る。
「ここで逃したら……」
元々迷惑をかけないようにと、事故のような形で知られてしまったエースを除く面々にはフローゼの真の目的は明かしていない。それ故に、フォンバレン家の方に向かわせて、万が一があることだけは避けたかった。
故にフローゼは、避けたい未来を避けるべく、立ち止まって魔法を唱えた。
「距離的には遠いけど、絶対に当てる……」
父親から受け継いだ氷属性の造形魔法と、母親から受け継いだハイレベルな空間認識能力。どちらも駆使して、空中に展開した魔法陣から、氷の弾丸を作り出す。
イメージを形にして、フローゼのタイミングで氷の弾丸が発射される。気流の影響と重力を受けながらも、狂いなく進む弾丸は、やがて見えなくなり――
直後、グォォォォン、という重低音が響き渡った。
「よし……!」
直撃を意味するそれを聞いたフローゼの小さなガッツポーズ。そこから間をほぼ置かずに、空に見えていた翼竜の姿は大きくなっていた。
その姿を視界に入れつつ、フローゼは制服の左ポケットに手を突っ込んだ。
「っ……!?」
――ヘアピンとヘアゴム、どこにやったっけ?
いつも手が空く左側のポケットに入れているはずのヘアゴムとヘアピンが、今日は探っても触れられなかった。その在り処を少しの間想像して、すぐに思い当たる。
「忘れてきちゃった……!?」
些細だが思わぬ失態に、フローゼは唇をかみしめる。
長めの髪の方が好きだから、という理由で今の髪型にしている彼女も、流石に近距離での戦闘時は髪が流れて視界が塞がるのを防ぐために髪を結んだり留めたりしている。
そのために必要な物品はいつも利き手である右とは反対の左ポケットに入れているのだが、今その左ポケットには何も入っていなかった。淡い希望を抱きつつ右ポケットにも手を入れるが、そこには時渡のために必要な石しかなかった。
そうして少し慌てている間に、翼竜はフローゼのいる場所の上空まで近づいていた。フローゼの戦闘事情など聞き入れてくれるはずもなく、敵意をむき出しにした翼竜は、反撃と言わんばかりの大きな火球を口から飛ばしてくる。
フローゼはそれを視界の中に入れた次の瞬間に、スタイルに似合わぬ軽やかな身のこなしで避けていく。
それは弾数が増えても同じで、空中に展開された小さな火球群はフローゼを捉えられずに、地面をえぐっていただけだった。
「さて、こっちの世界で第二幕といきますか」
得物である棍を感触を確かめるようにくるくると回した後、フローゼは敵を見据える。棍の先を覆うように氷の塊が出来上がると、それを手に駆けだした。
翼竜も相対すべく鳴き声を発して、突風を放ってくる。おそらくは近づけまいとするための策だろう。
「くっ……」
風魔法であるそれを真正面から体で受けてしまえば、当然押し返される。
「そんなの!」
だが一つ遮断するものを張ってしまえば、その風も意味を為さない。フローゼは氷の壁を張って一時的に防ぐと、その横から飛び出てお返しの氷魔法を放った。
横で火球を受けて砕け散る氷の破片を避けつつさらに接近を試みるフローゼと、氷魔法を受けて若干よろめく翼竜。少しずつこちら側が有利になるように、己の能力をフルに活用している。
「逃さないから」
距離を取ろうとする翼竜の前まで潜り込み、フローゼが静かにそう呟く。
次の瞬間には、彼女の右手に握られた棍は両手持ちになり、先端が振り上り、先についた氷が翼竜の下顎を捉えた。手に伝わる鈍い感触を振り払うべく棍を振りぬくと、翼竜は大幅に体勢を崩す。
その隙を突いての更なる追撃を入れるべく、魔法で作りだした氷塊を作り出し、狙いを目の前に定めて――
「っ――!!」
突如飛来した火球にぶつけるように、半ば無理やり発射方向を変えて解き放った。火球は小さくなりながらフローゼに向けて直進を進めたが、その場から避けていたことにより当たることはなかった。
フローゼの視線は、火球が飛来してきた方向を向く。そこには、先ほどまでいなかった別種の竜が、その存在感と共に姿を現していた。
青色の鱗に覆われ、翼竜よりも一回り大きいその図体は、フローゼには見覚えは一切なかった。敵意のようなものはあまり見えず、どちらかというと翼竜の窮地を救うべく行動したかのような、悠然さが見られていた。
翼竜と竜は、お互いを見知っているのか、しばらくその場に停滞している。
数秒後、翼竜はこれまでの行動を思い出したかのように、フォンバレン家の方へと飛んでいこうとしていた。
「逃げ――っ!!」
そんな翼竜を止めようとフローゼが魔法を放つが、それを防ぐように竜が風を放つ。正面から受けたフローゼは防御のために腕を掲げるが、そのせいで翼竜を止めることは叶わなくなった。
遠ざかっていく翼竜の姿を見て悔しさを感じつつも、目の前にいる竜に視線を向ける。竜は出方を窺っているのか、その場で小さく唸るだけだった。
「フローゼちゃん!!」
相対してにらみ合う両者の空間に、似合わない綺麗な声が響く。
聞いたことのあるその声の発生源の方に、驚きの表情を作りながら向く。
「お母さん!? セレシアさん!?」
そこには、フローラとセレシアがこちらへと来る光景があった。竜もそれに気づいたのか、攻撃をすべく口を開くが、それはフローゼの氷魔法で防がれていた。
その隙に合流し、真っ先にセレシアが問いかけを投げる。
「フローゼちゃん、これどうしたの?」
「詳しい話は後でします。それよりも、私のヘアゴムとヘアピン知りませんか?」
「あ、これのこと?」
若干早口気味のフローゼの言葉に若干戸惑いながら、セレシアが何かを取り出した。
それは、フローゼが望んでいた、薔薇の飾りがついたヘアピンと簡素なヘアゴムだった。
「それです。ありがとうございます」
フローゼはそれを受け取ると、慣れた手つきで自身の髪を結んだ。簡単にまとめられ、一定の視界が確保された一つ結び姿で、フローゼは未だ困惑から抜け出せないセレシアとフローラに、言葉を向ける。
「お母さんとセレシアさんは、さっき入れ替わるように飛んでった翼竜を追いかけていただけると助かります。多分さっきの、フォンバレン家の方に向かったので、お父さんたちがちょっと心配です」
「それはいいけど、フローゼちゃんは……」
戸惑いと心配を混ぜた言葉を口にするフローラに、フローゼは得物たる棍を構え直して、はっきりとした声で己の意思を口にした。
「私は、こいつを抑えます!!」
これまでと雰囲気の違うフローゼの言葉に、セレシアとフローラは何かを感じ取ったのかそれ以上聞くことはせず、先ほど来た方向へとまた駆け出して行った。
「気を付けてね!」
「無理しないでよ!」
遠ざかって行こうとするフローラとセレシアから、一言ずつ案じる言葉が飛んでくる。
竜はそんな2人を見逃すことはせず、再びその大きな体を動かしていた。
そんな竜に、フローゼの氷魔法が飛ぶ。発射された大きな氷塊が竜に当たるとその注意はフローゼに引きつけられ、2人の姿は竜の視界から消える。
「あなたの相手は、私ですよ?」
代わりに視界に入ったフローゼは、その棍の先についた槍のような穂先を、竜に向けていた。
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