第8話 朝の一幕を上げて



 心地よい日差しが顔を出した辺りでは、フォンバレン家ではまだ誰も動き出していなかった。


 それもそのはずで、入学式の次の日は休日になっているため、いつも通りに一日を始める必要がない。この日のフォンバレン家全体の始動は遅く、心地よい日差しが少し昇ってきた辺りで、エースとミストがほとんど同じタイミングで、隣り合わせの部屋から出てきていた。


「おはよ、エース」


「ふあ……おあよ……」


「思いっきり大あくびしながら言わないでくれるかい」


 あくび交じりの声で挨拶を返すエースに、ミストが今日一回目のツッコミを返す。眠気で重たくなった目をこするだけのミストに対し、エースは平然と大あくびをするくらいに眠気に尾を引かれている。


「眠いんだからしょうがないだろ……」


 あくびで生じた涙をこすって、エースがそう返答する。


「ああ、そういや」


「どうしたんだいエース?」


「んにゃ、夢の中で神様から聞いた話、しとこうかと」


 エースが夢を通してフェアテムから話を聞くことがある、というのは、冬の騒動に関わった面々には話をしていた。当然ミストも知っているため、多少の情報が言葉から抜け落ちたくらいでは通じなくなる話ではない。


「何か聞けたのかい?」


「いや、まぁ大したことは聞けなかったんだけども」


 約束を守るべく若干の嘘をつきながら、エースは前置きの言葉をまず並べた。


「とりあえず分かったのは、フローゼは俺の未来の子供だった」


「十分大事だと思うけどね」


 中身に反して軽々と言い放たれたエースの言葉に、ミストが少し笑いながらそう返す。


「目的はさておきとして、未来から娘が会いに来てくれるだなんていい話じゃないか」


「まぁ、それはそう」


 ミストの言う通り、未来世界から娘が自分たちを頼ってくれるというのは、好ましいか否かの二択であれば前者である。


 しかしそれでも、エースの反応は煮え切らない。


「なんだか微妙な反応だね。世界中の人がほぼ出来ない経験をしているんだし、もっと嬉しく思ってもいいんじゃないかい?」


「んー……」


 顎に手を当てたエースが、軽い思案の様相を醸し出す。


 それは、誰かからの質問の答えに困る時、エースがほぼ確実になる表情と仕草だった。


「嬉しいのはそうなんだけど、明確な関わりがないのに最初から異性に好意を向けられるの、なんか慣れないというか」


「まぁ、それはそうかもしれないね」


 素直に喜べない、なんともエースらしい理由を聞いて、ミストの笑いは苦味交じりになった。


 同じルーツを持つエースとミストだが、双子であるという要素を通した上でも、対人関係における嫌われ度合いには差がある。飄々としており、やりとりの引き具合が上手なミストは元々中等部時代から女子生徒の評判はよかった。男子生徒に関しても、一定数嫌っている面々はいるものの、それ以外に嫌われる要素はなく、全体としてほんの少しプラス側に偏っている。


 一方エースは、女子生徒からの評判は至って普通であり、たまに嫌っている人物がいるくらいである。男子生徒に関しては、元々同年代と比べて達観気味なところや、男子人気の高いフローラから明確な好意を向けられていることもあり、向けられるのはだいたい敵意寄りな感情になる。よって総合的に見れば、マイナス側にどっぷりと漬かっている状態だ。


 そんなエースが、最初から好意を向けられることに慣れていないのは至極当然のことだった。


「スプリンコートさんの好意だって、最初は気づいてなかったくらいだもんね」


「あれは今思い返せば鈍感の極みだな……」


 エースが自身の脳裏に、数年前、馴れ初めから1年くらいが経った後の期間のあれこれが蘇る。


 己の雰囲気に潜む棘も消え去り、周りを見る余裕が出てきた頃。


 あの頃に関わり合いがあった人物の中で、間違いなくフローラだけは別の何かをもって接していた。その何かが何なのか当時は分からず、半ば戸惑いながら過ごしていたが、今ではあれが好意というものだったこともなんとなくは分かる。


 とはいえ、好意を知らなかった13歳のエースも、好意とは何かを明確に知りえた17歳のエースも、好意を向けられた人数にはさほど違いはない。知っているか否かと、慣れているか否かは全くの別問題だ。


「でまぁ、そんなわけで、俺は今んとこどうしていいか分からん」


「自然体でいいと思うんだけどね」


 会話の間に、リビングへ繋がる扉はもう目と鼻の先にあった。


 それをいつものように開け放って、一日が始まる。


「うおぁ」


「あらま」


 開いて一番にエースが変な声を、次いでミストが少し呆れ交じりの驚いた声を出した。


 フォンバレン家のリビングには、昨晩から泊まっている女子組が、揃い揃って若干の色気を寝相から作り出している光景が存在していた。加えて、三者三様の寝顔付きだ。


「寝相の微妙な悪さ、遺伝子だったんか……」


「目に劇薬だね……」


 言葉の後、しっかりと顔を見合わせて、エースとミストはため息をつく。


「一応、俺ら異性で、ここはそんな俺らの家なんだが」


「まぁ……安心して寝られるのは信頼の裏付けってことで、いいことなんじゃないかな……」


「信頼うんぬんは……まぁ、そうだな、うん」


 年頃の男子に無防備な姿を見せていることなど気にせず熟睡していそうな3人を見て、エースとミストはもう少しだけ言葉を零す。


「フローゼに至っては、やることあるんだろうに……」


 そう言って呆れの色を濃くしながら、娘だという少女の寝顔を、エースがもう一度だけ見つめる。その寝顔と寝相は、その隣で寝ているフローラをそのまま写したかのように、とてもよく似ていた。


 その姿が作り出す不思議と起こしたくなくなる空気感を振り切って、エースはフローゼの枕元まで近づいて、その肩を少しつついた。


「朝だぞ。目を開けて起きな」


「ふぁい……」


 フローゼからは、完全に寝ぼけた調子で言葉が返ってきた。直後に見せた寝返りで、それがすぐに起きない人のやる仕草だと直感したエースは、しばしその場で何かを悩む。


 そして、何かを決心したかのような素振りを見せた後で、フローゼの頬の上数センチの空間に、エースの右手が来る。


「やむを得ん。ほい」


 数秒後、手から冷気が放たれ、空気を伝わってフローゼの頬に冷たさが貼りつく。


「ぴうっ」


 その冷たさに対して可愛らしい悲鳴を発したフローゼが、その両眼を開ける。水色の瞳から出た視線は、上から見下ろしていたエースの青色の瞳にぶつかった。


 そこで現状をはっきりと把握したようで、フローゼは上体を起こした後、しゃがみこんで目線を合わせてきているエースの方に向き直る。


「……もう少し寝ちゃダメですか?」


 次の言葉は、もう少し欲に従っていたい思いと、理性とがせめぎあっているのが分かる言葉だった。何もなければエースも寝かせてあげていただろうが、背景事情を知ってしまった以上、完全には肯定出来ない。


「俺は別にいいけど、やることあるんだろ」


「はい。そうでした。おはようございます」


 これ以上のまどろみは期待できないと分かり、少し残念そうな表情と共に、諦め代わりの朝の挨拶を口にするフローゼ。


 これまた母親譲りの行動に、エースはため息を一つ零した後で、挨拶を返した。


「ん、おはよ」







* * * * * * *







 その後、ちょっと多めの朝食の準備がほぼ終わろうか、という段階になって、まだ寝ていたセレシアとフローラも寝ぼけながら起きてきていた。


 エースが台所で朝ごはんの準備を、フローゼは既に準備された朝ご飯を食べることに勤しみ、ミストは紅茶をすすりながら動きの多いフォンバレン家の朝を眺めていた。


 顔を洗うために洗面所をほんの少し占領していたセレシアとフローラが、今度はある程度目覚めた様子でリビングまで戻ってきていた。


「お、やっと起きた」


「ふあ……うん。起きた」


 隠しきれない大きな欠伸をして、涙のたまった目をこすりながらセレシアがそう言う。一つ伸びをした後に、その言葉は、ちょうどトーストを食べているところであるフローゼに向いた。


「フローゼは偉いねー。あたしもフローラも思いっきり寝てたのに、ちゃんと早起き出来てる」


 最初は言葉の発せられる方を向いていたフローゼの視線は、最後を聞いた瞬間だけ綺麗に逸れていた。事実は述べられなければ明るみには出ないが、存在しているだけで気恥ずかしさにはなり得る。


「いや、思いっきり寝てた。やることあるって言ってたのもあって俺が起こした」


 その気恥ずかしさを強めるようなエースからの追撃を受けてしまえば、フローゼの視線は当然逸れたままになる。きちんとトーストを飲み込んだその顔は、若干赤くなっていた。


 それを見たセレシアとフローゼの顔は、やっぱりか、とでも言いたげな表情だった。


「まぁ、うちの家族で早起き出来るの、お父さんくらいだし……」


「朝、どうしても寝てたくなるんだよね……」


 自らもしっかりと睡眠しており指摘の出来ない2人は、顔を見合わせて苦笑いをしていた。


 台所で未だ準備に勤しむエースも、


「じゃああれか。フローゼ、いつも起こされるんだ」


「バッチリ全く同じです。お父さんに同じことされてびっくりしました」


 エースの問いかけに、フローゼは食べていたパンを置いてそう答えた。


 その中身に、セレシアが反応する。


「ん、今お父さんって言った?」


 未だ事実を知らないため、セレシアが疑問符を浮かべる。


「ああ。俺もさっき知ったんだけど、フローゼの父親の名前アンドレイ・ファルシュは、未来世界の俺の偽名なんだとさ」


「ふーん」


 素っ気ない言葉とは裏腹に、何か言いたげな表情をしたセレシアの視線が、フローラに向く。向けられたフローラは、戸惑いの表情を返していた。


「な、なに?」


「いや、フローラがちゃんとフォンバレンくんを選んでるようで安心しただけ」


 からかいというよりも安心に近い様子で、セレシアの言葉が放たれる。同時にフローラに向けられた優しい表情が、その安心の度合いを表していた。


「で、朝ごはんはなんでしょう?」


「フレンチトースト。準備ちょうど終わったから、席ついて食ってくれ」


「フォンバレンくん、普通に料理出来てるじゃん……」


 台所で未だ勤しんでいるエースに、セレシアから向けられた意外そうなものを見る目。


 それを見たミストが、口を開いた。


「僕も驚いたんだけどね、エース元々器用なのもあって、スイーツとかパンとかの軽めのメニューは僕より上手だよ」


「へー意外。フォンバレンくん、知れば知るほど意外性が増すわね……」


 紅茶好きで、スイーツが得意であるという、好み。


 学校での人付き合いだけでは見えないエースのそんな好みを知り、セレシアが何かを思いついたようで、少しニヤッとして言葉を口にした。


「将来頑張って、フローラと一緒にお店でも出す?」


「やめとくよ。俺はこうして、知ってる人に喜んでもらえれば、それで十分だ」


 セレシアのちょっとからかいのこもった言葉に対して、エースがそんな返しの言葉を呟く。その顔には、柔らかな笑みが出来ていた。


 その自然な笑顔に、いつの間にかフローゼの隣でフレンチトーストを食べていたフローラから言葉が飛ぶ。


「じゃあ、またいつか、こんなの作ってね」


「いいけど、ちゃんと早起き出来たらな」


「うっ……頑張ります」


 お願いに対するエースの要求を聞いた時のフローラの反応で、フォンバレン家の朝の食卓は、にぎやかさを一層増していたのだった。


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