第7話 夢で交わる線



 穏やかな風が、草木をゆっくりと揺らしている。生い茂った木々が四方に伸ばした枝の隙間から、木漏れ日が差し込み、ほんのりとした明かりで照らしている。


 その光を一筋受けて、エースは瞼を開けた。


「ん……」


 視界に飛び込んでくるのは、見渡す限りの木々と、正面に映る泉。その両眼を最後に閉じる前の景色とのあまりの違いに、エースはしばしの間戸惑いで固まっていた。


「うお」


 自分の姿に目を向けると、腕を覆うのは黒い袖、足を覆うの白い裾。おまけに体は白のベストを着ているとなると、どう考えても今の自分は制服姿であることが分かる。


 確かに寝間着に着替えてベッドに入った。そもそも昨日は早くに学校が終わったので、制服を着て寝落ちする要素など一つもなかった――


 そこまで考えて、エースはとある似た事象を思い起こした。


 昨年冬はじめの頃、フォンバレン家にヒールとメールがやってきて間もない頃に、夢の中で時渡の泉の守神フェアテムに呼ばれた時と、だいたい状況は一致している。


 明確に違うのは、あの時は草原の中で目覚め、後にヒールとメールがやってきたこと。しかし今は、ヒールとメールがやってくる様子もなく、場所は森の中である。


「ああ、ここ、時渡の泉を模したのか……」


 目の前にある光景は、冬はじめの事件にて関わることになった時渡の泉の光景に非常によく似ていた。何故景色が違うのかは、エースには考えられる材料があまりないので置いておく。


「あれ、エースさん?」


 己を呼ぶ声の方を振り向くと、そこには同じく制服姿のフローゼがいた。


「フローゼ? どうしてここに?」


「それは私のセリフです。エースさんこそ、どうしてここに?」


「いや、多分、呼ばれたからじゃないかな」


 エースの口から、奥歯に物が挟まったような言い方で言葉が出る。確信が持てない以上は、どうしてもそのような濁した言い方にならざるを得ない。


「呼ばれた……? あ、そっか」


 しかし、フローゼは何かに合点がいったのかそれ以上の追及をすることはなく、自己完結させていた。


 それ故に、問いと答えの主が逆転する。


「ん、なんでそれで納得したんだ?」


「だって、あの石を持っていたじゃないですか」


「あの石――ああ、持ってるな」


「あれは時渡の泉の主からしか貰えないと聞きました。それがあるってことは、エースさんは会ったことがあるってことの裏返しですよね」


「まぁ、確かに」


 表向きにはエースは頷いてはいたが、厳密にはエースは自分以外にあの歯車状の石を持っている人物を知らない。今とはなっては未来世界から現れたフローゼが持っているので『知らなかった』という過去形が正確なのだが、それでも、同じ世界線で持っている人を知らない以上は現在進行形でも問題はないだろう。


 とはいえ託され方的には、おそらくはフェアテム伝いにしか貰えないのだろうと推測して、肯定の意を返したのだった。


 と、その時、目の前の空間が揺らいだ。それは次第に人のような形を作っていくと――


「やぁ、揃っているね」


 満足気な声と共に、フェアテムの姿形となった。


「久しぶりだな。会いたくはなかったが」


「そうだね。君にとっては、面倒なものが舞い込む予兆だろうから」


 笑いながらそう言うフェアテムに、エースはため息と苦笑いを返した。言葉通り、面倒な何かが舞い込んでくるだろうと言うのは、エースはうっすらと感づいていた。


「まぁもう来られたし何も言わないさ。それで、俺に何をしろと?」


 はぐらかされる反応が来ることを頭の片隅に置きつつ、エースはフェアテムにそう問いかけた。


 数秒後、返ってきたのは、思ったよりも真面目な、予想外の反応だった。


「おや、彼女から何も聞いていないのかい?」


「は?」


 フェアテムからのシンプルな聞き返しに、エースは思わず耳を疑った。次いでその視線をフローゼに向けると、彼女は分かりやすくうろたえている。


 その様子を見て、フェアテムがため息をこぼして言葉を続ける。


「なるほど、何も聞いていないのか。と言うことは、彼女が君の娘であることも聞いていなかったりするのかな」


「はい?」


「ああ、知らないんだな。父親は君だよ」


 今更ながら告げられる事実に、エースは数秒間思考回路を処理だけに費やして他を放棄していた。


 どうにかして言葉をかみ砕いて、飲み込みきった後、その視線をもう一度フローゼに向ける。分かりやすいくらいに気まずそうな顔をしていた。


「本当なのか?」


「神様に言われれば、嘘とは言えないです」


 思わぬ形で事実をバラされたのか、彼女は小さくなったまま、その口を開いていた。


「アンドレイ・ファルシュは、お父さんが先生として働くのに本名だと面倒事を呼び込みそうだから、っていうので使ってる偽名です。イニシャルが同じで書き間違える心配もないし、表向きにはそうしてます」


「ああ、なるほど」


 フローゼの口から語られる理由に、エースは未来の自分の決めたことの合点がいった。綴りの想定間違いをしていない限りは、確かにエース・フォンバレンとアンドレイ・ファルシュのイニシャルは『A・F』で一致するのだ。


 無意識に書き間違えることを防ぐためにイニシャルの変わらない名前を使うというアイデアは、17歳である今の自分でも思いつくだろう。


「で、それはそれとして」


「はい」


「どうして言わなかったんだ、フローゼ」


「だって、私の身なりを見て、ちゃんと娘だって信じてくれたじゃないですか。そんな2人に、本当のことを言ったら迷惑をかけそうで……」


 後ろめたさを感じている中で言葉を口にしているのか、フローゼが眉を下げた表情でそう言う。


「私は、この時間に飛んでしまった翼竜を探しに、この時間軸に来たんです」


「翼竜……時竜ではなく?」


 口からこぼれ出た、素直な疑問。


 エースは、時竜がどういう種族なのかは、冬のはじめの出来事で得られたものしか知らない。それ以上を知ったところで、家族同然な2匹の扱いが変わるわけでもないというのが、その主な理由だ。


 それ故の無知を補おうとするべく答えたのは、少しの間静観を決め込んでいたフェアテムだった。


「時竜というのは、正確に何かの種族を指す、というわけではないんだ。ドラゴンにしろワイバーンにしろ、時間転移能力を持つ個体が時竜という分類にあたる」


「そうか。うちのヒールとメールは翼竜じゃあないもんな。あれはれっきとした竜だし」


 詳細な説明に、エースは納得の表情を見せる。


 それで話を続けるには十分と判断したのか、フローゼも再び口を開く。


「で、その翼竜は転移前に私と友人とで追い込んで与えたダメージがあるはずなので、今はどこかで休んでいると思います。けど……」


「けど?」


「あんまりゆっくりも出来ないんですよね。いつこの時代で動き出すかも分からないので……」


 秘めてきていたことを話す間の、フローゼの神妙な面持ち。それだけで、エースにも彼女が抱えている事情の厄介さが何となく察せられた。


 おそらくは、自分の時代で留めておきたかったことを、どうにも出来なかったのだろう。


「かといって、私がこの時間軸にたどり着いた時にはもう夕方ですし、育成学校周辺からだとどこに向かっても夜になります。おまけに寝ることが出来れば神様に会えることは前もって知っていたので、あの時ミストさんの提案を受けたんです」


「そうだったのか……」


「あ、別に泊まるのが嫌だったわけじゃないんですよ。むしろ、この時代のお父さんとお母さんに会えると分かっていた時点で、不謹慎ながらちょっと楽しみにしていたところもあります」


 少し前に見せていた、一切の混じり気のなかった笑顔は、今はどこか悲しさを住まわせていた。


「でも、何するかをちゃんと言ったら余計な心配をかけそうで怖かったんです。だけど私が普段外向きに使ってる名前的にお母さんには明かさないといけないから、それで済ませようと思ってたんです」


「ああ、それでか……」


 最初にフローラにだけはっきりとお母さん、と呼び、エースにはあたかも見知らぬ他人であるかのように振る舞っていた理由を始めて知り、エースは最初の来訪のすべてが腑に落ちた。


「神様に出会ったらこうなるの、すっかり忘れてました。やっぱり、嘘をつくのって難しいですね」


 その言葉と共に見せた苦笑いの笑顔は、どこか母親の面影を残していた。


 それを見たエースは、何故か言葉を形に出来なかった。彼女なりの気遣いで悩みに悩んだことが、何となく分かってしまったからだ。


「お父さんのこと知られてしまったので、起きてから改めて言ってもらってもいいですけど、何しに来たかだけは、秘密にしておいていただけると助かります」


「分かった。そうしておくよ」


 提案を受け入れられたことで、フローゼが安堵の息を漏らした。どうやら本当に気にかけていた事項だったことが、エースの目でも簡単に分かった。


 そんな父娘のやり取りを眺めていたフェアテムが、このタイミングで口を開いた。


「ちなみに、君が追ってきた翼竜だが……石を使えばどこにいるかは見れたりするよ」


「え、そんなに便利な機能があったんですか?」


「これは神様の能力を限定的に封じ込めた石だからね。そのくらい容易いのさ」


 始めて聞かされた内容にフローゼが驚く様を、声には出さずともエースも同じ気持ちで見ていた。そのような機能を持ち合わせていたことを、始めて石を手にした時には聞かされていなかったからだ。


「まぁここは精神世界だし、神様自身の能力で見せてあげよう。ほら」


 フェアテムが手を差し出すと、空中に何かが展開される。


「これは、時渡の森を中心とした地図だ。時渡の森と近ければ詳細に見れるし、遠ければその分広範囲を見ることが出来る」


「便利なもんだな……ん、この点は?」


 空中に現れた半透明の地図には、点滅している点が2つ表示されていた。エースはそれを指さして問いを口にしていた。


「それはフローゼと、彼女が追っている翼竜の位置を表している。翼竜は未だに時渡の森にいるようだね」


「いや、いるんなら処理してやれよ」


 そういうエースの言葉に、フェアテムが何も気にすることなく返事を投げた。


「私の役目は送り返すことであって、それ以外は何もしないよ」


「ほーん……」


 おそらくは何の支援も期待できないだろうというフェアテムの反応に、エースはとりあえずの誹りとして冷たい視線を投げておいた。神様に人間基準で色々言ったところで、基準の違いを理由を盾にかわされる未来が簡単に予測できたからだ。


「まぁこんな神様だから、フローゼがどうにかするしかないよなぁ……」


「そうですね……」


 神様の基準の面倒さに2人で顔を見合わせて、ため息をつく。


「じゃあ基本的に手は出さないけど、万が一こっちに被害が出そうなら対処する、ってことでいいか?」


「はい。それでお願いします」


 ひとまず話の結論をつけておくと、フェアテムがまた会話に入り込む。


「じゃあ、そろそろこの空間を閉じるとしよう。そう遠くないうちに朝になるからね」


「ああ。フローゼも大丈夫か?」


「はい。大丈夫です」


 そうして同意が得られたのちに、エースの意識が沈んでいく。完全に沈む前ギリギリの範囲で、優しい声が聞こえてきた。


「ありがとう、お父さん」


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