第6話 夜の小話
その後、フォンバレン家の和やかな食事は鍋の中身が文字通り空になるまで続き、食後の雑談に至ってはそこから30分以上も続いた。
中々にお喋りなセレシアと、頭の回転とレスポンスの早いミストがいるだけで長く続く要素は十分揃うのだが、今回に至ってはいつもの面々に加えてフローゼがいる。母親譲りなのか聞き上手なことが追加要素となり、雑談はエースお手製の紅茶を傍らに長く続いたのだった。
そんなお泊まり会お決まりのような盛り上がりを見せた後、男性陣が自室へ戻り、ヒールとメールが夜の空に飛び立って女性陣だけが残っていたリビングには、最後に風呂を上がったフローゼがタオルを頭に被せた姿で戻ってきていた。流石に風呂上りとなると来た当初の制服姿ではなく、若干ゆったりめの黒のパジャマ姿である。
ただしそれは彼女の持参物ではなく、セレシアが寮から持ってきたものである。フローゼが時間を超える際に持っていたものは、彼女の得物である棍だけだったからだ。
「フローゼ、ちゃんと髪拭いた?」
フローゼの若干濡れた髪を見て、セレシアがフローゼの頭に被さっているタオルをとった。
「拭きましたよ?」
「あたし的に微妙なラインなんだけど」
疑問符と共にためらいなく口にされた言葉を聞いて、セレシアが重たい視線を向ける。
数秒悩んだ後で、右手に掴んでいたタオルを使って、セレシアはわしゃわしゃっと少し粗めにフローゼの髪を拭き始めた。突然の行為に、わふっと意味を持たない声を発したフローゼは、何故かされるがままになっていた。
「どうしてそこまでフローラの癖を継いじゃうかな」
「え、お母さんもなんですか?」
「今はそうでもないけど、小さい頃は、ね」
「あはは……」
最後まで言い切る直前に、セレシアの視線がフローラの方を向く。風呂上りでいつものリボンカチューシャを外し、何もつけていないネグリジェ姿の彼女は、その視線に苦笑いを返すだけだった。
「いわゆるダメ人間じゃないけど、オフモードの生活がちょっとだけ緩いのよね」
才色兼備に性格まで足されているというのが外向きの評判であるくらいには、多くの人に頼られ愛されなフローラ。
だが姉であるセレシアは当然、彼女が完璧に近い人間ではないことは知っている。朝にかなり弱く、休日は割と頻繁に朝ごはんをすっぽかしてブランチ状態。風呂上りに髪を乾かすのも少し適当と、家での生活は少しだけ緩んでいる。
「家事も一通りこなせるし、勉強も出来るし、別に人様のところに行かせても何の問題もないんだけど、自制スキルだけはフォンバレンくんの方が上なのよねぇ」
「それは……本当にそうだね」
フローラの言葉が最後に行くにつれて、段々と弱くなっていく。自分でもはっきりと分かっているのであろうことを、生んだのは別世界線の自分であるとはいえ、娘である人物の前で姉にはっきりと言われてしまったことで少し気まずそうにしていた。
「はい、こんな感じ」
「ありがとうございました!」
セレシアが話ついでの形で髪を拭いていたタオルを取ると、ずっとされるがままの状態だったフローゼが感謝の言葉と共に振り返りざまの笑顔を向けてきた。そんな屈託のない笑顔を、セレシアは少し不思議そうに見る。
「髪拭いてあげただけなのに、なんかすごくうれしそうだね」
「まさか、未来とおんなじことやってもらえると思ってなかったので、嬉しくて」
「そっか。未来のあたしも、こうやって髪をわしゃわしゃ拭いてあげてるんだ」
思いがけず手に入れた未来の自分の情報。
理解と実感に十数秒要した後、一つの引っかかりを気にしてセレシアはまた口を開く。
「ん、じゃあ未来のあたしは、フローラと暮らしてるの?」
「んー……ちょっと違いますね。私が家族で住んでいるのが今の世界でいうスプリンコート家のお隣なので、正確にはお隣さんです。まぁ、結構な頻度で来るので住んでると言っても差し支えないんですけど」
未知の世界から引き出され、語られる情報。疑問に対する詳細な答えは、当然また思考の余地を提供する。
だがそれが疑問になる前に、フローゼの口から次の言葉が出る。
「私が生まれる時に、お父さんが『子育て大変になるだろうから』って地元に戻ろう、って話になったらしくて。スプリンコート家の近くならセレシアさんやおじいちゃんおばあちゃんも頼れるから、って決めたらしいです」
「へぇ……そうなんだ」
「ちょっと学校から遠いので朝が辛いですけど、毎朝おじいちゃんやおばあちゃんの顔も見れるので、楽しいです」
そういうフローゼの顔は、また愛嬌のある笑顔になっていた。不思議と人を惹きつけるそれに、近くにいたセレシアだけでなくフローラも自然と笑っていた。
「でもそっかー。あたし結婚してないんだね。まぁ当然っちゃ当然かなー」
「どうしてですか?」
セレシアの諦めに似た言葉に、フローゼからの質問が飛ぶ。
「フローゼは、あたしとフローラの関係はもちろん知ってるんだよね?」
「はい。お母さんの双子のお姉さんだと聞いてます」
セレシアとフローラの関係を正しく知る人はその両親以外ではエース、ミストに加えて校長のパードレしかいない。
その誰かから聞いたわけではないのであれば、ぼかした質問に何のためらいもなく素直に答えを返した時点で、娘であることは立証出来たに等しい。
そう思って、セレシアはさらに言葉を続けた。
「前にフローラには言ったことあるんだけど、あたしかフローラが誰かと付き合うなり結婚するなりして、その人が差別するような人だった時にどうにもならなくなる。まぁフォンバレンくんたちみたいに事故のような形で判明するケースはあるけど、それはとてつもないレアケースだし」
「うん、そうだね」
エースとミストがどのようにして双子であることが分かってしまったのか、実はセレシアとフローラはほとんど知らない。故に偶然手に入れることの出来た情報であるが、それがセレシアとフローラにとっての最大級に欲しい情報ではあった。
「この世界のフローラには、今考え得る中で一番安全な人がいるからいいとして……。これからどんどん人付き合いが増えていく中で、そういう人と同等以上に安全な人を引き当てられるかと言えば、まぁ難しいよね」
セレシアが口にした通り、そのような情報が手に入るということが再び起こるとは、セレシアもフローラも考えてはいない。
だからこそ、同じ立場に立つことができ、しがらみなく互いに愛することができ、上手くいけば添い遂げることの出来る人物は貴重である。そしてたまたま知らずに恋したエース・フォンバレンという人間は、フローラ・スプリンコートにとってもはや運命に等しいレベルでかみ合っていた。
「さっき夕飯の前にフローゼのお父さんの名前に驚いたのはね、あたしの知らない人で、安全な人の名前とも違う人だっただから、フローゼの世界線でのフローラには何があったのかなーって、思っただけなの」
「そう……ですね。今度聞けるかな?」
どことなく歯切れの悪い、フローゼの返し言葉。
目の泳いでいる様子を見て、何か言いたくない背景事情があることを察して、セレシアはそれ以上問うことは止めていた。
その数秒後に、リビングのドアが開かれる。
廊下から現れたのは、先ほどまで話題に少し取り上げられていたエースだった。噂をすれば影が差すと言わんばかりのタイミングでの登場に、リビングにいた全員の視線が向く。
その反応に、エースも少し驚いた表情で口を開いた。
「ん、何、邪魔だった?」
「ううん、大丈夫だよ」
「そっか。ならよかった」
リビングにいた女子組に一声かけた後のエースは、そのまま台所へと向かった。冷蔵してる品々から、水の入ったビンを開けてそれをコップに注ぐ。
「リビング組、何かいるものある?」
「あ、私そっち行きますー」
リビングのソファで会話をしていたところから、フローゼが立ち上がって台所へと軽い足音を響かせて行く。
「保存庫の中、見る?」
「あ、いいんですか?」
「直に見たほうが選べるだろ」
そう言うエースが保存庫の中身を開けると、ビンやポットが3つほど並んでいた。
「これ、何が入ってるんですか?」
「一番左は水、あと2つは紅茶」
「紅茶か……。結構いっぱいありますけど、なんでこんなにあるんですか?」
保存庫の中身からその視線を移されたエースは、フローゼのその問いに答えた。
「俺が作るの好きで、作るなら朝とかに多めに作っとく方が後で楽だから。本当はその都度作ったほうがいいんだけど、平日とかは昼くらいしかここに帰ってこないしな」
「なるほど……」
問いかけの答えを得た後、フローゼの視線は再び保存庫の中に移る。
するとリビングでくつろいでいたセレシアから言葉が飛んでくる。
「なんか意外だよねー。去年知るまでは、フォンバレンくんあんまりそういうの興味ないと思ってた」
「確かに……」
セレシアの言葉を聞いて、フローゼの視線がまたエースの方に移る。
更なる興味を得た次の行動は、これまた再びの問いかけだった。
「なんで紅茶がお好きなのか、聞いてもいいですか?」
夜だからなのか最初の頃よりも少しだけ落ち着いた雰囲気で興味を示され、エースは少しだけだけ考えこんだ後、その口を開いた。
「まぁ、好きだから、って言うのは、前に2人には言ったんだけど」
「はい」
「幼いころ、母さんが淹れてた紅茶がジュースとかより好きで、それでたまに一緒に淹れたりしてたんだ。子供のくせして、紅茶が好き、だなんてちょっと変わってるとは思うけど」
いつもより感傷気味に感じられるその語り口は、重箱の紐を解くかの如き丁寧さ。エースが過去の思い出を話すこと自体も珍しく、聞き手の3人は口をはさむことを自ら拒んでいたようだった。
「今となっては……なんだろうな。確かに好きで、習慣ではあるんだけど、そんな思い出を忘れないように続けてる、ってのもあるのかな。早くに亡くなって、思い出もそんなになかった中で、これは俺の中に残った数少ない思い出だから」
その言葉で語り終えると、思い出の紐解き作業を止めたエースの視線は、静まった空間へと向いた。リビングにいたセレシアとフローラ、台所にいるフローゼは皆、エースの語りに聞き入っていたようだった。
「悪い、なんかしんみりさせちゃって」
「フォンバレンくん、お母さん思いなんだね」
「んー……そうかもしれないな」
フローラの言葉に少しだけ目を開かれたエースは、少しの間だけ柔らかい笑顔になっていた。おそらくは普段のエースが意識しても作れないであろう、自然な笑顔だった。
「紅茶、いただいてもいいですか?」
「いいよ。どっちにする?」
「じゃあ……右の方で」
「了解。準備するから少し待ってて」
フローゼが選んだ方のポットを手に取って外に出すと、食器棚からカップとソーサーを取り出して、エースは慣れた手つきでカップへと紅茶を注いだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
置かれたカップを手に取ったフローゼは近くの椅子に座り、行儀よく紅茶を飲んでいた。その様を見たエースは、残った紅茶の入ったポットをダイニングテーブルの上に置いた後、リビングの出入口へと向かう。
「じゃ、俺は部屋に戻るよ。ポットは置いておくから、好きなだけどうぞ」
「はーい」
そう言うとエースは、フローゼが選ばなかった方の紅茶の入ったビンを持ったまま、リビングのドアからその奥に繋がる通路へと歩いて行った。
そして少しの間だけ、リビングの空間から声が消えた。再び宙に放たれた声は、セレシアのものだった。
「フローゼ、もしかしてフォンバレンくんに惚れた?」
「ぶっ」
若干感傷に浸りかけていたリビングの雰囲気をぶった切るようなセレシアの突拍子もない言葉に、フローゼは飲んでいた紅茶を少しだけ吹いて、カップを置きながらむせていた。
「けほっけほっ、なんてこというんですか!?」
「いやー、なんだか嬉しそうにしてるからねー」
「こ、これはただお話できたことが嬉しいだけです! そういう恋愛感情はないです!!」
そんな言葉で慌てながら反論する様は、どことなく母親の面影があった。
その母親と同じ名前を持つフローラは、というと、セレシアに対して、おそらくは呆れと咎めがこもっている少し冷たく重たい視線を投げていた。
「もう、セレシア、フローゼを困らせちゃダメだよ」
「あはー、ごめんごめん。反応が誰かさん見てるみたいでちょっと面白くて」
フローラの呆れた言葉を聞いても、セレシアは笑っていた。少し楽しそうな表情は収まった後は、フローゼにきちんと視線が向く。
「で、紅茶のお味は?」
「美味しいです。お菓子合わせたいくらいです」
「夜じゃなかったら、合わせたのにね」
既に月明かりが下りる時間では、何かを食すことはためらわれる。
故に、譲歩した意見を、セレシアは口にしていた。
「ま、お話ならいくらでもするんだけどね」
「お供にお願いします」
「任せて」
テーブルの上に置かれた紅茶を、フローゼが美味しそうに飲む姿。それを見て、セレシアとフローラが会話を展開していく姿。
2つの光景を内包して、フォンバレン家のリビングを流れる時間は、確かに過ぎていった。
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