第3話 訪れは、幸せの合間に



 その日の夕方、フォンバレン家にて。


「いらっしゃい」


「こんにちは」


 その玄関先で、片やすでにオフモードでルームウェア姿のエースと、片や職務を終え制服姿のフローラが会話をしていた。


「スプラヴィーンくんは?」


「ああ、あいつなら買い出しに行った。会わなかった?」


「うん、会わなかった」


「そっか。まぁ立ち話もなんだし、上がりなよ」


 エースが言葉通りに室内へと誘導していく動きを見せると、フローラもそれに倣ってフォンバレン家の中へと足を踏み入れた。半年ほど前から色んな出来事で訪れる回数も増えているため、心理的ハードルは段々と下がってきている。


 リビングまで来ると、エースだけはそのまま台所に向かう。


「なんか準備するから座ってて。絶対疲れてるだろ」


「うん」


 声色に明確に疲れを乗せたフローラはエースの言葉に返事をし、その後椅子に座った時には、テーブルの上に突っ伏したようになってだれていた。


「疲れた……」


「言った傍から……。お疲れ様」


 思い切り緩めた珍しい姿のフローラに、エースはソーサーやカップの準備をしながら笑ってねぎらっていた。


 彼女曰く、生徒会の面々になってからは学校内では気を張りっぱなしになることも多く、長い時間気を緩められる場所もそんなにないのだそうだ。


「入学式、どうだったの?」


「人だかりにもまれて精魂尽き果てました」


「言葉だけで大変そうなのが分かるなぁ」


 言い回しに笑いながら、ティーカップに紅茶を注ぐエース。慣れた手つきで2つ分用意すると、そのうち1つを、テーブルに突っ伏しているフローラの顔の前に、軽い音を響かせて置いた。


「はい、どうぞ」


「ありがとう」


 差し出されたカップを見て、フローラは上体を起こして感謝の言葉を口にする。それを聞いて、エースも少し満足そうな表情をして、テーブルの向かい側に座る。


「で、なんでそんな人だかりになったんだ?」


「講堂で生徒会の面々の紹介された後、軽い出待ちみたいになっちゃって……」


「なるほど。それで?」


「男女問わず質問攻めされて大変だった」


 普段フローラは、エースと2人きりでいる時ですらそこまで愚痴を零すことはない。なので、こうして愚痴とまではいかなくとも、このような感想を述べてぐったりしてしまう結末になっているというのは、余程心身に堪えたのだろうという想像が容易に出来る。


「まぁ、1年生からしたら頼れる先輩だもんな」


「頼ってもらえるのは嬉しいんだけど、あんなに一度に来ないでほしかったな……」


 その時の光景を思い返しているのか、フローラが苦笑いでそう言った。手元のソーサーに置かれたカップの中を見ながら、もう少し言葉を付け加える。


「それに頼るんだったら、私より頼れる人はいっぱいいるのにね」


「うーん……どっちかというと、選んだ基準はそっちじゃなくて、心理的ハードルの低さだと思うけど」


「え?」


 エースの言葉を聞いて、首を傾げつつ疑問符を浮かべるフローラ。おそらく自覚がないのだろうな、というその反応を見たエースは、一つ問いかけを投げた。


「出待ちチックに囲んできた生徒、男女どっちが多かった?」


「えっと……多分男子生徒だと思う」


「だろうな」


 エースの短い言葉に、フローラの頭の上にさらに疑問符が並ぶ。その若干愛らしくも感じる動作に、少しのため息を置いてエースの言葉が続く。


「そりゃあさ、今年の生徒会の面々図ったかのようにみんな綺麗だけどさ、その中でも一番癖がなさそうでふんわりとした先輩がいたら、男子生徒は会長よりもそっちに行くだろうよ」


「えっと……そういうものなの?」


「はぁ……。なぁフローラ、せめてもう少し自分の容姿のこと自覚してくれ」


 あまりにも自覚のない言葉を口にするフローラに、エースはまたため息をついた。


 フローラ・スプリンコートという少女は、基本的には割と自己肯定感が低い人物である。絶対的な評価でこそないが、セレシアとエースで揃ってもう少し自信と自覚を持て、と複数回言うくらいには、他者を相対的に高く評価するところがある。


 とはいえ、面と向かって可愛いや綺麗といった褒め言葉を言えず、気恥ずかしさに飲み込んでしまう自分自身も、もしかしたらそこに拍車をかけているのかもしれないと、エースは少しだけ思った。


 そしてそう思うと、次に攻めた言葉は吐けない。


「まぁとにかく、目立つようになったからには色々気を付けて、ってことだよ。困った時の相談には乗るけど」


「うん。頼りにしてる」


 おまけに笑顔でそうはっきりと言われてしまえば、エースはそれ以上フローラへの指摘をすることは出来なかった。


 現在の関係性になるきっかけとなった昨年の夏の事件と、冬はじめのエース消失事件。それ以降多忙な日々を過ごすフローラが、以前よりも疲れた顔をすることが増えたように思うのは、エースの思い過ごしではないことは確かだ。


 それでも弱音は吐かず、彼女が口から吐き出すのは『大変だった』『疲れた』という感想くらい。自分で決めたのだから頑張る、と意気込んでいた芯の強い彼女の、疲れた時の心の拠り所になっているのなら、エースにとっては嬉しくあった。


 元々はエースがフローラに対して心の拠り所となる部分を見出して、エースが一方的に寄りかかるような関係になっていくのかなと考えたこともあった。しかし今ではフローラが頑張りすぎていて役割が反対になっていることの方が多い。一方向からだけではなく、双方向から支え支えられの関係になっている今のこの関係性が一番いいのかな、と、ふと思考の空いた時にそう考えているところはある。


 姉であるセレシアにも、フローラの両親にも、どっちかというとフローラをよろしく、的な言い方をエースはされている。最初は何故そんな言い方をしていたのか分からなかったが、割と最近になって、エースはその理由がようやく分かってきていた。


「てか、そんな人だかりにもまれた後でよくここまで来れたな」


「1年生の全日程が終わる前に早抜けさせてもらって、遠回り経路で来たから」


「よく許可が下りたな」


「フィーアちゃんが快く送り出してくれたの」


「ああ、なるほど」


 フローラの行動が可能であった理由を聞いて、エースは納得の表情をする。


 次いでその表情は、少し苦笑いを含んだものへ変化した。


「会長、マジで俺らの関係に気づいてるな……」


「勘がいいからね……」


 理解していそうな面々が面々なだけに問題はなさそうだが、そもそもの目標は隠し通して学校生活を終える、というもの。未遂になりかけているこの状況に、2人はなんとも言えない表情になる。


「なんなら、『あら、中学3年の時には気づいてましたわよ』くらいは言いそうだもんな」


 生徒会の面々は全員、偏見や差別とは縁遠い人物である。その中でも会長であるフィーア・クラシオーネは、エースの置かれている立場や状況を知っていてそのうえで「どうせなら生徒会に入ったらどうか」という勧誘すらしようとする人物だ。


 決して悪い人物ではないのだが、己の信じることに対して割と盲目になりやすい。それが現在の会長の気質とも言えるものであると、そう感じている。


 ちなみに、サウゼル魔導士育成学校の高等部の面々のうち、中等部からの進学組は半数を少し超えるくらいで、現在高等部にいる面々はよく見知っている生徒とそうでない生徒でほぼ半々に分かれる。生徒会の面々は全員中等部からの進学組なので、そう言った意味でもエースはそれなりには知っている。


「まぁ、味方がいるに越したことはないかな。ミストはともかくとして、俺はあまりにも敵を作りすぎてるしな……」


「どういうこと?」


「あの生徒会の綺麗な先輩が仲良くしてる男子生徒があんまりよく思われてない生徒でした、ってなったら、少なくとも男子生徒の何割かは敵に回るだろうよ。新入生も例にもれず」


 フローラがエースに対して明確な好意を向けているのは、中等部のかなり早い段階からだった。当然、気づいている人も、風の噂で知っている人もいるだろう。早い段階で意図せず敵対関係になる要素を積み上げていたエースが、年月の経過と共に多くの敵を作ってしまうのは避けられないことではあった。


「でも、私に嫌がらせしてくる人はいないよ?」


「本人に嫌がらせするわけないだろ。まぁ、もしかしたら関係切れ、みたいなこというやつはいたかもしれんけど」


「うん。何人かいたね」


「いたんだ……」


 冗談半分で言った言葉が、既に起きていたことを図らずも言い当てていた事実。それを知ってしまったエースの表情は、決していい方向へは動かない。本人に面と向かって言うという恐れ知らずな誰かへの呆れの混じった表情で、次の言葉は放たれた。


「もし俺の存在で、フローラが気に病むことがあったら言ってくれ。その時は――「そんなこと、絶対ないよ」


 エースの言葉を遮って、フローラの否定が静かに、しっかりと言い切られた。


「だって、一緒にいる方が、エースくんの笑顔がいっぱい見られるから」


「笑顔?」


「うん。今の関係性になって、前よりもたくさん笑顔になってる気がする」


 そう言われて、エースは少しの間だけ過去の思い出を走馬灯のように思い返す。


 エース自身はあまり実感がないが、以前よりも笑うようになった、ということは確かに言われた記憶がある。


「それにね、エースくんが一人でそんなに色々気にしなくてもいいんだよ。君が頑張ってる分をちょっとずつ肩代わりするとか、気にしていることをしなくてもいいように、私頑張るから」


 さらりとそんな言葉を口にするフローラ。


 負担が減るのはいいことなのだが、『頑張る』という言葉が彼女の口から発せられることが増えてきて、エースにとっては少し心配だった。


「フローラはもう十分過ぎるくらい頑張ってるし、それでもこれ以上頑張るなら、俺もその分頑張るよ」


 だからこそ、次にこの言葉を吐き出した。


 明確に『頑張る』という言葉を使い、自覚があるフローラと違って、エースは自分が『頑張っている』という自覚はない。むしろ程々に抜いて動いているという認識なのだ。


「まぁ、どっちも根詰めて倒れるの嫌だし、俺としてはフローラが適度に緩める時間を取ってくれた方がありがたいんだけどね」


「うん。その時はこうやって、エースくんの淹れた紅茶を飲みながらお話させてね」


「ああ。いつでも出来るよう、準備しておくよ」


 こうして穏やかな空間で談笑が出来るように、備えを作っておく。


 ひとまずはそれがフローラのために出来ることだろうと、エースは考えておくことにした。




 そんな談笑の最中、突然家の外から、女性のものと思わしき声が聞こえる。


 この家の場所を正確に知っている女子生徒は今ここにいるフローラ以外にはその姉であるセレシアくらいしかいないが、その声の主とは明らかに違う声だった。


「なんか騒がしいな。ちょっと出てみるか……」


「私も行くよ」


「ああ」


 短めのやりとりを交わした後、エースとフローラはフォンバレン家の玄関口へ向かい、そのドアを少しだけ開けた。


 ドアの向こうに広がる外の世界では、サウゼル魔導士育成学校の制服を着た女子生徒と、買い物袋を提げたミストが何やら言い合っている様が展開されていた。


 開けた隙間からエースだけが顔を覗かせて、ミストに声を投げかける。


「ミスト、何してるんだ?」


「この人が何故か家の前にいたから、問い詰めてただけだよ」


 こちらに視線を向けるミストが、親指で指す先にいる女子生徒。その困り顔が、どうしていいか分からずにうろたえている様子をよく表していた。


 フォンバレン家への道筋を知っている人がごくわずか。普通なら今そこにいる生徒をエースも怪しんでいたのだが、女子生徒の姿によく似た姿を見たことがあったエースは、ドアを開け放ちつつ、別の感情を持って口を開いた。


「もしかして……フローゼ?」


 今横にいるフローラの髪の色と同じクリーム色で、癖の若干ついたウェーブヘア。身長もエースやミストより若干小さいくらい。


 冬始めの事件の際、未来世界に飛んだ後のエースを助けてくれた少女――フローゼ・フォンバレンの姿と、目の前の少女の姿はそっくりだった。


 だが、目の前の少女はエースの言葉を聞いた後、首を傾げていた。


「えっと……なんで私の名前を知ってるんですか?」


 その問いかけに、エースは答えることが出来ない。未来世界に転移したという機密情報が答えの中身に必須になってしまうからだ。


 背景事情のせいで色々とかみ合わなくなった場に、停滞を意味する沈黙が訪れようとしていた。



 しかしそれもほとんど続かず、女子生徒――フローゼが最初にその口を開いた。


「あの、そこのリボンカチューシャをした人、お名前教えてもらってもいいですか?」


「え、私?」


「はい、そうです」


 ドアが開け放たれるまで見えなかったフローラの存在に気づいたらしいフローゼが、そのフローラに対して言葉を投げかける。


 突然問いかけを向けられて困惑しつつも、フローラは名前を口にしていた。


「えっと……フローラ・スプリンコートです」


「あ、やっぱりだ!」


 名前を聞いただけで喜ぶフローゼの反応を見て、フローラが困惑の深まった表情を見せる。


 そして次の瞬間、エースとミストを置いてきぼりにしつつあった場に、驚きの情報が落とされた。


「やっと会えました、お母さん!!」




「え、ええ~~~!!?」


 驚きのあまり声量の調節を忘れたフローラの素っ頓狂な声が、森の中に響いた。


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