エピローグ 変わるための決意
一連の出来事が開けてから、一週間後。
その日は平日だったのだが、エースとフローラは普段の生活域であるサウゼル魔導士育成学校の周辺地域を大きく離れて、同じサウゼル地方の南西の方角の端にある町フォーリアまで来ていた。
もう少しで12月になろうかというところまで来ているので、既にどの地域も冷え込みが厳しくなりつつあった。さらに南に進み、国境を越えた先には常夏の国があると言われているが、そこに行くことは、エースたちにはまだ無理な話である。
特別な事情がない限り、この国では18歳を越えなければ国境を越えることが出来ない。エースたちが今の魔導士育成学校の高等部を卒業する年になるまでは、もっと外の世界を見るのはお預けだ。
ただ、このサウゼル地方だけでも観光に適したスポットはたくさんある。今日エースとフローラが来ているフォーリアの町は、秋が深まる10月後半から11月にかけて、紅葉の名所となっている場所だった。
「うわぁ……綺麗……」
並木道の空をアーケードのように覆う紅葉に、防寒用のベージュ色のトレンチコートを着たフローラが目を輝かせながら歩く。
その傍らを、エースは少し嬉しそうにしながら歩く。一応の顔隠し用のキャップ帽のつばの下から、目の前の少女の様をしっかりと見ていた。
「見に来たかいがあったな」
「うん。ありがとう。一緒に来てくれて」
この場所にエースが来たのは、フローラの紅葉が見たい、というその言葉が理由だった。話をした当時は、『行きたいな』くらいの弱めの願望だったものが、主に校長パードレや、フローラの所属する生徒会の面々のささやかな計らいによって、何故か早くも達成することが出来たのだった。
そして気を利かせたのかどうかは知らないが、ミストとセレシアはついてくる素振りすら見せなかった。2人で行ってらっしゃい、ヒールとメールの事は任せて、と2人だけの時間を後押ししていた。
費用面でも、なんとパードレと、セレシア・フローラの両親であるスプリンコート夫妻の全額負担で賄っていた。どういう理由だろうとエースが出発前の見送りに来てくれた夫妻に聞いてみると、細かい理由はいいから楽しんでらっしゃいと、はぐらかされていたのだった。
そんな複数の後押しや援助を受けて叶ったプチ旅行。エースもフローラも、思考や意識を今この時間に向けることにしていた。
「はぁー……にしても、寒いね」
流石にまた吐息が白くなるほどではなかったが、手先は十分に冷たい。トレンチコートの袖口から伸びる手をさすり、息を吐くフローラの姿は、見ている側のエースにも本格的な寒さの訪れを感じさせていた。
「じゃあ、もう少し歩くか」
「うん」
手を繋ぐことに関しては、まだ互いに抵抗があった。
それ故に2人の手はそれぞれに思い思いの位置にあったが、それでも、しばしの間並んで歩く2人の間隔が離れることはなかった。
紅葉のカーペットに舗装された並木道を歩く人は、この日はそこまでいなかった。エースとフローラのペアを除けば数人ほどで、間隔も開いているために何を話しているかも分からないような状態だった。
「それで、結局あの後どうなったんだ?」
歩みを一度中断し、傍らのベンチに座った時に、エースは話題を振った。
あの後、というのはエースが消えた直後のことを指していた。そこから数時間後に時渡の泉で再会するまでの話は、おそらくはセレシアなどには話したのだろうが、時間の都合上エースは詳しく聞いていなかった。
「あの後はね、色々あったんだよ」
ためらいなく開かれたフローラの口から出てくる言葉を、エースはただ聞いていた。
転移後すぐにフェアテムが現れて道を示してくれたこと。
すぐに電車に乗り最寄りの町まで行ったこと。
約束を破って一人で森の中に入り、そして力尽きたこと。
語られるすべてが、過去の思い出話に出来るくらいになった、時間の置き土産だった。
「そんなことがあったのか……」
「うん。私、変わらなきゃいけないんだなって、すごく思った」
経てきた時間を嚙み締めるように、フローラがそう呟く。彼女なりの苦労を重ねてあの泉にたどり着いたことは知っていたが、その事実を細部まで知った今、またエースは実感させられていた。
「だからね、私も戦えるように、これから色々頑張ろうと思うの。他のこともあるからちょっと大変だけど、でも、フォンバレンくんのために、私頑張る」
「そっか」
フローラの決意表明に、エースは短くそう返した。
出来ることなら、フローラを危ないところには行かせたくはないし、危ないことをさせたくない。それで済むならば、その可能性だけを探り続けていたいのが、エースの素直な願いだ。
だが今回の事件の中身を見たときに、それだけでは厳しいのも事実だった。この先でエースが再び危ない場所へと飛び込んて行くならば、フローラもそこに一緒にいる可能性はあるのだろう。これまでも、エースに対する絶対的な信頼を置きながら、彼女は後衛に徹し、エースをサポートしてきたのだ。
ただそれは、エースが援護なしに前を支え切れることが前提なのだ。そして、今回の事件で、その前提は割と簡単に崩れてしまうことがあることをエースは痛感させられた。
それ故に、その決断を、止めるべきか、応援するべきか。エースにはどちらが正解なのか、その判断に困るしかなかった。
しかしその次の言葉で、エースは判断をしようとすることすらも間違いだったことを思い知らされた。
「大丈夫だよ。私が頑張るのは、君を守るための力をつけるためだから。君とずっと一緒にいるための試練なんだよ、これは」
柔らかな口調に見え隠れする真剣な色。
それを感じられたのはおそらく、フローラが彼女なりに考えて、彼女なりに出した結論を口にしたからなのだろう。そして言い切るからには、エースがあれこれ言ったところで意見は変わらないのだろう。
フローラ・スプリンコートとは、そういう人なのだ。ふわりとした優しい雰囲気の中に、確固たる芯を持ち合わせた――そんな表現が、多分ふさわしい。
そんなことを考えながら、エースは口を開く。
「じゃあ俺も、君を守り切れるように、もっと頑張らないとだな」
「フォンバレンくんに頑張られたら、私すごく頑張らないといけないね」
エースもフローラの言葉に感化されるように言葉を紡ぐと、フローラが笑いながらそう返してくる。
「ただ、実力がある程度ついても、約束破って夜の森に入るとかはナシな」
「はい、それは反省してます。あの後セレシアだけじゃなくてお母さんやお父さんにも怒られました」
「しょうがないな、それは」
これまでと打って変わって苦笑いになるフローラの表情で、それがとても堪えるものだったことは容易に想像がついた。
恋人の元へ早く向かいたい気持ちは、逆の立場だったらエースも同じことを思っただろう。現に未来世界ではその身の行く末を案じて焦りを感じていた。
だがそうだとしても、夜の森という視界不良の中で突き進もうとするのは自殺行為に片足を突っ込んでいる。そのことに関してだけは、今後のためにもっと強めに指摘した方がいいのかもしれない、と考えた。
しかし、既に同じ中身で何人かがフローラに対して怒っていることを考えると、エースが同じことで怒ったところで何かが実るわけでもないだろう。そもそもとして辛い思いをさせたのは自分のせいなのだから、エースは自分自身には怒る資格はないと考えていた。
「まぁ、俺からは何も言わないよ。その分を他の人が怒ってくれたんだろうし」
怒られること自体、いい気持ちのするものではない。今を迎えて、こんな風に言葉を交わすことが出来ているのだから、問題ない。最後にはそう考えて、エースは怒ること自体は止めていた。
「ところで、話変わるけど……なんで今日ここに来ようと思ったの?」
ここに来る前、フローラに対してたった一つ、エースが疑問に思ったことがそれだった。たまたま授業がなかったとはいえ、何の変哲もない平日である今日を選んだことだけが、エースには謎のままだった。
「今日は11月25日。ちょうど一ヶ月後がフォンバレンくんの誕生日だったから、その話もしようかな、って。カレンダー見たときにふっと思いついただけだけどね」
「あー……そういやそうだな」
一大イベントを控えているかのようにふるまうフローラと、自身のことなのにあっさりとしているエース。
エースはあまり誕生日を意識したことはない。前日がクリスマスイブで、ちょっといいご飯が食べられるくらいの、イベントの次の日、くらいの感覚だ。あまり贅沢を言えない生活をしている以上、その程度でちょうどいいのかもしれないと考えている。
ただ、目の前の少女にとっては明確に違う何かがあるようだった。
「何か欲しいものとか、あったりするの?」
「うーん、そうだな……」
フローラの問いに、エースはしばし考えこむ。エースなりにしっかりと悩むために、思考回路を動かして――
「特にないかな。今みたいに楽しくしゃべって、笑いあってって出来れば、それでいい」
出てきた結論が、それだった。何のためらいもなく口にした言葉に対する、フローラの微妙な表情がエースの視界に入ってくる。
「もう少し、欲張ってもいいんだよ?」
「いきなり言われてもなぁ……」
エースにとってこういうことは、のんびりと過ごしてきた時間の中で、出てくるかどうかも分からないくらいのものだった。大抵の場合、すぐには思いつかないからだ。
そういう人生を今年の夏までは歩んできて、色々な過程を経て急転して今になるのだから、すぐには変えられない。何かを望んだところで全てが手に入るわけでもなく、元々持っているものを取りこぼしてしまう方が怖いからこそ、エースにとっては穏やかな願いがちょうどよかった。
「ただまぁ、こうやって、『今年は何が欲しい?』みたいなやりとりを、ずっと出来たらいいな……とは、今思った」
「それって……」
「あっ」
エースの言葉を聞いたフローラの頬が、紅葉に染められていく。その表情の変化を見たエースも意図せずこめてしまった裏の意味を感じて同じようになりつつも、己の言葉を脳内反復して少し考えていた。
たまたま行き着いた未来世界では、目の前の少女と、己自身との間に一人娘が出来ていた。詳しい事情は聴かなかったので全く知らないが、心身共に健全に育ったことはフローゼを見れば何となくは分かった。
そしてそういう未来は、おそらくはエースたちが過ごす今から進み、幾度かの分岐点を決めたその先のどこかで繋がるのだろう。その未来の在り方を知った今は、そこにたどり着くことが、何よりも先に叶えたい願いに近づいていた。
「目に見た未来の在り方を、いつかの今日に出来るくらいに、今を守り通せる力。多分これが、今の俺が一番欲しいものかな」
「そっか。私も本当に色々頑張って、君に見合う人になるよ」
「程々にな」
今の言い方を見ると、きっと、頑張りすぎてふらふらになる。それはそれで愛おしいのだが、無理はしてほしくない。
そう思って、エースは短く牽制の言葉をフローラに投げたのだった。
言葉の後、しばしの間、顔を見合わせて微笑みを交わす。
「時間があったら、また来年も来ような」
「うん」
「その時のために、食探しでもするかな」
「もう、食いしん坊なんだから」
「お腹空いたら何も出来ないからな。さ、行こうか」
青空にかかる紅葉のアーチの下、2人はベンチから立ち上がった後、並んでゆっくり歩き出した。
この世界で生きる2人の未来がどこに繋がっていくのか。それは、まだ定かではない。
それでも、信じる明日のために、今日を費やしながら生きていく。
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