第20話 小竜の導く果て



 刹那、エースの思考に一瞬の空白が出来上がる。


 目の前に倒れている少女は、髪型こそいつもと違うが、見紛うことなき愛する少女の姿だ。


 それ故、現実に起こっていることが理解できない。


「どうして……?」


――ここにいるのか


――横たわっているのか


――傷ついているのか


 問いかけの言葉全てをひっくるめた、その最初の4文字だけがエースの口からこぼれ出る。


 横たわるフローラの衣類についた破れ痕は、浅く表面だけを掠めるようなものばかりだった。少なくとも、剣や爪のような物体でつけられたのではなく、風属性魔法で乱雑につけられたことは明白だった。


 そして、それはここで来る道中に何者かによってつけられたものであることも、エースには容易に想像できた。


「なんでだよ……」


 何故、フローラが傷つく必要があったのか。


 その理由を探し始めたところで、憎悪の矛先を向ける相手は自分しかいなかった。


 1分でも1秒でも早く未来世界から帰ってくることが出来れば。未来に飛ばされる前の戦闘で体勢を立て直し、守り抜いていれば。


 そんなたらればの後悔は、過ぎた時間の置き土産だった。


「せめて、せめて生きていてくれよ……」


 懇願するように絞り出された言葉は、瞬時に世界に溶けていった。




「大丈夫。意識を失って横たわっているだけだ」


 エースの言葉に対する返答を届けに来たかのように、突如、何もない空間にフェアテムの姿が現れる。未来世界や夢の中で見たものと同じ装束の、どことなく場と乖離した雰囲気を持つ姿を見たエースは、目の前の事実に基づいて警戒の色を出していた。


「はいそうですか、ってこんな姿を見せられて言えるわけないだろ」


「では私が傷つけたと。そう言いたいのかな?」


「それは……」


 実際にそうなのかどうかはエースには知る術がない。全て空想の域を出ないが故に、続きを口にするすることは出来なかった。


「じゃあどう考えろと。こんな姿を見せられて、敵か味方かも分からない相手の言葉を信用できるか」


「神様は嘘を言わない。少なくとも、君は2回はその言葉を聞いているはずだ」


 フェアテムの言う通り、確かにエースは2回、同じ言葉を聞いている。1度目は夢の中、2度目は未来世界にて、今と同じ泉の傍でフェアテムに言われていた。


 そのことと、これまでに自分に起こったことを照らし合わせ、エースはひとまず警戒するのを止めた。下手に気を張ったところで、目の前の神様には飄々と返されて精神的に消耗するだけだ。


「で、俺にどうしろと」


「そうだな……。まずはそこに横たわっている彼女を、君が起こしてあげるといい」


 相手のペースに乗るしかないということは気に食わなかったが、起こしてあげなければならないのは間違っていない。エースはもう少しだけフローラに近寄るとしゃがみ込み、眠っているようにも見えるその肩をそっとゆすった。


「ん……」


 数秒ほどで、その体は外界からの刺激に反応していた。眠りから覚めるようにゆっくりと眼を開けるフローラの顔を、エースは斜め上から覗き込むように見ている。


 やがてその水色の瞳を認識できるようになると、フローラが目の前の光景を見て口を開いていた。


「エースくん……?」


「よかった、ホントに生きてた……」


 その両眼をきちんと開いてくれたことに、エースは安堵の息を漏らした。仕方がないとはいえ焦らされた中ずっと気がかりだったことが分かり、これまで身体の中を満たしていたあれやこれやのネガティブな感情は霧散した。


「本当に、エースくんなの……?」


「ホントだよ。色々あったけど、ちゃんと生きてる」


 エースがそう口にした瞬間、フローラがポロポロと大粒の涙をこぼしながら泣き始めた。突然のそれに、エースは少しだけ狼狽していた。


「よかった……。ちゃんと生きてた……。会いたかったよ……」


「フローラこそ、生きててくれてよかった」


 ここに来る過程でボロボロになってしまった、決して丈夫ではないその体を、エースは優しく抱いた。腕の中で、フローラはせき止めていたものが取れたように、ひたすら泣いていた。





「で、次は俺に何を望む?」


 数分経って、フローラがようやく泣き止んだタイミングで、エースが口を開く。敵意が残るその口調は、まだエースには、この世界のフェアテムが敵かどうかを判断しきれる材料が揃いきっていないが故のもの。


 彼の態度を変えさせたのは、ようやく腕の中から離れたフローラだった。


「フォンバレンくん、その人は私に何もしてないよ。むしろ恩人」


「どういうこと?」


 恩人、という言葉がひっかかり、エースは言葉の主に対して、率直な疑問を投げる。


「私がここに来れたのは、その人がこの場所を教えてくれたからなの。そうじゃなきゃ、私はここまで来れてないよ」


「そうだったのか……」


 フローラからの口から、自分の知りえないフェアテムの功績を知ったエース。


 思うところがあったのかため息を吐いた後、警戒心を解いてフェアテムに謝罪の意を示した。


「色々思うことはあるが……とりあえず、すまなかった」


「誤解が解けたようで何よりだ。さて、他に呼びたい人はいるかな? ここにいなくても、ものの数秒で呼ぶことはできるよ」


 どうしても不快感が拭い去れないフェアテムの言葉を聞いて、エースの思考回路が動き始める。この事態を知っているかどうかは分からないが、確実に今呼ぶべきなのは――


「あとはミストと、セレシアと……かな? あと2人か」


「えっ、セレシアも呼ぶの?」


「なんかマズいの?」


 フローラにしては珍しく渋るような言い方。ためらうようなその姿に、最初は違和感を覚えたが、少し考えてみると理由は簡単に分かった。


「ああ、セレシアに内緒で来たのか」


「……はい」


 エースに言い当てられ、しかられた子犬のように小さくなってしょげるフローラ。


 セレシアがこのような時間帯に1人でフローラを森に入らせることなど、天と地がひっくり返っても有り得ないこと。それが出来てしまっているということは、セレシアの目が届かない状況になっていることの証拠に他ならない。


「うーん……流石に今回のことを知ってもらっとく必要はあるし、呼ぶしかないと思う」


「うん。そうだね。分かってる」


 事態がかなり大きなことだったので、一人蚊帳の外、というわけにもいかない。フローラの気持ちは察する部分はあったが、エースは心を鬼にするしかなかった。


「ってそういや名前だけ言っても分かんないのに、呼べるもんなのか?」


「そうだねぇ……。少し、君たちの記憶を借りるとしよう」


 そういうと、フェアテムが少し目を閉じて、何やら唱え始める。


「うん、これでよし。君たちが呼びたいという人たちが、こちらに来る意思があるならば、少しすれば来るはずだよ」


「そんなにあっさり――ぐっ」



 エースがフェアテムに対しての言葉を言い切る前に、突如襲い来る耳鳴りに唸らされる。


 その鎮静から少し経った後に、明確な変化が訪れた。エースが先ほど来た方向から、見慣れた姿――制服姿のミストとセレシアが現れる。


 ただしいつもと違うのは、2人の髪型は寝起き直後かのように若干乱雑だった。おそらくは時間帯的にそのようなことが出来なかったのだろう。


 この面々で最後に会話してからは時間的に半日も経っていないはずなのに、もっと長い時間の離別をしていたように、エースの中では感じられていた。


「エース、スプリンコートさん。2人とも無事だったのか。よかった」


 ミストが一番に、エースとフローラの心配をするかのように口を開いた。普段はからかいを楽しむ彼も、中身はかなり心配性ではある。


「無事……まぁ、うん。俺は」


「ん、どうかした……」


 エースとミストは、その口から発していた言葉を、不自然なところで止めた。


 すぐ隣のセレシアとフローラの間に流れる空気感を感じ取り、今は言葉を発するべきではないと本能に告げられた気がしたからだ。口をつぐんだまま、すぐ横で展開されている出来事を見ていた。


「ねぇフローラ。あたし、夜の森には行かないって約束したよね」


「はい」


「でも、あたしを強引に眠らせて、夜の森に1人で入ったのね」


「はい」


 ほとんど見たことがないような真剣な表情をしたセレシアが、一切の言い訳を許さないと言わんばかりにフローラを問い詰める。真剣な表情で怒る時のセレシアは、大体正当な理由で怒るが故に、反論の余地は確実にないのだ。


 それを分かっているからこそ、エースとミストは横槍を一切挟まなかった。


「で、今こうなってると」


「はい……」


「自分がやったこと、どれだけ危ないかよく分かってる?」


「はい、すみませんでした……」


「本当に、心配したんだからね――と言いたいとこだけど、分かってから心配する間もなくここに来ちゃったし、今約束を破られた怒りであたしは8割くらいできてるよ。約束破られて、普通に嫌。そんなことされたくなかった」


 普段フローラに甘々なセレシアが不快感を示すのだから、よほど思うところがあったことはエースとミストにも想像できた。ただし、フローラもフローラで色々思うことがあったのだろう、とも考えられる。


 そういう姉妹間の感情に、感性が違うエースとミストが口出しをするつもりはなかった。信頼している分若干ドライにもなるエースとミストとの関係性にはないものを、彼女たちは持っているからだ。


「でもまぁ良いわ。きちんと生きてるし、フォンバレンくんもいるし、結果的には問題ないから」


「セレシア……!」


「帰ったら説教だけどね」


「はい」


 表情を見る限りは、セレシアの中にもまだ色々な思いが残っているのだろう。しかしながら場のあれこれを鑑みたのか、セレシアはそれ以上の追及の代わりに今後のことを短く述べて締めたのだった。


「これで全員かな?」


「ああ。話を聞いて全てを知るのは、この面々だけでいい」


「そうか。ならば来訪の例として、説明をさせてもらおう。多分今来た2人は理解が追い付いていないだろうからね」


 ミストとセレシアは、未だ全てを受け入れているわけではない。


 しかし、最後のフェアテムのセリフで、ひとまずその口を思い思いに開くことは止めたようだった。フェアテムはそんな4人と2匹の顔をそれぞれ見た後にその口を開いた。


「まずここは、時渡の森の中に存在し、『時渡の泉』と呼ばれる――いわば『当たり』の場所だ。他にもある泉は全て、ダミーのような存在だ」


 時渡の泉は、今も一行の傍で透明な水を一面に張り、神秘的な輝きをそこに湛えている。その輝きが他とは違うように感じられるのは、その特異性故なのだろうか。


 視線をちらりと向けた先に見える泉を見て、そんなことを考える。


「そして、君――エース・フォンバレンは、この2匹の時竜の幼体によって未来の時間軸に飛ばされた。それは、一時的な危険回避のためなんだ」


「ということは、あの時2匹が鳴いたのは、俺を助けるため?」


「そういうことになる」


「そうか……」


 あの聞きなれない鳴き声が際立って聞こえてきた後、エースの意識は深い闇の中に落ち、次に目覚めた時には未来世界の洞窟の中にいた。


 その不可解な移動がヒールとメールによって起こされ、それがエースを助けるためだったとなれば、少なくとも怒ることはできない。ただし、それによりフローラが1人になってしまったことを考えると、素直に褒めることも少しためらわれた。


 2つの感情を天秤にかけて、エースが悩んでいる間に、会話は続いていく。


「この2匹は、自らの主と選んだ人物を意図的に別の時間軸に飛ばすことが出来る。どこの時間軸に飛ぶかは分からないが、場所に関してはあの洞窟の中で固定だ。彼らの始まりの場所だからね」


「じゃあ、ヒールとメールにとっては里帰りみたいなものなんですね」


「そうだね。だから、この正解の泉や洞窟にたどり着くことも、帰巣本能のようなものだ。最も、この子たちが望んでこの子たちだけで帰ってくることはないけどね」


 『里帰り』と表現したセレシアの言い回しを肯定するフェアテムの言葉に対してなのか、エースの両肩の上でヒールとメールが元気に鳴いた。その微笑ましい様子に、フェアテムが満足そうに言葉を続けた。


「中々懐かれているじゃあないか。そんな君にこれを託そう」


 エースが差し出した手のひらに置かれたのは、青色の歯車状の石だった。エースの瞳の色と同じそれは、どことなく神秘的な輝きを放っている。


「直接森に入ってきた彼女の傷は、この地を守護するシェルトエレメントから、侵入者と誤解されてつけられたものだろう」


「本当に危ないことしてたんだな……」


 横にいるフローラにエースが視線を向けると、申し訳なさしか感じさせない表情になっていた。事態が終息の方向に向かっている今、冷静になれば反省する部分がたくさんあるのだろう。もちろんそれらの追及は、この場所を出て、元の生活に戻った直後に確実に行われる。


 ただ、エースはその輪に加わるつもりはそこまでない。自分自身が原因なのだから。


「その石は、握っている者を侵入者と認識させないための御守りのようなものだ。再びこの地を訪れることがあったとき、この石があれば、危険な目に会わなくて済む」


「そんな日、来るかな……」


「おそらくは来るだろう。その小竜が君たちに寄り添う限りは、人生において幾度かはあり得る話だ」


 フェアテムから放たれたその言葉を聞いて、エースだけが微妙な表情をしていた。


「なんか、嬉しいんだけど、未来に飛ぶのはもう勘弁かな……」


「エース、本当に未来に行ってたんだね」


「行ったしなんなら娘って言ってる子にも会った」


 エースが未来にいた時間は、そう長くはない。ただ、その間に一つ大きな出会いをしただけのこと。


 その中身は、おそらくは後になって根掘り葉掘り聞かれるのだろう。お土産話くらいには、ちょうどいいかな、とエースはそう考えていた。


「最後に。ここでの話は、基本的には知っている人以外には話さないでもらえるとありがたい。時間を越えられるとなると、どんな人間が悪用してくるか分からないからね」


「分かった。刻んでおく」


 フェアテムの言葉に対し、エースが代表のような形でうなずく。いわゆる解説の時間は、終わりの様相を呈していた。


 それを全員が感じ取った時、一番にセレシアが口を開いた。


「そういえば、あたしとスプラヴィーンくんは、ここからどうやって戻ればいいの?」


「それに関しては問題ない。私の力で送り届けよう。洞窟が転移門の役割を果たしているから、もう一度入るといい」


 その言っている中身は、人智を越えた技。それをあっけらかんというあたりに非日常性が大量に含まれているが、これまでのあれやこれやを体感している4人にとっては、もう疑うこともやめていた。


 一行は少しだけ移動し、先ほどフローラを除く3人が移動のために使った洞窟の前まで来ていた。


 しかしその入口の空間は、歪んでいる。


「転移門は開いたままだ。君たちが入れば、元いた場所に瞬時に戻れる」


「じゃあ、少なくともスプリンコートさんには使えないのか」


「そうだね。入ってきた場所の情報がない。それに君もこの世界における始点の情報がないから無理だね」


 フローラは自力で入ってきており、エースは未来世界からの転移をしているので、この時代における転移先の情報がない。それ故に、2人は瞬時に帰ることは出来ない。


「じゃあ、あたしたちは先に帰ってるね」


「美味しいご飯を作って待ってるよ」


 それを理解したのミストとセレシアは一言ずつそう述べた後、名残を微塵も出さず、元いた場所へとフェアテムの力で戻っていった。


 その後の時渡の泉には、エースとフローラ、ヒールとメールが残される。


「ヒール、メール、助けてくれて、本当にありがとう」


 フローラの純粋な感謝の言葉が、ふわりと浮かぶ2匹に向けられる。


 感謝を受け取り嬉しそうに鳴くその姿に、エースは終わり良ければ総て良しと、途中の迷いを捨てていた。


「まぁ、いっか。ありがとう、2匹とも」


 互いに色々と言いたいことはある。


 ただ、それはまた後でゆっくりと言い合うことも出来る。他にも言いたい人がいる以上は、長い時間を費やす必要もなさそうであった。


 故にエースは、その言葉の後は何も語らなかった。代わりにフローラの方を向くと、フローラもエースの方を向き、見合わせて頷いた。


「帰ろうか、フローラ」


「うん」


「「くるるぅ!!」」


 エースの言葉に同意を示すかのように、ヒールとメールも元気な鳴き声を響かせたのだった。


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