第19話 After30, 舞い戻りの場所



 予想外の情報というのは、どのような状況下でも少なからず人に戸惑いをもたらす。


 時間的には十数秒ほどの短い時間。情報を適切に処理すべく動かしていたエースの思考回路は、一時的なショート状態に陥っていた。


「えっと、待ってくれ。俺と、スプリンコートさんの……娘?」


 目の前にいる少女――フローゼが名乗ったフォンバレンの姓は、エースが父親から受け継いだものである。フォンバレンの姓を名乗ること自体に一切の嘘偽りがないとすれば、目の前にいる彼女は父親の親族になるのだが、その父親に兄弟姉妹がいるという話はエースは聞いたことがない。さらに上の世代――祖父母の親戚関係に関しては、エースは一切の情報を持ち合わせていない。


 そもそもの話として、もしその親族周りがエースに積極的に関わろうとしたのならばおそらくエースはそちらに引き取られ、今とは全く違う人生を送ったのだろう。だが、少なくとも今を生きるエースがこの人生を送っている以上、エースに対して接触してくるフォンバレンの家系は存在しないのと等価な状態と考えて何の問題もない。


 その為、もし目の前の少女が素性を明かした際に『私はエースの娘だ』とだけ告げていれば、エースの中では嘘偽りとして簡単に片づけて、少しばかりの警戒を抱き、その裏にある真意を探ろうとしていただろう。


 だが、フローゼが告げたのは、『私はエースとフローラの間に出来た娘だ』という情報だ。そして持っている視覚的情報は、少なくともフローラの娘であることが間違いないという証明を十分すぎるくらいにしている。


 嘘偽りとするには看過できない要素が、そこに存在しているのだ。


「意識朦朧としてたとは言え、さっきガッツリ間違えたしなぁ……」


「そう言えば間違えてましたね。周りの人には、よくお父さんの遺伝子どこに行ったって言われるくらいには似てます」


 そういうフローゼの言葉通りだなとエースが思うくらいには、フローゼの容姿を構成するほとんどの要素がフローラのものを色濃く受け継いでいた。クリーム色の若干癖のついた毛や、制服の上からでも分かるようなメリハリのあるスタイルは、まさに彼女の遺伝子から来たものだろう。


「ちなみに、朝寝坊しやすい癖とか、嘘つけないとこもお母さん譲りです。嘘に関してはお母さん程じゃないですけど」


「母親遺伝強すぎない?」


「お母さんも嘆いてました。『そんなとこまで似なくていいから』って。でもこればっかりはどうしようもないんです」


「確かに言いそうだなぁ」


 エースが知っている限りのフローラでも、同じ言葉を言いそうだなと思うくらいには、フローゼの言い方は似せられていた。フローゼが未来のエースの娘であるかどうかの断定は出来ないが、少なくとも未来のフローラの娘である、ということは、ここまでの情報で十分に信用できるだけのものが揃っていた。


 そしてそれはすなわち、エースの身に起きていることはすべて、夢幻の出来事ではないことを意味していた。


「じゃあ俺、本当に未来に飛んじゃったんだな……」


「そうです。と言っても、ここはエースさんの――」


 フローゼの言葉が、不自然な箇所で止まる。どうかしたのか、と彼女の方を向くと、フローゼは少しの苦笑いをしながら言葉を発した。


「お父さんと同じ名前で『エースさん』って呼ぶの、なんかすっごく呼びにくいんで、お父さんって呼んでいいですか?」


「うーん……まぁ、呼びやすいなら、それで」


 そうは言ったものの、もう少しで17歳になろうかというところで、姿がどう見ても同年代の女子生徒に『お父さん』呼びされることへの抵抗は、少なからずエースの中にあった。


 だが、不快感を感じる、というわけではなく奇妙な感覚になるだけで、目くじらを立てて気にすることでもない。


「じゃあお父さんと呼びます。で、ここはお父さんが元々いた世界線から伸びた未来の1つなんです。だからもちろん、この世界のエース・フォンバレンも健在ですよ」


「ああ、そうか。この世界にもおっさんになった俺がいるのか」


「ですね。で、そうなると元の世界線がこじれてしまうので、お父さんをこの世界から元の時間軸の世界に戻すために、私が今ここに来た、というわけです。なので、今からここを出ます」


「よかった、出られるんだ」


 ここから出ることが不可能ではないことを知り、エースは安堵の息と共にそんな言葉を漏らした。戻る術がないのであれば、希望を持つことにも意味が出てくるからだ。


「ただ、運が悪いとここで迷って野垂れ死にしてしまうこともあるので、私みたいに協力者を持つ方が得策です。自力で脱出してどこか行ってしまった人もいるそうです」


「え、その場合どうなるんだ」


「どうなるんでしょう? 元の世界からはいなくなった、ってだけな気もします」


 言っていること自体は、その世界のとあるコミュニティだけで見れば大事だろう。


 だが、世界そのものまで範囲を広げて見れば、確かにいなくなっただけでそれ以外には何も変わらない。転移先の世界も、同じ名前の人が2人になるだけなのだろう。


「ちなみに、私みたいな特定の役割を持つ人がいれば、ここはもっと早く出られます。その役割は、詳しくは言えませんけど」


 ぼかした言い方をするからには、知られるとマズい類の話であることはすぐに想像なのだろう。細かい話でもあったので、エースは話がわき道に逸れないようにすることを考えて何も言わずにいた。


「ついてきてください。多分1分くらいで出られます」


「流石にそれは」


 丸わかりな嘘じゃないかとエースは少し怪訝そうな表情を見せていたが、フローゼは気にせず先ほど彼女が来た方向へと歩き始めた。エースも置いて行かれないようにその後ろをついていく。


 歩き始めて数十秒後、空間が揺らぐ。洞窟の岩壁を映していた場所は、いつの間にか外からの光を蓄えていた。


「私の手を握ってくれますか?」


「え、ああ」


 差し出された手を、エースはおずおずと握り返した。温かみのある左手に引っ張られて外の光が見えてきた方向へと進んでいく。





「というわけで、すぐにこの洞窟は出られるんですよ」


「ホントだ……」


 本当に1分もかからずに抜けてしまった洞窟の外には、高く伸びた木々が並んでいた。生い茂っている枝葉の隙間から漏れ差す光は、今は昼くらいであることを示している。


 そして目の前には、透き通るほど綺麗な水を湛えた泉が、神秘性と共にそこに存在していた。数秒間ほど、エースは意図なくその光景に視界を預けていた。


「で、ここからどうすれば?」


「神様を呼びます」


「ん?」


「ここは神様が管理している場所みたいなんです。だから、ここから完全に出るには、まずは神様を呼ばないと」


「はぁ……」



 フローゼが善意で行動を起こしていることはエースにも分かるが、事情を知った上で段階を踏ませられるような行動をさせられていると、どことなく焦らされている気分にさせられる。


 とはいえ、地理的情報が一切なく容易に動けない以上は、従うしかない。


 そんな諦め半分な思考になっていると、傍らのフローゼがすでに神様らしき男を呼んで話をしていた。その男の姿を見て、エースは驚きに感情を支配されていた。


「あんたは……!!」


 その姿形を、エースは幾度か夢に見たことがあった。


 エースに対して、エースが小竜に選ばれた存在であること、未来に飛ぶ可能性があることを教えてきた、神様と名乗った男と同じ姿なのだ。


「そうか。君は私の姿を知っているんだな。では改めて自己紹介をさせていただこう。私はフェアテム。この場所――時渡の森と泉の管理をする神だ。詳しくは、君の元の世界に帰ってから聞くといい」


 またもやエースに段階を踏ませようとしてくる言葉。流石に募っていた苛立ちが許容量を超え、少しずつ漏れ出る。


「俺には、そんな時間はないんだが」


「そうか。急ぎの用でもあるのかい」


「大切な人を危険な場所に置いてきたんだ。ゆっくりと帰れるような図太い精神力はあいにくだが持ち合わせてない」


「なるほど。では、どうやってここから出て、どうやって帰るんだ?」


 先ほどのフローゼと同じ、しかし言い方は明らかにより不快なフェアテムの言葉に、エースは喉元にすらも言葉を持っていけなかった。


「無知でありながらがむしゃらに進むのも確かに出来る。だが、それでは余計に時間を使うと思わないのかい?」


 さらにもう一つ正論を突きつけられて、エースは少量の不快感を覚えて唸った。


 地理的情報を持たずに進むのは、大抵の場合は時間を無駄に使うことは、冷静になって考えれば納得できることだ。


 しかし、今のエースは一分一秒でも早く元の世界に戻り、フローラの安否を確認したいという明確な願いがあるのだ。片鱗を感じ取っているのにも関わらず、ペースを握らせてくれない相手に対し、その行為が善意寄りであることを分かっていながらも、エースは策略か何かと思わざるを得なかった。


「とりあえず、戻ってから色々と知れ、というのは分かった。で、元の世界に帰るにはどうすれば?」


「簡単だよ。さっき出てきた洞窟に入るといい。もう一度洞窟から出た時には、君のいた世界に戻れるようにしてある」


 言葉通り簡単ならば、エースはおそらくはそうかからないうちに元の世界にいるのだろう。にわかには信じがたい話だが、真として進んだその先にしか求めるものがない以上は、信じるしかない。


「信じていいんだな?」


「神様は嘘をつかないよ。真実を話さないことはあるけどね」


 ほとんど似た言い方で、どこかで聞いたような言葉。その言い回しが癪に障るが、今は信じて元の世界に戻る方が先決だと、そう自分に言い聞かせて反論することは止めていた。


 代わりに一つ、盛大なため息を零しはしたが。


「なんかあんたに向けての言葉にもなるの腑に落ちないんだけど――助かった。ありがとう」


「こちらこそ。まさかこんなところで同じ年のお父さんに会えるなんて思わなかった。元気でね」


「ああ。そっちも、元気でな」


 エースの感謝の言葉に対して、言葉と共に返された可愛らしい笑顔。母親の面影が残るそれを見た後、エースは先ほど出てきた洞窟へと再び足を踏み入れた。




「行ってしまったね」


「そうですね。あっちの世界のお母さん、無事だといいな」


 再び転移していった後に残ったフローゼと神様は、そんな会話をしていたのだった。







* * * * * * *







 1回ずつ、洞窟に入る動作と、洞窟を出る動作を繰り返しただけ。


 たったそれだけの動作の後に見えた世界は、その色を違うものへと変えていた。


「今は夜なのか……」


 泉の周辺こそ松明の光に照らされて明るいものの、それ以外の場所は、その先に何があるのか分からないような暗闇が居座っている。


――本当に、帰ってきたんだろうか?


 ここが己の元いた世界だという保障は、まだ持ち得ていない。転移前の2人にはめられて、二度と帰れないような場所に飛ばされてしまった、という可能性も捨てきれない。


 自らの選んだ道が、どのように続いたのか。


 それを知るためには、歩みを始める必要がある。


「誰もいないのか……」


 数歩進んで泉が広く見渡せるところまで来ても、何もなかった。


 突然、耳鳴りがエースを襲った。甲高い音に反射的に耳を塞ぐ。


 ものの数秒で収まったそれは、周りの様子を明確に変えたわけではないようだった。



「「くるるぅ!!」」


 この数日の間に、すっかりと聞きなれてしまった鳴き声。


 聞こえてきた方向からは、白と水色の小竜――ヒールとメールが、エースの元へと飛び込んできている最中だった。


「うお、2匹ともいたのか」


 エースの言葉に対する2匹の様子は、どこか慌てているようだった。


「どうかしたのか?」


 再会を喜ぶ暇もなく、2匹は来た方向へと再び飛んでいく。慌てる様子に、何かがあったのだろうと推測して、エースはその姿を見失わないように追いかけた。


 そしてその果てにエースは、目を疑うような光景を、その両眼にとらえていた。


「……!!」



 最初に泉を見た位置から、ほぼ反対側。


 そこに、冬用の制服に大小いくつかの切創を刻んだ痛々しい姿のフローラが横たわっていた。


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