第18話 無縁の果てのひと光り
世界から降り注いでいたはずの光は、全く差し込んでこない。それでも、その眼を開けと体が出した指令に従って、その両眼をゆっくりと開く。
「ん……」
体感で少しばかりの時間遠のいていた意識。それをエースは本能に従ってゆっくりと呼び戻していた。
自らの意思でその両眼が開き見た世界には、ついさっきまで嫌でも感じられた夕日や森の木々は、欠片すらも存在しない。
代わりにあったのは、暗い茶色一色のごつごつとした壁。それがただあるだけ、というくらいの情報量しか得られないような光景を、視界に入れていた。
「ここは……」
見慣れない景色に違和感を覚えて、ゆっくりと上体を起こして見回しても、探し求めた光景はどこにも見当たらない。雰囲気すらも掴めない、ただ何もないように思わされる洞窟の岩肌が一面に存在するだけ。
エースはいつの間にか自分自身の肉体が全く知らない場所にあることに気づいた。
ごく自然に気になり始める2つの疑問――今ここがどこなのか、どうして今自分がここにいるのか。
それらを考えるための材料をエースは一つも持ち合わせていなかった。それ故に、ここがどこなのかを知るべく立ち上がろうとするが、
――体が、重い……
体を動かしたことで襲ってきた、鉛をつけられたような感覚。立ち上がること自体は出来たが、たったそれだけのために重労働並みの労力を使わされるような状態に、今のエースの体はなっていた。
「何があったんだっけ……」
ただの重りと化して思うように動かない体の背を固い岩壁に預け、一切の温もりが存在しない空間の中、エースはここに至るまでの記憶を思い返す。
意識が飛ぶ前、エースがいたのは夕日が差す森の中の戦地。ローブ姿の2人組からの襲撃を受け、フローラと共に迎え撃っていたのが、ここに来る前の出来事。
そこでエースはローブ姿の2人組の正体が同じ学校の学生であるアビス・ツェンモーレンとビスケ・オーレインであることを知り、それによって動揺してしまったことで隙が生まれ、状況が悪化。
フローラに少しばかり強めの攻撃が入り、その悲鳴を聞いてエースが反射的に守りに行こうとしたことで、連携が崩れてしまい、立て直しが出来なくなったことで、完全に主導権を握られてしまっていた。その後はエースが猛攻を受け、致命傷を受けようかというところで突然意識が飛んで、今に至る。
もちろんあの後の場の成り行きは一切分からず、どうなったかは想像の範囲を出ない。
当然気になるのは1つの、しかしエースにとってはあまりにも重大なこと。
――そうだフローラは……!
「あづっ」
急に動いたことにより傷口が疼き、そこから響く鈍痛に耐えかねて、エースは岩壁を支えにしつつ意味を為さない声を漏らした。
あの場に一緒にいたフローラがその後どうなったのか。見えないことで、エースの中に大きな不安がするりと入り込む。
何故かエースに対して矛先がよく向き、フローラには少しだけ大きな攻撃が入ったことを除けば直接攻撃の手が向かなかったことを考えると、希望的な予測も外れる確率ばかりではなさそうではあった。
しかし、エースの姿が消えたことにより、向ける相手を変えた結果全ての矛先がフローラに向くという可能性もきちんと存在し、それは自然な流れでもあると素直に思えるくらいには確率がある。
相手次第で希望にも絶望にも転ぶことが出来る未来の結末は、少なくとも今のエースが見ることは叶わない。
「早く、ここから出ないと……ぐっ……」
傷だらけで、動かす度に鈍痛が襲い来るような、立つことすらやっとの体。そこに合わせて、何もかもが分からず、情報の欠片も探させてくれない現状。
それでも、エースはその足を動かし、歩き始めた。それはもはや引きずると言った方が正しいような状態ではあるが、ほんの少しの距離を積み重ねていく。
1歩、2歩、3歩。
いつもならたった一歩をトンと軽く刻めば済むはずの距離が、とても長く引き伸ばされたかに感じられる。
そしてその先に続いていくのは、最初から終わりの見えない岩肌の道。
終わりを先に向かえるのは、おそらく自分だろうなと思わざるを得ないほど、状態は悪い。
――なんか、体力をどんどんと奪われていくような……
ぼんやりとしていく意識の中明確に感じ取れる寒気を知覚し、荒い小刻みな呼吸をしながら、エースは壁伝いに歩いていた。
冷気に耐性のあるエースが感じる寒気はその原因が自分由来である場合、本当に寒い時期の衣類の調節ミスか、本格的に風邪を引いた時のどちらかの場合に感じることがほとんどだ。
しかし、今は11月の終わり頃と冬に入りかけた時期であり、先ほどの戦闘で切創を衣服に刻んだとはいえそこから侵入してくる冷気もさほど冷たくはない。切創を多少なりとも作るのはいつもの4人の面々だと前衛を務めることがほとんどなエースには割とあることなので、寒い時期でもそこまで気にはならない。
もう一方の原因になり得そうな体調も、今朝から全く問題ないくらいには元気ではあった。そもそもの話として、エースが最後に風邪をひいたのは3年前にまで遡らなければエピソードがないほど、エースは健康体である。
そのため、エースは今自分が感じている寒気は確実に自分由来ではないと予想していた。おそらくは、先ほどの戦闘の際のどこか物理的な攻撃を受けた際に、装備に弱めの毒が塗られていた可能性がかなり高い。
弱めの毒は相手の体力を奪う目的で使われることが多いと、薬学を習うフローラ伝いにエースは聞いたことがあった。殺傷能力の高い毒は厳重に保管されるため一生徒が使うことはないが、弱めの毒ならば自衛のために持っていてもなんの驚きもない。
状態的には風邪を引いた時の倦怠感や寒気を強引に引き起こすようなものらしいとも聞いていたが、まさかこんなタイミングで実感することになるとは、とエースは考えていた。
――くっそ、視界もぼやけてきた……
段々と見える範囲が狭くなっていく。岩壁にもたれかかりながら歩いて移動していたが、足にも響いてきたのか歩む速度はほぼ動いてないレベルにまで遅くなっていた。
「早く、行かないと……」
言ったというよりも漏れ出たと表現した方が正しい言葉。その中身に反して、歩みはあるのかないのか分からない状況。いつまでも岩壁だらけの変わらない景色は、エースの気力を少しずつ、しかし確実に削り取っていく。
それでも、歩みを止めずに動かし続けて、それでも、景色は変わらなくて。
――辛い
動くことが、ただ辛い。
近接戦闘が得意で、中遠距離魔法は苦手な、前衛一択のスタイルしか取れないエースはいつもならばそんなことは微塵も感じない。
おそらく今人生で始めて、エースは動くことが辛いと明確に感じていた。浅い呼吸1回だけでも、体のどこかの傷が疼き、鈍痛を呼び覚まし、痛みを知覚させられる。
「会いたい」
嚙み締めるように、絞り出すように、そう小さく呟いた。
しかし、次に起きた出来事は、その願いを潰すような遭遇であった。
エースのぼやけた視界に、エレメント系の魔物の体を構成する水晶の輝きがちらつく。少しずつ鈍っていく聴覚に、甲高い彼らの鳴き声のようなものが聞こえてくる。普段でさえ物理攻撃系に強く若干苦戦する相手を、今の状態で対処するのは相当に厳しいことだった。
ならばどこかに身を隠そうとその鉛のような体を動かし始めた途端に、ぼやけた視界に1つ色が増える。その色は、最近になってかなり見慣れた色をしており、その色を持つ誰かがこちらへと来ていた。
「フ、ローラ……?」
口にした名を持つ少女と同じクリーム色の長めの髪が、視界にある。しかしぼやけて顔までははっきりと分からない。しかしそれでも、エースの知覚は情報を補完し、行動途中だった己の体への命令を上書きする。
「無事……なのか……?」
明らかに他人の心配を出来る状態にない体を無視して、エースは、エレメント系の魔物の向こうに見えるそのクリーム色の髪の少女に向けて言葉を投げかけていた。
しかし、後に心に湧き出た何とかしなければ、という思いだけでは、もう体を動かすことはできなかった。
「ごめん……」
少しずつ、地面が近づいていく。ただでさえ満身創痍な体が支えなしに地面に倒れたならば、運が悪ければ次の瞬間にはあの世行きだろう。
しかし、実際に向かえた次の瞬間には、エースの体は岩肌ではなく、柔らかい感触に包まれていた。どこかで感じたような温かさにそのまま身を委ねていると、岩肌にもたれかかった楽な体勢にさせられた。
「人の心配よりも、まずは自分の心配してください」
その後に突如として聞こえてきた、聞き慣れない声。
姿見はよく似ているが、目の前の少女が、エースの求めていた少女とは明確に違うことは分かった。ならば誰なのだろうと、ぼんやりとした視界の中考える。
少し時間をおいて、体が明確に楽になるのを感じた。あれだけエースを心身共に苦しめていた倦怠感も寒気も、すぐに消し去られ、切創による鈍痛も簡単に忘れられていた。
そうして、明瞭になった視界に映ったのは、フローラと見間違えてもしょうがないほどよく似た少女だった。その事実に多少の戸惑いはありつつも、エースは口を開いてしっかりと言葉を話した。
「ありがとう。助かった」
「いえいえ。これも役目の1つなので」
目の前の少女が言う『役目』という言葉が、エースの中で大きなひっかかりを生む。誰かに頼まれてこの場所に来たのであれば、その頼んだ誰かもエースにとっては知りたい情報になる。
だが、その知の欲求に従う前に、目の前の少女からの質問が飛んできたのだった。
「お名前、教えてもらってもいいですか?」
「エース。エース・フォンバレン。制服的には俺の学校と同じだし、少なくとも高等部ならどっかで聞いたことがあると思うけど」
「うーん。もしかしたらあるかも……?」
少女の口から出てきたのは、明らかに歯切れの悪い言葉。何かしらの要素を隠しているのが決定事項であることは、エースもすぐに分かった。
そしてそれは、最初にエースが考えていたことは、少なくとも悪い方向でしか当たらないなと思わせるのに十分な反応だった。そうであるならば、エースは一刻も早くこの場所を脱出する必要がある。
「で、助けてもらったとこ悪いけど、俺には行かないといけないところがある。ここから出なくちゃいけないんだ」
「出るって……ここがどこかも分からないのに、どうやって出るんですか?」
そう言われて、エースは虚を突かれた表情になった。
確かに、エースはこの場所がどこにあり、目指す場所とどのくらい離れているかを知らない。
「じゃあここはどこなんだ。教えてくれ」
「はい、ここはですね……。おそらくですけど、あなたが元居た世界から見てだいた30年くらい経った未来に位置する世界です」
「30年後……?」
もしかしたら、目の前の少女はエースの脱出を阻むための時間稼ぎをしているのかもしれないと、この時点ではエースはそう思っていた。
しかしその考えは、すぐに否定されることとなる。
「はい。これは証拠の新聞です」
エースは目の前の少女が差し出してきた新聞を受け取った。そこに書かれている日付は確かに、エースが過ごしていた時間からほぼ30年後のものを指していた。
「どうです? これで分かりました?」
目の前の少女から飛んでくる、確認の問いかけ。それに『はい』と答えることは、エースが事実を認めてしまい、彼女に頼るしかなくなることを意味していた。
そうなってはマズいのではないかという考えが、エースの次の行動を抵抗へと定める。
「いや待て。俺は名前しか言ってないのに、なんで30年後だと分かったんだ?」
「あー……えっと、これ答えていいのかな……?」
またもや歯切れの悪い言葉が、目の前の少女の口からこぼれ出る。少女は何かを考えるような素振りの後、ため息を一つついて、また口を開いた。
「誤解されてるようなのでちゃんと言うと、私がここに来るにあたって教えてもらえるのは、『誰かがこの世界に転移してきた』ことだけです。それ以外の情報は一切知りません」
少女の口から語られた疑問への返答は、また疑問を呼ぶような、そんな中身だった。エースは未だ真意を見せない少女に対し、また一つ疑問をぶつける。
「じゃあ、なんで俺を助けたんだ?」
「もし危害を加えてきたんだったら敵対しますけど、今回の場合は明らかにしんどそうだったので」
彼女の言う言葉が真実であるならば、治療は完全に善意寄りの行動である。偽りを含むのであれば、万全にしなければ叶わない何かがエースの保持している要素のどこかにあることになる。
どちらにせよ、彼女の様子を見る限りは、すぐに敵対しそうなものではなさそうだと、エースは推測していた。それならば、早く行かせてほしくはあったが。
「で、話を少し戻すと、私がエースさんの問いに答えられたのは、私が推測できる範囲で情報が揃ったからです。私には予知夢とか未来予知の類は備わってませんので、本当に私個人の要素です」
エースの問いに満足な答えを返すために必要な情報が、個人的に持っていた情報だった。
その事実自体は理解できたが、理由に関してはますます分からなくなってしまった。エースは自分に関する情報を証明できるようなものは一つも持っていないし、持っていないのだから提示も出来ない。
名前だけを告げて、それが分かる。それが可能だとすれば、エースの知り合いくらいのものだろう。
「君は一体……? 俺の知り合いか何かなのか……?」
「知り合い……うーん。まぁ知り合いと言えば知り合い、それもかなり知ってる感じですね。疑われているようなので信じられないとは思いますが、聞きます?」
その問いかけに対しエースは、ほとんど間を置かずに縦に首を振った。窮地を救ってもらった恩人か、何か意図を持って助けた敵か。それを推測するのに彼女の素性は、知っておく必要がある。それは、エース自身の素性を明かした直後の一瞬の間と、どことなく呼びにくそうにしている『あなた』や『エースさん』というこちらを指す代名詞のことを、呼ばれるエースが気になっていたこともある。
そのエースの気づきは、次からの彼女の言葉で証明されていくこととなる。
「私の名前はフローゼ・フォンバレン。30年後の世界であなたと同じ高校2年生で、あなた――エース・フォンバレンとその妻フローラ・スプリンコートの間に生まれた一人娘です」
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