第17話 無謀な歩みをその先へ
宿泊施設にセレシアをおいて出てから十数分後、フローラは森の入口まで来ていた。
ただひたすらに暗く、何も見えない。そう形容するのがふさわしいと思えるほどに奥深い空間の、その黒さに思わず唾をのみ込む。自らの行く先そのものを示しているような、そんな感覚すら覚えるほどの、ただただ深い闇だった。
その光景を目の当たりにして、フローラは少しだけ怖気づいた。何が待ち受けているか、見当もつかない以上、それは自然な反応ではある。
しかし、だからと言って、ここで引き返してはセレシアに対していつになく意地をはり、意見を押し通した意味もなくなる。
おまけにセレシアの指示に従ったところで一晩眠れるわけでもない。『本当に死んでいるのかもしれない』『生きていたとしても、もしかしたら私にいい思いは抱いてないかもしれない』などといった大小問わないネガティブな考えに思考を支配されて寝られなくなる、という予想は、盲目すぎると言われた今のフローラでも簡単にできた。
「頑張らなきゃ」
決めたからには後戻りはできないと、そう言い聞かせるように、また自らを奮い立たせるように、フローラは言葉を呟いた。
そしてもう一度目の前に広がる奥深い闇の空間を見据えた。男の言葉を信じて、この森の奥に行けばエースに会えるはずだと、ポジティブな思考に切り替えていく。
「ヒール、メール、私には道は分からないから、案内よろしくね」
「「くるるぅ!!」」
後ろにいる2匹ははっきりとした声で鳴いた後、ふわふわとフローラの横を通り過ぎ、そのまま森の中へと恐れることなく入っていった。それを見たフローラも手に持っていた松明代わりの小さなランプに火を灯すと、夜の森にその足を踏み入れた。
外よりもいっそう暗く感じられる夜の森の中は、当然のことながら視界に制限がかかる。ランプのある範囲はしっかりと照らされており、何かがあったとしても反応することは容易である。
だがその範囲もそこまで大きくなく、フローラの周囲を照らすのみ。範囲の外も時折頭上から差し込む月光で照らされてはいるものの何があるかは分からないままである。
何が出てくるかも分からない状態では、戦闘経験の乏しいフローラはとっさの判断で正しい選択が取れるかどうかは非常に怪しいというのがフローラ自身の見立てである。それ故に、口の中を一瞬で乾かすほどの緊張感が、常にフローラにつきまとう形になっている。
行き先が分かっているであろう2匹は、フローラが見失わないように気遣ってくれているようで、目の前を飛ぶというよりも浮くと言った方が正しいような状態で進んでいた。ただ、おそらく本当に行き先が分かっているのか、止まりそうな予兆は微塵もなかった。
2匹の力を借りながら、フローラは夜の森の木々の間を通り抜けていく。一挙手一投足によって鳴らされる環境音が少し際立って響く様は、フローラの心に少しばかりの恐怖を押し付けてきている。
フローラはそれを、根源の定かではない義務感と、会いたいという明確な願望の2つでどうにか押しのけていた。
前者は、色々と入り混じってしまい何がフローラに義務感を感じさせたのかが分からないが、少なくともフローラにとっては『これは私が今やらなくてはいけないこと』ということさえ分かっていれば問題なかった。
後者は、もうずっと聞いていないようにも感じられてしまうほどに、フローラがあの優しくも強い声を渇望していることを意味していた。それほどまでに自分の中でエースの存在が大きくなっていることはずっと前から自覚しているが、普段から全然起こりうる数時間の別離がこうも辛くなることを考えると、フローラ自身が普段想像している以上に存在感があったことを思い知らされた。
そんな彼は今頃、何をしているのだろうか――そんな疑問が、フローラの脳裏に思い浮かぶ。傷を負ったまま消えてしまった想い人は、その所在も、行動も、今のフローラには知る術がない。
「早く、会いたいな……」
先の見えない道の途中、フローラはその足を動かしたまま、言葉を一つ零した。
今フローラの中には、会って話をしたい気持ちと、何を言われるかの恐怖とで入り混じった感情が居座っている。
会いたい気持ちには微塵の嘘偽りも含まれていない。しかし、フローラはあの時エースの最初の提案を断ってまで彼についていったことを考えると、それが呼び起こした結末について、どう言われるかはやはり怖いところであった。
とんでもない暴言を吐くことはないと思いたい。でも吐かれてもしょうがないことをしてしまっている。それでも嫌われたくない。そんな、半ばループのような形で逡巡しているのが現状だ。
そんな、色々な思いや考えに心の中を埋められているフローラは、いつの間にか、少し前方にいた2匹の歩みが止まったことに気づいた。
「くるるぅ?」
「くるぅ?」
「どうしたの?」
キョロキョロとあたりを見回している様子ではあるが、迷った、というより何かを感じ取った、という方が当てはまるような様子だった。フローラも2匹に倣って周囲を見回してみるが、月光が差し込んでいる程度の明るさであるが故に何も分からない。
しかし、次の瞬間、足元が揺らぐような感覚と耳鳴りが同時にフローラを襲った。
「んうっ……!?」
意味をもたない声を漏らし、若干ふらつきながら耐えていると、それはものの数秒で収まった。その後は、何事もなかったかのように、また辺りが静まり返る。
「何、今の……」
突如として襲ってきた違和感に、フローラは困惑の色を隠せなかった。
その原因が自身に由来するものではないことはすぐに分かったが、そうであるならば何が引き起こしたのかが分からない。
「……だめだめ。今弱気になっちゃだめ」
もしかしたらこの森には何かがあり、それは誰かの来訪を拒んでいるのではないか。
もしかしたら男のセリフは半分まで本当で、エースの生存を餌にしてフローラを釣っているのではないか。
そんな、またもやネガティブになってしまう思考や感情を、フローラは再び言葉で奮い立たせた。今弱気になったところで、ただ隙をさらすだけに過ぎないことを理解し、望む未来だけを見据える。
フローラを案内していたヒールとメールは、未だそこで周囲を見回していた。
「何かがあるの?」
そんな小竜たちに問いかけるとほぼ同時に、フローラは視界の隅に一つの光が瞬いたのに気づいた。
そして次の瞬間。
「きゃあああっ!?」
急に発生した突風が、フローラたちを襲った。ヒールとメールはすんでのところで上空に退避したが、人であるフローラは当然そのようなことは出来ず、吹き飛ばされて木に叩きつけられる。
「なに……?」
先ほど瞬きが発生した方を向くとそこには、人魂のような光が1つ、宙に浮いていた。その様を見て、フローラは即座に自身の苦手なものを思い浮かべた。
「おばけ……」
しかしながら、周囲をよく見ると、鉱物のような物体が光をとりまくように浮いていた。エレメント系の魔物の特徴であるそれを月光の差し込むあたりに見たフローラは、エレメント系ならば生物系統とは違って自分でも十分に相手が出来ると思い、ランプをメールに半ば無理やり預けて、戦闘体勢をとった。
といっても、視界の悪い夜の森の中、元々支援寄りのフローラが出来ることはたかが知れている。もちろん対エレメント系用に攻撃系の魔法はいくつか使えるが、どれも決定打にはなり得ない。
そもそもの話、フローラの出来ることはすべて味方が複数人いることを前提とした場合に役に立つ能力ばかりなのだ。フローラ自身が1人で戦闘することは、あくまでも短時間で場つなぎレベルでしかこれまで想定してきていなかった。
いつも戦闘時には前もって用意してあるマジックペーパーも、今日は前に使った時の残りしかない。そしてそれらは全て、戦闘向きの魔法ではない。
それ故に、フローラは自分自身の能力に頼るしかなかった。
「アイル・サーペンテイン!」
水で模られた海蛇が、相手の行動を阻害し、副次効果としてダメージを与えることも出来る魔法『アイル・サーペンテイン』。フローラが早くから習得し、今でも愛用している魔法だった。
2匹作られた海蛇は、目の前に佇む水晶体を敵と断定し、その図体をもって絡みつこうとする。
その海蛇に対し、ほぼ頭上から落ちてきた雷が1発ずつ直撃する。霧散していく海蛇を含む目の前の光景に、フローラは驚きを隠せない。
「雷……?」
エレメント系の魔物は、基本的に単一属性を扱うことが多い。その原理は不明な部分もあるが、その身を構成する水晶体との愛称や環境に左右されるのが主な理由であると、座学で聞いたことがあった。
だが、今放たれた雷は、明らかに敵側によるもの。先ほどの風が別種から放たれたものであるならば分かるが、今回の雷も風も、おそらくは目の前のエレメント系の魔物による魔法と推測できる。
しかしそうなると、目の前のエレメント系の魔物が一体どの種族であるかが判断がつかない。複数属性を扱う個体など、フローラは聞いたことがなかった。
そんな風に驚きと推測に思考をとられている間に、数個の火の玉がエレメント系の魔物の周囲に浮かぶ。色のせいで人魂を連想させるにはどうやっても至らないそれらは全て、一斉にフローラの元へと一直線に飛んでくる。
「炎なら……」
炎魔法への対処は、フローラが対魔法の分野においては最も得意とするもの。先ほどエースへの火球を全て防ぎ切った時と同じように、水の膜を前方にカーテン状に展開しての防御を試みた。
しかし、火球群の一部が急に変則的な軌道に変わり、フローラの上方から流星のように降り注ぐ。想定外の動きを防ぐことすら叶わず、フローラを含むエリアに火球が落ちてくる。
そしてその中の1発が、さらに変則的な動きをしてフローラの眼前で爆発する。声を出す間もなく爆風と衝撃で吹き飛ばされたフローラは、バウンドしながら転がっていった。
「あつい……いたい……」
体のあちこちから、激しく打ち付けたが故の痛みが存在感を増してくる。たった一回まともに攻撃を受けただけで、フローラの体は悲鳴をあげている。
前に出ての戦闘経験の少ない分、敵の魔法をもろに食らうことも少ないフローラにとっては、この痛み自体が慣れないものだった。それでも、今は誰も頼れないため、痛みに悶えている時間はない。
ないはずなのだが、思った以上に体が言うことを聞かない。立ち上がり、再び体勢を取るだけで大幅な時間を使う状況だった。
その間にも、フローラを狙う魔法が、すでに実体となって迫りくる。
「きゅーーーっ!!」
2匹の口から、聞きなれない、しかしどこかで聞いたような鳴き声が響く。しかしそれはただ響くだけで、何も意味を為さない。
ふわふわと浮くだけしかできないヒールとメールの前で、フローラの体が再び宙に浮き、荒れ狂う風と火球を受け、そして地に落ちる。
新たに作られた切創から来る鋭い痛みが、浴びた熱によって際立たされ、フローラの体全体から襲い来る。
――エースくんは、もっと痛い思いをしてきたのかな
目の前に未だ燦然と輝くエレメント系特有の光を見ながら、フローラはそんなことを考える。普段の依頼中でもたまに被弾して痛いと思うことはあるが、今回の痛みはフローラに対して、いつも自分の前にいる青年を思い起こさせていた。
能力こそ戦闘向きではあるが、その被弾の回数は、戦闘回数が多い分フローラの経験した数を優に超えるだろう。何度痛い思いをして、その中で支えてきたのかと、フローラには想像もつかないことだ。
なのに自分は、簡単にへばってしまう。その情けなさが辛い。
勝ち目は薄い状況。それでも、せめて報いるだけでも、と、意を決したフローラがふらふらと立ち上がる。
その次の瞬間には、空中に無数の水の弾が出来上がる。今フローラに出来るだけのありったけを、やや過剰気味に展開していく――
そんなことが出来れば、どれだけよかっただろうか。
「あう……」
足から力が抜けて、ガクンとその場に落ちるフローラ。戦い慣れしていない体に、大量のダメージは致命傷と言ってもよかった。
いつの間にか、水晶の輝きはフローラの元へと近づいていた。足は動かない。腕も動かない。魔法を撃つ魔力的な余裕はあっても、痛みが邪魔をして思考力が削られる。
直後、宵闇に包まれた森の中、倒れ込む音だけが、残響なく溶けた。
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