第16話 静かな決意



 森の中で起きた出来事は、突如として現れた男が場を取り仕切り、必要とする情報を場に提供したことにより、終わりといって差し支えない様相を迎え入れた。しかしそれは、男が終始自分のペースで会話を進めたことにより、全員が全てを理解するよりも先に、その場の進行が最後まで進み切ってしまった、という結果になった。


 そしてそれから数時間後、日が落ちてすっかり暗くなった頃にどこかに向けて走っていく列車が引く、黒く簡素な装飾の施された客車の中にセレシアとフローラの姿があった。


 小さな2匹の小竜を連れた状態で乗っている彼女たちは、あまり人の乗っていない客車の一画を陣取って、進行方向の向きにフローラ、背向きにセレシアという向かい合わせの配置で座っていた。


 窓の外を流れていく夜の景色を、セレシアは窓の傍にある出っ張りに片頬杖をついて、フローラは膝の上に小竜を乗せたまま首だけ捻って見ていた。


「くるる」


「あっ、ごめんねメール。ヒール、膝の上、変わってね」


「くるぅ」


 2人の間に漂っていた静寂を切り裂いたフローラの言葉は、前者はセレシアの横で丸くなっていたメールに、後者はフローラの膝の上を陣取っていたヒールに向けられた言葉だった。それを聞いて、メールは喜んだような明るい鳴き声を、ヒールは名残惜しいのか悲しいようなやや低い鳴き声を発していた。


 それでもきちんと場所を入れ替わり、膝の上に新たに乗ったヒールをフローラがなでていると、セレシアからの言葉が飛んできた。


「やっぱり不安?」


「……うん」


 セレシアの問いかけに答えるフローラの声は、震えてこそいないものの、暗い感じだった。何かを思い、考えながら出した、そんな声であった。


「まぁそうだよね。あたしたちは真偽すら分かんないけど、フローラは確実に目の前で消えたとこ見たんだもんね」


「本当にパッと消えちゃったから、死んだわけじゃないっていうのは、今なら分かるの。でも、その時は何があったか分からなくて、ちょっと理解したらもう信じられなくて」


 脳裏に焼き付いた一瞬を眺めるように、フローラが言葉を紡ぎ出す。その表情は、ほんの少しの苦痛を帯びている。


「それにあの時、私、何も出来なかったから。一つ躓いた私の目の前で傷ついて、それでも守ろうとしてくれたのに、私は怖くて何も出来なかった。あそこで手を出せば、また同じようなことになるんじゃないかなって」


 フローラの脳裏に思い浮かんでいたのは、夏の事件のワンシーン。結果としてそれは、今へと繋がるあの夏の出来事の中で、唯一未だ尾を引いている、対フォーティス戦の一部始終。


 自らが横槍を入れたが故に招いた、最悪の結末へと繋がりかけたあのワンシーンは、最悪のタイミングでフラッシュバックしていた。


「でも、そんなこと迷ってる時点で、私はもうすでに間違ってたんだね」


 言葉を選び、絞り出すようにそういうフローラに対して、セレシアは言葉をかけることすら出来なかった。自らに戒めとして残すために自分の身を切り刻んでいるかのように、短く、嚙み締めながら言う言葉の端々には、後悔の色もちらほらと見える。


「本当は、あの事件にちゃんと向き合って、そんなこと考えなくてもいいように私も頑張らなくちゃいけなかったんだと思う。だけど私は、今が楽しいからって、思い返すのを止めてた」


「うん。すごく幸せそうだった。あたしも見てて嬉しかったよ。惚気話は……まぁ、うん」


「それだけは、本当にごめんね。聞いてもらえるのセレシアくらいしかいないから」


 過ごしてきた日々に色づけられて、ほんの少しだけフローラの声に明るさが戻る。それを見たセレシアも、少しだけ心配の色を薄くしていた。


「別にいいよ、そのくらい。そうやって文句言えるのも、幸せな証拠なんだから」


「そうだね。だから、また同じことで迷わないように、私は頑張らないといけないし、変わらないといけないって、今はそう思う」


 後悔をにじませていた表情は、今度は決意のそれへと形を変えた。


 その心の内に呼応したかのように、乗っていた列車は目的の地へとたどり着いていた。黒に塗られた客車の先頭のドアから石造りの小さな駅舎の中へと降り立ち、歩いて外に出ると、その視線の先遥か遠くに、目的地としている森の端が見えていた。


 辺りからはもうすでに人の気配が消えかかり、まばらな人しか見えなくなっていた目的地の最寄り町グリニ。足を踏み入れて数歩した辺りで、セレシアがフローラの方に向き直った。


 その背後には、ヒールとメールがふわふわと浮いている。


「よし、無事についたね」


「うん……」


 周囲を見回し、きちんとたどり着いたことを実感する2人。フローラの表情は、未だ少し強張ったままだった。


「頑張るのはいいことだと思う。でも今日はもう宿をとって、明日頑張る。これでいいね?」


「うん……」


 セレシアの言葉に対しての返事も、どこかで納得していないような、そんな声色をしていた。そんなフローラを見て、セレシアは向き直ってからくぎを刺すように口を開いた。


「流石に1人で夜の森なんて行かせられないからね。そこは納得してよ」


「うん」


 先ほどよりも明るくなった声色だったが、それでも、まだやりかねないような雰囲気を残していた。そんな彼女を見て、セレシアは半分ほど諦めの感情が乗ったため息をついた。


「はぁ……なんだか昔を思い出した気分。決めたらちょっと強情になるとこは全然変わらない。あんなに面と向かって言われたのは、始めてかもしれないけど」



 ここに来る前のフローラの、これまでに見せたことのない反抗っぷり。


 それを、セレシアは目的の地に立って思い返した。







* * * * * * *







 時間を遡ること数時間、セレシアとフローラが町に向かう前の、神様と名乗る男が消え去ってから少しした森の中。


 場に最初からいたわけではないミストやセレシアは当然のことながら完全に出来事を理解するには至らず、それ故にある程度の理解を得ようと会話を繰り広げようとしていた。


「さて、この場で何があったか、今一度教えてくれると嬉しいんだけど、スプリンコートさん今は話せる?」


「うん。どうにか」


 希望を得たフローラはショックからはすでにある程度立ち直っており、ミストとセレシアに対して先ほどまであった戦闘と、エースが消えてしまったことの顛末を簡単に話した。


「なるほど。2匹が異様に興奮していることに気になって外に出てみたらあいつらがいて、襲い掛かってきたからそのまま戦闘になり、そして今に至る、と」


「襲い掛かってきた理由とかは分かる?」


「私には分からない。フォンバレンくんは……私と同じように戸惑ってたから多分同じように分かってないんだと思う」


 あの時、フローラと共にいたエースもその事実に驚きを隠せないままでいたのは、記憶にも新しいところ。もちろんエースの思考回路全てを把握しているわけではない以上、もしかしたらエースの方は何かあったのかもしれないが、それは今はもう聞き出せない。

 

「そうか。そもそもここにいること自体がすでにかなり怪しいけど……まぁ、そこら辺は自白させないと分からないし、今は置いておこう」


 事件が起きてしまった以上、推測は後回しでいい。


 そんな考えなのか、3人はひとまずの疑問を置いておいた。


「さて、希望的な予測に従って動くとするなら、最寄りの町に向かうべきなんだけども」


「どうかしたの?」


「僕はそもそも町の場所を知らないし、あとあの2人を学校に引き渡さなきゃいけない。けれども、そうすると最終列車に乗れるかどうかは怪しいと思う」


 全員で一度学校に戻り、準備を整えていればその分の時間を使うことになる。学校は駅とは反対方向になるため、学校からフォンバレン家への距離を往復した上で、さらに駅へ向かうとなれば、ミストの言葉通り最終列車でたどりつけるかどうかはかなり怪しいラインになってくる。馬車でも使えばその限りではないが、そもそも学校に向かえば事情説明込みで時間を使うのは明確だ。


「さっきの話を聞いた2人の反応を見る限り、多分2人はその町の場所を知ってるんでしょ? だから、今回エースを今すぐに迎えに行くのであれば、2人に任せた方が得策かなと、そう考えてる」


「スプラヴィーンくんはそれでいいの?」


「うん。仮にあの2人が襲い掛かってきてやられた、ってなれば、エースはそもそも死んでるだろうし、そうなった時にやられる、もしくは反撃なりするのは僕が一番適任だからね」


 特にためらいもなくそう言い切るミストの姿は、どこか達観しているようにも見えた。ただ、その中身自体はこの場においては一番筋が通る論ではあったため、セレシアとフローラは、ミストの言葉通り任せることに決めた。


「うーん……なんか腑に落ちないけど、分かった」


「というわけでよろしくね」


 ミストはそれだけ言うと、ローブ姿のままのアビスとビスケのところへと歩いて行った。片方の腕を持ち、乱暴に引き上げる。


「ほら、早く立てよ。処遇を決めないといけないだろう」


 大事にして立場を悪くしたくないのか、アビスとビスケは牙を抜かれた様相でミストの指示に従っていたようだった。これ以上は何事も起こらずにいてくれ、と願う気持ちで、セレシアとフローラは学校へと向かう3人を少しだけ見送った。


 そしてその後、セレシアはフローラの方に向き直って会話の続きを始めていた。


「それで、どうする……って聞いても意味ないか。目がもうその気だもん」


 セレシアの言う通り、フローラはもうすでに『時渡の森』と呼ばれる場所に行くつもりでいた。会えるのであれば、今すぐにでも会いたい。会って謝りたい。その気持ちが、フローラの行動指針を完全に決めている。


「でもあたしも、簡単にはい、とは言いたくない」


「どうして?」


「だって、今からあっちに向かうと、確実に夜だよ。とても今日行けたものじゃない。夜の森なんて視界の悪い場所に行って、無事にたどり着ける保証もないし、そもそもどこまで信じていいのかも分からないんだから、そう簡単に行かせたくもない」


 セレシアの言う通り、ここから目的の町に向かうと、現地に向かった時には確実に夜になっている。そして夜の森の視界が非常に悪いことは分かり切っていることでもある。そのような場所に、フローラに対して過保護気味のセレシアが行かせることはまずないと言っていい。


 おまけにどこまで男の言葉が真実なのかを推し量る術はひとつもない。危険だらけの場所に誘い込んでいるともとれる提案に、普段ならばフローラも乗らなかっただろう。


「それでも私は行きたい。ううん、行かなくちゃいけない」


 しかし、フローラはセレシアの言葉を飲み込んだ上でそう言った。譲ろうとしないフローラの態度に、セレシアは困惑しながらも諭す態度は変えなかった。


「流石に盲目すぎるよフローラ。冷静になって」


「冷静になんてなれないよ。だって、私のせいだもん」


 声色は静かに。端々には自分への怒りを乗せて。


 フローラの口にした言葉は、事実を自分に言い聞かせるように、そして忘れないようにために、自傷するかの如く絞り出されていた。


「私に力なんてないのに、かっこつけて、フォンバレンくんの気遣いに逆らってついて行って、足引っ張った結果がこれなんだよ」


 あの時、自分がついていかなかったら。


 その場合も、結果として好転するか悪化するかは推測の域を出ない。


 ただし、既に過ぎてしまった時間は、フローラの存在があることにより事態を暗転させてしまったことを明確な事実として保持している。だからこそ、フローラは己の行いに後悔しか抱けない。


「何かできることをしなきゃ、私、やりきれない」


 水色の瞳に色を宿し、真剣な目で、己を説得しようとするセレシアを見つめる。


 その視線は、梃子でも動かぬという様相を示していた。それを、おそらく一番見たことがあるであろうセレシアは、ため息を一つ吐いて、言葉を口にした。


「分かった。今から向かおう。でも、森には入らないよ」


「……」


「あたしとフローラとじゃそもそも出来ることが知れてるし、しかも森の中だからあたしの行動には制限がかかる。だから、入るなら自然に視界を確保できるくらい明るくなってから最速で入る。それでいい?」


「……分かった」


 その表情は言葉とは裏腹に納得できないという感情が色濃く出ていた。


 しかしそれでも場を進めないことには何も出来ないと考えて、フローラは一応の提案に乗ったのだった。







* * * * * * *







 軽い喧嘩になっていたやりとりを思い返したセレシアとフローラは、駅から程近い宿に泊まることにしていた。


 宿に入ると、時間帯のせいなのかロビーにはあまり人の姿がなかった。その数少ない人の中にいる、いつ来るかも分からない来訪者を待つ宿の人であろう男性を見つけると、2人は声をかけに行った。


「すみません。まだ宿は空いてますか? ベッド2つの一部屋あればいいんですけど」


「空いてますよ。ご案内します」


 男性の先導に従って中へ入り、通路奥の部屋まで進むと、そこで一行は立ち止った。


「ここです。料金は出る時にお願いします。鍵は全員が出払う時だけかけてください。それでは」


 男性は必要事項だけ述べたあとは、再びロビーの方へと戻っていった。


 セレシアとフローラは、案内された部屋の扉を開ける。


 そこには、女性が最低限の寝泊まりをするのに必要なもの――ベッドとクローゼット、簡易ドレッサーが置いてあった。その様を、セレシアは見回して感想を口にしていた。


「うん。最低限整っていれば、1日寝泊まりするのには十分ね」


 そう述べた後、その場でくるりと後ろを向き、フローラの方を向く。






「ごめんね、セレシア」


 その動作と重なるタイミングで、フローラから放たれた魔法がセレシアの意識を深い場所へと誘った。不意を突かれる形でのそれは、セレシアに声を出させる間もなく、その意識だけを世界から遠ざけていく。


 フローラの手には、魔法陣の綴られた紙――マジックペーパーが握られていた。


 支えを失いその場に倒れそうになるセレシアを抱きとめると、フローラはそのままゆっくりと彼女をベッドにもたれさせていた。何も知らずに寝かせられてしまったセレシアの安らかな寝顔を見て、フローラは少しだけ苦い顔になりつつも、すぐに背を向けた。


「ヒール、メール、行こう」


「「くるる……??」」


 目の前の光景に戸惑ったのか、返答こそ弱々しいものだったが、フローラが部屋から出ていく姿を見て、ヒールとメールはその後ろについていくことを決めていたようだった。


 フローラはそのまま入口まで来ると、先ほど案内をしてくれた、ロビーで色々作業している男性に声をかけた。


「すみません。私と同じタイミングでチェックインした子が人探ししてたら、出来たらでいいので『目的の場所に行った』って伝えてくれませんか?」


「ああ、いいけど……お嬢ちゃん、こんな時間にどこに行くんだい?」


「会いたい人がいるんです。それでは」


 手短に会話を切ると、フローラは扉を開けて外へと歩き出した。


 少女は、夜の町の中、誰もいなくなった道をひたすらに進み続ける。


 目指す場所以外は、もう何も入ってこない。


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