第15話 残されたもの



 その瞬間、フローラは目の前で起きていた全てを、理解できなかった。


 フローラも少し見知っている同級生――アビスと、素性は分からないローブ姿の1人が、自分たちに明確な敵意を向けている。それだけの事実ですらフローラを困惑させるのには十分なものであった。


 そして、それらを同時に相手にしていたエースの姿が、避けきれずに致命傷をもらおうか、というところで跡形もなく消えた。


 それにより、何が起こったかを一つ一つ理解する前に大量の情報が入り込み、フローラの思考をバグらせた。


 次いで、全てが終わったかの如く、戦地が静まり返った。フローラなど眼中にないかのように、敵対していた生徒からの何かしらの追撃も起こらず、フローラからの反撃も当然のことながらない。


 そして、『エースが消えた』という事実をその頭で正しく認識した時、フローラは支えを失ったかのようにその場に崩れ落ちた。目の前を見つめたまま、その双眸から静かに涙を流す。


「なんで……?」


 その口から零れ落ちた問いかけは、そのまま宙に溶けて跡形もなく消えていった。


 ついていくことをためらわせたあの夏の出来事の時は、まだエースの肉体がそこにあり、フローラ自身の持つ水魔法の力で治療を施すことが出来ていた。そうすることで、聞きたかったことを聞くことが出来ていた。


 しかし、肉体すらもないのであれば、フローラの力ではもうどうしようもない。触れることも、話すことも、もう叶わない。


 あの夏の出来事の中の、結果的に想い人の命を削り取りかけた浅はかな行為。でもそれは、エースもフローラも瀕死で、守るために選んだ行動だった。それを思い出しつつも、負担を減らせるようにと支援に徹した結果が、今目の前で起こった出来事。


 フローラは、自身がまたしても悪い方向へ向かう選択肢を選び取っていた事実に、叩きのめされていた。


「なんで……っ……」


 悔やんでも悔やみきれない自らの決断をどうすることも出来ないまま、フローラは瞳から大量の雫を地面に落としていた。


 恋人が目の前で危険にさらされようとも、助けることの出来ない己の無力さに、フローラはただ打ちひしがれていた。


 その一方で、敵対していたアビスたちは、今始めてこの場に来たかのような様子で自らの装いと周囲の光景を見回していた。


「こ、ここはどこなんですか……?」


「この仮面は……?」


 アビスは見知らぬ場所に、仮面を外したもう1人――ビスケ・オーレインはその仮面に、戸惑う様子を見せる。まるで人が変わったかのように、この光景を全くと言っていいほど受け止められていなかった。


 そうして互いに干渉できないまま、場が完全な停滞を迎え――





「どうしたの?」


「何があったんだい?」


 フローラが少しだけ顔をあげると、いつの間にかミストとセレシアがそこにいた。帰路の上にて展開されていた出来事を見て、荷物を持ったまま駆け寄ってきていたようだった。


「フォンバレンくん……どうして……?」


 目の前の光景によって精神的にやられてしまっているフローラの言葉は、誰かに向けて、という様相ではなかった。受け入れられない光景で思考回路がバグり、もはや漏れ出たといった方が正しいものだった。


 しかし運が良かったのか、発せられたそれだけでも、誰に何かがあった、ということまでを2人にきちんと把握させるだけの情報量を含んでいた。その後、だいたいを理解したミストは、恐ろしいほど早く生徒のローブを掴んで引っ張りあげていた。


「おそらく何があったのか、ここにいる君は知っているだろう? エースに何があったのか、教えてもらえるかな?」


 ローブのフードが脱げた姿のアビスに向けたそれは、丁寧な口調ではあるが、その声色には鋭利な刃が宿っていた。まるで実体のある刃物を首筋に突き付け、脅しているかのようにも見える。


「し、知りません!! 何がどうなったのか、僕が知りたい――ぐぇぇっ!」


 最後まで言葉を言い切ることが出来なかったのは、ミストが掴む力を強め、首が締まるように持ち方を変えたからだった。ミストの眼光は鋭く相手を刺し、あわよくば命を刈り取ろうとする意思すら垣間見えていた。


「手を放せ!」


 そんな苦しさに悶える姿を見て、ビスケがミストへと接近する。当然その力を目の前に発揮しているミスト自身の力では迎撃することは難しい。


「おとなしくしておく方が身のためかもね。スプラヴィーンくん、怒ってるどころじゃなさそうだし」


 そうなる前にセレシアが手持ちの細身の剣を抜き、もう1人を牽制していた。当然それ以上動くことはできず、ビスケもミストの方を見るだけに留まっていた。


 一方、ミストは話させることを優先したのか締めていた力を少しだけ緩め、元の締め具合に戻していた。


「とぼけても無駄だよ。あんまりしたくないけど、僕は手を人の血で染め上げる覚悟なら出来てるんだ。素直に吐いたほうが身のためだよ」


「ひ、ひぃっ!! 知らない! 本当に何も知らない!」


 命乞いをするように慌てるアビスに対し、ミストの冷徹な視線が突き刺さる。それだけで心臓を射貫けそうなそれは数秒の間、相手の戦意や平常心をえぐり取り続けていた。


「ふうん。何か吐かせることもできなさそうだ。普通にやるより、じわじわと痛めた方がいいかな?」


 端々に一種の狂気すら宿っているようなその言葉。矛先が向くことは決してないと分かっていても、近くで聞いているセレシアに純粋な怖さを感じさせるには十分だった。


「それとも、明確に立場を感じさせた方がいいかな?」


 ミストの中に隠れていたどす黒い狂気は、そのリミッターを外されて表に漏れ出ていた。誰にも止められなくなりそうなそれは、徐々にミストの思考を支配していく。




 そんな最中、全員の頭上から軽い声が響いた。


「なるほど、ここか」


 この場の誰のものでもない、明らかに場にそぐわないものを纏った声。


 何もなかった空間に、突如としてその姿を現した。


「ふむ……完全に事後だな。これはまいった」


 それは、明らかに1人だけがこの場の一定以上の情報を理解し、周りを置き去りにしてさらなる理解を進めようとしている様子だった。


 そんな男に、セレシアが当然な疑問を投げかける。


「あなたは?」


「私かい? 私は……そうだな。君たちが崇めたり、どうにもならないことを頼んだりする神様、なのかな。信じるかどうかは君たち次第だけど」


 神様と名乗るその男の言葉は、場の雰囲気にそぐわない何かを明確に含んでいた。聞いたセレシアも少しいらだった表情で男を見ている。


 一方で男は、そのような表情など全く意に介さないかのように口を開いた。


「ではこちらからも聞かせてもらおう。数分の間に、この場から跡形もなく消えてしまった人はいるだろうか?」


 その問いに答えられる人はいなかった。この場を理解するのに必要なだけの情報を、余すことなく保持している人物が、フローラ以外にはいない。


 そのフローラも、誰かの問いかけを認識して、それにきちんと答えられるほどの状態にはない。


 男はそのような状態になっている場を見て、答えを得ることを少し諦めたように口を開いた。


「なるほど、誰も答えられないか。ある国の文化的なものに従って、沈黙を同意とみるか、それとも……」


 自分で自分の求めるものと等価なものを見つけようとしているのか、その場を見回しながら男はそう言う。


 少しおいて、ある一点で男の視点が止まる。


「おや、時竜の幼体がここにいるとは。なるほど」


 そこにいたのは、エースたちを先導しつつも、戦闘には手出しをせずにいたヒールとメールだった。そこでふわりと浮いている様子だけ見て合点がいったのか、男は一人理解を推し進め、そして口を開いた。


「私の中で合点が言ったので、誰も答えないがしゃべらせてもらおう。ここで消えてしまった人だが……結論から言うと、きちんと生きている」


 『生きている』。


 男が発したその一言は、信憑性という概念を飛び越えて、ずっと意識をバグらせていたフローラの目の色を変えさせた。戻る過程を通り越して、水色の瞳に別の色が帯びる。


「本当ですか!!?」


 フローラが、いつもの彼女からは考えられないくらいの音量で、そう聞き返した。それだけで何かが得られたのか、少し満足気な笑みを浮かべた男は、フローラに対し答えを返す。


「利益がない限り、神様は嘘をつかないよ。本当のことをしゃべらないことはあるけどね。それは嘘ではない」


 明らかに面倒な言い回しであったが、今のフローラにとってはそのような端々の要素などどうでもいい。


 彼の言葉が嘘でないのならば、目の前で消えてしまったエースはきちんと生きている、ということになる。その事実こそ分かれば、それで問題ない。生きているならば、更なる何かを求めることもできるのだから。


「それで、消えてしまった人は今どこに?」


「この世界線から消えて、別の世界線へと転移してしまったようだね。もちろん、その人が転移先で行動を起こせば何があるか分からないが、一定のエリアから出ない限り、そこで死ぬことはない」


 男の言う『一定のエリア』がどこのことを指すかは、当然フローラには分からない。フローラは、恋人に会いたいというその気持ちだけで、未知の情報だらけで動きようがない今を打開すべく口を開いた。


「どこに行けば会えますか?」


「転移先の人がどこまで動いているかは私にも知るすべはない。だが、もしも会えるその望みを捨てないのならば、『時渡りの森』に来るといい。森の中では、その時竜たちが道を教えてくれる」


 それは、おそらくこの場で誰も聞き馴染みのない場所だった。どう目指すかの指針もたたない。そうなれば、出来る限り探り続けて、自分の持つ情報に引っかかるまで問い続けるしかない。


「それは、どこの町の近くですか?」


「どこだったかな……。確か『グリニ』だったかな」


 男の口から発せられた町の名前を聞いて、問答を進めていたフローラだけでなく、セレシアも何かに気づいたような表情をする。


 その反応を見て、男は満足気な表情をしていた。その意味は、もちろんフローラには全ては分からない。ただ、相手の意図に沿うだけのものだったのだろう、ということだけは推測がつく。


「君が無事にたどり着けたならば、そこで全てを教えよう。私はそこで待っている」


 男はそう言った後、指を鳴らした。


 すると徐々にその姿は薄れていき、数秒ほどで最初からそこに何もなかったかのように消えていた。


 そうして、場に静寂が訪れた。静まり返ったその場は、しばらくの間停滞の様相を見せていた。


 どこまで理解しているかの程度の違いはあれど、誰もが場の全ては理解出来ないまま、物事はひとまずの終わりを迎える。


 その中で、たった1人だけ、全てを目指すべき未来に向けて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る