第11話 再び夢の中で



 いつだったか感じた穏やかな風が、エースの鼻孔をくすぐる。


 差し込んだ光が、瞼を閉じて黒くなっていたエースの視界を一気に白く染め上げる。その急な変化に何事か、と少しの驚きを感じながら、エースの両眼は開かれる。


 視界いっぱいに広がる青く晴れ渡った空には、海を泳ぐ魚と同じくらいの量の曇が流れていた。心地よい風を享受しながら、エースはゆっくりと体を起こした。


「ここは……」


 ぐるぐると左右を見回すと、見渡す限りの草原が広がっていた。どこまでも広がっているような錯覚すら思わせる何もなさに既視感を感じて、エースは立ち上がった後に再び周囲をぐるりと見回した。


「そういや前にもここに来たなぁ……」


 エースの脳裏に浮かぶ記憶。


 2匹の小竜を拾い、名前を付けた日の翌日の朝。目が覚める寸前までこのような夢を見ていたことは、最初は戸惑っていたことすら鮮明に思い出せるくらいには、エースの中では新しめの記憶である。


「くるぅ!」


「くるるぅ!」


 そうやって思い返す最中、エースの耳に、あの日と同じように聞こえてきた鳴き声が入ってくる。


「ああ、やっぱりいたのか」


 空から舞い降りてくるかのように眼前に現れた、既視感を覚える2匹の姿に、エースは微笑みと共に言葉をこぼす。近づいてきた2匹を交互に撫でると、気持ちよさそうにその行為を享受していた。


「くるぅ」


「なんかもうすっかり慣れたな、色々と」


 撫でられていないほうが自分も撫でてほしいといわんばかりにエースの手を突っつく行為を延々と繰り返す。そんな、野生を忘れたかのような2匹の姿を見て、エースは2匹の気が済むまで撫で続けていた。


「くるるる」


「くるる」


 満足した2匹は、一鳴きした後にどこかへと移動し始めた。前と同じ、自分たちについてくるように促す2匹の行動を見て、エースはゆっくりと歩きながらついていく。


 八方に広がる果てなき草原を、最初の位置から進み始めて数分後、見覚えのある湖が現れる。底を見渡せるほどに透明に透き通った水が醸し出す非現実さが、この空間が夢であることをより強調している。


「俺がここに来ることが出来た、ということは、そこにいるんだろう、フェアテム」


 あの日、自らをここに呼び寄せた神の名を、湖の方向を見たままで呼ぶ。


 数秒待っても、その姿はおろか、際立つテノールボイスすらも聞こえない。


――シンプルにいない……ってのは流石にないだろうし、わざと姿を消して試されてたりするのか……?


 何もないことに違和感を覚え、エースは何故そんなことをされているのか、という理由を色々と想像していた。


 しかし仮に試されていたところで、魔力の違和感だけで探る、などという芸当は出来ない。本当にごく一部の、道を究めたと言っても差し支えないレベルの人間にしか、その技を扱うことは出来ないとされている。


 実際にそれをしている人を見たことがあるわけではない。エースは本当にそれが出来るのかも知らない。


「魔力の違和感だけで探るなんてそんな超人的な芸当は出来ないから、出てきてもらえると助かる」


 それ故にエースが零した諦めの声が、空に消えていってから数秒後。


「人の子にそんな芸当が出来るとはそこまで思っていないよ。僕も少しばかり楽しんでいただけだ」


 遅れて聞こえてきた軽々しいテノールボイスは、自らの前方、湖の方向からだった。


 もう少し遅れて現れた、神々しさよりも異質さの目立つ姿に、エースは少々のしかめっ面を向ける。


「趣味悪いな……」


「神というのは、暇つぶしだったり面白さを求めたりして人間の人生を眺めたり遊んだりするような存在だよ。人基準の感性では測ることはできないのさ」


 そういうフェアテムの声は、ただ純粋に事実だけを述べたような様子であった。隠しているのであれば分からないが、聞いた感じでは嘲笑などの見下すような感情はこもってはいなさそうである。


 発せられた言葉からこれ以上この話を続けても無駄だと感じたのか、エースはため息を一つ漏らした後に言葉を口にした。


「で、結局俺がここに来た理由は何なんだ? 前みたいに俺に何か言いたいことがあったのか?」


 真剣な眼差しをもって、エースは問いを向ける。


「そうだねぇ……。あると言えばあるけど、ないと言えばない」


「どっちなんだよ」


「早急に伝える必要はないし、なんなら一生体験することはないかもしれないから知らなくてもいい。でももしかしたらこの夢から覚めてすぐに体験するかもしれないし、想像を絶する体験かもしれない。そういう中身だ」


「いやだから――」


 中々核心に触れようとしないフェアテムの様子に明確な怒りを示しながら言葉をぶつけようとして、エースは途中でそれを引っ込めた。目の前の男にそのような感情をぶつけたところで良い方向に進むとも思えず、行き場のない出かかりの少量の怒りをどうにか押し込めて、続きの文言を放り投げた。


「……はぁ。その中身だけ聞いておく」


「ふむ。僕は知的好奇心のある人は好きだ。だから教えよう。君に起こりえるのは、簡単に言うなら『時間軸の移動』だ」


「どういうこと?」


 フェアテムから回りくどく発せられた聞きなれない単語に、エースは首をかしげる。


「人の言葉で言い換えれば、タイムスリップというのかな? 君の存在が今の時間から、過去の時間や未来の時間に移動する、という現象が君に起こりえるということだよ」


「にわかには信じがたいな」


「それはそうだろう。時間軸の移動は人間には起こすことのできない、奇跡の業だからね」


「人間に起こせないなら、なんで俺に起こりえるんだよ」


「君がこの2匹に選ばれたからさ」


 その言葉を聞いて、エースは後方にふわふわと浮いていた2匹をそれぞれ順番に見る。エースの視線を感じた2匹は、首を傾げるだけだった。


 この2匹に、そのような能力があると突然言われても、エースはすぐに信じることは出来なかった。


「この2匹は神的属性をもつ、いわば神の使いのようなものだ。まぁ神の使いとはいえ、適当に扱っても神罰はないから安心したまえ」


「いやまぁ、適当に扱う気はないけど……」


 フェアテムが最後に付け足しのように口にした言葉を、エースは即座にやんわり否定した。


 ただでさえ動物に好かれないエースが、始めて友好的な態度を見せてくれたのが2匹であり、しかも他の人物を差し置いて一番懐いてくれているのだ。そんな2匹を適当に扱うことなど、エースにとっては微塵の可能性もないことであることには違いない。


「で、その起こり得る条件ってのは何?」


「起こり得る条件は……いやこれは秘密にしておこう」


「何故」


「神の気まぐれさ。人のように信用がどう、ということはないよ」


 理解に苦しむ内容を並べ立てられて、エースの口にする言葉の端からは疑問符がとれなくなってしまう。故にその真意を聞き出そうと、言葉が喉元まで出かかる。


「……おっと、そろそろ時間のようだ。私はここらで失礼するとしよう」


 今回もまた、全てを己の意のままに進めたフェアテムは、エースの前から去ろうとしていた。中途半端に切って止めようとするフェアテムに対して、エースは自らの口から言葉を投げかけようとした。


 しかし、その願いはまた叶わず、明瞭だったはずのエースの意識が沈み始めた。ガクンと力が抜け、そのまま感覚すらも遠のいていく。


「じゃあ、またいつか会おう」


 意識の端でその言葉を捉えた直後、エースの意識は完全に沈んでいった。







* * * * * * *







「ん……」


 意識が再び浮上し、覚醒間近まで来た時、エースはその身に確かに違和感を覚えた。


「なんか重いな……」


 いつもよりも重い感覚が明らかに自分の外から来ていることに気づいたエースは、その外的要因を確認すべく目を開けた。


「くるるぅ」


「くるぅ」


 すると間もなくして重みが消え、代わりに眼前に2匹の小竜――ヒールとメールの顔が現れた。同時に重みの正体に気づいたエースは、上体を起こし、2匹の頭を交互に撫でた。


「なんだ、お前らだったのか。おはよ」


 一鳴きして挨拶を返す2匹を見つつ、エースは強烈な既視感を思い出した。


「夢の中でもこうして撫でてたな……」


 意識が覚醒する前の夢の中でも、まったく同じことをしていたことを思い出す。あの時と違い、今はベッドの上で上体を起こした寝間着姿ではあるが、行為そのものに違いはない。


 そして、夢の中身を思い返したことで、その中で話されていたことも同時に思い返していた。


「あの夢の中身は、本当なんだろうか……」


 本当だとするなら、エースは何らかの条件を満たせば時間軸の移動が出来る、ということになる。もちろん肝心なその条件が全く分からない状態ではあるが、『出来るかもしれない状態にある』ということだけは変わらない。


――だとすれば、父さんや母さんに会うことも、出来るんだろうか


 ふと、そんな疑問がエースの頭に思い浮かぶ。


 移動できる時間軸が任意であるならば、過去に飛ぶこともおそらくは出来る。そうなれば、過去に失った人々に会うことも――


「「くるぅ……」」


 思考を鳴き声に阻まれ、エースはその発生源を見る。


 ふわふわと浮きながら2匹が心配そうにエースを見ている様を見て、もう一度ずつ撫でた。


「俺は大丈夫だよ。元気だから」


――まぁ、色々考えたところで、本当かどうかも分からないしな


 真偽が不明なままでは、全て机上の空論にしか出来ない。そう思ったエースは、頭の中にあった思考のまとまりをその片隅に押しやった。


 そして、寒くなって厚めになった布団をはがしてベッドから立ち上がると、自室のドアを開けてリビングを目指した。2匹はその後ろをふわふわと漂いながらゆっくりと追う形をとっている。


 リビングのドアを開けると、台所からは未だ料理中なのか、食欲をそそる匂いが漂ってきていた。


「おはようエース……おや、ヒールメールも一緒にいたのか。いつものようにリビングにいないから心配してたんだけど」


「ああ、おはよミスト。俺の布団の上にいたよ。しっかりと重かった」


「幸せな悩みじゃないか」


 ミストの言葉に、確かにそうだ、とエースは思わざるを得なかった。今までのほぼ17年の生の中で、生き物に吠えられることなく触ることが出来たことでさえ、片手で数えるほどしかエースの記憶にない。


 そんなエースが、こうして普通に生き物と接し、食住を共にできる、というのは中々に珍しい体験なのだ。


 新鮮な体験を与えてくれた2匹に対して、リビングで待つように制しておいたエースは、その足を台所に向けた。寒い時期には定番のメニューとなった汁物の入った鍋を、ミストがゆっくりとかき混ぜている。


「ねぇエース、なんかメニューの要望ない?」


「バリバリ作ってるときにそれ聞くか?」


「いや、最近汁物作りすぎて飽きてきている自分がいるんだよ」


「あー……まぁ、それは、うん」


 作ってもらっている身分のエースは、極力食事には口を出さないようにしている。


 ただし飽きが来ないかと言われれば別問題で、こうして冬の時期恒例とも言えるのが、汁物に飽きてしまうことは稀にあった。ミストもだいたい同じ感覚になるようで、たまにちょっとした冒険のようなメニューに手を出すこともある。


「ローテーションを組んだり入れ替えたりして、ごまかしつつやってはいるんだけどね。どうしても限界があって」


「学校行ったときに色々調べたり聞いたりすれば?」


「そうだねぇ。そうさせてもらうとしよう。僕の頭じゃ限界だし」


 そう言葉を言い切ると共に、ミストはエースの方を見ることなく、空いている右手を出した。その行動の意味を反射的に理解したエースも、特に何かということなく、はいよ、と空の器を渡した。


 その器に、慣れた手つきでミストがスープを注いでいく。ものの数秒もすれば、器の中身は濃いめのオレンジ色に満たされていた。


「ミネストローネかな?」


「そうだね。完全に僕の好みでのセレクトだよ」


「困った時はそれに限る」


 もう一回同じ行動をしたのちに、エースが2つの器を、食事用のテーブルの上に置いた。後を追うようにしてミストが他の品が乗ったトレーを持ってきてテーブルの上に配膳をすると、フォンバレン家の普段の朝食の様相が出来上がる。


 そこから小竜用の簡単な食事をエースが2匹の元に持っていくと、最近での朝食のセットアップが完了する。


「さて、今日も美味しくいただきますかね」


「存分に召し上がれ」


「「くるるぅっ」」


 エースとミストの言葉に反応するかの如く、2匹の小竜が一鳴きし、自らに与えられた食事を食べ始める。その様子を慈しむような眼で見ていた2人も、冷めないうちに、とすぐに朝の食事に手を付け始めた。



 少し前にヒールとメールが加わったことで少し変化した朝の風景。今日も和やかな一時から、彼らの一日は始まっていくのだった。

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