第9話 やはり足りない
数日後の朝、魔導士育成学校から遠くもなく、かといって近くもないフォンバレン家にて。
この数日の間に少しだけ賑やかになった朝の食卓を、エースとミストは囲んでいた。
冷え込みもだんだんと厳しくなる11月の半ばに差し掛かると、早朝や深夜になれば家の中を冷気が我が物顔で居座るほどになる。ソゼリアの気候はやや暖かいとはいえ、冬には雪が降ることも珍しくない。
そんな冬に備えて暖を取るべく煙を発している暖炉の前には、ここが定位置だといわんばかりの2匹――ヒールとメールの姿がある。
エースたちが調べた情報の中には、このような情報もあった。
『竜種は冬眠をする個体もおり、特に未成熟な個体は耐性がないため暖かい地方に移るか冬眠して冬を過ごす』
そのことを知るまではエースが引っ張り出した予備の布団の中で丸くなり、朝エースたちが出るギリギリにならなければ動こうともしない2匹に、困り果てたことすらあったエースとミスト。この習性を知った後は、いつもより早めに暖を取ろうということで意見が一致し、いそいそと準備をしたのだった。
今日も暖炉の前に陣取って布団の上で丸くなっている2匹の姿に、やや離れた位置からエースは視線を送る。
「なんか、起きて割と経ってるのに眠気に誘われるな……」
「そのままスープに顔突っ込まないでよ」
「それは流石にない。断じてない」
「ホントに? 昔一回だけ徹夜明けの朝とかに……」
「記憶を捏造するんじゃない俺は一回たりとも徹夜してない」
ミストの軽い忠告のようなボケにいつものようにやや早口気味のツッコミを入れた後、エースは手元の温野菜スープを一口飲んだ。芯に沁みる暖かさを少しばかりかみしめて、再び口を開く。
「にしても、日中は暖炉どうすっかねえ」
「そうだねぇ……。何もしてないと日中でも冷えるし、僕らと寒暖の感じ方が違うことも考慮しないといけないけど……」
「とはいえ、万が一何かに燃え移って、とかもあるしなぁ……。やっぱり、暖炉だけは消しとくのが吉か?」
「かもしれないね。ヒールとメールには酷だけど、出るときには消すしかないかなぁ」
「その分日当たりいいとこに毛布置いとくか。日向ぼっこも兼ねて」
「それは名案だね。毛布出しとくよ」
「あいよ」
先に食事をとり終わったミストが、シンクに食器を置いたのちにリビングを出る。その姿を見届けた後、いまだ食事中のエースは再び視線を丸くなっている2匹の方へ向けた。時折もぞもぞと動いている様子は、エースに少しだけ既視感のようなものを感じさせる。
ふと、それが何だったかを考えて、エースはすぐに思い至る。
「飯出来たのにまだ寝てる人、そういやいたな……」
朝に弱く自分の意思では起きられないために、エースとミストの食卓準備の際にもまだ眠りに甘んじて、エースがようやく起こして、起こされた本人は赤面して。
そんなやりとりを繰り広げた日々の残り香が少しだけ、エースに感じられる形でそこにあった。
「よし。ごっそさん」
遅れて食事を済ませたエースは、その残り香を振り切るかの如く、ミストと全く同じ意図と行動でキッチン横のシンクに向かう。持っていた自らの食事の跡を一度置いた後、傍にあった石けんとスポンジを手に取る。
「やるかー……」
冬の冷気でもはや一種の凶器と化している蛇口の冷水を受けても顔色一つ変えず、朝の料理で少し溜まった洗い物を済ませていく。
「もう冬の洗い物はエースの仕事だね」
「他の人が冷水で素っ頓狂な声出してるの見るとこういうのよかったと思うね」
「冷水で定期的に手が死ぬ弟としては非常にありがたい」
いつの間にか毛布を持ってリビングにいたミストと言葉のやりとりをする間、その手はやや速度が落ちる。しかし、冷気を扱う魔導士の冷気耐性は、並のものではない。慣れ親しんだ気候の範囲でなら、多少温度が下がったくらいではなんともない。
「ところでエース、一つ悪い知らせがあるんだけど」
「なに?」
「毛布出す前に金庫チラッと見たんだけど、思ったよりお金なかったね。食費、このままだと微妙かも」
「おおうマジかい……」
洗い物を終えたエースはタオルで手を拭いた後、中身の割に軽々と放たれたミストからの報告を受けて、すぐ近くの冷蔵庫の扉を開けた。
「こっちもなんもないなぁ……」
ヒールとメールが初めてこのフォンバレン家に来た日に買っておいた食糧の類は、エースの想像よりも減っていた。隅から隅まで何があるかを確認した後、冷蔵庫の扉を閉める。
「善は急げというし、ぼちぼち依頼にも行って日々の足しにしておかないとなぁ……。夏の報酬金で割ともってた分、しばらく行ってなかったし」
「そしたら僕しばらく授業で無理だね。頼んだ」
「あい、頼まれた。俺一人でこなせるものなんか探すか……」
そう言ったエースの、何かを思案すべく宙を見上げたその横顔を見て、ミストは頭に浮かんだ疑問を口にする。
「なんで一人前提なのさ。どっちか誘えば?」
「あーそれもそうか……。フローラは生徒会業務で忙しいって言ってたし、空いてたらセレシア誘うか……」
取り巻く環境の変化をあれこれ考えながら、エースは今後の予定を立てようとする。
が、先ほどよりも意味ありげに、より強く投げかけかけられていたミストからの視線に気づくと、戸惑い気味に言葉を発した。
「なんだよ?」
「いやぁ、いつの間にプラントリナさんのこと名前で呼ぶようになったのかなぁ、って」
「あ」
言われて始めて、己の言葉に含まれた小さな失態に気づく。それは、物凄く微量のミスでありながら、タイミングの妙故に、大きくなって返ってきてしまったもの。
「いやこれには深いわけが」
「わけなんて深くても浅くても、なんならほとんどなくてもいいのさ。そこに事実があることこそが一番大事なんだよエース」
「もう嫌な予感しかしないぜ……」
「人聞きが悪いなぁ。僕は別にからかおうだなんて一ミリも思ってないよ」
「思ってるやつのセリフなんですけどもそれ」
自らのうっかりミスにより呼び方が変わったことを知られ、からかいのネタを一つ増やすことになったエースは、朝から冷や汗を流す羽目になるのであった。
* * * * * * *
朝から弟の愛のあるいじりという名の精神攻撃を受けながらも、いつものように登校してきたエース。時間ギリギリの登校、ホームルームを経て授業のある弟と別れた後は、セレシアと共にリクエストルームに来ていた。
サウゼル魔導士育成学校の担当する地域から集められた依頼を全てさばいており、この学校の中で図書館、運動場に次ぐ大きさを誇る場所となっている。
主に往来するのはエースたちのような高等部の生徒であり、実習、仕事、小遣い稼ぎなどの目的で依頼を受けたり、報告するために来ることになる。
「いい依頼、あるといいねぇ」
いつもの左サイドポニーではなく、ゆるりと下した髪型のセレシアは、若干冷え込む部屋のコルクボードに貼られた無数の紙を見ながらそう呟いた。
「そうだなぁ……」
同じようにコルクボード上の紙を眺めながら、エースも言葉を零す。授業との兼ね合いもあることから、遠出するのはやや気が引ける。
「ねぇところで……」
そこまで口にしたセレシアが、何かに気づいたのか一瞬言葉を止めた。周りをくるりと確認したのち、エースに近づいて小声で話し始める。
「依頼の同行、あたしでよかったの?」
「ああ。もちろん」
「ふーん」
質問に対してエースがケロッと答える様を見て、セレシアが意味ありげな視線のままそう呟く。たった一言に含有される何かの存在感があまりにも大きすぎたことに耐えられず、エースはその口を開いた。
「いや何?」
「なんかね、腑に落ちない」
「何が?」
「さっきの質問、あんなにあっさりとOK出したこと」
「なんで?」
「うーん……」
再び周囲をくるくると見回した後、セレシアがその口を開いた。
「こうさ、もう少しくらい渋らない?」
「何を?」
「本当は、あたしじゃなくてフローラに頼みたかったんじゃないの」
「あーそういうことか……。うーん……」
セレシアの言葉に若干痛いところを突かれたエースが、唸るような声と共に視線を泳がせる。何かをためらうように少し間が置かれた後、諦めのようなため息を挟んだのちに言葉が紡がれた。
「いやまぁ……ちょっとは残念なところは、あるんだけど」
「うんうん」
「でも、それは俺のワガママだしなぁ……って思うこともある」
あの夏から程なくして生徒会へと加入したフローラが、今までのように外での依頼業務をこなすことが難しくなることは、事前に相談を受けていたこともありエースも知っていた。それが彼女の望みならば、と快く加入の後押しをしたエースではあったが、もちろん全く何も思わなかったわけではない。
同じ時を過ごす時間は、多いに越したことはない。実際、以前よりも増えてはいる。だがそれでも、以前まで過ごせていた時間を過ごせなくなると、人間どうしても失われた方に目が行ってしまうもの。
「当分依頼行ってなかったし、今日こうして始めて体感したわけだけど、うん。やっぱり少しは残念なのかもしれない」
「まぁ、そうだよね。だいたい二つ返事で行く、ってなってたくらいだもんね」
「そういえば……そうだったな」
セレシアの言葉を受けてこれまでの依頼を思い返したエースは、少しだけ笑って、その先に言葉を続けた。
「色々あって、何かを経て、関係は変わった。その結果として、俺の存在や行動が枷になってしまうのはダメなんだよ。もし枷になる部分の方が大きくなってしまうのなら、いつでも身を引くつもりではいるよ」
「ふーーーーーん」
「いや何」
「そういう心持ちなんだ、って少し感心しちゃった」
ふふっ、と小さく笑うセレシア。その姿はどこか安堵しているようにも見える。
「自分よりも相手の気持ちや意思を優先して、ってとこ。ぱっと見や性格は全然違うのに、根っこのとこで似た者同士だよね」
「そんなんじゃないよ。俺は思われてるよりもずっと自分勝手だ」
「自分勝手な人間は、相手が生徒会なこと考慮して誘わない、なんてことしないと思うけどねー」
エースのいつ聞いても低い自己評価を、セレシアは苦笑しながらやんわりと否定する。
その視界の端に見えた時計の針は、探し始めてから大幅に動いていた。
時間はあるとはいえ無限ではない。それ故に、抑え目に行われていた会話にも小休止が入る。
「さて、そろそろ依頼決めないと。ずっとここにいるだけなのも問題だし、ぼやっとしてたらいいのなくなっちゃう」
「そうだな。早く決めよう」
会話も程々に、その日を暮らしていくための糧を求めて、2人は依頼探しを続けるのであった。
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