第8話 残された怨恨、始めての試み



 エースたちが籍を置くサウゼル魔導士育成学校を含め、魔導士育成学校と銘打たれた育成機関は全部で4つ。各地方1つずつある魔導士育成学校のいずれにも、大規模な図書館がある。


 中央都市にある世界最大の図書館と比べるとその貯蔵量は劣るが、それぞれの地方においては最大の図書館と言っても過言ではない量の資料が保管されている。各学校には司書が常に複数人おり、日替わりで大量の書物書類をチェックしている。


 その量と利便性故に魔導士育成学校で一般開放されている数少ない施設であり、それ故に外と繋がる一般開放側の扉には警備員が常に目を光らせている。


 そんな広大な図書館の、学内から繋がる扉のすぐ傍に、エースの姿があった。


「この中から探さなきゃいけないのか……?」


 生徒の間では、探し物を引き当てるには日数をかける必要があると言われている場所。扉を開けた瞬間に否応なしに目に入る書物の量に、いつもよりも声量を抑えつつも、エースは嘆きをこぼした。


「流石に見境なしに探すのはマズいか……。知ってる人に聞くのがベストかな」


 その言葉通り、エースの足は入口近くの貸出カウンターに向かう。その内側では、司書がおそらく私物であろう本を読みながら、役目を果たすタイミングをのんびりと待っている。


「あの、すみません」


「なんでしょうか?」


 読んでいた本を置き、司書の一人がエースに向き直る。座り姿に目線を合わせ、エースは用件を伝える。


「生物の生態資料とかって、どの辺りにありますか?」


「それなら……確か奥の方にありますが、色々とあるので範囲が広いですよ? 具体的な内容を言っていただければ、もう少し範囲が絞りこめますし、お連れすることも出来ますよ」


 司書から返された言葉に、エースは手を顎に当てて少し思考を巡らせた。口外しても差し支えのない範囲はどこにあるかを数秒間考えたのち、また口を開いた。


「翼竜とか、竜種の資料ってありますか?」


「ありますよ。だいたいの位置にお連れしますね」


 エースの言葉に対し司書は疑問符すら浮かべず、カウンターテーブルの横から出てエースの先導をすべく歩き出した。エースはその後ろ姿を、見失わないように、少しだけ離れた位置を歩いていく。


 数分後、かなり奥まった位置で司書が止まると、エースに対して向き直った。


「だいたいこの辺りです。他の生態系と比べるとやや少ないですが、十分な量の文献があると思います」


「ありがとうございます。探ってみます」


 少しばかりの役目を終えた司書が、元の位置に戻るべくエースから離れていく。おそらくまた読書に勤しむであろうその後ろ姿を、感謝の意を示すべくしばしの間見送った後、エースは傍にそびえる本棚を見上げて、小さく言葉をこぼした。


「さて、頑張って探すか……」


 物量にやや圧倒されつつも、エースは資料捜索を開始した。


 本来ならばもう一人くらいの人手が欲しい、というのがエースの率直な気持ちである。だが、小竜を世話しているという事実を知っている面々の中でこの時間に自由に動ける人物がエースのみであることから、一人で探さざるをえないのが現状だ。


「基本的な情報だけでも知りたいもんだなー……っと。これはどうだろうか」


 エースが目に留まった一冊の本を本棚から抜き出した。『竜種の生態系』と書かれた表表紙を、立ったままでめくる。


――ヒールとメールは結局何種なんだろうか? 竜だけでもいっぱいあるしな……


 エースが己の感で開いたページには、翼竜の姿とその特徴が書かれていた。両手が翼へと変化したことを示す進化の過程や、陸上で二足歩行する様が、図と言葉で事細かに示されている。


 そんな本の中身に視線を巡らせつつ、エースは2匹のことを思い浮かべた。


――あの2匹にはきちんと手があるもんな……。翼竜とは違うのは分かるけど、あれは何種なんだろうか


 さらにめくっていくと、ドレイクやサラマンダーなどの近縁種の生態系の話も事細かに記されていた。その1つ1つを流し読みしつつ、目的のページの出現を願って右手を動かす。


――両手両足に翼を有する特徴は、小さいけどまさに竜そのもの。けど、あの個体って明確な分類はあるのか……?


 疑問符を浮かべながら、エースはひたすらページをめくり、情報を探していく。


 膨大な情報の在り処から欲している情報を探す一人作業は、そのまま数十分ほど続くのであった。







* * * * * * *







「流石に疲れた……」


 時間は最後の授業と同じ時間になり、帰る人々もちらほらと見られる夕方手前。いつも以上に活字に埋もれ、慣れない作業で疲労をため込んだエースが、図書館の内部入口側から出てきた。


 そのまま入口から少し離れた位置で、少しだけ精気が失われた顔を上げて、吹き抜けの部分から空を見る。


「いつもより少しだけ沁みるなぁ」


 隙間から見える、青く広がる空には雲一つない。ある意味では自然物ではないといえる明かりにさらされ続けたエースにとって、その光景は少しだけ落ち着かせてくれるものだった。


 喧騒と呼ぶにはやや静かな話し声の数々と、どこかの教室で行われているであろう座学の声が混じって校舎に響く。その最中を、エースは一人いつもの教室に向かいながら歩く。


「ぼちぼち帰り支度でもするかな……」


 エースが記憶している最後の時間は、図書館を出る際に見た時計の時刻。すでに最後の授業も半分ほど過ぎた時間ならば、校舎に残る理由はエースにはない。


 荷物の一部を置いていた教室に、その足を向ける。


「おやおや、そこにいるのはエース・フォンバレン殿じゃないか」


「サボりが許されるとは、さすが学園長の義理の息子だなぁ。多少の落ち度は、なくなるもんなぁ」


 その数秒後に聞こえてきた声で、エースは上へと向かう足を止めた。


「俺がサボりなら、お前らもサボり扱いになると思うんだが」


 エースに難癖をつけてきたのは、別クラスの同学年の生徒だった。


 似たような体格をしているその2人のうち、若干つり目の方の名前がアビス・ツェンモーレン。つりでもたれでもない方の名前がビスケ・オーレイン。階段とは別の方向から現れた2人に向けて、エースは皮肉たっぷりにそう言い放った。


「自分のことを棚に上げて注意とは……いやはや、格が違いますなぁ」


――話通じねぇなぁ、これ。


 ビスケから帰ってきた言葉に、エースは心の中で率直な感想を述べていた。


 この夏に起きた生徒襲撃事件は、結局のところフォーティス・ヴァニタとエアード・ヴィラノローグの共犯でありそれ以外の人物は一切関わっていないというのが、エースたちが後に知った事実である。加えてフォーティスが加勢したのはエアード襲撃とその後のフォンバレン家襲撃だけであり、計画含め主犯格がエアードであったことは、その場に大きな驚きをもたらした。


 そしてその夏以降、様々なことがエースたちにとって好転したのだが、唯一と言っていいほどに悪い方向に転がったのが、フォーティス一派からの扱いである。


 エース及びミストに対する態度はあからさまに敵意むき出しであったフォーティスだが、その点を除けば、エースの視点から見たフォーティスという人間は基本的に優秀である。


 やや過信なところはあるが実力は申し分ない。エース自身が知っているわけではなく聞いた話ではあるが座学も問題ない。フォーティス一派という派閥があることから、彼自身は面倒見がよくリーダー気質なことはだいたい想像がつく。


 フォーティスがいたからこそフォーティス一派からの嫌がらせはたまにしかなかったという説がエースたちの中にはあるほどに、彼の存在が学園から消えてしまったことは面倒な要因を増やす理由となっていた。現に今も、アビス&ビスケというフォーティス一派に絡まれている。


「いつになったら退学処分になるんでしょうなあ? 傷害でフォーティスが退学なら、当然あなたも退学になるはずなのに」


「そこは裏であれやこれや根回ししてるんでしょうなぁ」


 夏の事件で何が起こったかを正確に知るのは、学校関係者の中ではエース、ミスト、フローラ、セレシア、パードレだけである。外部でもセレシア・フローラの両親を加えるのみで、ごく一部しか知らない話なのだ。


 当然ながら、エースの目の前にいるアビス&ビスケを含め、フォーティスの取り巻きたちが知るはずもない。それは事件の中身を含めると、これからも誰かが知ることはない方が、エースたちにとっては都合がいい。


 故に、彼らの言い分は真実を微量に含んでいるとはいえ、ほとんどがただの言いがかりということになる。


――まぁ、言いがかりなのに合ってる部分もあるんだけど


「そこら辺どうなんでしょう? エース・フォンバレンさん」


「話が聞けないのなら、正当な実力行使をさせていただこうかなぁと思っておりますけども」


――懲りないなぁ……


 彼らの言う正当な実力行使とは、学校の規則で何かしら定義されているものではない。校長パードレか、生徒会立ち合いの元セッティングし、彼立ち合いのもとで行われる模擬戦闘のようなもののことを指す言葉である。


 これによりエースとミストは高校一年の時には一定数いた嫌がらせを鎮めることに成功している。その後は夏のフォーティス退学までは一度もなく、退学以降すでに2回ほど組まれて、いずれもエース側が勝利している。


 当然ながらそれ以上の回数こうした粘着行為のような会話が為されているのだが、なぜかミストには一切そういう話がいかず、エースにだけこうした面倒な粘着行為が続くのは、傍から見れば不思議なことではある。


 エース自身には、思い当たる節がなくはないのだが。


――まぁ、ちょっとだけフローラ関連の恨みつらみもあるんだろうな……


 関係性の変化はいまだバレていないとはいえ、フローラがエースに対し他者と違う感情を持っていることは、おそらく多くの生徒が気づいている。当然、その中にはエースに対しよくない感情を抱く生徒もいることは、想像に難くない。


 フローラに対しそれが向かないのはおそらく嫌われることを避けるためなのだろうと、エースは勝手に考えている。根が優しい人間でも、不快な思いをすればいい印象を抱くことはない。


「フォーティス・ヴァニタ退学に関してとにかく言うつもりはないし、正当な実力行使も受けるつもりはない。そもそもの話として、お前ら俺に勝てんの?」


「ぐっ……」


 エースの挑発紛いの言葉に、アビスが前回の戦闘の中身を思い出したのか言葉に詰まる。


「はっ、同じことが何度も続くと思わないでくださいねぇ。次は勝ちますよ」


「ほーん……」


「何ですかその目は。人を見下して」


――いや、だって前に俺一人で二人ともぼこしたじゃん。


 ビスケの言葉をエースが軽く流すと、明らかに不快な表情で言葉を発した。


 エースの記憶に残る最新の『実力行使』は、明確な傷害行為がある程度排除されているとは言え、それでも薄氷にすら至らなかった、というもの。


 エースが言葉の本気度を測るのは、自然な流れなのである。


「まぁ、引き受けないからいいんだけど」


「そうやって逃げると思ったのでこっちも手を打ってますよ。このまま帰れると思わないでくださいねぇ」


「すでに校内に何人か待機させてますよ。フォーティス一派をなめないでいただきたい」


「うわめんどくせー」


 相手の言葉に、思ったことがついに零れ出るエース。執念とでも言うべきその行為に、流石に今回は折れておくべきか、少し考える。



 しかし、エースの考えは、まとまり切る前にその必要がなくなったのだった。


「そこの人たち、お取り込み中、失礼しますね」


 会話に割り込むように響く一つの声。どんなに入り混じっていても絶対に聞き忘れない声に対して、エースは後ろを振り返る。


「あ、スプリンコートさんどうも」


「こんにちは」


 そこには、書類らしきものを抱えたフローラの姿があった。その佇まいは、この状況でも絵になるなと思ってしまうほどに綺麗だった。


「フォンバレンくん、生徒会長がお呼びですので、ご同行願えますか?」


「え? ああ、はい……」


 ふんわり優しく包み込むようないつもの声色と少し違う、丁寧にまとめられた声。戸惑いながらも、邪推することはせずにその言葉に同意を示す。


「何もないといいですねぇ」


「頑張ってくださいねぇ」


 表面上は気遣うようにも聞こえて、その実嫌味でしかない言葉たち。それらを背に受けながら、エースは先を行くフローラの背を追った。







* * * * * * *







 歩き始めて数分後、フォーティス一派であろう生徒が視線こそ投げかけてくるも、声をかけることはされず、エースはフローラの背中を追ったまま別棟へと足を踏み入れた。


 時折周囲を見回しながらも、基本的にはずっとフローラはエースに対し背中を見せ続けていた。まるでエースが存在しないかのように、フローラから声をかけてくることはなく、何かを問うことを拒むような気配すら感じる。


 そんな始めて見る姿に、エースの口は開くこともはばかられた。


――なんかあったのかな……?


 ここまで徹底して口を聞かれないという事実に、エースはもしや自分が機嫌を損ねるようなことをしたのか、という気にすらなる。滅多なことでは怒らないフローラを怒らせる、ということは自分が相当とんでもないことをしたことを意味するため、エースの背中に次第に冷や汗が伝う。



 思い当たる節はないがとにかく早く生徒会室に着いてくれというエースの願いは、別棟に入ってそこからさらに数分後に叶えられることになる。


 放課後になったのか生徒もまばらになり始め、生徒会室の周辺には生徒の姿はない。教師の姿もほとんど見られないことから、状況とも相まって異様な静けさすら感じられる。


 生徒会室の扉の前で、フローラは再び周囲を見回す。入念に二度首を左右に向けた後、生徒会室のドアを軽く二回、左の手の甲で叩いた。


「フローラ・スプリンコートです。会長、フォンバレンくんを連れてきたので入りますね」


 その一言と共に、フローラは生徒会室の中に入っていく。エースも、その後に続いて、初めて生徒会室の中に足を踏み入れる。


「……えっ?」


 中には、誰もいない。人の気配など微塵もしない。


 あるのは、長方形に配置された机と、その上に何故か置かれているエースの手荷物と靴。


 目の前に広がる光景含めた現状が理解できず、エースは数秒間呆気にとられた表情のまま直立していた。



 その直後。


「はぁぁぁぁ……」


 エースの目の前でフローラが、糸が切れた人形のように床に座り込む。張りつめていた空気も、一瞬で霧散して存在すら消える。


「ごめんね、エースくん」


 顔だけをエースの方に向けてそういうフローラの声は、いつもの優しい色を含んでいた。急激な変化とこの場の現状に戸惑いを抱きつつ、エースは疑問を口にする。


「えっと、あの、生徒会長が呼んでたっていうのは……?」


「呼んでないよ。全部嘘」


「嘘? マジで?」


 フローラの口から出た『嘘』という言葉に、エースはおそらく人生の中で一番といっても過言ではないほど、心の底から驚いた。


 他の人が同じことをやったとして、エースはさほど驚くことはなく、また冷や汗を流すこともないだろう。


 ただ、目の前にいるフローラ・スプリンコートという少女は、とてつもなく嘘や隠し事の類が苦手なのだ。重要事項でなければ、顔色にすぐに出るか、声が上擦るかのどちらかで周囲にすぐにバレる。


 そんな彼女が、平然と嘘をつき、その後もまるで真実を述べたかのように振る舞う姿。それが全て事実であったことは、エースはすぐには信じられなかった。


「なんでそんな嘘を?」


「いつもの人たちに絡まれてるのをセレシアに聞いたから、もし、正当な逃げ道があれば逃げられるかな、と思って。荷物とかは、セレシアにここに持って来てもらったの」


「なるほど……」


 嘘が苦手なフローラが、自分のために頑張ってついてくれた嘘。その事実は、エースの心に暖かみをもたらし、少しだけ口角を上げさせる。


「歩いてる途中に何も言わなかったのは、ちょっとでも話しかけちゃうと誰かに聞かれて嘘だってバレるかもしれなかったから。ずっと黙ってたら、顔にさえ気を付けれてばバレないと思ったの」


「そっか。ならよかった。俺てっきりフローラを怒らせることをしちゃったのかと」


「ううん。そんなことないよ。エースくんを助けられてよかった」


「マジで助かった。ありがとう」


 やりきったことによる達成感からなのか、フローラの顔から笑顔がこぼれる。それを見たエースも、感謝の言葉と共に自然な笑顔を表に出す。


「ちなみに、生徒会室は元から開いてたの?」


「ううん。このために開けた。だから鍵も返さないといけないんだけど、すぐに返すとなんか怪しまれそうだね。時間空けたほうがいいかな」


「まぁ、フローラだし、大丈夫なんじゃないかな」


 真面目な彼女の信頼は生徒、教師共に厚いだろう。そんな彼女が私用のために生徒会室を使うなどと言ったことは、生徒会の一員であることも踏まえると考えにくいのではないか。少しの楽観的思考を含みつつも、エースはそんな風に考えていた。


「だったら、今から生徒会室のカギを返しに行ってくるね。帰るんだったら、生徒玄関とかはまだいそうだし、このままこの棟から外に出るといいよ」


「ああ、そうする。じゃ、また明日な」


「うん。また明日。ヒールとメールにもよろしくね」


 フローラの言葉を正面から受け止めた後、荷物と靴を持ったエースが生徒会室を出る。数秒後にフローラが生徒会室から出てきて扉を閉めるのを見た後に、即座に外へ出られる場所へと向かうのだった。


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