第4話 落ちてきたもの



 なんの変哲もない昼下がりに、忘れ物に気づきなおかつそれを取りに帰ることが出来るのは、近場で生活をしている者の特権だ。忘れ物はしないのがベストではあるが、人間忘れてしまう生き物であるが故、気を付けても忘れてしまうことはある。


 そんな人間の性質とでも呼べるもののせいで、教科書を1冊忘れてしまったエースは、現在敷地の外から自宅へ戻る道のりを歩いていた。


 その教科書を使うタイミングは昼休みから2コマ後の授業なのでとりわけ急ぐ必要はないが、往復にはそこそこの時間がかかるため、後のことを考えると早めに取りに行ってしまった方が楽なのだ。


「確かに入れたはずなんだけどなー……」


 忘れ物をした学生のほとんどが言うセリフを独り言としてこぼしながら、若干速いくらいのスピードで帰路をたどるエース。その脳裏には、教科書類を余裕を持って入れた昨晩の光景が、鮮明にとまではいかなくとも割としっかりとした状態で思い出されている。


 家と学校の往復にかかる時間は、何も考慮しなければ半分くらいで済む。最短距離で向かうならば校舎から学生寮の横を抜けて裏手の森に入り、枝分かれそこそこに長く続く小道を抜けると、そこにいつも生活をする黒塗りの家がある。


 ただし、その住処がバレてしまうと生活に支障が出ることは想像に難くない。そのため、厳しい時間制約がある時もしくは非常事態以外ではあえて小道を使わず、遠回りに通学している。特に、自宅に帰る時にはどうしても校舎側に背中を向けがちになるので、万が一つけられていた時に気づきにくいのも、遠回り通学を続ける理由である。


 こうして忘れ物を取りに帰る時も、本当ならサッと行ってしまいたいのがエースの率直な気持ちなのだが、そういう時ほど背後への警戒が疎かになりがちなので、余裕を持って動けるようにしているのだ。


 そうしていつもより長いような短いような帰り道の果てに自宅にたどり着いたエース。長居するわけではないので靴は適当に脱ぎ捨て、一直線に自室に向かった後、目的のものを探す。


「入れてないなら多分このあたりに……あーっと……あった」


 いつも置いている場所に見当たらない教科書。ややずれた位置にしまわれていたそれを見つけると、引き抜いて即座に部屋を出る。


 ものの数分で見つかった教科書を携えて、家の玄関から出る際に一瞥を投げた壁の時計は、まだ昼休み時間を指していた。これならば昼食をとるのもゆっくりにできそうだと、今後のことを考えながら、再び外に出た。


 空高くから降り注ぐ日光も、11月となれば汗だくになる要素としてはやや足りない。じんわりとかいた汗を拭って、エースは来た道を戻ろうとした。


「……?」


 そんなエースの耳に届く、聞きなれない音。空を見上げても、何も飛んでいない。地面に目を向けても、そこには何も――


「ん……?」


 そこは、自宅から校舎のある敷地までを最短でつなぐ道の入口よりも、少しだけ自宅に寄ったあたり。そこに、見慣れない何かがいた。


 近づいてみると、2匹の小竜がそこに降り立っていた。よくよく見ると、片方は怪我をしているのか若干血がにじんだ形跡がある。


 もう少し近づいて見てみようと、今置かれている状況も忘れて、エースが数歩近づいたその時。


「くるうっ!!」


「おわあっ!?」


 おそらくもう片方のものであろう甲高い鳴き声と共に、エースは後ろにすっ飛ばされた。何をされたかわからないまま、尻餅状態で同じ方向を眺める。


「いってて……警戒されてるのか」


 よくよく考えてみれば、怪我をした仲間に近づく得体の知れない何かを警戒するのは至極当然のこと。そんなことも考えず迂闊に近づいたエースがただ間抜けだっただけだ。


 すっ飛ばされたときに近くに落とした教科書を拾い上げて、エースは再び立ち上がる。


「とはいえ、見過ごすのもどうなんだろうか」


 その様子を見てしまったからには、エースは2匹の小竜に無関係ではいられない。しかし、今のエースに出来ることは一つとしてない。出来ることはあまりにも戦闘に特化している。


「ううむ……」


 何か使えるものは、とポケットを探るエース。基本的に菓子類を入れることはそうないが、何かの間違いで入っていないかなと淡い希望を抱いて――


「やっぱないよなぁ……」


――簡単に裏切られたのだった。


 何か食べるものや落ち着けるようなものでもない限り、いまだに目の前で唸っている小竜は、おそらくそう容易く警戒を解いてくれないだろう。だとすれば、長期戦は覚悟せざるを得ない。


「まぁ、やむを得ないかなぁ……」


 唯一何とかなるかもしれない策は、昼休みを逃すと後回しになる可能性をはらんでいる。エース的にはあまりしたくないことではあったが、小竜が縄張りとしてしまっている範囲から少しそれつつ、最短となる森の小道を使ってそのまま学校へと戻っていくのだった。







* * * * * * *







 なんとか昼休みの間に敷地内に戻ってこれたエースは、誰もいないのを見計らって、小道から校舎の中へと出た。体力的にややきつくはあったが、生徒玄関から3階教室までを駆け上がり、目的の人物を探し始める。


 その人物は、エースが3階にいたときにちょうど昼食終わりだったのか、いつもの相方と共にタイミングよくエースの前に現れた。


「はぁ……はぁ……ちょうどいいとこに……」


「どうしたのフォンバレンくん。めちゃくちゃ息切れてるけど……」


「ちょっと力を借りたくて……」


 エースは息を落ち着ける暇さえ惜しいかのように、セレシアとフローラに小竜のことを全て話した。


「時間とか大丈夫?」


「うん。私もセレシアも大丈夫だよ」


「助かる」


「でも、時間が惜しいなら、フローラじゃなくても、保健室の先生とかでよかったんじゃ?」


「……あ」


 急ぐことを念頭に置きすぎて、エースは他に回復魔法を使える面々がいることを完全に失念していたことに、今更ながら気づかされた。


 探すことが必須なのであれば、誰であってもそこまで問題ない。懸念事項があるとすれば、この学校の教師陣がどのくらいエースたちの諸々の事情を理解しているか、という話で、保健室の先生はその点において最も安全な人物なのだが……


「ま、それはいっか。回復魔法の使い手として、フォンバレンくんが一番に思いついたのがフローラだったってことだし」


 そういった背景事情はすべて、セレシアの自己解決で説明する必要もなくなったのだった。


「でも、私、攻撃されたりとかしないかな?」


「俺はすでに受けたけど……そこは慎重にいくしかないかな」


 エースが迂闊に近づいてすっ飛ばされたのは、つい十数分前のこと。走っている最中も若干痛かったりしたのだが、場所が茂った草の上だったこともあり、大したことはない。


「まぁ生き物に好かれるフローラのことだから、多少はなんとかなるんじゃない?」


「そうかな……?」


 フローラが生き物に好かれるのは、いつもの面子の中ならば周知の事実である。本人の性格や気質が本当に穢れがないのか、ちょっと好戦的なくらいであれば、なんの支障もなく寄ってくる。


 反対にエースはあまり好かれないようで、だいたい寄ると何かしらされている。一体動物たちは何を基準にして判断しているのか、是非とも問うてみたいというのがエースの心持ちである。


「うん。上手くいくかはわからないけど、頑張ってみるね」


「頼む。んじゃ、ちょっと時間制限もあるし、ついてきてくれ」


「はーい」


 協力を得られたエースは、再び小竜の元に、助っ人を連れて戻っていく。







* * * * * * *







 後ろを最警戒しつつ、小竜の元に戻ってきたエース。怪我をしている方は未だに丸くなっており、その前にエースをすっ飛ばしたもう1匹が目を光らせていた。


「あれが、フォンバレンくんの言ってた小竜?」


「ああ。やっぱまだ警戒してるよなぁ……」


「私が近づいても大丈夫かな……?」


「どうだろう。俺よりはマシだと思うけど――」


 それでも警戒はされるんじゃないかな、という続きのセリフは、エースの喉元で霧散した。言わなくともおそらく分かるだろう。


「とにかく、近づいてみるね」


「フローラ頑張って」


「頑張る」


 セレシアからの応援を受けて、フローラが小竜にゆっくりと近づいていく。姿勢を低くし、やや斜めから、小竜の元へ近づいて……


「くるるっ!!」


「わっ!?」


 突如起こった風が、フローラに吹き付ける。エースの時のような吹き飛ぶほどの威力はないが、足止めには十分で、フローラは少しだけ後ろに下がって、顔をエースたちの方へ向けた。


「やっぱりダメみたい……」


「フローラでもダメじゃ、あたしでもダメだよねー」


「そうか……」


 傷ついた仲間をどうにかしたい、という思いは、興奮状態の小竜には伝わらないだろう。相応の時間と根気は必要らしいことを、エースはこの瞬間に悟った。


「俺が頑張ってみるか……」


 エースは先ほどと違い、今度は姿勢を低くし、近づいてみた。相変わらず小竜の方は興奮状態でエースを見ており、一定まで近づくと、先ほどのフローラと同じように突風をぶつけてくる。


「おわぁっ!?」


 フローラに対してよりも強いのか、耐え切れずに後ろにすっ飛ばされたエース。既視感しか感じない尻餅状態のまま、顔は視線を投げかける2人に向ける。


「フォンバレンくん大丈夫?」


「あの小竜、俺に対して当たり強くない……?」


「強い……かもしれないねー」


 あの時は身構えていなかったためにすっ飛ばされただけだと思っていたものが、差別するかのような違いを見せつけられては、苦笑いしている姉妹を傍にしてエースもついついぼやいてしまう。


 懐く、とまでは行かなくても、どうにかして落ち着かせなければ治療することすらままならない。


「何か食べられそうなものでもあれば、気を引くことくらいならできそうだけど……」


「あ、あたしクッキー持ってるよ」


「それ、1枚もらえる?」


「どうぞー」


 セレシアからクッキーを受け取り、再び小竜と相対を試みるエース。同じ手では愚策なので、今度は先ほど吹っ飛ばされた距離ギリギリで止まってみる。小竜は吹き飛ばすような仕草を見せず、ただ警戒をするだけに留まっていた。


「大丈夫だよな……」


 敵意を見せないように魔力も出来る限り抑え目にしつつ、小竜のいる方向を見る。そして小竜に見えるようにクッキーを置いて、エースは少しだけ下がった。敵意がないことを見せるために細心の注意を払い、結果が好転するように祈りつつ、事がどう動くかを見る。


 小竜の方は未だ警戒をしていたが、エースが全く動かない様子を見せていることで若干緩んだのか、のそのそとクッキーに近づいた。興味があるのか匂いをかいだりつついたりする動作の後で、そのクッキーをくわえてまた元の位置に戻り、もう1匹の傍にそれを置いた。


「くるる……」


 もう1匹の小竜に食べるように言っているのか、その顔をつついて鳴くが、つつかれた側からの反応はなく、小竜から弱い鳴き声――おそらくは悲しんでいる――が発せられる。負傷してから時間が経っているためにそこそこに衰弱しているのかもしれない、という予想は容易に出来た。



 すると、先ほどまで明確な敵意を向けていた方の小竜が、エースの元へとはばたいてきた。


「くるぅ……」


 エースの制服の袖に少しだけ触れるような動作を繰り返す小竜。警戒した様子が全くなくなったその姿は、自分ではどうしようもない相方のために助けを求めているかのような、そんな風に見えた。


 自分の手の周りでふわふわと宙に浮く小竜を見て、エースは問いかける。


「助けてほしいのか?」


 エースの言葉を理解したのかどうかは分からないが、小竜は甲高い鳴き声で一つ鳴いた。それを肯定と受け取ったエースは、もう1匹のうずくまっている小竜の傍まで行き、内心ではまた吹っ飛ばされはしないだろうかと震えながらもそっと持ち上げた。


 一方の小竜の方は、そんな気配は微塵もなく、持ち上げられる相方を見つめていた。おそらくはどちらもまだ幼い個体で、割と簡単に善性の行動を信じてしまうのだろう。エースにはナルシスト的思考は一切ないが、こればかりは、出会ったのが自分でよかったな、と思ってしまう。


 そのまま、ずっと待っている姉妹の元まで小竜と一緒に戻る。エース以外にはまだ警戒心があるのか唸ってはいるが、近づくもの全てを吹き飛ばしていた先程までとは違って、唸るだけにとどまっている。


「フローラ、回復魔法、頼める?」


「うん、任せて」


 フローラがもう1匹の小竜に対して回復魔法をかけると、エースの手のひらの中に淡い光が広がった。サイズが小さいだけにかかる魔力や時間も小さく、数分で全快したのか、伏せていた顔はすぐに上がった。


 元気そうな鳴き声がエースの手の中から一つ。呼応するように、エースの横からもう一つ。


「これで大丈夫だよ」


「よかったな」


 またもやエースの言葉に呼応するかのように、宙に浮いている小竜が鳴いた。次いでエースの手の中に収まっていた小竜も飛び上がって、もう1匹よりも少しだけ低めの声で鳴いた。


「2人とも、本当に助かった。ありがとう」


「いえいえー」


「役に立てたみたいでよかった」


 もう少し長期戦になることをエースは覚悟していたが、そうならずに済んで胸をなでおろした。この後の予定はエースにもこの姉妹にも当然あるからだ。


「さて、何とかなったし、学校に戻るか。もう昼休み終わってるだろうし、遠回りかな……」


「そうだね。私も午後のコマ頑張らないと」


「あたしはもう終わりだけどねー」


「いいなぁ」


 舞い込んだほんの少しの非日常でとりあえずの仕事を無事に終えた3人は、再び日常に戻るべく、2匹に背を向けて戻ろうとしていた。


 しかし、その後ろには、当然事情など全く知らない2匹がいて、そのまま2匹ともがエースの肩に乗っかった。


「え、何、ついてくるの?」


「くるぅ!」


「くるるぅ」


 嬉しそうな鳴き声でエースの問いに答える2匹。その姿を見たセレシアとフローラは、珍しくも微笑ましい光景に笑顔を携えながら口を開く。


「すっごく珍しい光景だね」


「エースくん、すっごくなつかれてるね」


「いや、別に懐かれるのはどっちかというと願ったり叶ったりなんですけどあと1コマと俺の昼飯時間どうしよう」


 エースの戸惑い交じりの言葉に、セレシアとフローラは顔を見合わせたまま黙り込んだあと、先程とは微妙に違う種類の笑顔だけをエースに返した。


「いや待って。百歩譲って飯はともかく、授業無理では?」


 後がどうなるかなど微塵も考えていなかったエースに降りかかる、ほんの少しの災難。動物に懐かれるという珍しい光景の対価は、後の面倒さとなって具現化し、帰り道のエースを一人問答させることになってしまうのだった。


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