第3話 変化していく日々
楽しみにしていた昼休みが終わり、午後の授業も難なく終えて迎えたその日の放課後。
夕焼けが教室に差し込み、まさに放課後の教室といった様相を作り出している最中、エースは帰り支度をしていた。
ミストには今日の帰りにフローラを見送ることをすでに言って了承を得ているので、この後はほぼ自由の身だ。強いて言うならば後で買い出しの荷物持ちに付き合う予定があるくらいだが、どのみち行く方面が同じなので全く問題ない。
「さて、あっちもぼちぼち準備できたかな……?」
1日の最後の授業の時間帯が過ぎてからすでに時間が経っているので、人の気配は疎らになっている。話好きや仕事を残した人たちの音が通り抜ける中、エースはフローラとその姉セレシアの元へ向かうために教室を出た。
フローラが普段いる教室は、エースやセレシアの普段使いの教室とは吹き抜けを挟んだ反対側に位置する。そのセレシアは数分前に陽気な声と共に出て行ったので、おそらくフローラの教室にいるのではないか、とエースは考えていた。そのくらい、あの二人は一緒にいることが多い。
そんなことを考える間に、その足は教室右手にある中央階段の前を通り過ぎ、さらにその先にあるフリースペースへと向かっていた。雑多な目的のために置かれた数々の椅子や丸テーブルの中には、1人ぽつんといるクリーム色のポニーテール姿があった。
「ういっす」
「あ、フォンバレンくん。待ってたよー。一人じゃひまー」
「ん、なんで一人なんだ?」
「先に待っとくつもりだったんだけど、クラスの子に聞いたらフローラが生徒会の仕事行ってるっていうから」
「あー、そういや入ったって言ってたな……」
「朝あたしにも言わなかったし、急遽入ったとかじゃないかな? そうじゃなきゃ、あたしかフォンバレンくんのどっちかは把握してそうだもんね」
「それはそう」
真面目なフローラのことなので、遅れることが確定している時点で誰かしらには言うだろうというのが2人の共通認識だった。相手が思っていなくても、フローラが迷惑をかけたと感じた時点で平謝りするくらいなので、伝え忘れ、というのはそうないだろう。迷惑をかけたら謝るのは普通のことだが、フローラはその程度が異常なので、むしろ謝るな、となりがちなくらいなのだ。
「いつ帰ってくるかわかんないし、気長に待ちましょ」
「そうだな。荷物持ち頼まれたけど、ミストには後で謝っとくか……」
「スプラヴィーンくんも分かってくれるでしょ。なんなら、彼が一番この絡みを楽しみにしてるんじゃない?」
「いや、からかいにくくなったらしくそうでもない」
「なるほどねぇ……それもそっか。今は割と受け入れてるから、反応が鈍いもんねぇ」
ミストほどではないが、セレシアはどっちかというとからかう側なので、共感できるのもミスト側、ということらしい。エースにとっての味方は同じようにからかわれるフローラだけで、彼女に至ってはいまだに反応が変わらないので、夏の前後に反応が少し変化したのはエースただ一人。
見ていて面白みが減るのは確かにそうだが、それで文句を言われるのはいかがなものか。エースにとっては腑に落ちないことであった。
「まぁでも、そうやってちょっとずつ変化していくんだよね。フローラがフォンバレンくんに出会った後も、そんな感じだったし」
「へぇ、そうなんだ」
「知らないとわかんないかもしれないけど、傍目から見たらすっごく分かりやすかったよ。4人で色々し始めて一緒にいる時間が増えたくらいから、ずっと嬉しそうにしてたもん」
エースがフローラと付き合い始めてから、セレシアからフローラの昔話を耳にする機会が少しだけ増えた。
立場上友人としてサポートするレベルに付き合いをとどめなくてはいけなかった最初の頃は、隠し事が苦手な性格なためか色々と苦労したようで、その分気疲れも多かったらしい。控えめな性格かつ我慢しがちなフローラにとって、誰かしらに言うことで不安や疲れを解消することが難しいのはエースにも理解できる。
エースやミストはもっと幼い段階で苦労したためにセレシアやフローラのような経験をすることはなかったが、その分自分たちにはなかった気苦労を色々としたんだなぁ、とエースは今更ながら考えさせられていた。
そんな考え事をしているエースの耳に、廊下を走ってこちらに向かってくる音が聞こえてくる。十中八九待ち人だろうと予想するエースのすぐ前で、走ってきた人物は肩で息をしていた。
「ごめんなさい……。急遽、生徒会の仕事が入っちゃって……」
「まぁそこまで待ってないし、全然問題ない」
「すぐに準備するから、待っててね」
こちらの反応を聞く前に、息を切らしながら教室の中へ入っていくフローラ。その背中を、フリースペースからセレシアと共に眺める。
「楽しみにしてるの、なんとなく分かるでしょ?」
「それって、イエスと言ったらなんか俺にそれだけの価値があるっていう風に聞こえないか?」
「それはそうだけど、あたし的にはイエスと言ってほしいし、価値があるんだけどなぁ」
「そうか……?」
「……フォンバレンくんって、そういうところフローラと似てるわよね」
やりとりの最後のセレシアの呆れ交じりの返答は、エースに更なる謎を残し、彼の首を傾けさせる。そんなエースの姿に、セレシアからはため息が漏れていた。
* * * * * * *
無事に帰り支度を済ませたフローラと合流し、セレシアと共に帰路についたエース。3階から1階、そしてその先にある生徒玄関と校門を抜けて、すでに敷地の外を歩いている。
空にてオレンジに輝く夕陽が照らしている道をのんびりと歩くこの一時は、エースにとっては幸せ以外の何物でもない。
「今回が始めてじゃないんだけどさ、こうしてフォンバレンくんが一緒に帰ってるだなんてなんか信じられないよね」
「そうだな。2年になったばっかの俺に今この光景のこと言っても信じてもらえないだろうし」
帰り道の道中で、似たような意味の言葉を言うセレシアとエース。
依頼の帰り道ならば一緒に学校まで戻ることはあったが、何でもない授業の日にこうして並び歩いて帰るのはこれが2回目。組み合わせ自体はそこまで珍しくないため問題なく会話が出来ているのだが、2人が言うようにこの状況にまで限定すれば、数ヶ月前まではほぼ確実にあり得なかった。
ただ、エースとフローラが2人きりで帰るという状況は、今2人を取り巻く環境のことを考慮したためにまだない。今回のようにセレシアの存在を隠れ蓑として使っている現状はエースとフローラどっちにとっても少し心苦しいところであり、いつかは2人きりで何でもない日々を歩けるようにしたいというのは共通の願望だ。
そんなことを昼休みに初めて2人で話していた昼休みがあったのだが、同じ日の放課後におそらくフローラづたいに聞いたであろうセレシアが提案したのが、今のように3人で帰る方法だった。
周りから見ればさほど特別な状況でもなく、そもそもエースの動向には興味すら抱かれない現状を考えると、確かに最善の策である。そういった提案をし、隠れ蓑的立場を受け入れてくれたセレシアに対して、エースは今も感謝の念を抱いている。
「そういえばさー……フォンバレンくんは、差し支えがないような状況だったらフローラのこと名前で呼ぶんだよね?」
「そうだな」
エースとフローラが互いのことを名前で呼ぶのは、2人が付き合っていることを知る面子のみで場が作られている時、もしくは周りが2人のことを一切知らないような環境にいる時である。それ以外の状況では、基本的に今までと同じように苗字で呼び合っている。呼び方の変化で関係性の変化を悟られないようにするための使い分けをし始めてからは時折名前呼びをしそうになることもあったが、どうにかこらえてきて今がある。
「で、あたしのことは『プラントリナさん』なんだよね?」
「だなぁ」
「こういう時くらい、あたしのことは名前で呼んでくれないの……?」
「え、それは……」
言われてみればそうだ、と納得してしまったエース。
フローラのことは事件直後から時折名前で呼ぶが、セレシアを名前で呼んだことは一度としてない。それは逆もそうだが、こうして様々な事情を知っているメンバーだけの状況であるならば、名前で呼んではいけない理由は全くない。
ただ、だからと言ってセレシアのことを名前で呼ぶ理由も、今のところエースにはない。
「もし名前呼びが嫌だったら、義姉ちゃんでもいいよ?」
「いや、そっちの方がハードル高いわ」
「だったら、頑張ってあたしを名前で呼んでみて?」
「俺脅迫されてる?」
こう言われてしまえば、もう呼ぶしかないだろう。エースは押し切ろうとしてくるセレシアへの反発は諦め、ため息を1つ吐いた後、言葉を続けた。
「はいはい、分かったよ、セレシア」
「あーーうーん……すごく新鮮」
エースの名前呼びに、満足気な様子のセレシア。ニコニコ笑っているその姿を見てエースは、このまま勢いに任せてさらなる提案をしてきそうだな、と諦め7割で構えていた。
そのような事態は、未然防止という形で起こりはしなかったが。
「セレシア、あんまり迷惑かけると、私が怒るよ?」
「はい。ごめんなさい」
かなり珍しいフローラの怒ったような言葉によって、セレシアの勢いは水をかけられた火のように収まった。何もなく終息した火の手に、エースはほっと胸をなでおろした。
「てか、俺からのセレシア呼びがありなら、セレシアが俺のこと名前で呼ぶのもありなのでは?」
「いや、それは絶対ない」
「なんで?」
「フローラからだけ、っていう特別感がなくなるでしょ?」
「いやまぁ、それはそうなんだけど……」
確かにフローラに名前で呼ばれた時にエースは嬉しかったことを今でも鮮明に覚えているが、それはあくまでも呼び方が名前に変わったことに対してである。今のところエースのことを名前で呼ぶ面子は何人かいるのだから、名前を呼ばれること自体には特殊な感情はない。
「それを特別視するのなら、俺からの名前呼びもなしでは?」
「それは将来の練習も兼ねてるから全然あり」
「いやどういう理論だよ」
こうして理解できない謎理論を展開されてはもうどうしようもない。おまけに反論したところでおそらく名前で呼ばせることを止めることはしないだろうと容易に予測がつくので、エースはそれ以上の追及は諦めて再び前を向くことにした。
時間が経つのは早いようで、見えている道のりのその先に、目的地であるサウゼル魔導士育成学校の最寄りの駅が見えて来た。別れの時間はすぐそこまで迫っており、名残惜しさが次第に増してくる。
だが、わがままを言うことは出来ない。エースもフローラも、そのつもりは微塵もない。やっと得られたささやかな幸せを嚙み締めるだけで、今は十分だった。
「じゃあ、そろそろお別れだね」
「エースくん、また来週会おうね」
「ああ。また来週だな」
自宅へ戻るべく駅のホームへと消えていく双子姉妹。仲の良い後ろ姿2つを見送った後、エースは買い出しに出ているミストの元へ向かうべく、続いている道の先へと再び歩き始める。
そうして今日も、時間は確かに過ぎていくのだった。
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