第2話 結ばれた時間



 学生にとっての昼食休憩というのは、一種の楽しみでもある。


 生徒によっては小休止込みで延々と続く授業から少しだけ解放され、蓄えていた話題で友人との会話を楽しみ、時には羽目を外しながらも限りある学校生活を確実に楽しむことの出来る時間。それは立場的な問題のあるエースにとっても、そういう時間であることには変わりなかった。


 ただ、今日のエース――正確に言えば4ヶ月前からのエースにとってはさらなる意味合いを帯びた、一週間で一番大切な時間でもある。


「あれ、フォンバレンくん今日は購買に行かないんだね」


「あーっと……今日は前もって準備してあるんだ」


 初夏にあった事件にて殺害未遂の大事件を起こしたフォーティス・ヴァニタが即座に退学処分となり、その影響で双子を敵視していた一派の影響力がそこそこ減少。それにより面倒事や争いごとに巻き込まれることが少しだけ減った今は、話しかけてくれる同級生も少しは増えた。元々本当に忌み嫌うのは全体の3割とそこまでいるわけではないので、中立の立場だった人たちが少し話しやすくなった、ということだろう。


 今何気なく話しかけて来たのは、受けている授業の多くがエースと被っている女子生徒であるアイナ・クレッフィア。普段はすぐ後ろの席に座っており、エースに対しても特に偏見なく接してくれていることから普段からそれなりに話す機会があった。エースは普段彼女を『クレッフィアさん』といわゆる『さん』付きのファミリーネームで呼び普通に接している。


 そんな彼女――アイナから投げられたなんでもない疑問に対して、エースは言ってはいけない大事な部分を隠しつつも嘘のないようにきちんと答えていた。


 エースの感覚としては、アイナが聞いてしまうほど毎日のように購買に行っているつもりはない。基本的にはミストの作った弁当をメインで食べる日が週に3回、残りと弁当では足りない日のみ購買だ。週にもよるが購買に行く方が若干多いくらいで、行っていたとしても行く頻度が高いのは昼休みちょっと前の時間である。


 今はまだ昼前最後の授業の真っ只中であり、カバンの中には弁当袋がある。それを見せれば、大抵の相手は今日は弁当があるのだ、と納得してくれる。実際に目の前にいるアイナもそんな反応を返してきた。


 そうやって疑問に答えたエースは机に次の授業の準備をしておきつつ、空っぽの弁当箱が入った弁当袋を持って席を立った。


 今はただ、いつもの場所へ行きたい。今日を逃すと相手の都合で2週間お預けとなってしまう大事なイベントを、易々と逃したくはない。世界の中の微かな変化だとしても、エースにとっては大きく、取りこぼしたくないものだ。


 昼休みまではまだ少しだけ時間があるものの、すでに思考は楽しみに染まっているエース。はやる気持ちを抑えながら、気分良く教室を出ていったのだった。







* * * * * * *







 普段使うホームルーム教室が並ぶ3階より上、3階建て校舎では屋上となる階へと続く階段を軽やかに上った先には、当然ながら扉がある。校舎内外を隔てるその扉を開けた先に広がるのは、目立ったものが何もなく開放感に浸れる屋上エリアだ。


 だがエースにとってはまだそこは目的地ではなく、入ったところからさらに半周だけ、校舎の突き出た部分に従って歩いていく。視界に入る光景は、折れ曲がる度に変わり、エースの目に色んな景色を見せる。


 それを2回繰り返した後の視界には、普段有志の生徒が世話をしている屋上花壇の他に、校舎内からだけでなく屋上エリアにいてもすぐには気づきにくいほど隠れた位置に置かれたベンチがある。


 エースの目的地であるそこには、既に1人の少女が座っていた。


 毛先が若干ウェーブしているクリーム色のセミロングヘアに淡いピンクのリボンカチューシャを付けたお馴染みの姿。エースはもう絶対に見間違えないだろうし、見落とすこともないだろう。それほどまでに強く、エースの脳裏に焼き付いている姿だ。


「悪い、待たせた」


「ううん、大丈夫だよ。私も今来たところだから」


 謝罪の言葉を口にしたエースに対し、そう言って微笑んだ顔を見せたのは、フローラ・スプリンコート――今ではエースの彼女となった少女であった。


 入学3日後、森に迷い込んだフローラをエースが助けた。たったそれだけの出会いが幼い少女の心に恋の種を蒔き、また少年の心に恋心を教え……そして3年の歳月を経て、世界が構築した壁も乗り越えた末に、花を咲かせた。


 だからこそ、今2人はこうして、この屋上のベンチに並んで座っているのだ。一応念には念を入れよということで、ミストとフローラの双子の姉セレシア、校長にしてエースとミストの義理の父親パードレ、そしてセレシアとフローラの両親以外にバレないようにしている。今のところバレているような形跡はないので、このまま卒業までの1年と少しも乗り切りたい、と、知っている全員が程度の違いはあれど思っている。


「こんな寒い日に、ホントに屋上で大丈夫か?」


「うん。確かに寒いけど、近くに寄っていられるのはここしかないから、少しくらいは我慢する」


「そこは我慢しなくてもいいよ。風邪ひかれたら困るし」


「ううん、このくらいは頑張る。私、そんなに弱くないよ」


「そっか」


 こんな風にフローラが意外と頑固だったりと、より親密な関係になったことで見えてきた一面もある。新たな一面を見て幻滅するカップルも多いとパードレからは言われたので、自分はそういうところも含めてもっと好きになっていけたらいいな、とエースはささやかながら思っている。


 何故そんなことをパードレが言ったのかは、エースにとって些か疑問ではあったが。


「今日のメニューは何かな?」


「今日はね、サンドイッチ」


 持ってきていたのであろうバスケットを開いて、言葉と共にその中身を見せるフローラ。白と黄色のグラデーションに、所々ピンク色のアクセントが映えるよう綺麗に並べられたバスケットの中のサンドイッチは、見た者の食欲をかきたてる。


 現にエースの胃袋は、空腹を熱烈に訴えていた。階下からの賑やかな音があるとはいえ、分かりやすい重低音を辺りにばらまき、エースの顔を少しだけ赤面させる。


「ふふっ……お腹は正直だね。はい、どうぞ」


「どうも。胃袋に関してはノーコメントです」


 笑いながら差し出してくるフローラの細い手から、サンドイッチを受け取ったエース。眺めるだけの余裕は胃袋にないので、まずは一口、空きっ腹というスパイスを加えて食した。


 調味料をほとんど使っていなさそうなシンプルな味付けだったが、厚めに切ってあったサンドイッチの食べ応えは見かけ以上にあった。考えるよりも前に、手元のサンドイッチの感想がこぼれる。


「あ、めっちゃ美味い。これ全部手作り?」


「うん。手作りだけど……」


「だけど?」


 自らもサンドイッチを持ちつつ、エースの疑問に対して歯切れの悪い言い方をするフローラ。もう一口食べる前にエースが復唱するように問いかけると、その続きが返ってきた。


「あんまり朝早く起きられなくて、空いてた1時間目に寮のキッチンスペースを借りてセレシアに手伝ってもらっちゃった」


「……作ってもらった身でこんなこと言うのもあれだけどさ、朝の早起きもう少し頑張れよ。冬真っ只中とか、学校遅れるぞ?」


「分かってはいるけど……朝寒いし……お布団の温もりを全身で感じてたいから……」


「気持ちは分かる」


 痛いところを突かれて物言いが弱くなったフローラの弁明には、エースにとっても共感できる部分はたくさんあった。衣服を貫通して肌を刺激する寒さで朝の起床時間が遅くなったことは、今朝ミストに指摘されたばかりだ。


「エースくんも、やっぱり寒いって感じるんだよね」


「まぁそりゃ。ただ他の人よりは鈍いけどな。普段使いしてる分、耐性がついてるのかも」


 本当のところどうなのかは、エースには分からない。


 だが、エースだけでなく他の氷属性使いの生徒も寒さを感じるのが遅いということを聞くと、おそらくその予想は大きくは外れてはいないのだろう。


「でも、朝の寒さとかで布団から抜けられないことは普通にあるよ。今日も朝そんな感じだったし」


「じゃあエースくんだって私のこと言えないよ?」


「んーまぁでも俺は、学校には遅れたことないからな?」


「それは……そうだけど……で、でも距離が全然違うから!」


「んー……そういや中学3年の日直の時、遅れて来たことあったな。あの時は?」


「えーと……た、多分家から……」


「寮からだったんだな」


「もういいでしょ! そんないじわる言うなら、サンドイッチあげないよ」


「さーせんでした」


 目の前のご馳走を取り上げられるのだけは勘弁と、少しふくれっ面になったフローラに軽く謝るエース。実際にフローラが拗ねた姿はエースは見たことがないが、セレシア曰く結構引きずるから早めに手を引かないと大変だよ、とのこと。


「あ、寮で思い出した。そう言えば、来週からはフローラが寮生活をするんだよな?」


「うん。だから週末は簡単な荷造りをしないと」


 セレシアとフローラは、2週間おきに寮生活と実家暮らしを入れ替わっている。夏の事件の間進行していた依頼の時に聞いた事実であり、フローラ曰くそれは『家で生活したい、という願望を叶えつつも2人を他人に見せるための苦肉の策』らしい。寮費を2人分払うとなると相当な費用になるのだろうが、そこはセレシア・フローラの両親の頑張りあってなんとかなっている。


 そういう事情もあって、エースとフローラがこのような形で食事をとれるのは多くても1ヶ月に2回だけである。時間割の都合でタイミングが合わなさそうであれば断念することもあるが故、エースはこのような形での食事の機会は絶対に逃さないようにスケジュールを組んでいる。


「ということは、今日はプラントリナさんも一緒に帰省することになるんだよな?」


「そうだね。今度はセレシアが実家生活だから」


「そっか。だったら、今日は一緒に帰ろう」


「え?」


「ミストの買い出しの荷物持ちに行かないといけないんだけど、その道中に駅があるからさ。プラントリナさんがいるんだし、これなら大丈夫だろ?」


 エースの提案に、一度首を傾げるフローラ。


 エースとしては叶うのならば一緒に帰りたいが、フローラの予定を無視して、無理させてまではしようとは思っていない。おそらく今後の予定などを色々と思考しているフローラの返答を心の中で祈りつつ、その末の答えを待つ。


「うん。じゃあセレシアに話しとくね」


「よろしく頼むよ」


 フローラの言葉と笑みによって自分の提案が通ったことを理解し、表面上は平静を保ちつつも心の中だけでガッツポーズをしていた。これまた1ヶ月に2回しかチャンスのない行動を勝ち得たことで湧いてくるものは、嬉しさ以外は何もない。


 そんな嬉しさに浸っている最中のエースの耳に、教師棟の方角から鐘の音が聞こえて来た。程よい低さで鳴り響くそれは、聞き逃しがなく、現在地から見える時計の針が間違っていなければ、昼休みの終わりを告げるものだ。


 一応まだ5分ほど授業までは自由だが、この時間は通常授業の合間のような移動時間という括りなので、この楽しい時間はこのタイミングで終わりにしなければならない。名残惜しい気持ちを、エースは振り払っていた。


「そろそろ教室に戻らないとな」


「そうだね。じゃあ私、先に戻るね」


 本当ならばエースも一緒に校内へ戻りたいところではあるが、これも念のための行動。グッとこらえて、フローラを見送る。


「ああ、また放課後な」


「うん。放課後、楽しみにしてるね」


 一緒には戻れなくとも、一緒に帰ることは出来る。そのせいか嬉しそうに見える後ろ姿を見送り、さらに少しの間を置いた後に、エースも校舎内へと足を動かすのであった。


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