エピローグ 変わり得た明日への一ページ



 誘拐事件から4日ほど経ち、その事件の詳細がある程度教員の中で共有され始めていても、エースたちの生活が大きく変わることはなかった。直後の1日だけ安静のためにいつもの4人が揃って休みにさせられたくらいで、今日はいつものように学校に来て授業を受け、暇な時間をのんびりと過ごしていた。


 そして、昼休み前の授業時間には、エースとミストが揃ってローブ男の事件の最終報告のために校長室に来ていた。


 親の顔より見たかもしれない茶塗りの扉も、毎日のように来ていた校長室の中も、今週からは頻度が減って1週か2週に一回のペースとなる。別に見れなくなるわけではないのだが、何故か物寂しい気分になる。


 エースとミストがそんな気分を抱えながらも開いたその扉の向こうに、パードレはいつものように座っていた。


「おうおうやっと来たかボーイズ。待ちくたびれたぞ」


 その口調も全く変わりなく、最後に聞いてからさほど時間は経っていない。

 

 のにも関わらず、懐かしい響きがするのは間に挟んだ時間のせいだろうか。


「さぁて、時間もないって言うんだろうし、手っ取り早く依頼を取りまとめるか。俺も昼飯食いたい」


「ですね」


 やや開始がずれ込んでのスタートなため、下手に時間を使ってしまうと昼休みにろくな食事にありつけない。3人は早速、依頼の報告に取り掛かることにし、まずはパードレが書類をいくつか取り出した後に自身の眼前に並べていつもの要領で始めた。


「んで、早速だが結論を言うと……依頼は失敗よりの成功だな。守れたからよかったものの、全員手負いで終わったからな」


「申し訳ないです」


「すみません」


「まぁ、そこは結果オーライと考えよう。犯人が分かって捕まえられたんだからな」


 エースとミストが受けていた2つの依頼──『襲撃者の情報集め及び捕縛』と『フローラの保護』は、結果的には達成となったものの、その内容に目を向けると微妙ではある。


 前者に関しては達成と言っても差し支えがない。フォーティス・ヴァニタとエアード・ヴィラノローグの2名はこれから事情聴取の後、確実に学校を追放となるらしい。今回の事件の内容を考えれば、そうなってもなんらおかしくない。


 問題は、後者の依頼であった。結果的には達成であるものの、守り切れずに奪還することになったという事実が少し成功に傷をつけたのだ。それを成功か失敗かで判断するかは、自分たちではなく依頼主が決めることになる。


「とりあえず、この件に関していいニュースと悪いニュースがあるが、どっちから聞きたい?」


「それは……いいニュースからですかね」


「分かった。いいニュースの方は、この依頼内容に関するテレノさんの反応を言っておくと、何の問題もないそうだ。セレシアが重傷ではあったが、フローラを守ってくれたことには感謝しているようだ。そのために必死で頑張ってくれたことも、一定の理解は得ている。セレシアはこっぴどく叱られていたようだがな」


「最後の一文はさておき、非常にいいニュースですね」


 セレシアが途中から介入してしまったことは、親は知らなかったのだろうか。あれだけ傷ついたことに関して、自分たちが何も言われなかったことはかなり意外ではある。何もないならないでそれでいいのかもしれないが、少し拍子抜けした点も否めない。


「で、悪いニュースだが……フォーティス・ヴァニタ、エアード・ヴィラノローグ両名の退学により、お前らを目の敵にする奴が出てくるかもしれない、ということだ。面倒事が増えるぞ」


「それは……困りましたね」


 ミストは腕組みをして、言葉通り困ったような声を出していた。エアードは知らないが、フォーティスに関しては子分のようにいる生徒が何人かはいる。その面々がさらに敵視するとなると面倒なことは容易に想像できるからだ。


 面倒事が増えることを好ましいと思う人は、ほとんどいないだろう。


「別にいいですよ。頼れる仲間と、愛すべき大切な人がいれば、後は敵に回しても怖くないですから」


 だがエースは、特に気にする素振りもなくそう言っていた。


 そんな、迷いのなくなったように見えるエースに対し、パードレがニヤリと笑いながら満足そうな言葉を返した。


「言うようになったじゃねぇかエース。ミスト、どうやらお前を置いて大人の階段上ってったみたいだぞ?」


「からかいがいがあるのは変わりませんけどね」


「俺はおもちゃか」


 いつものように、ミストのからかいにエースが突っ込むという構図が出来上がり、2人揃って笑顔になる。それを見たパードレも満足そうな笑みを見せ、和やかな空間が出来上がる。


「おっとそうだ。エースはこの後秘密のお食事があるんじゃなかったのかい? 時間大丈夫?」


「ん……あ、もうそんな時間か」


 時計はすでに昼休みの開始時間を過ぎていた。そろそろ向かいたい時間ではある。


「行ってきなよ。屋上で、大切な人が待ってる」


「悪い、行ってくる」


 ミストの気遣いにより、先に校長室を飛び出していくエース。その足取りが軽く見えたのは、残された2人の勘違いではないだろう。


「青春ってのは、いいもんだな」


「今のエース、すごくイキイキしてますよね」







* * * * * * *







「悪い、遅くなった」


 屋上の扉を開けてすぐ左に曲がることになる、すぐには見えないものの日の光が当たる位置。


 そこにあるベンチには、フローラの姿があった。ベンチにて静かに座っている姿が、非常に絵になる。


「ううん、大丈夫だよ。私もついさっき来たばかりだから」


 こちらを向いたフローラの姿は、いつもと変わらなかった。ただ1つだけ違うのは、いつもつけているリボンカチューシャがなく、代わりに両サイドに小さな花飾り付きのリボンをつけていたことだった。今朝会った時にエースは非常に驚いたが、今はちょっとずつ見慣れてきている。


 理由をフローラに聞くと内緒と言われたので、それ以上の追求はしていない。だが、何か変化があったのは確かなのだろう。あのリボンも事件の直後にちゃんと返したので、それ絡みではないことは確かだ。


「なんか、すごく色々あったな。この2週間」


「うん、あっという間だったね」


 変化と言えば、この2週間はエースにとって本当に色々なことがあった2週間だった。


 始めてフローラが自分の家に来た日、表面上は呆れたような態度だったが、本当はずっと心臓が鳴り止まなかった。それをどうにかごまかそうと、パードレに対してそういう態度をとったのだった。


 その日の夜、眠れないフローラが眠れるまで一緒にいて欲しいと言った時も、エースは内心ではドキドキしていた。まさかそういう弱点があるとは知らなかったが、それよりも寝るまで一緒にいてほしいという事実で頭が爆発しそうになった。常備してあるハーブティーをわざわざ作りに台所に行ったのは、頭を冷やす意味が大きかった。


 依頼が終盤に差し掛かったころ、セレシアと共にだったが、手料理を作ってくれた時には、エースは内心では飛び上がるほど嬉しかった。非常に美味しかったのだろうが、ドキドキがやや上回ったために詳しく味を覚えていない。


 その日の夜、死ぬ思いをしながら最後に助け出せた時には、生き残れたからこそ感じる達成感を身体中で感じていた。あの日ほど自分のために戦った日はなかったし、誰かのために戦った日はなかった。


 こうして振り返ってみると、とにかく中身の濃い2週間だったと、そう言える。


「今は家から?」


「うん。家から通ってるよ。だからこうして弁当を作ることが出来たの」


「そっか」


 短くそう返して、エースは天を仰いだ。


 今日も照り付ける昼の日差しが、そんなに眩しくは感じなかった。心地よく感じられるそれを浴びながら、未来に思いをはせようとする。


 すると、どうしても変えられない今が、不安となって舞い降りて来た。思わず、口にする。


「なぁ」


「どうしたの?」


「俺さ、もう双子だってバレてるし、人に好かれるような性格してないから、きっとこれからも色んなとこで迷惑かけると思う。それでも、俺でいい?」


 天を仰いでいた顔をフローラへと向けて、エースはそう聞いた。まだ少しだけ、揺らいでいるのだ。


「うん。君がいい。私は、フォンバレンくんがいいの」


 だからこそ、屈託のない笑顔で即答するフローラの姿に、エースは恥ずかしくなって少しだけ顔を背けた。


 ここまで純粋な好意を面と向かって向けられて、恥ずかしくならないわけがない。相手は色んな人が手を出せずにいる高嶺の花のような存在なのだから、エースは余計にそう思った。


 彼女の方が、もっと前を向いている。自分よりも、ずっと真っすぐ前を見ている。


「あ、そういえば……今ってここには2人だけなんだよね?」


「ああ、多分そうだけど」


「じゃあ、人目を気にする必要もないんだよね」


「それは、まぁそうだけど」


「なら、エースくんって、呼んでもいいんだよね」


 このセリフを聞いた瞬間、エースの中で一気に熱いものがこみあげた。




 このようなことを言うとフローラに怒られるかもしれないので、エースはきっとこれからも言わないだろう。


 エースも始め、同じクラスになった時からフローラのことが気になっていたのは本当のことなのだが、その理由は母親の声に似ているから、ということだった。ぼんやりしている時に始めて聞き間違え、反応した先に彼女がいた。森で迷う彼女と始めての会話を交わしたのは、その日の放課後の話であり、本当に交流と呼べるようなものはそこから始まった。


 そこから月日を重ねていくにつれて、付き合いも多くなり、彼女の色々な面を知った。そうしているうちにエースは、母親似の声を持つ少女としてではなく、フローラ・スプリンコートとして好きになっていたのだった。


 好きという想いが強くなると同時に、自分の置かれた立場との葛藤も強くなった。元々人に好かれているわけでもなく、加えて双子で忌み嫌われる対象である。そんな自分との関係が作られてしまえば、きっと迷惑を被ってしまう、と。その先にある未来も考えると、自分の気持ちを素直に言い出せなかった。


 正直なことを言うと、エースは今も、この恐怖を克服したわけではない。きっとこれからもついてくるものだ。ずっと付きまとうものだ。これからは想像もしなかった恐怖や不安に苛まれることもあるのだろう。それでも、自分の居場所だけはきっちりと守りたいと思った。これまでだけでなく、これからも。


 だからこそ、彼女の口から発せられた自分の名前に、エースは静かに涙を流した。それは懐かしい響きを持つ、包み込むような声色の音。限りなく似ていて、しかし絶対に違うもの。


「えっと、だい……じょうぶ?」


「あ、ああ。ごめん。大丈夫。フローラの気にすることじゃない」


 みっともないところを見せてしまったな、と思う。同時に、何も言わずにそっとしておいてくれるフローラの優しさが身に染みる。


「ふふっ」


「なんだよ、急に笑って」


 突然笑顔になるフローラの姿に、目元を拭いながらエースが疑問をぶつける。自然な笑顔も絵になるその姿に、少しだけ見惚れながら。


「やっぱり、あの時私のことを名前で呼んでくれたのは嘘じゃなかったんだなーって。これまで色々とあって、どっちも安易に呼べなかったからね」


「そうだな。これからもそんなに気軽には呼べないけど、こうして2人の時なら問題ないもんな」


「うん。それがなんだか嬉しくて」


 フローラの笑顔の理由は些細な違いによるものであったが、それだけでも笑顔になれる要素としては十分だった。2人の距離が近づいたと分かる、そんな違いだったからだ。


「あ、そうだ。早く食べないとお昼時間終わっちゃうね」


「げ、それはマズイな。早く食べよう」


「うん。いっぱい味わってね。はいどうぞ」


「どうも」


 フローラが膝の上に置いていたバスケットから、1つサンドイッチを取り出してエースに手渡した。



 やっと手に入れた幸せの先には、きっとたくさんの可能性が眠っている。例え探り当てるのに時間がかかっても、その可能性の中から良いものだけを1つずつ紐解いていこうと、エースは手の中のサンドイッチを口に入れながら決めたのだった。







* * * * * * *







「やれやれ……うらやましいね」


 気になっていたその様子を、報告が終わった後に陰から見ていたミスト。ひっそりと感想を独り言のように呟いた。


「そんなとこで見てたら、ストーカーみたいに思われるよ」


 その後ろから、呆れたような声でそう言うのは、こちらも妹の姿が気になるセレシア・プラントリナである。


 治癒魔法とて万全ではないので、セレシアの傷はまだまだ全快ではない。それでも、生活をするのには困らず、誰にも追求されないほどには治っているらしい。それを聞いた時、ミストが安堵の息を漏らしていたことは、ミスト自身の秘密だ。


「んー……面白いネタが取れれば、それはそれでいいかな」


「よくないと思う」


 ミストの言葉にジトッとした視線とストレートな言葉を投げるセレシア。


 だがその状態が維持されるのは少しの間だけで、すぐにいつもの表情に戻った。


「あの2人、ホントにお似合いだよね」


「僕もそう思う」


 あんまり覗き込むとバレるので僅か数秒間だけだったが、その数秒間だけでもお似合いだと分かるほど、絵になっていた。それが、あの戦いで勝ち得た一番のものだったと、おそらく全員が思っている。


 かたや自分の幸せを、かたや兄妹の幸せを勝ち得たことは、大きな進歩であった。


「ホントはね、あの時何も考えずに突っ走っていったこと、少しだけ浅はかだったかな、って思ってる。スプラヴィーンくんなら、もっと上手くやれたのかな、って」


「うーん、どうだろうね。僕ら4人の中で、一番上手に対人戦闘をこなせるのはエースだけだからね。僕が行ってても、プラントリナさんと同じ感じだったんじゃないかな?」


 ミストもセレシアも対人戦闘はこなせるが、ミストは1対1限定、セレシアは場所限定なため、いつもの4人ではエースだけが様々なシチュエーションでの対人戦闘をこなせる。


 そのため、あの時もし自分が行っていたところで、セレシアと同じことになったのではないか、とミストは思っていた。


「なんかすごく弱気だね」


「そうだよ。僕はまだまだ弱い。だから、エースがいてくれて助かる。今回だって、エースが復活してくれたからこそ、みんな無事だったんだしさ。あのままエースが復活しなかったら、今頃みんな空の上かもね」


 それが、ミストの今回の事件に関しての見解だった。元々限られたシチュエーションでしか対人戦闘が出来ない自分たちだけで解決するのではなく、エースを復活させることに全力を注いだのは、彼に挽回のチャンスを与えるというよりも、そのメリットの方が大きい。


 あくまでもサポートである、と割り切っていたからこそ、ミストにはこれといった達成感はなかった。


 しかし、それは数秒後に簡単に覆されることとなる。


「スプラヴィーンくん、森であたしがエアードくんにやられてた時、覚えてる?」


「急にどうしたのさ?」


 そう聞き返しても、きちんとは答えないセレシア。その様子を見て少しだけ変だな、とは思ったが、理由は追求せずに答えを言う。


「覚えてるよ。間に合ってよかった」


「うん。助かった。さっきから『フォンバレンくんがー』って言ってるけど、あのタイミングであたしを助けてくれたのは、他でもないスプラヴィーンくんなんだからね。本当にありがとう」


 真面目な雰囲気で、深々と頭を下げるセレシアの姿を見て、ミストも言いようのない達成感に少しだけ包まれた。これも、あの夜をくぐり抜けて勝ち得たものなのかもしれない。


 ただ、少しだけ気恥ずかしくなったミストは、少しだけ視線を宙に泳がせた後、こう口にした。


「僕はただ、大切な人を傷つけられたのが、イヤだっただけだよ」


「大切な人……フォンバレンくんのこと?」


「エースはもちろんだけど、大切な人が1人とは限らないよ。何人いたっていいと思う」


 この言葉を言えたことは、ミスト自身が変わったな、と思った瞬間だった。昼前の報告の時の、殻を破ったようなエースの言葉を聞いて、ミストも殻から抜け出た気がしている。


 この状況で言うには、どこかむずがゆい気持ちもあったが、この際だからこのくらいは明かしてもいいのだろうと、少しだけ勇気を見習った。


「それって……つまり?」


 やや頬を赤らめたセレシアが、ミストの言葉の真意を探ろうと問いかける。なんとなくだが、予想はついているのだろう。その確かめの意味合いが強そうだった。


「なんか勘違いしているようだけど、僕の言葉はあくまでも友人の域は出ないからね」


 だが、ミストはそう言って、いつものやや意地悪な笑みを見せた。己の勘違いに気づかされたセレシアは、少しの赤面の後に、頬を少し膨らませた。


「むぅ……なんかしてやられた気分」


「気のせい気のせい」


 そんなセレシアの不満そうな言葉を軽く流した後、ミストはもう一度エースとフローラの姿を見た。


 視界に入った幸せそうな空間を作る2人の姿は、2回目ということもあってか心には全く響かなくなっていた。


「だけど、今更ながらエースに先越されたのはなんかモヤッとするね……」


「あたしも、フローラののろけ話を聞かされるばっかりは嫌だなー……」


 代わりに心の中を支配したのは軽い嫉妬であり、口からこぼれ出たのは理不尽な矛先を持つ言葉だった。繋がってしまった兄と妹の姿を脳裏に思い浮かべながら、ミストは苦笑いし、セレシアは肩を少し落としていた。


「そろそろ下りようか。お昼ご飯、まだ食べてないんだった」


「じゃあ戻ろっかー。あたしお腹の虫鳴りそう」


 理不尽な矛先を本当に向けてしまう前に、ミストとセレシアは残った昼の時間を有効活用すべく、己の教室へと戻っていくのだった。


「しばらくは、独り身同盟でも結ぶかい?」


「そんな寂しい名前の同盟作らなくていい!」










 例え世界に忌まれる身だとしても、1人の少年が命がけで叶えた願い。


 想い人と、弟と、友人と。想いが繋いだリレーの先で掴んだ未来。




 それは何も変わらない世界の片隅にて、変わり得た少年の確かな幸せを描いていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る